モモ先輩とのデートが終わり、僕は自分の部屋に入るとすぐにベッドに倒れ込んだ。

「疲れたぁ」

 ほとんど立っていて遊んでいたから疲労感に身体が覆われているけど、それには充実感も内包されていた。今日を振り返ると、つい口元が緩んでポワポワとした心地よさに満たされる。遊ぶためだけにこの街を歩いたのは初めてだったけど、モモ先輩が先導してくれたおかげで不安はなく、純粋に楽しかった。ただ、勝負の結果は僕が負けたから、一体どんな事をお願いされるのかが気がかりだ。
 壁の方にゴロンと転がり背中をピタリと合わせる。そして、僕はその硬い感触の向こうにいるアオを想像してしまう。
 当然壁は厚くて魔法的な力も働いているのか、物音一つ聞こえない。それは今の僕とアオの距離を表しているようだった。

「アオ……」

 どんな言葉をかければ彼女を笑顔に出来るのだろう。何度も考えてはそれを捨てた。現状は僕という存在そのものが傷つけて苦しませている。でも、そんな僕が何とかしないといけない、矛盾めいた状況。アオに刺激を与えず優しく心の氷を溶かしてあげるなんて事は可能なのだろうか。
 無理じゃないか、そう思ってしまう思考を振り払い、僕は何となく壁を軽く二回ノックした。息を殺してリアクションがあるかと少し期待するも、やっぱり何も無くて。多分聞こえていないだけだろうけど。

「とりあえず……」

 身体が休まったので起き上がり、今日買ってきた服はクローゼットに入れて、ペンは机の上に置いた。そして黒色のウサたんは、前のウサたんと同じように仕舞おうかと考えたけど、色々な思い出があり触り心地も良いから、やっぱりベッドの上に前の物と一緒に置いた。見た目怖いしこれのせいで悪夢を見て、二つもあれば二倍になりそうだけど、周りにいるぬいぐるみ達の癒し効果で相殺出来るはず。それを願って一応手を合わせておいた。

「ユーぽん、ちょっといいかしら?」
「はい、何でしょう――ってうわぁ!」

 壁からではなくドアの方からノックとモモ先輩の声が聞こえてきて、開けるとモモ先輩じゃなくコノが飛び込んで来た。奥の方に苦笑しているモモ先輩がいるが、息がかかりそうな距離感のコノにすぐ遮られる。

「ずるいです!」
「な、何が?」
「コノに黙って、モモナさんとデートした事ですよ!」

 僕は後に後ずさると、逃がすまいとぷんぷんとしながら詰め寄ってくる。だから立ち止まると、コノも動きを止めてむっとさせながら僕を見上げた。

「ええと、色々と理由があるんだ。言わなかったのはごめんだけど、必要な事だったし」
「それは聞きました。でもぉ、ずるいものはずるいです……」
「……も、モモ先輩」

 助けを求めると肩を竦めてコノに歩み寄り、後ろから頭を優しく撫でる。

「なら明日、一緒に行く? まだ行きたい所があってユーぽんを誘おうと思っていたの」
「行きます! 行かせてください! ユウワさんも来ますよね!」
「う、うん。行くから……お、落ち着いて?」

 凄くグイグイ来られる。よっぽど行きたいみたいで、モモ先輩の事もあるのか今まで以上に圧が強い。

「やった! 明日、楽しみにしてます!」
「決まりね」

 コノはぴょんぴょん跳ねて喜ぶ。その様子にモモ先輩はお姉さんのような優しい瞳で見つめていた。

「じゃあ、明日のために早く寝ないとですね! では!」
「ちょっと、まだ夕食前よ!」
「そ、そうでしたー!」

 意気揚々と部屋を出ていくも、モモ先輩に指摘される。返事をするがそのまま廊下を軽やかな足音を立てて走って行ってしまった。

「まったく……落ち着きないわね」
「何だか仲良くなれたみたいで嬉しいです」
「そ、そんなのじゃ……。ただあの子が子供っぽすぎているから、大人な対応を取るしかないだけ」

 照れるようにぷいっと顔を背けてしまう。その態度もどこか幼さを感じ、その見た目も相まって二人は、お似合いな気がした。

「でも……羨ましくも思うわ」
「羨ましい……ですか?」
「ええ。あんな風に無邪気に自然体でいて、色んな人から好かれそうな愛嬌があるわ。きっと、普通にしているだけで愛されて守られる。それに、良い家庭環境で育ったみたいだし……あたしとは大違い」

 そう自嘲気味に口元を歪めた。遠くを見つめる瞳には寂しさがあって、その先には過去があるのだと推察出来る。

「モモ先輩……」
「ごめん、変な話をしちゃったわね」
「い、いえ」

 何か言えれば良いのだけど、モモ先輩の過去を深くは知らない僕には、適切な言葉は見当たらなかった。アオと同じように。

「それよりもユーぽん。突然だけど、約束のあたしの言う事を一つ聞いてもらえないかしら」
「は、はい。何でしょう……」
「そんなに警戒しなくても大丈夫よ。とっても簡単な事だから」

 僕を安心させてくれるような微笑みを浮かべる。それに胸を撫でおろす。変なお願いはされなそうだ。

「それなら……どんな事をすれば?」
「今日の夜、あたしと添い寝して」
「……え?」
「添い寝よ。一緒にこの部屋で寝るの」


 
 寝る時間となると、約束した通りモモ先輩は僕の部屋にやってきた。お姫様風な可愛らしいピンクのパジャマを着ていて、改めてこれから一緒に寝るんだと再認識させられてしまう。

「あの……本当にここで寝るんですか?」
「もちろんよ。さ、もう遅いしベッドに入るわよ」

 モモ先輩はベッドの端に腰掛けるとポンポンとそこに来るよう促してくる。

「ええと……でもどうして?」
「だって、あの子とは沢山添い寝をしてんでしょ。それならあたしもしなきゃ駄目なの」
「で、ですが……色々とまずいような」
「いいから。……それともあたしの事が嫌い?」

 その質問はずるい。当然否定は出来なくて、僕はどうしようもない事を悟り、諦めベッドへ向かった。

「じゃあ……僕は奥を使いますね」
「わかったわ」

 壁の方に顔を向け横になる。するとその後にモモ先輩が入ってきて、一人用のため少し狭く、身体が触れ柔らかな感触と体温が伝わって、心臓の鼓動が加速してしまう。

「ふふっ、隣に人がいると温かいわね」
「そう……ですね」
「それにぬいぐるみも沢山あって癒されるし。抱き心地も最高ね」

 背中側から声を潜めて話すモモ先輩の声。その感じが、より添い寝を意識させてくる。僕は、間違いが無いように、フルパワーの理性を持った。

「身体に力入っているわよ」
「……!」

 モモ先輩の小さな手が肩に触れられて、感覚が研ぎ澄まされているせいで身体が少し震えてしまう。

「そんなに緊張せず、リラックスして。これも仲良し作戦の一つなのだから」
「作戦……ですか?」
「ええ。だって隣り合って眠って一夜を過ごすのよ? もっと仲良くなれると思わない?」
「……まぁ、そうですね」

 その人と一緒に寝たという事実があると、確かに関係が進展しているのだとはっきりと実感出来る。コノとすぐに打ち解けたのもそれが一つの理由だろうし。

「でも……色々リスクとかあるじゃないですか。僕、男ですし」
「ユーぽんはそういう事はしないって信頼の上でやってるのよ。添い寝は信頼の証でもある。あ、一応言っておくけどあたしも何もしないからね? もしかしたらちょっといたずらしちゃうかもだけど」
「え」
「ふふっ、冗談よ。怖がらなくて大丈夫」

 クスクスとモモ先輩は笑う。変な冗談のせいで何だか力が抜けてしまって、緊張も少しほぐれた。

「はぁ……それにしても結構強引なやり方じゃないですか? 仲を深めるならもっと今日みたいにゆっくりとした方が良いと想いますけど。傷つける可能性もゼロじゃないですし」
「そうね。けれど、時には強引さも必要だと思うわ。そうでもしないと変わらない事だってある」
「変わらない……」

 目の前の壁はとても冷たかった。無機質でざらついていて、向こう側を考えるとどこか寂寥感もあって。でもその反対側はモモ先輩がいて、ドキドキしてしまうけれど夜の寂しさはなく温もりと安心感が確かにあった。

「ミズちゃんの事だってそう。きっと、無理やりでも外に連れ出す必要があるの。そして、それをする資格があるのはあなただけ」
「でも僕は傷つけたくない」
「……ユーぽんだって強引に解決した事あるでしょう? 命をかけてでもクママさんの件を解決しようとしたわ」
「あれは僕だけが傷ついただけで……」
「それを見て悲しむ人がいる事くらい、わかるでしょう?」
「……」

 あの時は無我夢中だった。それに僕みたいな存在がどうなろうと良いとさえ思っていて。けれど、悲しませてしまうとはわかってもいた。それでもと戦いを挑んだ。

「あたし、あなたを守るために好きになるって言ったけど、それだけじゃないの。自己を犠牲にしてでも誰かのために頑張る姿はカッコ良いなって思って。ユーぽんは素敵な人だなって好きになったの」
「……」
「あなたの傷つけないようにする優しさも一つの魅力よ。けれど、相手を傷つけてでもたすけようとするのも一つの優しさだと思うわ。それを覚えておいて」
「……はい、わかりました」

 今度は後頭部に触れられて上下に撫でられる、まるでその言葉を刻み込むように。そうされるのは物理的にも精神的にもくすぐったかった。

「ねぇユーぽん。今日、楽しかった?」
「楽しかったです。モモ先輩のおかげで、素敵な場所を知れて、好きな物も買えて、一緒に遊べて。色々ありますけど、リフレッシュ出来ました」
「あたしも同じよ。一趣味が合うし、お買い物にも付き合ってくれるし、遊ぶ時は全力だし。ユーぽんの事を色々知れて、もっと好きになったわ」
「……」

 全身が熱くなって汗ばんでくる。心臓の音とモモ先輩の甘い言葉が脳にうるさく響いていた。

「少しだけこっちを見て。大事な話があるの」
「……っ」

 ゆっくりと反対に身体を向けると、モモ先輩の顔が目の前に。可愛らしい童顔にタレ目で桃色のクリクリな瞳、きめ細やかな肌、そして血色の良い唇。吐息がかかる距離にそれらがあって、僕は目のやり場を失い、視線が定まらない。それに呼応するように、心も激しく乱れる。
 ただそれは僕だけじゃないようで、モモ先輩も顔を赤くさせて照れくさそうに口元が緩んでいた。

「あの……ね」
「え……あ」

 この流れでこの状況で大事な話。妄想が駆け巡って頭が熱暴走を起こしてしまう。

「もし今の問題が解決して、気持ちの整理が終わっても今と変わらなかったら、伝えたい事があるの。だから……その時まで待っていて欲しいわ」
「わ……わかりました」

 想像とは違って少しほっとする。モモ先輩は仰向けになって息を大きく吐いた。僕も同じように、天井に顔を向ける。

「ありがとユーぽん。それまでは、このままの関係でいてね」
「も、モモ先輩?」

 僕の右手に彼女の左手に包みこまれた。それは僕のよりも小さく滑らかで、何より優しい熱があって。

「悪夢を見ないようにあたしが守ってあげる。だから、安心して眠って」
「……ありがとうございます」

 そう言ってモモ先輩は、目を瞑ってしまう。それに倣って僕も瞼を閉じた。それによって、繋がれた手に意識が集中して、心はその温もりに寄りかかり、次第に心地の良い眠りに誘われて。

「僕も……モモ先輩が良い夢を見られるよう……祈っています」
「うふふ、おやすみユーぽん」
「おやすみなさい、モモ先輩」

 僕とモモ先輩は互いの手を繋いだままで、意識を手放した。共に良い夢を見れるように。