俺はそっと拳を握りしめる。やはり、黒函莉里は死んでなどいなかった。
 
「紫子さんは黒函莉里という女性を元々ご存知だったのですか」
「よく知っています。彼女はこれまで前田清玄(まえだきよはる)と共にたくさんの悪事に手を染めました。二人は、叶韻蝶会(きょういんちょうかい)の二代目鳳蝶(アゲハ)である私の母と懇意にしていたので」
 
 前田清玄。男は六年前、同事件で浅倉潤との共犯を疑われ逮捕起訴されたが、浅倉潤の自白により結果は不起訴、無罪となった。
 叶韻蝶会(きょういんちょうかい)鳳蝶(アゲハ)。紫子の口から出たそれらの文言は、最近になって目黒さんが掴んできた先輩関連の情報とも繋がる。俺は思わず二人の会話に割って入った。
 
「妹がなぜ殺されたのか、どうやって死んでいったのか、紫子さんはそれも知っているんですか」
「はい。全てを」
 
 紫子が冷静に答えたことで、俺は無性に苛立ちを覚える。
 
叶韻蝶会(きょういんちょうかい)がグルになって俺の妹を殺したのか。何のために? 妹は何で殺された? あんた知っているんだろう、聞いたんだろうその耳で」
「片桐さん落ち着いて」
 
 新妻が俺の腕に触れる。その手を、俺は振り払った。
 
「声が聞こえる? 大層な能力も結構だが、いくら事実を知っていても何もしなければ意味がない。知っていたならなぜ言わなかった、どうして黙っていたんだ! あんたがもっと早くに全てを打ち明けていれば、妹は死なずに済んだかもしれない!」
 
 言いながら紫子に向かっていく俺を、目黒さんは瞬時に立ち上がって(はば)み、そして突き飛ばした。
 目黒さんと睨み合ったまま怒りのぶつけどころを失った俺に、紫子が言う。
 
「私は伝えようとした。片桐さん、あなたに全てを」
「……なんだと?」
「私は以前より片桐さんを存じていました。警察官として新人の頃のあなたに、私は会ったことがあるのです。そして直感しました。あなたは私の知る警察官の中で一番善に近いひとであると。だから私は、あなたに真実を託そうとしました。浅倉潤が犯人として捕まった六年前の事件、その余罪として浅倉潤が殺めたとされるもう一人の人物、木村礼人(きむられいと)さんを車で轢き殺したのは前田清玄だという真実を」
 
 突然の話に俺は顔を歪めた。
 知らない。身に覚えがない。
 
「ただ……私はミスを犯しました。あなた宛に届けたはずの封筒を、まさか妹さんが開封するとは思いもよらなかったのです」

 
 “どうかしたか”
 “え? いや、なんでもないよ”


 記憶にこびりついた妹の声が、蘇る。
 あの時、あいつは何かを後ろ手に隠した。そのまま後ずさりながらすぐに自室に戻り、その数日後には爪が派手になって……
 記憶の中で、ぼやけた妹の手元にフォーカスが当たる。あいつが隠したものは——茶色い、封筒だった。
 
「片桐さんの妹さんが亡くなったのは私のせいです。私が直接あなたに封筒を渡していれば、こんなことにはならなかった。私は運命を導くことに失敗したんです。一度ならず、二度までも」
「どういう意味だ」
「私は木村礼人さんをも死に追いやった。真実を伝えれば助かると思ったんです。でも私はあろうことか、彼をあの怪物(・・)の元へと導いてしまった」
  
 紫子は悔恨(かいこん)の表情で俯く。
 
「どうか前田清玄に罰を、浅倉潤を救ってください。私はもう、逃げません」
 
 決意を述べた紫子はその後も、俺と目黒さんに衝撃の事実を伝えるのだった。