夕奈のその言葉に目を見開いたと同時、片桐のスマホに着信が入った。
 片桐はイヤホンを取り外し、スクリーンを見ながら電話をとる。
 
「もしもし。はい、ええ。ラピスラズリや桔梗、キブシ……そうか、茜はそういう。いえ、こちらの話です。はい、すぐに折り返します」
 
 片桐は通話を切ると、すぐに夕奈へと目を向けた。
 
「暗証番号は色にまつわる数字だ。なにか他に、前田清玄の言動で記憶に残るものはないか? なんでもいい、何か思い出してくれ」
「……シャープ」
「シャープ?」
「はい。シャープから始まる六桁の英数字がなにか関係あるかもしれない」
 
 僕は夕奈へと強く視線を送るが、そんなものが届くわけもなく。
 
「なぜだ」
「清玄はスマホの電話帳に連絡先を登録する時、ときどき名前の後ろにシャープから始まる英数字を振るの。昔は私の名前の後ろにも英数字が振られていて、確か私は……#b7282e」
「片桐さん! 今彼女が言った英数字はカラーコードです! #b7282eは、浅倉潤が彼女に告げた茜という色のコードと一致します!」
 
 
 新妻さんの声に心拍数が上がる。
 カラーコード——その文言とともに、僕は過去を呼び起こした。
 五月、快晴の日。抜けるように濃い青空の下で、十五歳の僕たちが交わした約束。
 
 “僕たち、一生他人でいよう”
 “出会い直すまでの合言葉?”
 “(ゆかり)は桔梗、清玄は空五倍子(うつぶし)
 “そして僕は———————”
 
 燭台の火の揺らめきが、瞳を刺す。
 
「新妻、桔梗は!? キブシ……いや、空五倍子(うつぶし)色のカラーコードを言え!」
「桔梗は #5654a2、空五倍子色は#9d896c!」
 
 片桐はガラケーを操作するも、暗証番号の解読には至らない。
 
「ダメだ開かない」
「英字は省いてくださいよ!」
「分かっている! 数字をどう組み合わせても開かないんだよ!」
 
 彼らは何故、こんなにも焦っているのだろう。暗証番号が彼らの言うタイムリミットまでに解読できなければ、一体なにが起こるのか。
 
「おい、ラピスラズリという色は存在するのか」
「ラピスラズリの和名は瑠璃色、コードは、#1e50a2」
「ダメだ、違う」
 
 僕は心の中で彼らを嘲笑う。
 ちっぽけな古いガラケーを前に、大の大人がああでもない、こうでもないと試行錯誤している姿はどうしようもなく滑稽に思えた。
 
 紫子(ゆかりこ)。きみは今の僕を見たら烈火の如く怒るだろうね。僕はきみを裏切り、潤の人生を踏み台にして今まで生きてきた。仕方がないからこの際それは認めることにするよ。
 でもさ。皆で倒れるよりはまだ、このほうがマシだと僕は思う。誰か一人くらいは生き残らなきゃ。悪いけど、きみや潤のようなメンヘラ(・・・・)にいつまでも付き合ってなんていられない。
 そんなことを考えているうちにふと、小さな少女と目が合う。木村有里乃の娘はずっと僕を見ていたようだ。
 
 そうだね。もう少し大きくなったら、きみにも少しはこの世が分かるよ。人間には利用する側とされる側が存在するってこともね。
 
「違うよ」
 
 僕は少女と目を合わせたまま固まる。
 心の中でした問いかけに、小さく高い声が返事を返してきたから。
 
「瑠璃色じゃないよ。ラピスラズリは瑠璃色じゃなくて、群青(ぐんじょう)だよ。ママの病院で、蝶々のお姉ちゃんがそう言ってた」