「平成六年四月二十三日。わたし前田清玄(まえだきよはる)は父である前田丈晴(たけはる)、そして母七美(ななみ)との間に生を受けました。三二七〇グラムの元気な男の子でした。母(いわ)くわたしは小さい頃夜泣きも無く、よく食べよく寝る優秀な子供だったとのこと。だから今、私の息子が夜泣きをしてしまうのは妻の遺伝子によるものでしょう。
 
 わたしの父は医者です。著名人や有名人にたくさんのパイプを持つ顔の広い人です。そんな忙しい人ですから、患者さまといえど全ての人を診ることはできません。ある程度は選ばなければならない。同じ症例患者が二人いたのなら、その患者のバックグラウンドを加味して自分にとってどちらが利益になるかを精査し、執刀する患者を選ぶ……そうですね、わかりやすく言えばコンペみたいなものでしょうか。医者だって慈善事業じゃなくビジネスなのだから、ある程度頭を使って要領よく立ち回る能力が必要になります。そうして実績を積んだ結果、父はこの春から教授になることが確定しました。
 
 そして母は専業主婦です。働きに出たことは生涯一度もありません。それだけ父の稼ぎがよいということですね。わたしもそれが理想でしたので、妻には妊娠と同時に仕事を辞めてもらいました。妻は少々我儘なところもありますが、毎日家事や育児をこなす彼女に時々、エステや買い物をする一人時間をプレゼントするなど、充実した生活を手に入れることができており——」
 
 
 
 叶韻蝶会(きょういんちょうかい)の拝堂にて。初代鳳蝶(アゲハ)さまの巨大な肖像画を背に、僕は信者に目配せをしながら演説を始めていた。蝋燭の火に蝶のエンブレムの影が揺らめき、神秘的な雰囲気を醸し出すこの拝堂に集まったのは、全部で七人。
 小太りの中年な男と黒髪をポニーテールにまとめたスーツの女、それから十歳くらいの少女が一列目に座り、先ほど建物の外に待機させていた男二人がサクラで二列目に座る。三列目の長椅子にはメガネにマスク姿の地味目な女と、蛇男。
 少ない。が、それも仕方ない。何事も始まりはこんなものだ。まして、一度燃え尽きた炎を再び燃え上がらせるのはそう簡単ではない。
 
「ええと、ざっとこんな感じでわたしの人生についてご紹介させていただきましたが、ここまで聞けばお気づきの方もいるでしょう。わたしが健康に生まれたこと、裕福な家庭環境に身を置けたこと、親を煩わせない優秀な子供でいられたこと、父が出世すること、母が働く必要なく優雅に生活できること。このように順風満帆なライフステージが実現したのは全て、この叶韻蝶会(きょういんちょうかい)鳳蝶(アゲハ)さまのおかげなのです」
 
 小太りな中年は小さめなハンカチで額の汗を拭い、スーツの女は何やら熱心にメモを取る。二列目のサクラは終始にこやかに頷き、三列目のマスクの女はじっと僕の顔を見つめていた。
 あら、惚れてしまったかな? そんな表情で首を傾げつつ微笑めば、マスクの女は動揺したように俯いてしまった。ごめんね。今の僕には新妻さんがいるから。
 
「さて。長々と話してしまいましたが、今回皆様の目的はもちろん鳳蝶さまの占いでしょう。お待たせいたしましたご紹介します、我が叶韻蝶会(きょういんちょうかい)で歴代一の美貌を誇る祖、四代目鳳蝶(アゲハ)さまでございます」
 
 部屋の後ろ、観音開きに扉があく。ぶわり吹き込んできた冷たい風で蝋燭の火が(なび)けば、長椅子に座る人々は一斉に背後を振り返った。
 堂々たる歩みで、ゆっくりと僕の横まで来た鳳蝶さま。僕は一歩下がり、その顔を見ないよう視線を下げれば、それに(なら)って他の人々も頭を下げた。
 
「本日は遠いところをご苦労様でございます。わたくしが四代目鳳蝶です。皆様、そう硬くならずにお顔をあげてくださいませ」
 
 鳳蝶さまのその言葉で皆が素直に顔を上げる。だが、たった一人俯いたままの男がいた。三列目の蛇男だ。
 正直いうと、僕はこの蛇男の詳細をよく知らない。鳳蝶さまから身体的な特徴と出没場所の見立てを聞き、新妻さんとのデートも兼ねてその男がよく行くバーを突き止め、そして叶韻蝶会(きょういんちょうかい)に誘った。それだけだ。
 
「おや。そこの三列目に座る殿方。お加減でも悪いので?」
「……いえ」
「ではお顔をあげてはくださりませんか。そうしましたらそうですね、本日はあなたを一番に占って差し上げましょう」