静まり返る拝堂で、僕は込み上げる笑いを懸命に堪えていた。
 認める? なにそれ。頭を下げて済むのならそんなことは屁でもない、何千回でも何万回でも、なんなら涙を流すオプションをつけてパフォーマンスしてもいいくらいだ。
 それでも僕に償う罪はない。殺人も脱税も、裁かれるのは別の人間だ。たとえそれが捏造だろうが、嘘だろうが冤罪だろうが僕にはなんら無関係。僕さえ良ければいい。僕さえ無事なら、何度だって人生はリセットできる。
 
「わかった。謝るよ」
「待て」
 
 僕が床に膝をつこうとしたその時、片桐は耳のイヤホンに手を当てながら考えるように眼球を動かすと、狼狽えた表情で僕を見た。
 
「前田お前……帳簿をどこにやった。金庫に入れてあるんじゃなかったのか」


 
 僕は片桐に数秒間目を合わせてからほくそ笑む。やはり、警察は帳簿を見つけられてはいなかった。たとえ金庫が破られたとしても、帳簿の隠し場所はさらに特殊で、そう簡単に見つかるはずがないのだ。
 目に見えて焦る片桐に、僕は逆転の道筋を見出す。
 
「へえ。警察は善良な市民の自宅に勝手に踏み込み、部屋を荒らし、その結果なにも見つけられなかったという事ですか。まずいですよ、これ。世間が知ったら黙っているかどうか」
「ふざけるな。お前はさっき帳簿の存在を暗に自白しただろう。司法取引で罪を無かったことにしろ、これは自分の罪を認めたも同然の発言だ」
「言った言わないは何にもならないんですよ。僕がなにをしたって? 僕はなんの罪に問われるのでしょう。仮にこの場の発言が全て録音されていたとしても公表できますか? 僕はあくまで“意見”を述べただけだ」
「意見だと?」
「そうですよ。僕は決定的な発言は一つもしていない。全てはディベート、たらればでの理論的見解ですよ」
 
 片桐は押し黙る。木村有里乃もその娘も、予想だにしない展開に気持ちの収まりどころが悪い、そんな表情だ。
 勝った……乗り切った。このことは先手を打ってSNSに投稿しよう。理不尽な追求、濡れ衣を着せられるかもしれない恐怖、テーマはそんなところか。少しばかり話を盛るのも良いかもしれない。これで浅倉くんが話題を追うように死刑になれば、それこそ僕に対する同情と共感は集まるだろう。
 働きながら息子の育児の九割を担い、家事を手伝い妻を労う。そんな僕の投稿に反応を示すフォロワーは一定数存在した。“凄いですね” “奥様が羨ましい” そんな今までの声に加え、応援や支持の通知が鳴り止まない未来を想像すると身震いした。
 
 憐憫(れんびん)の声は心地よい。
 羨望の目は(たま)らない。
 匂わせの機微を知り、
 一度舌が肥えたなら、
 
 この悦は、手放せない——
 
 
 
 
「なにをニヤけているの、清玄」
「え?」
 
 するはずのない声に、思わず素っ頓狂な返事が漏れた。顔を向ければ、発言したのは今まで口をつぐんで空気のように存在していた三列目の地味女。

「どうしてそんな顔ができるの? こんなに苦しんでいる人たちを目の前にして、どうして笑えるの? おかしいよ。こんなにヤバい人だったなんて知らなかった。そうならそうって最初から教えてよ、わからないよ。父を逮捕してもいい? さっさと死刑を執行しろ? 馬鹿じゃないの! どんなふうに生きてきたらそんな異常な考え方できんのよ!!」
 
 叫びと共に立ち上がった夕奈が眼鏡とマスクを剥ぎ取ると、その頬には涙が染みていた。
 なぜ、夕奈がここに。
 
「ねえ。私を神楽坂に呼び出した六年前の五月二日、清玄は人を殺したの? 私をアリバイに利用したの? 木村礼人(きむられいと)さんを轢き殺したって本当?」
「夕奈、こんなところでなにを」
「質問を質問で返してこないで。叶韻蝶会(きょういんちょうかい)ってなに? 鳳蝶(アゲハ)さまって誰? 脱税ってなんなの?」
「だから、それは誤解で」
「だったら。これは警察に渡していいよね」
 
 そうして夕奈が掲げた右手を見て、僕は上瞼を引き攣らせて目を見張る。
 その手にすっぽり収まるようにして握られたスライド式の黄色い携帯電話は、今僕が一番目にしたくないものだった。