紫子が、死んだ?
 
「紫子さんは現在病院で手術を受けています。移植手術です」
「移植? 紫子は脳死なんじゃ……それに紫子は自殺だって、どうして僕が殺人犯になるんだよ!」
「紫子さんの遺書には、あなたからの長年の脅迫、恐喝、付き纏いによる精神的苦痛に耐えられずに自殺を選択したことが書かれていたからです。加えてあなたは今日、便箋とロープを彼女に届けた。その際、あなたは樋井さんに対して何か自殺を誘発するようなことを吹き込んだのではないですか?」
「そ、そんなのは出鱈目だ!」
 
 なんだ……なんなんだ、この展開。
 
「あなたの行いは自殺教唆(じさつきょうさ)罪に該当します。いや、それだけじゃない。単なる自殺の教唆にとどまらず、本人の意思決定の自由を奪う程度の脅迫が手段として用いられた今回のような場合には、自殺教唆ではなく殺人罪の間接正犯が成立する可能性があるんですよ」
「かんせつせいはん? 何だよそれ。なんでもいいけど、僕は本当にそんなことはやっていない! 無実だ!」
「残念ながら証拠は揃っています。あそこに」
 
 そう言って、新妻さんは片桐の持つガラケーを示した。
 
「遺書に綴られていたんです。樋井さんは過去数年、あなたから受けた脅迫や付きまといの経緯を記録する目的で、あのガラケー宛にメールを送信していたのだと。そのメールには十分な証拠能力がある。そして同時にそれは、樋井さんが臓器提供を目的に自殺をしたのではない、という証拠にもなり得るんです」
「臓器、提供?」
 
 新妻さんの言葉を只々繰り返す僕を見かねて、片桐が言葉を繋ぐ。
 
「俺たちが必死に暗証番号解除を試みたのには理由があったんだよ。木村さん、状況は?」
「ええ、間に合いました。つい二分前に始まったそうです」
「……よかった」
 
 始まったって、なにがだ。
 木村有里乃はどこに電話していた?
 彼女は一体なにを。
 
 “ママの病院(・・)で、蝶々のお姉ちゃんが教えてくれたもん”
 “直前にお姉様のスマホに別れのメッセージが届き”
 
 頭の中で呼び起こされた文言にハッとして顔を上げる。その僕と、片桐の視線が噛み合った。
 まさか。臓器提供って……
 
「現在行われているのは樋井蝶子(ひのいちょうこ)さんの心臓移植手術だ。ドナーは、妹の紫子(ゆかりこ)さん。彼女は実の姉に臓器を提供する意思を示していたんだよ」
「それなら、紫子はそのために自殺を」
「違うな」
 
 片桐は僕の言葉を食い気味に否定する。
 
「臓器提供というのは、いくらドナーに親族優先の意思があっても、そのために自殺したことがはっきりした場合は親族には提供されないルールなんだよ。臓器移植を目的とした自殺を誘発しないためにな。だからもしも(・・・)、紫子さんが姉の蝶子さんを助けるために自殺をしたのなら、当然その臓器は姉の蝶子さんには移植されない、違反だからだ。だが今回は違う。紫子さんは間違いなくお前に殺された。だから、紫子さんの心臓は姉の蝶子さんに正統に移植されるべきものだったんだ」
 
 そんな、無茶苦茶だ。
 
「タイムリミットは三時間。それまでに、紫子さんの自殺が臓器移植を目的としたものではないという証拠を見つけなければ、臓器は他の患者に回る。そういう約束で俺たちは今回捜査を進めていた。それがギリギリで間に合ったということだ」

 違う。本当に違う……!!
 僕は紫子を脅迫していない、絶対に! 
 
「さあ、奥様にお話がないのなら行きましょうか。すぐにでも、優秀な弁護士をお呼びになりたいでしょうし」
「そうだ……そうだよ、すぐに弁護士を呼べ! 僕はなにもやってない! こんな冤罪、認められるはずがないんだ!」
 
 拝堂の扉を前に、僕は新妻さんに背中を押されて連行されていく。この扉を出たら終わる。このまま無実の罪で、僕は殺人犯の濡れ衣を着せられてしまうに違いない。
 そう思うと途端に身震いした。口が渇き、目に熱を感じて、心臓が大きく跳ねる。
 
「夕奈、違うんだ。僕は本当になにも——」
 
 言いながら僕は振り返り、夕奈へと助けを求めようとした。だがその時、僕の脳天を低い声が貫く。
 

 “捏造だろうが、嘘だろうが冤罪だろうが僕にはなんら無関係。僕さえ良ければいい。僕さえ無事なら、何度だって人生はリセットできる” ——そうだろう? 清玄。
 
 
「そんな……嘘、だろ」
 
 僕は顔を上げ、スクリーンに映る浅倉潤を見つめた。彼は思いがけず、僕と同じ表情をしているように感じる。

 なあ、潤。お前はどうやってこの六年を過ごした? 教えてくれよ。お前が紫子に一日一通メールを送らせていたのは、ガラケーが解約されていないか確かめる為、そう言っていたじゃないか。だからここ数年、メールなんて未読のまま確認しなかった。だってそうだろう? まさか紫子が僕をハメるなんて。
 こんなのあんまりだ。僕はどうしたら。どうしたら、この地獄から逃れられる?
 
「なあ……頼むよ、潤」

 瞬間。
 スクリーンに映る浅倉潤が、プツリと姿を消した。