…舞桜が死んでから、五日が経過した。
けれど俺は、まだその現実を受け入れられてはいない。

薄暗い部屋に引きこもったままの俺は、頭もこれでもかってほどぼさぼさだし、服もだらしないパーカー。
たまに部屋をのぞきにくる父さんに、死んだ目をしていると言われてしまった。
けれどもう、俺は死んでもいいと思っている。
それほど、舞桜が好きだった。
恋しかった。
「雲」と優しく呼んでくれるその声も。
ウソの笑顔じゃない、柔らかな笑みも。
怒りっぽいけど、優しい性格も。
泣きじゃくる姿も。
全部がすきで、好きで、たまらなかった。
もっと生きたいという舞桜を、拒んだのは俺なのに。
…舞桜が涙を流して死んでいったのは、俺のせいなのに。
冬休みはもうすぐ明ける。
舞桜が死んだことがみんなに知れ渡る。
そのとき俺は、どんな顔で居ればいいんだろう。
ああ、もう全部どうでもいい。
「…舞桜」
光を拒むカーテンが、ふわりと一瞬揺れた。
舞桜が愛した世界で、俺は生きられない。
舞桜なしでは…生きられない。

俺が舞桜を好きになったのは、シャボン玉を飛ばしたときだった。
あの無邪気な笑顔を、あの弾むような表情を、心の底から守りたいと思ったのが、きっときっかけだった。
…今でも思う。
家のチャイムが鳴って、舞桜が来てくれるんじゃないかと。
インターホンから、「雲ってば、どうせまた仮病でしょう?お片付けしにきたよ」と笑って言ってくれるんじゃないかと。
ドッキリ成功!とまたその無邪気な笑顔を向けてくれるんじゃないかと。
そんなことを、思ってしまうんだ。
ありえないことだと知りながらも、そうであってほしいと願わずにいられない。

何時間経過しただろう。
窓の外は夕陽が落ちていく寸前で、カラスがバカでかい声でぎゃあぎゃあ鳴いていた。
次の瞬間、ぶるっと何度かスマホが振動した。
…舞桜が死んでから、初めてスマホを手に取った瞬間だった。
瞬間、息をのんだ。
送られてきた相手の名前欄には、確かに、確かに舞桜という文字が書かれていたんだ。
「っ…」
俺は急いでスマホのパスワードを入力して、メッセージを開いた。
花火のアイコン。
まさしく、舞桜のアカウントだった。
震える指先で、【メッセージを読む】をタップしてみた。
【一月一日。二人でシャボン玉を飛ばした公園に行ってみて】

午後六時。
あたりはもうすっかり暗くなっているころ、俺はひとり、公園に足を踏み入れていた。
ザクッザクッと音が鳴る足音だけが、あたりに響いていた。
「…え」
一番はしっこのベンチの上。
確かにあの日、俺らが座ったベンチの上に、サイズがデカい封筒が、ぽつんと一つ置かれていた。
俺は急いで封筒を手にして、【雲へ。 水瀬舞桜より】と書かれてあることを読んでから、封筒を開いた。
中には、手紙が何通かと、舞桜が取った俺の写真や、花火の写真がたくさん入っていた。
俺は先に手紙を取り出して、震える手を押さえながら、下唇をかみしめてそっと開いた。



【雲へ。
これを読んでいるということは、きっと私はもうこの世にはいないんだろうね。なんて、よくありがちな内容になっちゃうな。
でも大切な話だから、そのまま読んでいてほしい。
先に言っておくと、これは雲と最後に通話したあとに書いたものだよ。
どうせ私はもういなくなってしまうのに、わざわざありがとう。
お金と努力、無駄にしちゃってごめんね】
しっとりとほほが濡れるのがわかる。
けれど俺はそれを拭いてから、もう一度その文を読んで、下へ下へと目線を移動させた。
【あのね!聞いて!クリスマスの日、窓からツリーのイルミネーションが見えたの!すごく、すっごく綺麗だった。
冬の花火、すごく綺麗だったよね。
あの日の最後は、わがまま言ってごめん。でもそれくらい、私は雲のことを愛してるってことだから、拗ねないでよね】
拗ねてなんか、ない。
ただ、あの時俺の理性は爆発しそうだったけどな。
【雲、意外と寂しがり屋だから、どうせ私がいなくなったあとは、家に引きこもったりしてるんでしょう。学校はちゃんと行ってよね。
あと、いろいろと迷惑かけちゃうかもだけど、みんなに言い訳は考えておいてね】
そこまで読んで、俺は次の紙に目を向けた。
【いままでありがとうなんて、言いたくない。ばいばいって、言うのも辛い。できることなら、また会おうとか、またねって言いたい。でも、もう私達には、またはないんだろうね。
雲はこれから、もっと成長して、もっと格好良くなっていく。
もしかしたら、結婚もするかもしれない。
そのとき、私のことが原因で、ダメになってほしくないの。
だから私のことは、これを読み終わった後は、忘れてほしい】
「そんなのできるわけねえだろ…」
俺は思わず吹き出しながら、涙を拭いてつぶやいた。
【私ね、雲の結婚式で、花嫁に、雲をよろしくねって伝えたいっていうのが、入院してからの夢だったの。
その前は、その花嫁が自分だったらなぁなんて思ったこともあったけど、そんな話照れくさくて、雲にはしてなかったね】
【手紙越しになっちゃうけど、実は私、雲が思ってるよりもずっと雲のこと、大好きだったよ。
暗い話になっちゃうけど、もっと生きられればって何度も思った。
もっと雲と一緒に居たいって、何度もつぶやいた。
一人は孤独だって、人生ではじめて思った。
…雲と結婚したかった。
子供も、生みたかった。
お母さんって呼ばれてみたかった。
仕事をしてみたかった。
雲がおじさんに、おじいさんになっても、ずっとそばで支えたかった】
俺も。俺だって、そうだよ。
舞桜がおばさんって呼ばれて怒ってるところとか、ばあちゃんみたいにしわしわになっても、俺が支えてあげたかった。
…あいつの心の救いになりたかった。
【私にはもう、明日はないけど。
今言える「ありがとう」と、「大好き」はここで全部言っておくね。
後悔しないように。
あー…でも、キスが一回だったっていうのも残念だったなぁ。
初キス奪われたの、ぜったい忘れないからね。
まあ、とにかく、ありがとう。大好き‼‼】
そこで途切れた文字。
最後には、【あなたの大好きな舞桜より】と書かれていた。
「…変な終わり方」
思わずつぶやいた言葉に、思わず笑ってしまった。
夜空が俺の目に映る。
「…愛してる……」
精一杯の言葉だった。
頬はまだ濡れていたけど。
確かに俺には、生きる希望ができた。
これもまるごと全部、舞桜のおかげだ。
だから、今だけ。
今だけ許してくれ。
【今だけは、泣いていい時間にしよう】
俺は声をあげて泣いた。
子供みたいに泣きじゃくった。
…空には花火が咲いていた。

【というか、今思い出したんだけど、私いっかい「絶対私を忘れないでね」って言ってたね(笑)
忘れないでくれてありがとう。でも私は笑顔で居てほしいな。
幸せになってね。絶対だよ??
そろそろ時間かな。
―私のために、泣いてくれてありがとう。】
END