教琳寺院(きょうりんじいん)。刑事が出したその寺の名はよく知っている。叶韻蝶会(きょういんちょうかい)を発足した先代の時から関わりの深い寺だ。そこの坊主が死んだ? だからなんだ。そんな話僕は知らない。とするとこの状況はただ叶韻蝶会(きょういんちょうかい)とその祖、鳳蝶さまを調べる為だけのものであって、僕を調べにきたわけではない? ここはこのまま、黙ってやり過ごすのが定石か。
 
 未だスクリーンに映し出されたままの浅倉潤。映像の中の彼は身振り手振りを交えて何かを喋っているが、流れているのは映像だけで音声はなかった。
 僕は考える。この刑事は、浅倉潤の有罪をひっくり返そうとしているのかもしれない。そしてこんな奇抜な方法を取る理由はひとつ。今日、彼が死刑になるのが事実だからだ。
 どうする。いや、考えなくていい。この件において僕は一度起訴され、そして無罪を勝ち取っている。今更どうこうなることはない。……いや。万が一もある、のか?
 
 見ず知らずの坊主が死んだ事件なんかどうでもよかった。それよりも今は浅倉潤が何を語り、この映像が世間にどう晒されているかの方が僕にとっては重要だ。
 僕は刑事を盗み見る。どうにか父さんに連絡して、この刑事の行動を今からでも規制することはできないだろうか。父さんの知人の中には警察関係者もいたはず。
 刑事の名前は名刺を作るときに聞いた。確か、えっと……片桐。そうだ、この刑事の名は、片桐修哉(かたぎりしゅうや)だ。
 
「死因は服毒による自死。だが宗胤の遺体には見逃せない異変があった。右の手首から先が切断されていたんだ。つまり、宗胤が息を引き取った後に何者かがその右手を切断して持ち去ったことになる。それはあんただよな、鳳蝶(アゲハ)
 
 片桐に問われた鳳蝶さまは無言のまま。だが、特段驚いた様子も見せない。
 
「自分の仕業だと隠すつもりもなかったんだろう。宗胤の身体のそこかしこに、あんたの指紋がベッタリと付着していたからな」
「ええ、そうね。最後の別れだったから。顔もたくさん触ったし、キスもしたし、抱きしめた。言っておくけど右手は返さないわよ? もう、私のものだもの」
 
 鳳蝶さまは右腕を掲げる。袖の長いチャイナドレス、そのラッパ状に広がる袖で指先まで隠れていた右手が(あら)わになると、手首の生々しい縫合痕に小さく悲鳴が上がった。片桐の隣、三列目に座る地味女を見れば、両手で顔を覆っている。
 細く白い鳳蝶さまの腕に繋がったその右手は、骨と皮のミイラ。灰色と緑色を混ぜこんだように(よど)んだ色のそれを、鳳蝶さまは恍惚な眼差しで眺めていた。
 
「美しいでしょう。これを愛と呼ばずに何と呼ぶの?」
「愛? ふざけるな。お前はただの異常犯罪者だ。昔から手首を切るのがあんたの趣味なんだろうが」
「むかし?」
 
 鳳蝶さまが聞き返した次の瞬間、片桐は視線を僕へと移した。その燃えるような眼力の強さに思わず生唾を呑みこむ。
 
「あんたとそこにいる前田清玄(まえだきよはる)は六年前、赤坂の焼肉店で女性を殺し、その手首を切断した。首を絞めて殺したのが前田清玄、手首を切断したのが鳳蝶(アゲハ)。そしてその右手を焼き、死体を移動させ遺棄したのが今スクリーンに映っている浅倉潤だ」
 
 片桐は立ち上がる。
 
「殺された被害者の名は黒函莉里(くろはこりり)。でも、おかしいんだよ。その時殺されたのは俺の妹のはずなんだ。俺の妹は、黒函莉里なんて名前じゃない」
 
 僕は片桐から視線が逸らせなかった。動悸がする。身体全部で心臓を打っているような気になって、目の前が白く薄くなる感覚に陥っていく。
 
鳳蝶(アゲハ)。今あんたの手首から先に付いているのが宗胤の右手なら、あんたの本物の右手はどこに消えた? 宗胤が死んでからまだ三ヶ月余りだ、そのとき一緒に自身の手首を切断したのなら、そんな綺麗に止血できるわけが無い。つまりあんた自身の右手はずいぶん昔に切られたと推定される。六年前、焼肉店の網の上で焼かれていた右手はあんたのもんだ。そうだよな鳳蝶……いや、黒函莉里(くろはこりり)!」