気がつくと、私は海にいた……。
はぁはぁ……と、息が切れて苦しい……。
新鮮な酸素を求めて肺が忙しなく動く……。
ようやく、息が落ち着いた頃……不意に声をかけられた。

「見ーつけた!」
ドキリッと、心臓が跳ねた。
聞き覚えのある声にすぐに()だと分かった。
反射的に駆け出そうと、クルッと彼に背を向けようとした瞬間……。
そうするよりも早く、彼が私の両手を掴み、動きを阻止した……。
「は、なしてっ!」
咄嗟に叫んでいた。
けれど……私の言葉に重ねるように彼が言葉を口にした。
「さっきはどーしたの?」
「……っ……」
「何か……あったよね?」
じっ…と、真剣な瞳で見つめられた。
初めて見る眼差し。
初めて感じる雰囲気。
何故か、ドキッとしてしまった……。
逃れられない……。
誤魔化せない……。
「……ど、うして……そう……おも、うの……?」
「あんなの不自然すぎだよ。急に走り去るんだから……。何かあった……と、思うよ。ねぇ、何があったの? 何……を思ったの……って、言った方が正しいかな?」
「……」
「話したくない……なんて、言うのはなしだよ」
一歩。
距離をつめられた……。
ますます逃れられないし、誤魔化せない……と、思い知らされる彼の眼差しと雰囲気にゴクリ……と、私は生唾を飲み込んだ……。
そして……ゆっくりと口を開き、言葉を紡いだーー……。

「ーーそっか、なるほどね」
私が彼の前から逃げ出した理由を聞いた彼の第一発声はあっさりとしたものだった……。
「それで逃げ出した……って、いうわけか……」
コクッ……。
私は小さく頷いた。
「そもそも逃げ出すようなこと?」
「えっ……」
「そう、思うのってフツー(・・・)のことじゃん」
「ーーっ⁉」
彼の言っている意味が分からなかった……。
「あたり前のことだけど……他人って、自分じゃないよね。それぞれにその人の価値観があって、その価値観に触れた時……自分基準の価値観で物事を見てしまいがちだから自分と少しでも違っていたら、ヘン(・・)って、思うのはごく自然なことだし、いけないことじゃない。むしろ人間らしいじゃん! その人を傷つけてしまったのなら話は別だけど、さっき抱いてしまった気持ちに対して罪悪感や自分に対しての嫌悪感を感じるのは大切なことだと思うけど、そう毎回そんなことを感じてたら身がもたなくなっちゃうじゃないかな〜って、僕は思うんだよね」
「……」
「それに僕も思ったりするし……。現に君に対して思ってる」
「えっ……私に対して……?」
「うん。ねぇ、どうして……自分の生きたいように生きないの? 自分の人生を楽しもうとしないの?」
「なっ……」
「苦しい、ツラい……。そんな思いばかりで溢れてる人生って、楽しい?」
ドクンッ‼
鼓動が大きく打ちつけた。
心を見透かされたようで怖かった……。
「……な、ん……で……」
平然といようとしたのに声が震えて、上手く喋れない……。
「一緒だから」
彼の言葉に目を見開く……。
いっ、しょ……って、なに?
「僕も同じ思いを抱いていたから……」
「嘘っ!」
「嘘じゃないっ!」
「そんなこと言われたって……2回会って、少し話しただけ。後は電話メールを一方的に送ってくる相手の話なんか信じられるわけないじゃないっ!」
「そうだね」
フッ……と、ほんの一瞬、曇った彼の表情が少し離れた街灯の光でも分かり、私の胸を打つ……。
「……前はこんなにも明るくなかったんだ……」
「えっ……」
「こんな見た目だからさ、どんなに目立たないようにしようとしてもやっぱり……イヤでも目立つじゃん。小さい頃からいろんなことを言われたし、意地悪も数え切れないくらいされた……。いつも、どこにいっても偏見や差別の目を向けられて、陰口を言われて……いつしか、なんで、俺だけって、思うようになっていった……。だから、そんな瞳や言葉に傷つかないように極力人との関わり合いを絶って、部屋に籠もった……。
楽しみややりたいことなんて1つもない……あるのは絶望感だけ……。1日中、ただぼーっと、息をしてるだけの日々……。
こんな思いしかないのならいっそ、いなくなってもいいんじゃないか……。そしたら、母さんや父さんだって俺のせいでツラい思いも嫌な思いをし続けなくても済む……。
そう考えるようになって……何度もカッターナイフを手首に押しつけたし、包丁を手にしたこともある……。
けど、出来なかった……。
その度に、何やってんだろ……って、自分自身が情けなくなった……」
……同じだ。
今の私と同じ……。
そんな……君も同じ思いを抱えて生きてきた……って、こと……?
嘘……。
すぐには信じられなかった……。
彼が語った以前の彼の姿と、私の知ってる今までの彼の言動があまりにも違いすぎていて、本当に彼自身のことなのか……と、疑ってしまいたくなるほどだった……。
「そんな日々を過ごしている中……偶然目にしたドキュメンタリー番組で、アルビノの患者のことが取り上げられてた。彼は本当に陶器のような肌に、髪の毛で深紅の瞳の持ち主だった。
小さい頃から嫌という程、偏見や差別にさらされていて、辛い思いをしているにも関わらず、笑って、インタビューに答えてた。
何故、そんなにも笑っていられるのか……不思議でならなかった……。
気がつけば、俺は食い入るように画面を見ていた……。
その時、『誰の人生?』と、いう言葉を耳にした。
ハッとすると同時にTV画面越しに強い眼差しで、まるで自分に対して問われているような気がした……。
その言葉がずっと、俺の頭から離れなくなってた……」
「……っ……」
「グルグルと頭の中を巡る『誰の人生?』と、いう言葉……忘れようとしても忘れられない……。意識すればするほど考えるようになって……少しずつだけど、自分がやりたいことはなんだろう……。俺の人生……俺の好きなようにやりたいことやってもいいんじゃないかな……って、思うようになった……。けど、すぐに周りの人達の目や言葉が気にならなくなったわけじゃない……。怖かった……。すごく怖かったんだ……。これまで、極力人と関わらないようにしてたから……自分だけがいた部屋から一歩、外に出ていくのが怖くてたまらなかった……。でも、ここから一歩、出ないと何も始まらないとも思ったから……思いきって飛び出した……。
もちろん、すぐに何でもかんでも上手くいったわけじゃない。周りの人達の目や言葉が気になって、諦めそうにもなったこともある……。その度に、ふっ……と『誰の人生?』って、あの言葉が蘇ってきては俺の背中を押してくれた。
あの時、あの言葉を耳にしなかったら……きっと、俺は今も小さくて暗い部屋の中で1人……息をしているだけの生活をしていたと思う。だから、君も……」
「……今度は……私の番って、言いたいの……?」
「うん」
「悪いけど、ムリ!」
「なんで?」
「私はあなたじゃない! 一緒にしないでっ‼ あなたのようになれないっ! なれるなんて思ってもない……‼ むしろ、そんなこと言われて迷惑よっ‼」
「そうだね」
「ーーっ⁉」
またも思ってもなかった言葉を君が口にして私は驚く……。
共感……?
『そんなことない』と、言われると思ってたのに……。
何故?
「君と俺は違う。全くその通りだよ。けど、君を初めて見た時……俺と一緒だって、思ったし、君は君らしく生きてほしいな……とも思ったんだ。だから、俺は君に声をかけた。これからもかけ続ける。ねぇ……君のやりたいことは何?」
屈託ない笑顔を浮かべて彼は言った。
「あるわけないじゃない、そんなのっ!」
「あるはずだよ。君が気づかないフリをしているだけで」
「そんな……フリだなんて……」
何を根拠に?
私の何を知って、そう言っているのだろう……。
「やりたいことが、きっとある‼」
訝しげに眉を寄せる私に彼は屈託ない笑顔を浮かべたまま、自信満々で言いきったんだーー……。