夏の暑さが加速してきたころ、とでも言うのだろうか。とにかく蝉の声が五月蝿い、じめじめと暑い夏の日だ。私は今日も人里に下りては人間共を揶揄っていた。
「いてっ! さっきから一体なんなんだよ!」
そこらを呑気に歩いていたヒトの子の頭に小石を投げてやっていた。等間隔で投げ続けながらも、決してばれないように身を素早く隠す。この緊張感が堪らなく楽しいんだ。
「誰か助けてくれ!!」
小石の痛みに耐えられなかったのか、その子は大声で助けを求めながら走り去っていった。
「あ、ちょっと……!」
遠ざかっていく背中に手を伸ばす。けれど足は止まることなく、ついにはその姿が捉えられなくなった。せっかく揶揄いがいがある奴を見つけたと思ったのに、逃げられてしまった。あまりの悲しさに肩を落とす。
「今日はもう帰るかな」
こんな暑い日にまた揶揄える奴を探すのも面倒くさくて、私が住み着いている古びた小さな神社に向けて足を進めた。
裏山の小道を数十分歩いたところにそれはある。
人がこの神社に寄りつかなくなって百余年。静かな時が流れるここが私は好きだった。
大きな御神木の枝に腰掛け、涼んでいるとバタバタという足音が聞こえてきた。
「やっと着いた!」
そこに姿を現したのは齢八ほどのヒトの子だった。その少年はなにやら膨らんだリュックから果物をだすとお供えをし始めた。それが終わると、次は手を合わせ必死になにかを祈っている。
その様子を見て、私は思わず笑いだしてしまった。
「だれ!?」
私の笑い声に少年は肩をビクつかせた。それがまた面白くて笑いは収まらない。
「上だよ、上」
笑いすぎて溢れてきた涙を拭いながら、少年に私の居場所を教える。すると、その少年は私が座っている御神木の根元まで駆け寄ってきた。
「お姉さん、だれ?」
不思議そうに首を傾げる。無理もないか。御神木に座るなんて、こんな罰当たりなことをしている奴はそうそういないからな。
「私は妖だ。お姉さんではない。妖に性別なんてものはないからな」
「どこからどう見ても女の人だよ?」
「女の格好をしてるのは、その方がなにかと便利だからだよ」
私がそういっても少年はまだ納得できていないようだった。やはり子どもというのは理解力がなりぬな。
ため息をひとつつきながら、今度は私が気になっていることを少年に問う。
「それで? 君はここになにをしに来た?」
「お願いごとだよ。どうしても神様に叶えてほしいことがあるんだ」
目を輝かせながら話す少年を憐れむ。そんなことをしても無意味だというのに。
「そうか。だがな、もうここには……」
「あのね!」
私が話しているというのに、少年はそれを遮ってきた。話を邪魔されるのは一番嫌いだ。
「今度はなんだ?」
「僕おばあちゃんの病気が治りますようにってお祈りしてるの。そうすればきっと神様が治してくれるよ!」
ああ、ヒトとはなんて愚かな生き物なのだろう。ここにはもう神様なんていないのに。何十年も前に別の土地へと姿を消してしまった薄情者に、まだ縋ろうとするなんて。
「……そう。せいぜい頑張るといいさ」
「うん!」
なにも知らないその少年は、それから毎日毎日手にいっぱいのお供えものを抱えてここにやって来た。そのたびに、飽きもせず私に話しかけてくる。そんなある日、ふと思ったことを口にした。
「君はどうしてもこの神社に固執する? 神社なんて他に数え切れないほどあるだろ?」
こんな古びた神社じゃなくて、もっと大きくて立派な神社に行けばいい。現にここから少し離れた場所に人間が多く集まる神社があるのだから。
小さい体で山を数十分かけて登ってまでここに固執する意味が私にはわからなかった。
少年は年相応の笑顔を私に向けながら、嬉しそうに話す。
「ここはね、昔おばあちゃんが助けてもらった場所なんだ! ここの階段で足を踏み外して落ちそうになったところを神様に助けてもらったって言ってた!」
それを聞いた途端、はっと思い出した。私は昔、ここで女を助けたことがある。そうか。あのとき助けてやった女の孫か。
私が気まぐれを神の善意だと勘違いしたんだ。そのときにはもう神はここにいなかったというのに。
ヒトは脆い。仮にここに神がいて病院が治ったとしても、その女はどうせ寿命で死んでしまう。あれからそれほどまでに長い月日が流れたのだから、当たり前だ。
「そうか。死んでしまうのか」
森がさざめく。私を神だと思い込んで神社に何度も何度もお礼を言いに来た変なやつ。助けたときなんかは命の恩人だとか言って泣いていたな。私はそんな女と話すのが好きだったのかもしれない。
「少年。君の婆さんの病気はきっと治るよ。私が保証してやる」
少年は一瞬、困惑したような顔をしてからいつもの笑顔で大きく頷いた。
「え? うん、ありがとう! お姉さん」
ヒトは愚かだと言いながら、私だって同じじゃないか。自分の中に芽生えた矛盾に思わず、笑いが零れた。
***
それから数年後、病気の治った婆さんと大きく成長した少年がまたここを訪れてきた。
「ばあちゃん、病気直ってよかったな」
「きっと神様のおかげだよ」
私は前と同じように、御神木から見下ろすように二人に話かけた。
「また来たのか? ここには神様なんていないんだぞ?」
なんてこと、もう聞こえないのに言っても無駄か。こうなることはわかっていた。神様でもないただの妖が力を酷使すると、代償を払わなくてはいけない。
だけど、それでも……
「こんなに悲しいなんて思わないじゃないか」
今でも二人は手を合わせ、なにかを祈っている。いや、感謝しているのか。
幸せそうな二人を見ているとこれでよかったのだと思える。
「私の全てをあげたんだ。長生きしないと末代まで呪ってやるからな」
人と関われないのなら、私がもうここにいる理由はない。そう思って二人の頭を軽く撫でてから、別の地へ向かう旅にでた。
「いてっ! さっきから一体なんなんだよ!」
そこらを呑気に歩いていたヒトの子の頭に小石を投げてやっていた。等間隔で投げ続けながらも、決してばれないように身を素早く隠す。この緊張感が堪らなく楽しいんだ。
「誰か助けてくれ!!」
小石の痛みに耐えられなかったのか、その子は大声で助けを求めながら走り去っていった。
「あ、ちょっと……!」
遠ざかっていく背中に手を伸ばす。けれど足は止まることなく、ついにはその姿が捉えられなくなった。せっかく揶揄いがいがある奴を見つけたと思ったのに、逃げられてしまった。あまりの悲しさに肩を落とす。
「今日はもう帰るかな」
こんな暑い日にまた揶揄える奴を探すのも面倒くさくて、私が住み着いている古びた小さな神社に向けて足を進めた。
裏山の小道を数十分歩いたところにそれはある。
人がこの神社に寄りつかなくなって百余年。静かな時が流れるここが私は好きだった。
大きな御神木の枝に腰掛け、涼んでいるとバタバタという足音が聞こえてきた。
「やっと着いた!」
そこに姿を現したのは齢八ほどのヒトの子だった。その少年はなにやら膨らんだリュックから果物をだすとお供えをし始めた。それが終わると、次は手を合わせ必死になにかを祈っている。
その様子を見て、私は思わず笑いだしてしまった。
「だれ!?」
私の笑い声に少年は肩をビクつかせた。それがまた面白くて笑いは収まらない。
「上だよ、上」
笑いすぎて溢れてきた涙を拭いながら、少年に私の居場所を教える。すると、その少年は私が座っている御神木の根元まで駆け寄ってきた。
「お姉さん、だれ?」
不思議そうに首を傾げる。無理もないか。御神木に座るなんて、こんな罰当たりなことをしている奴はそうそういないからな。
「私は妖だ。お姉さんではない。妖に性別なんてものはないからな」
「どこからどう見ても女の人だよ?」
「女の格好をしてるのは、その方がなにかと便利だからだよ」
私がそういっても少年はまだ納得できていないようだった。やはり子どもというのは理解力がなりぬな。
ため息をひとつつきながら、今度は私が気になっていることを少年に問う。
「それで? 君はここになにをしに来た?」
「お願いごとだよ。どうしても神様に叶えてほしいことがあるんだ」
目を輝かせながら話す少年を憐れむ。そんなことをしても無意味だというのに。
「そうか。だがな、もうここには……」
「あのね!」
私が話しているというのに、少年はそれを遮ってきた。話を邪魔されるのは一番嫌いだ。
「今度はなんだ?」
「僕おばあちゃんの病気が治りますようにってお祈りしてるの。そうすればきっと神様が治してくれるよ!」
ああ、ヒトとはなんて愚かな生き物なのだろう。ここにはもう神様なんていないのに。何十年も前に別の土地へと姿を消してしまった薄情者に、まだ縋ろうとするなんて。
「……そう。せいぜい頑張るといいさ」
「うん!」
なにも知らないその少年は、それから毎日毎日手にいっぱいのお供えものを抱えてここにやって来た。そのたびに、飽きもせず私に話しかけてくる。そんなある日、ふと思ったことを口にした。
「君はどうしてもこの神社に固執する? 神社なんて他に数え切れないほどあるだろ?」
こんな古びた神社じゃなくて、もっと大きくて立派な神社に行けばいい。現にここから少し離れた場所に人間が多く集まる神社があるのだから。
小さい体で山を数十分かけて登ってまでここに固執する意味が私にはわからなかった。
少年は年相応の笑顔を私に向けながら、嬉しそうに話す。
「ここはね、昔おばあちゃんが助けてもらった場所なんだ! ここの階段で足を踏み外して落ちそうになったところを神様に助けてもらったって言ってた!」
それを聞いた途端、はっと思い出した。私は昔、ここで女を助けたことがある。そうか。あのとき助けてやった女の孫か。
私が気まぐれを神の善意だと勘違いしたんだ。そのときにはもう神はここにいなかったというのに。
ヒトは脆い。仮にここに神がいて病院が治ったとしても、その女はどうせ寿命で死んでしまう。あれからそれほどまでに長い月日が流れたのだから、当たり前だ。
「そうか。死んでしまうのか」
森がさざめく。私を神だと思い込んで神社に何度も何度もお礼を言いに来た変なやつ。助けたときなんかは命の恩人だとか言って泣いていたな。私はそんな女と話すのが好きだったのかもしれない。
「少年。君の婆さんの病気はきっと治るよ。私が保証してやる」
少年は一瞬、困惑したような顔をしてからいつもの笑顔で大きく頷いた。
「え? うん、ありがとう! お姉さん」
ヒトは愚かだと言いながら、私だって同じじゃないか。自分の中に芽生えた矛盾に思わず、笑いが零れた。
***
それから数年後、病気の治った婆さんと大きく成長した少年がまたここを訪れてきた。
「ばあちゃん、病気直ってよかったな」
「きっと神様のおかげだよ」
私は前と同じように、御神木から見下ろすように二人に話かけた。
「また来たのか? ここには神様なんていないんだぞ?」
なんてこと、もう聞こえないのに言っても無駄か。こうなることはわかっていた。神様でもないただの妖が力を酷使すると、代償を払わなくてはいけない。
だけど、それでも……
「こんなに悲しいなんて思わないじゃないか」
今でも二人は手を合わせ、なにかを祈っている。いや、感謝しているのか。
幸せそうな二人を見ているとこれでよかったのだと思える。
「私の全てをあげたんだ。長生きしないと末代まで呪ってやるからな」
人と関われないのなら、私がもうここにいる理由はない。そう思って二人の頭を軽く撫でてから、別の地へ向かう旅にでた。