——僕と浅倉潤、それから樋井紫子は同級だった。でも僕たちは学校で出会ったわけじゃない。僕の父さんが勤める大学病院に紫子の姉が通院をしていて、そのとき付き添っていた紫子と、たまたま父さんへの遣いを頼まれた僕とが最初に出会いを果たしたんだ。
 潤はただ、紫子が住むアパートの隣の部屋に住んでいた、それだけ。
 
 
『じゃあさ、暗証番号はゆかりちゃんの桔梗と僕の空五倍子を組み合わせるのはどう?』
『だめだよ。それじゃあ八桁超えちゃう』
『じゃあ桔梗と瑠璃は?』
『それでも八桁超えちゃうよ』
『それなんだけどさ。考えたんだけど、瑠璃って何だか違う気がするんだ。そんな神秘的な色じゃなくて、なんかもっと濃い感じの』
『あ、これなんかどうかな。群青色』
『いいね。それと、ゆかりの桔梗を組み合わせれば八桁ぴったりだ』
『ほんとだ!』
 
 
 カラーコードの本を見ながらそう言って笑い合う潤と紫子の横顔を、この時初めて憎らしく思った。
 最初に紫子と出会ったのは僕なのに。三人の秘密にしようと提案したのは、僕なのに。
 
 桔梗と、群青? それじゃあ僕は?
 気がつけば、僕はいつも蚊帳の外——

 
「新妻、群青のコードは!」
 少女の助言を受けた片桐が訊いて、
「#4c6cb3です!」
 スマホで調べた新妻さんが答える。
 
 ああ。こんなことなら変えなければよかった。別にいつでも変えられたんだ。カラーコードなんかに拘らずとも、自分の好きな数字に。
 でも僕は元に戻した。これは三人の秘密だから。どんなに孤独を感じようとも、人を蹴落とし疎まれても、このときの絆だけは確かなもので、僕はその誓いを裏切ることで自尊心を保っていた。
 僕は人に利用される側ではなく、利用する立場なのだと。
 
「……開いた。開いたぞ!」
 
 片桐はすぐさまスマホを操作して電話をかける。十六時四十八分。タイムリミットとやらには、心ならずも間に合ったようだった。
 木村有里乃も安堵のため息を漏らしたのち、娘を引き寄せ抱きしめながらどこかへと電話をかける。
 
 そうか。これで終わりか。
 僕はどれくらい拘留されるかな。教授昇進の話が頓挫することで父さんは僕に失望するだろうけど、なまじ自業自得なわけだし、僕だけで言えば実質的なダメージはそこまでない。なぜなら僕や父さんなんかより、世間はネームバリューのある大物逮捕の方により注目するだろうから。
 
 それに最悪、僕には奥の手がある。
 あのガラケーが隅々まで調べられれば結局、僕と潤と紫子、三人の秘密も露呈する。
 潤は死刑になるんだ。そうなれば紫子のことなんてもう、気にする必要はない。
 
 僕がそばにいた新妻さんを見つめれば、彼女は気づいたように眉を上げた。
 
「前田清玄さん、署までご同行を」
 
 新妻さんの真顔に、僕は思わず笑う。
 
「本当すっかり騙されたよ。まさかきみが警察官だったなんて」
「それはどうも」
「年齢は?」
「二十四です」
「やっぱり。二十歳にしちゃしっかりしすぎだと思ってた。でもその歳で警部補か。すごいね」
「一応キャリアなんで。あの、そんなことよりお話なさらなくていいんですか。今日この日が、奥様に会える最後の機会になりますけど」
 
 新妻さんに促されて夕奈を見るが、彼女は僕に目を合わせなかった。
 
「最後って、そんな大袈裟な。脱税の主犯は僕じゃないんだ。刑務所に入ることになってもせいぜい一、二年が妥当だし、もしかしたら執行猶予が付く可能性だって」
「なにを勘違いしているんです。あなたの罪状は脱税ではなく殺人ですよ。このまま裁判になれば死刑だってあり得ます」
「いやいや、ちょっと待ってよ。木村礼人や、片桐って刑事の妹とかの件なら、とっくの昔に裁判は終わって」
「いいえ。あなたが殺人を犯したのはまさに今日、被害者の名前は樋井紫子(ひのいゆかりこ)さんです。ご存知ですよね」
 
 
 ————え?
 
 
「樋井さんと最後に会ったのは前田清玄さん、あなたです。あなたは本日正午過ぎに樋井さんの自宅を訪れた際、便箋とロープを手渡した。そうですね?」
「それは、紫子に頼まれて」
「樋井さんはその便箋に遺書を綴り、ロープで首を吊ったんです。直前にお姉様のスマホに別れのメッセージが届き、我々警察が駆けつけた時には宙吊りの状態で発見されました。急いで病院に運ばれましたが、残念ながら樋井紫子さんは脳死と診断されたのです」