すると、部屋の扉をたたく音がした。女中だろうか。

「はーーい」

 と返事をすると、若い女中が失礼します。と言いながら部屋の扉を開けた。

「旦那様が、そば屋へ行かないかとの申し出です」

 そば屋……おそらくは、お屋敷の近くにあるそば屋の事だろうか。幕末に創業した老舗のそば屋で、細めの麺が濃い麺つゆと絡まって美味しいお店だったような。
 幼少期はよく歩いていったが、今もあるのだろうか。

「分かった、行く」

 私は部屋から出て、父親がいる玄関まで歩いていく。玄関には既に両親と沼霧さんが待っていた。

「千恵子も行くか。そば屋」
「うん」
「では、行こう」

 どうやら歩いていくらしい。という事はあのお店かもしれない。という予想はすぐに的中した。

「ここ……!」
「最近あまり訪れていなかったからな」

 父親が暖簾をくぐると、白い服を着た店主の老いた男性がいらっしゃいませ。と出迎えてくれる。

「川上さん、お久しぶりです」

 そう頭を下げながら出迎える店主。父親はそこまでかしこまらなくても良い。と笑いながら接している。

「その若い娘さんは、千恵子さんで?」

 店主が少しためらいながら、私と父親へ目線を向ける。

「お久しぶりです、千恵子です」
「ああ、やはり千恵子さんでしたか。相変わらずの美人ですなあ」
「や、それほどでも……」
「もう、お年頃ですから嫁いでしまって会えないと思っておりまして……」 

 そう店主は控え気味に笑うが、私はまだ嫁いでいない。そこは無言を貫く事にした。
 病気が元で縁談に恵まれない・嫁ぐ気がそこまで無いと知れば、それはそれで話が少し面倒になりそうに思えたからだ。
 両親もそう考えたのか、はははと笑いながら無言を貫きつつ、父親は座席へと座った。

「じゃあ、注文して行こう」

 私はいつも通り、ざるそばと炊き込みご飯のおにぎりを注文する。炊き込みご飯は麦ごはんに、お揚げときのことにんじんとごぼうと鳥肉の五目を炊いたものだ。具材はほんの一かけらしか入っていないが、それが食べやすくて良い。
 両親と沼霧さんも私と同じものを注文した。注文した食事が届くと、私はまずざるそばから頂いていく。

(つゆ濃いな……そばに合う)

 濃い麺つゆにそばが合う。つゆ少しでずるずるとそばが胃まで吸い込まれていく。炊き込みご飯のおにぎりもしょうゆの塩味と具材から染み出た甘みが入り混じって美味しい。
 食べやすさもあってかあっという間に完食してしまった。

「ごちそうさまでした」

 そして夕方。まだ私の口の中に麺つゆの味が残っているのを打ち消すように、仰々しい馬車がこの屋敷までやって来る。

「ただいま戻りました!」