数日後。先輩の葬儀に参列した俺と目黒さんは、その足で懐かしの大衆居酒屋に向かった。お馴染みの隅のテーブル席で枝豆を注文し、それから先輩用のグラスを一つ貰って、ビールを注いだそれをテーブルの端に置く。
 その席は、先輩の定位置だった。
 
「まさか十一年も経ったなんてな」
「本当ですよ」
「俺たち、真面目に働きすぎだ」
「ですね」
 
 気まずいと言うわけでもないが、特に会話も続かない。
 
「献杯、するか」
「はい」
 
 俺は目黒さんが掲げたグラスに自分のグラスを当て鳴らして、ビールを口に流し込みながらふと、テーブルの端のグラスに視線を落とした。
 泡がすっかり消えて、炭酸も失ったそのビールを、先輩が(あお)り飲む幻影が見える。
 
 “物事は大抵結末が決まってる。人はそれに抗うことはできないんだよ”
 
 先輩は酒を飲むと、いつもそう言って俺の肩を強く叩いていた。
 
「先輩のグラス、ビールでよかったんですかね」
「え?」
「ほら、出家したから酒は飲まないって、昔そう言ってたじゃないですか」
「ああ、あれか。構うもんかよ。死んだら坊主もクソもない。結局人間、最後はみんなこうなるんだから」
 
 目黒さんはポケットから取り出したものをテーブルに置く。それは小さな金属のカプセルで、中身には先輩の遺骨が入っていた。
 先輩の両親はすでに他界していて、兄弟もなく、先輩は所謂(いわゆる)天涯孤独の身だった。それが坊主として出家し、その流れで教琳寺院(きょうりんじいん)が先輩の供養をかって出てはくれたが、そうでなければ今頃先輩は無縁塚に埋葬されていただろう。
 
 目黒さんは遺骨の入ったカプセルを見下ろしながら、小さくため息をつく。
 
「あいつが出家したかった理由、今ならわかる気がするよ。誰の記憶にも残らない人生は虚しいからな。だから、片桐がこうしてこのカプセルを用意してくれたのには感謝している。骨を持ち帰ろうだなんて聞いた時、最初は若干引いたけどな」
「言い方が悪いですよ。まあ、俺もついでって感じだったんであれですけど」
「ついで? あいつが聞いていたら今頃殴られてるぞ、片桐」
 
 俺は自分の肩を掴む。……なんだか、急に重くなったような気もした。
 そんな俺をみて小さく笑うと、目黒さんは話を切り替えるように俺の首のペンダントを指さす。
 
「そのペンダント、妹さんか」
「はい。先日見つかった右手です」
「骨、勝手に持ってきたのか。そりゃ犯罪だな」
「……すみません」
「まあいい。それはそうと、気にはなっていたんだ。お前、見つかった右手の骨がどうして妹だと断定できた? 白骨化して、さらに六年もの月日が経っていたら、DNAなんてほとんど採取できなかっただろう」
「付け爪ですよ。手首が見つかった垣根にご丁寧に一本、長い付け爪が落ちていたんです。妹があんな派手なもの付けているのを見たのは記憶の中でも一度きりでしたし、デザインにも見覚えがありました」
「しかしそれだけでは、本当に妹さんのものかどうか確証は持てない。誰かがミスリードを誘っている可能性だって十分にある。その発見場所に、六年間ずっと埋まっていたわけではないんだろう?」
「はい。土が掘り返された痕跡はごく最近のものでした。だとするとやはり、あの日電話を寄越してきた女の仕業と考えるのが一番、妥当かと」
「待て」
 
 突如、目黒さんが俺の話を遮る。その視線は、俺の背後にある店の入り口に向いていた。
 
「……似てる」
「え?」
 
 目黒さんの視線を辿って振り返れば、そこにはこちらに向かってくる一人の女。
 
「知り合いですか?」
「いや」
 
 女は淡々とした足取りで俺たちの席まで一直線にやってくる。そうしてそばまで来ると、順番に俺と目黒さんの顔を確認して、それからぽつりと声を出した。
 
「二つ向こうのテーブル席、こちらから見て右の席に座る女性が間も無く、ビールジョッキを倒します」
 
 え、と俺と目黒さんの声が重なった瞬間、どわりと店内が一瞬ざわつく。見れば、確かに二つ向こうのテーブル席の四人組が同時に立ち上がり、店員にタオルを要求している。
 
「カウンター席、一番端に座っている男性は無銭飲食者です。今飲んでいる酒のグラスが空になると席を立ち、もうすぐお開きになる向こうの宴会席の退店に紛れて店を出ようとします、捕まえるのが良いかと」
 
 カウンターの男、宴会席、と女性の声の通りに視線を移せば、宴会席の幹事が一人立ち上がって挨拶を始めた。
 驚きで目を合わせた俺と目黒さんは、凛と佇んだ状態でこちらを見下ろす女に問う。
 
「あなたは?」
「妹さんの右手は見つかったようですね。その胸のペンダント、とても素敵です」
「あんた電話の……!」
「私の名は紫子(ゆかりこ)。本日は、あなた方に頼みがあって参りました」
 
 宴会席が退店の準備を始める。すると、カウンターの男も席を立った。
 
「私は罪を償いたい。この命が尽きる前に、物事を正しいところに戻したいのです」
「意味がよくわからない」
「協力していただければ、片桐さんには六年前の真相を。目黒さんには、三代目鳳蝶(アゲハ)の命が助かる方法を占います。いかがです、話を聞くだけでも」
 
 紫子が口にした三代目鳳蝶。その名に、目黒さんは血相を変えて立ち上がる。
 
「似ているとは思ったが、やはりきみは樋井(ひのい)蝶子(ちょうこ)さんの」
「ええ、妹です」
「それじゃあ……きみが、預言者(・・・)
 
 紫子を見つめて数秒、目黒さんは慌てて俺に言う。
 
「片桐。カウンターの男が店を出るぞ、捕まえてこい」
「でも」
「いいから。彼女の言うことは必ず当たる、行け」
 
 俺は席を立ち駆け出した。
 店の外、悠然と歩く男の肩を叩き引き止めれば、男は落胆した様子ですぐに食い逃げを認めたのだ。