私は片桐の後ろをついて歩く。廃墟のような白い家、その勝手口から狭い通路を抜けて再び簡易的な扉を開けると、ひらけた場所に出た。埃っぽく、奇妙な場所だ。
 私は二、三歩足を進め、部屋を見回す。六角形の部屋の中央には木造りの長椅子が三列あり、壁際には燭台(しょくだい)に刺さって短くなった蝋燭がシンメトリーに配置されていていた。その燭台と燭台との間を等間隔に埋めるようにして、銀色の蝶のエンブレムがいくつか飾ってある。照明器具はなく、吹き抜けの天井から差し込む陽の光だけで室内は薄ら明るい。
 
 そうして一周ぐるっと部屋を眺め、最後に入って来た勝手口側の壁を振り返ったとき、その壁一面に立派な肖像画を見た。
 肖像画の女性はモナ・リザのように斜に構えたポーズで長い黒髪を靡かせ、鼻から下をフェイスベールで隠している。額縁に入れられたその絵の真下にはテーブルがあって、水分が抜けて乾涸びた花が幾つか無造作に転がっていた。
 
「この壁の絵の女性、誰ですか」
鳳蝶(アゲハ)さんだよ。まあ、今の四代目じゃなくて初代のだけど」
「へえ……つまりこの人がこのカルト宗教の大教祖で、今もその意思は脈々と継がれていると。それにしても、花とか枯れちゃってますけど。部屋もずいぶん薄汚れてるし」
 
 私は昔に手向けられたであろう花の残骸を指でつつく。それを見た片桐はため息を吐いて、手前の長椅子の誇りを手ではらうとそこに腰を下ろした。足を開き、更にその太ももに肘を置いて両掌を組むと、蔑むように口角を上げて私を見上げる。
 
「あんた口が悪いな」
「なにがですか」
「最初に名刺を渡しただろう。確かに理由があるとは言ったが、仮にも今俺はこの叶韻蝶会(きょういんちょうかい)の一員なわけで、その俺に向かってカルトだなんてよく言えたもんだ。俺が熱心な信者だったらどうする? 教祖を馬鹿にするようなあんたの口調にブチっとキレて、殴りかかってもおかしくないんだぞ」
「なんですかそれ、脅しですか。それともまた私を馬鹿にしているんですか」
「あのなあ」
「別に殴りたきゃ殴ればいい。私、そんなことでビビって尻込みするような女じゃないんで」
 
 思わずぎゅっと拳を握った。脳裏には、汐紘(きよひろ)の屈託のない笑顔が浮かぶ。
 
「……十三人。清玄と結婚するまでに私がデートした男性の人数です。飲み会とか紹介とかマッチングアプリとか、たくさん精査して、一番の有料物件が清玄だった。親が医者で自分も病院に勤めていて、私との食事やプレゼントにお金の糸目はつけたりしなくて。家事の苦手な私に、そんなものは外注すればいいって笑ってくれた人は初めてだったんです。でも、蓋を開けたら清玄は医者じゃなくて事務員。妊娠が分かって、結婚を取りやめるわけにもいかなくなって、結局そのモヤモヤを引きずったまま出産、子育て。私が息子に付きっきりになれば、清玄は家に寄り付かなくなりました。家事外注なんて一度もさせて貰った事ないんですよ、笑っちゃうでしょ」
 
 そう自分を嘲笑する私を、片桐は何も言わずにじっと見ていた。その視線が気まずくて、私は早口に言葉を繋げる。
 
清玄(きよはる)と離婚して、私今度こそ幸せになりたいんです。その為には彼の秘密を手に入れて、私側に有利な条件で離婚の話を進めたい。だから教えてください。清玄はいったい何をしたんです? 秘密って?」
「殺人」
 
 片桐の低く籠った声は、鼓膜を通り抜けて私の脳をかき乱した。
 
「……さつじん?」
「そうだ。あんたが十三人の中から精査し選び抜いたとびきりの男は殺人鬼。前田清玄(まえだきよはる)はあんたと出会う以前に少なくとも二人、人を殺している」