周囲を見回すと円を囲うような形で樹木があり、ここは森の中の開けた場所のようだった。中心にはキラキラと陽光を反射している泉があり、僕達はそのすぐそばにいる。その泉の奥に天を突くほど高い巨木があり、その根っこは水に浸かっていた。そしてその泉の水は川となって流れ出ている。

「ふふっ。ここ綺麗な場所でしょ」
「そう……だけど。ねぇアオ、ここは一体何なの? 僕は夢か幻覚を見ているのかな。それとも天国?」

 とても幻想的な場所であの世と言われても驚きはなかった。

「ううん違う。ここは端的に言えば異世界。この世界はね、私達がいた世界の裏側に存在しているんだ」
「異世界……って」

 そう簡単に信じられるものではなくて。それに、確か僕は飛び降りたはずで。まさか、アニメやゲームと同じように転生したとでも言うのだろうか。

「受け入れられないのも無理はないと思う。でも、少なくとも夢じゃないことはわかったはずだよ。だってめっちゃ痛かったでしょ」

 確かに衝撃的な痛みだった。もし寝ていたなら即刻覚めてもおかしくはない。

「ゆっくり飲み込んでいけばいいよ。この世界で過ごしていけば実感も湧くと思うし」
「……じゃあ仮に、異世界だとして僕は何故ここにいるの? どうしてアオもここにいるの?」
「ユウが神様に選ばれたからだよ。私と同じく」
「いやいや、何で僕が……」

 自分がそんな大層な人間だとは思えなかった。

「きっとユウの優しさが認められんだと思うな」
「優しい……?」

 違う、違う、違う。アオの言葉で冷静な思考が戻ってきた。僕は人を死に追いやったんだ。それも目の前の子を。

「僕は……アオを……葵を苦しめて――」
「止めてっ!」

 悲痛な面持ちになったアオが、大声で制止してくる。

「もう、いいんだよ。私はね辛い過去を捨てたの。だからユウもあっちのことなんて忘れて」

 アオは両手をにぎにぎしながら、優しくそう語りかけてきた。

「捨てたって……」
「それにね、私は葵じゃないの」
「え?」

 何を言っているのかわからなかった。言葉を持っていると、彼女はまた明るい微笑を向けてきて。

「この世界ではミズアって名乗っているの。もう葵なんていないんだよ。だから葵って呼ばないで。……、まぁアオはいいけど」
「なん……で」
「ユウもさ、嫌なこととか忘れようよ。そしてこの世界で新しい自分になろっ」

 説明されとも理解出来なかったし、したくもなかった。幼馴染のはずなのに知らない人のように見えてきて。さっきまで感じていた壁の存在がわかった気がした。

「……それは無理だよ」

 何度も何度も植え付けた自分の罪をさっぱりなくすなんて出来なかった。

「……だよね〜。私も最初そうだった。でも、いつかそうなる時が来ると思う。お仕事をしていればね」
「お仕事……?」
「そそ。神様がこの世界にユウを呼んだのはある役目を担って欲しいからなんだ。ちょっとこっちに来て」

 手招きされる。僕はぎこちなくそばに寄った。

「足痺れちゃってさ〜。ちょっとごめんね」

 アオは正座を止めると慎重に足を伸ばして、テデイベアーのように座り直した。

「そんな長時間膝枕してたの?」
「ユウってばぐっすりだったもん。強引に起こそうとしたんだけど、すっごく心地よさそうでさ〜。ふふっ、相変わらず寝起きが悪いんだね」
「ご、ごめん。それとありがと」

 僕はどちらかと言えば夜型の人間で、対して彼女は朝型だ。小学生の頃はたまに起こしに来てもらっていた。

「どういたしまして。ってそんなことより、ちょっと見ててね」

 そう言うとアオの右の掌に突然、淡い紫に光ると剣の柄のようなものが現れた。青色で真ん中に白の丸い水晶みたいなのが取り付けられていて紫色に光っている。そして何より柄の先には刃が無かった。

「ど、どうなってるの?」
「ふふん、びっくりしたでしょ」

 アオはサプライズに成功させたように喜んだ。

「そしてユウにこれをあげる」
「これは……?」

 もう一つ取り出すとそれは色違いの黒で、水晶が色褪せていた。

「ロストソードっていうの。神様の力が入ったお仕事道具だよ」
 渡されて手に持つと水晶が淡く紫に光りだす。手触りは少しざらつきがあり、ひんやりとしていて思ったよりも軽かった。

「というか、さっきのマジックみたいなの何?」
「ふっふっふ。なんとこの武器の力で呼び出したのです。ちなみに、すでにユウも使えるようになってるよ。仕舞いたいって強く思えば仕舞えるんだ。そして取り出したいって思えば出せるよ」

 言われるがまま試してみると本当に消したり出現させたり出来てしまった。

「す、すごい! これどうなってるの?」
「ふふっ。この武器の特殊能力で、所有者が仕舞いたいと思うと粒子となって、その人の体の中にあるソウルに入るの」
「ソウル?」

 また新たな単語が飛び出してくる。色々訊いてしまうけど、アオは嫌な顔一つせず教えてくれる。

「ソウルはあらゆる生物の中にあって、そこにはその生物のあらゆる情報が入っているんだ。そしてこの世界の生物は、ソウルから身体ができていて当然心臓もそこから生まれてる」

 ソウルはどんな形をしているのだろうか、何となく青くて丸い透明な物体を想像した。

「ソウルはその人の全てだから、ソウルの情報を操作するとそれに合わせて身体も変わっちゃう。ロストソードはソウルに入って情報を書き換えて、身体の一部となって出したり仕舞ったりできるようにしているんだ。普通は無理だけどこれは神の力があるから可能らしいよ」
「何かゲームみたいだね」

 正直はっきりと理解できているわけではないが、データを弄ってキャラクターの性能を変えるみたいなことが起こなわれているという感じだろうか。

「他にもロストソードには、この世界を生きれる便利な機能があってね。例えば耳にしたり話したりする言葉や見たり書いたりする文字とかも翻訳してくれるんだ。それに――」

 アオは僕から視線を外して僕の背後を見た。どうやら誰かコチラに来ているようで足音がしてきて。
 振り返ると少し離れた所に、二メートルくらいありそうな人がいた。ただその人には、熊のような丸い耳が付いていた。

「あ、あれって……?」
「だーいじょぶだよ。そこにいて」

 もう痺れが直ったのか、勢いよく立ち上がるとその人の元へ向かった。

「おや、ミズアさん」
「こんにちは~クママさん」

 クママという可愛らしい名前の彼は、背は高くて痩身、猫背でいる。顔つきは儚げで幸薄そうな感じでいるのだけど、頭には硬そうな紅の二本の角を持っていて、瞳はルビーのような色で、白のシャツに黒の短パンというシンプルな服装だった。首には藍色のネックレスをつけている。

「お祈りに来たの?」
「ええ、それに彼がどこかに行ってしまったので探すついでに」

 喋り口調は穏やかで、優しげな低音の声でいる。それにアオの言う通り言葉は完全に理解できていた。

「亡霊化はまだ、だーいじょぶそう?」
「正直、時間はなさそうです。ですが、アイリさんと一緒に頑張っていて、前進はしています」
「そっか~。やばかったら遠慮なく教えてね」

 クママさんはコクリと頷くと、話を終わらして泉の方に歩く。途中、僕の存在に気づいていて目が合うと会釈してくれたので、こちらも返した。それから、泉の前に来ると巨木に向かって一礼し一度両手を上げてから、胸の辺で掌を閉じて目を瞑る。どうやら祈っているようで、数秒その状態を続けた後、ゆっくりと目を開け、踵を返した。帰っていくクママさんにアオは笑顔で手を振ると、彼もまた振り返してそのまま森の奥に行ってしまった。
 アオは見送った後こちらに戻って来る。

「驚いたでしょ。角に耳があるもんね」
「……彼は何者?」
「この世界には、ああいう動物の特徴持つテーリオ族っていう人々がいるんだ。奥底には野生の力を持っていてね、すっごく強いんだよ。彼はデスベアーの力を持ってる」

 デスベアーって何とも強そうな名前だ。彼の雰囲気とは真逆だけれど、きっとすごく強いんだろう。

「それと亡霊って聞こえたんだけど」
「よく聞いてくれましたっ」

 ただ質問しただけなのに謎に褒められた。

「それこそ私達がいる理由なんです!」
「というと?」
「ロストソードにはこの世に残ってしまった死者を解き放つ力があるの。霊は生者と死者双方向の未練によって生まれちゃう。最初は、死者と繋がっている関係者と私達しか見えなくて透けている。でも長くいるとどんどん亡霊になっていって徐々に実体化するの。そして理性を失って暴れ出し人々に危害を加えちゃうんだ。その前に開放する」

 亡霊や死者、それは他人事とは思えなかった。

「開放って剣で攻撃するとか? 剣先無いけど」
「まずは未練を解消する。でないとめちゃくちゃ強くて手が付けられないんだ。そうしてから、霊を生者から切り離す。離すと亡霊になっちゃうけど、弱くなっているからそのまま剣で倒せば万事解決」
「……まさか僕もこれで?」

 どのようにこの剣を使えばいいのかわからないし、何より戦える気がしない。

「だーいじょぶ。弱めたら簡単だから。それにめちゃくちゃ強い私もいるしね」
「で、でも。未練を解決するっていうのも……」

 僕は自ら命を捨てた人間だ。まだ生きたいと願っている人を引き離す資格があるのだろうか。

「それこそ問題ないよ。だってユウの優しさは私が一番わかってるもん」
「僕の……優しさ……」

 そう言ってアオは僕の手を握って立ち上がるよう引っ張ってくる。それに助けられながら腰を上げた。

「明るさが人を前向きにする。小さな頃、引っ込み思案だった私にそれを教えてくれたのはユウだよ!」
「……」
「だからきっとだーいじょぶだよ。さぁ、行こっ!」

 手を繋がれたまま僕は抵抗することもなく彼女の後ろを歩き、森の中に入っていく。アオの柔らかく包んでくる手はとても温かったけど、冷たい不安にまでは届かなかった。