「今の電話は、なんですか」
 
 自分でも間抜けな質問だ思う。それでも今の僕は、震えないように声を絞り出すので精一杯だった。宗胤は自供と言ったが、電話の内容は僕の思う自供とはかけ離れていて。
 考えてみれば、例え前田清玄が木村礼人と黒函莉里を殺したという事実が分かっても、罪として彼を裁くことはもうできない。何故なら当時、彼は僕と同じく犯罪への関与を疑われた後、僕の自白によって無罪を勝ち取っているのだから。
 
「浅倉さんから得た情報を外部に伝えていたのです。ラピスラズリや桔梗、キブシ。最初は石言葉や花言葉に精通する何かだと踏んでいたのですが、まさか色とは」
「あなたは僕から前田清玄という真犯人の名前を聞き出したかったのではないんですか。あなたは黒函莉里の、歳の離れた兄なんじゃないかって」
「へえ。そんなことを考えていらしたんですか。でもすみませんね、わたしは黒函莉里さんの兄ではない。ついでに言わせて貰えれば、わたしは教誨師でもありません。まあ、これはなんとなく察していたとは思いますが」
 
 そう言って宗胤はテーブルの上の教誨師之証を指で弾いた。小さなカードはくるくると愉快に旋回しながら呆気なく床に落ちて、同時に宗胤のスマホが鳴る。
 宗胤は相手の話に相槌を打ちながら、視線だけは僕をずっと捕らえていた。文字通り僕は微動だにできない。その様子に、ふと感じた。
 
 ——こいつは、刑事だ。
 
 歪む口元。弱者を咎める屈託のない正義。宗胤の顔は、取調室や裁判所で僕を責め立てた奴らそのものだった。
 電話を切ると、宗胤はにこりと笑う。

「無事に解除できたそうです、あなたの携帯電話のロック」
「そんなことになんの意味が? そんなことをしても、僕はもう外の世界に戻ることなんて」
「外の世界? あー、なるほど。あなたもしかしてわたしのこと、あなたを救いにきた救世主か何かだとお思いですか? 冤罪を被せられたあなたを、樋井紫子(ひのいゆかりこ)の頼みを聞いて助けに来たジェームズボンドか何かだと。相変わらず傲慢な考えでいらっしゃる。外の世界も何も、あなたの一生はもうすぐ終わります。あと、十二分だ」
 
 部屋の扉の爆弾は変わらず、乾いた音を刻み続ける。
 
「わたしはね、浅倉さん。あなたという人間に数時間向き合って、わかったことがあるんです。あなたは黒函莉里も木村礼人も、自らの父親さえも殺してはいない(・・・・・・・)。それなのに罪を被り、少年院を経て、死刑も受け入れ、今そのような表情でわたしを見つめているのを見ると……やはりどこかネジの外れてしまった人間なんだと思わざるを得ない」
 
 宗胤は立ち上がる。その動向を、僕は眼球だけを動かして追った。
 
「ですが気に病むことはありません。わたしとあなたは愛する人を守るために今日、人生を終わらせる選択をした似た者同士です」
「愛する人を、守るため?」
「そうですよ。その通りです。たとえそれが誰に理解されなくとも、このさき悪評が語り継がれることになろうとも、わたしとあなたはやってのけた。人生を賭して、愛する人を守ったのです、それが事実です」
 
 胸を張り、紫色の輪袈裟を撫でて、宗胤と名乗る目の前の男は僕を軽く見下げる。
 
「ただ。浅倉さんはもっと知るべきだった。あなたにとってどうでも良い人間にも、大切に想う人がいたということを。一方向から見る世界が全てでは無く、物事には幾重にも背景が重なっているのだということを。それが分かっていればきっと、前田清玄なんて男をパートナーに選びはしなかった。あなたにミスがあったとするならば、それくらいです」
「あんた、誰なんだ。ゆかりちゃんが、あんたにとっての愛する人だっていうのか」
「それは明確に否定します。樋井紫子さんは言わば、わたしの御仏(みほとけ)。浅倉さんにとっての、そうですね……鳳蝶(アゲハ)さま、といったところでしょうか」
「いい加減にしてくれよ。時間がない。僕のスマホのロックを解除して、どうして愛する人を守れることになるんだよ。死ぬ前にわざわざ僕の罪が冤罪だと明かすことになんの意味があるんだ。冤罪補償金か? そんなもの微々たるものだろう。前田清玄の社会的地位が落ちたところで今さら得する人間なんか」
 
 宗胤はゆっくり首を横に振った。諭すように、哀れむように低い声で、そっと告げる。
 
「ロックが解除されたのはあなたのスマホではありません。まさか同じ暗証番号を設定していたのですか? わたし共が解除したのは、ガラケーです。遠い昔あなたが父親に誕生日プレゼントにもらったという、スライド式の黄色い携帯電話ですよ」
 

 息が、止まった。

 
「その携帯電話に、いったい何が詰まっているのかは分かりません。でも、今日この部屋で振り返ったあなたの人生のシナリオとは違う、全く別の事実が明らかになるのは必須でしょう」
「……やめろ」
「浅倉さん。人は簡単には死ねないのです。死ぬために生きているというのに矛盾していると、わたしも常々思うのですが」
「やめて、くれ」
「どうか忘れないでください。あなたは紛れもなく、罪人だということを」
 
 言葉が出なかった。気づけばタイマーは一分を切っていて、刻、一刻と近づく終わりの瞬間に焦ることしかできずにいる。
 あのガラケーはゆかりちゃんに託したんだ。中身を見られたら、それこそゆかりちゃんの人生は終わってしまう。
 それを、ゆかりちゃんはわざわざこの男に頼んで、僕から暗証番号を聞き出そうと画策したというのか……? まさか。
 
「そんな、そんな」
 
 ありえない。嘘だ。ゆかりちゃん? 僕はきみを守ったよ? ちゃんと最後まで、墓場まで持っていく覚悟だったよ? なのに、なんで。
 
「さようなら浅倉潤さん。樋井紫子さんに会えることを、祈っています」
 
 爆弾のカウントが、止まる——