親父が再婚したとき、相手の女性の連れ子としてやって来た妹はまだ八歳だった。俺はもう二十三の歳で、正直急に家族が増えたことに煩わしさを感じたのを覚えている。
 何より、当時四十三になる親父の再婚相手はまさかの二十六歳。俺と三つしか変わらないことに呆れを通り越して空笑いした記憶すらあった。
 妹は当然俺には懐かないし、なんなら親父は敬遠されていた。そりゃそうだ。いきなり見ず知らずの男たちが家族になりました、なんて言われても、妹からしたらたまったものではなかっただろうから。
 
 本当なら、俺は親父が再婚を決めた三ヶ月後に実家を出る予定だった。けど親父はどうしても俺にも一緒に暮らして欲しいと言ってきて、俺はそれを承諾したんだ。
 それこそ、最初は美人局も視野に入れていた。本当はまだ別に家庭があって、親父は若い女に騙されているんじゃないかって。だってそうだろう、いくらなんでも歳の差がありすぎる。
 それが蓋を開けてみたら、親父の再婚相手は昔の旦那からDVを受けていた関係でPTSDを発症し、娘と一緒に心中未遂をした過去があった。
 親父は彼女に恋しているというより、どちらかというと心配で保護している、俺にはそんなふうに思えた。彼女が働きに出ることは難しく、家に一人残しておくには心配。そんな経緯で、親父は自分の留守を俺に任せたんだ。
 
 親父の再婚相手は真面目な人だった。飯も作るし、掃除や洗濯も毎日欠かさずやってくれた。口数は少ないけど儚げに笑う人で、ちょっとコンビニに買い物に出て帰ってきた俺にもおかえり、と声をかけてくれるような律儀な人だった。精神を病んでいることなんて、親父も俺もすっかり忘れていたほどに元気だった。
 
 だから——それから二年後にまさか自殺するなんて誰も思っていなかったんだ。



 葬式は家族だけでひっそり行った。それが故人の意向だった。だが、問題が発覚する。

 “娘には戸籍がありません”

 遺書にはそう書かれてあった。
 当時妹が小学校に通えていたのは、教育委員会に相談して臨時の住民票を発行してもらっていたからで、それも中学校を卒業すると同時に資格を喪失してしまうのだと聞いた。
 考えてみたら確かに、妹は風邪を引いた時も病院にはかからず自宅の布団に横になっていた。まあ、そもそも部屋にこもりゲームやパソコンをいじるのが好きな子だったから、大きな怪我を負ったこともないようだった。
 遺書には妹に戸籍がない理由も書かれていた。離婚後三百日問題が原因で、命からがら逃げ出した元旦那の戸籍に妹を載せたくない、曖昧だがそんなような経緯だった。
 
 母の死を受けても、十歳の妹は泣かなかった。だが同時に心を閉ざし、以前からの内気に拍車をかけて外との関わりを絶った。
 親父はそんな妹を気にかけたが、飯は食うし睡眠も摂れているようであったし、思春期だということも相まって俺としては放っておいた方が良いと判断した。
 そうして俺と親父は臭い物に蓋をするように取り繕って、家族としての関係を破綻させたまま五年の時を()てしまった。


 
 俺は三十の歳も超え、流石に実家を出ていた。親父も妹との関わり方にルーティンを見出し、食事と生活費を工面する以外はなるべく干渉しない日々を過ごしていたそうだ。
 親父の話によれば、妹は動画配信にハマり夜な夜な自室から喋り声が漏れ聞こえていて、笑い声も含まれるその様子に安堵していたと聞いた。
 
 だから、油断したんだ。
 
 妹が暴露系配信者なんて肩書きで妙に人気があったと知ったのは、妹の行方がわからなくなってからで。
 外出が増えたのも健康を意識してのことだと喜んでいた親父だったが、その詳細はSNSで知り合った人たちと集まり、情報を交換し、人の弱みを握って金銭を搾取する犯罪行為を繰り返していた。