建物の陰に隠れながら、片桐(かたぎり)はさっきまで私たちがいた正面入り口を凝視していた。その場所には私たちとすれ違いで男性が二人やって来ているようだった。
 そんな私はというと、その片桐の首の刺青(いれずみ)に釘付けで。鱗一枚一枚が綺麗に連なるその蛇に、思わず手を伸ばしそうに——
 って、いや違う違う違う、今はこんなことをしている場合では。
 
「ねえ。清玄(きよはる)が不正な献金を受け取ってるってさっきの話なんだけど」
「静かに。これから徐々に人が増える。これ以上このまま外で話すことはできない。続きは建物の中で。二人きりになれる場所があるから」
「二人きりって、私が? あなたと? なんで?」
「誰にも聞かれたくない話をするからに決まってるだろ」
「どうして二人きりになる必要があるの? それに、そんな野蛮な刺青入れてる男の人のことなんて信用できない」
 
 私が強気に言えば、片桐はとてつもなく面倒くさそうにため息を吐き、握っていた私の左腕から乱暴に手を離した。

「痛っ! なにすんのよ!」
「あんた、いくつ」
「え?」
「歳。いくつ?」
「二十三だけど」
「俺三十七ね。敬語使えよ。そんで俺、子供に興味はないから」
「なっ、子供!?」
「子供だろ。干支一回り以上も歳が違うんだから」
「はあ? 私一応、息子もいる母親なんだけど。なにが子供よ。嫌味しか言えない行き遅れたおじさん(・・・・)に言われたくない」
 
 睨み合う私と片桐。その目を先に逸らしたのは片桐で、軽く頭を掻くと諦めたように腕を降ろした。
 
「まあいいや。あんたは今日ここには来なかったって鳳蝶(アゲハ)さんには言っておくから、もう帰っていいよ。さよなら」
「ちょっと待ってよ、なに勝手に決めて」
「いいかよく聞けよ」
 
 そう凄まれて、私は一瞬萎縮する。
 
「俺や鳳蝶(アゲハ)さんは今日この日を迎えるためにたくさんの労力と時間を費やしてきた。それがやっと実を結ぶ、失敗するわけにはいかないんだよ。今日の計画はなんとしても成功させなければならない。あんたをこの場に呼んだのは鳳蝶さんの情ってだけで、べつに俺はあんたが居ても居なくてもどっちだって構いやしないんだ。だから帰りたければ帰れ。時間が惜しい」
 
 そう言ってそっぽを向く横顔を私はじっと見つめた。その片桐の顔が、何故だか清玄(きよはる)顔貌(がんぼう)と重なる。そのうち何度瞬きを繰り返しても目の前の片桐が清玄にしか思えなくなってきて、私は無性に腹が立った。
 
 どうして。どうして私はこんな男にしか縁がないのだろう。自分の主張だけを押し付けて、こっちの意見なんて全然聞く気もない。叶韻蝶会(きょういんちょうかい)? 不正献金? アゲハ? 知らないっつの。
 私はただ、清玄が家のお金を無駄なことに使っているならその証拠を掴もうと思っただけだ。預金以外に隠し持っているお金があるのに、それを知らずに離婚が進めば後で馬鹿を見ることになる、そう思っただけ。
 それがなに? 子供に興味ない? 私なんて居ても居なくても変わらない? 帰れ? は? 初対面のやつにここまで言われなきゃならないほど私、なんかした?
 
「え。なんで泣くの」
 
 気づけば。私は片桐を睨みつけながら頬に涙を流していた。言ったところで伝わりっこない言葉を飲み込み、馬鹿にされた屈辱を涙に溶かして只々泣く。
 そうして心を落ち着かせると、自然と口が開いた。
 
「今すぐ建物の中に私を連れて行って状況を説明してください。これから何が起こるのか、清玄がこれまで何をして来たのか、あなたの知っていることを全て私に教えてください」
「なんだよ改まって」
「あなたが敬語を使えと言ったんでしょう。時間が惜しいのは私も同じです、さっさとしてください」
「……ああ、わかった。正面入り口は使えない、向こうに勝手口があるからそこから中に入ろう」
 
 どこか納得しきれてない様子の片桐に、私は追撃を贈る。
 
「ただし、隠し事は許さない。それから今後私を馬鹿にするような発言をしたらその時は、直ぐに清玄に連絡をさせてもらいます。何かを企んでいる人たちが居ると。それではそちらも困るんでしょう?」
「まあ……」
「約束できますか」
 
 片桐は今度こそ私の意を汲み取った素振りで数回頷くと、まっすぐ私の目を見返して来た。その顔貌(がんぼう)は、間違いなく清玄より整っている。
 
「わかった。約束するよ」