この世界は……赤、青、黄色、緑、橙……色とりどりの鮮やかな色で溢れている。
人によって好む色も色によって受ける印象も様々……。
色はとても身近に当たり前のように存在している。
色とりどりに溢れている世界で私は……ほぼ白一色。
産まれた時から髪の毛も皮膚も全てが白一色の人間。
唯一、瞳だけは鮮やかな深紅色をしてる。
それは……病気せい。
私は眼皮膚白皮症(がんひふはくひしょう)(指定難病164)を患っている……。
この病気はメラニンという色素の合成が減少、あるいは欠損するために起こる細胞内輸送に関わる 遺伝子の変異 によって発症する先天性の遺伝子の病気。
出生時より皮膚、毛髪、眼の色(虹彩の色)が薄く、全身の皮膚が白色調、眼の虹彩の色は青から灰色調で、多くの患者さんが視力障害や眼の揺れ(眼振)を伴うことが多い。
その確率は 2万人に1人と言われている。
さらに詳しく説明すると……大きな2つのグループに分類されている。
一つはメラニン色素合成が少ないことによる症状のみを呈する非症候型。
もう一つはそれに加えて、出血が止まりにくい、あるいは子供のころから肺炎にかかり易いなどの合併症を伴う症候型。
タイプによっては成長と共に色が濃くなる患者さんもいて、私は段々とより白さと深紅さがましていった……。
非症候型8種類と症候型15種類(計23種類)がこれまでに報告されているそう。
どのタイプであっても中高年になると、皮膚癌の発生率が高くなるから幼少期からの紫外線対策が必要不可欠。
また一部の合併症を伴うタイプでは、中高年に間質性肺炎を発症することもあるらしい……。
今のところ確立された根治的な治療はなくて……さっきも言ったけれど、乳児期から紫外線の遮光や生活空間における照度に対する対策がとても重要で、時に化粧品によるカバー等が行われたりする場合もある。

この病気に関して全く知識のなかった父親は産まれて間もない(わがこ)を目にした瞬間……
『ば……けもの……』と、罵り、その日の内に母親に離婚届を書かせて、役所へと提出すると共に家を出ていった……。
そればかりか、父親は自分の子だと私を認知しなかった……。
父親(あのひと)にとって私は存在すら認められぬ……認めたくない人間(もの)して扱われた瞬間であり、初めての差別だった……。
それは同時に始まりを意味していたんだ……。

「なに、あれ……」
「……こわっ」
「やだ……」
「不気味……」
「えっ、なに? コスプレか何かの一種? 力入れすぎて逆にひくんですけど」
成長すると共に私の容姿はどんどん白さが濃くなり、真っ赤な血のような深紅の瞳をさらに際立たせて不気味さが増した。
外出の際、極力太陽と人の目に触れないように……帽子や服で身体(からだ)を隠すけれど……それでも限界はあって隠しきれない顔や瞳等のほんの僅かな部分を目にした途端、その人間離れした容姿に人達は驚きと同時に恐怖心を抱き、すーっと得体のしれないものを見るかのような冷ややかな瞳へと変わり、声を潜めて紡がれる数々の言葉達はまるで鋭い刃のように私の胸へと突き刺さっていった……。

その度に……
『ごめんね……』
『ごめんなさい……』
幾度となく耳にした母親の謝罪の言葉と哀れみの瞳……。
離婚後、母親は私のことを憐れみながらも『この子は私が育てないと……』と、いう思いから、私の病気のことを調べて、医者や行政等の力も借りながら、仕事、家事、育児と、女手一つで私を必死になって育ててくれた。
他の子どもが一人の大人へと成長するために歩んでいく過程ーー保育所や義務教育である小、中学校の集団生活を出来るだけ何不自由なく、楽しく送れるように……と、事前に手を尽くしてくれたりもした。
けれど……子どもの世界ほど純粋無垢であるゆえの残酷さを秘めているもの……。
どんなに周りの大人達の理解と協力を得られたとしてもそれがすんなりと全ての子どもに伝わることはなくて……ごく一部の子どもから心ない言葉や行為を受けることは日常茶飯事だった……。
『どうして、そんなこと言うの?』
『やめてよ……!』
始めのうちこそ、教師の手厚いフォローもあり、私も負けずに反論もしていたものの……次第に私の心は疲れ果ててしまい、不登校になってしまった……。
『保健室登校でもいい。少しだけでいいから、学校に来ないか?』
と、私と学校との社会的つながりが絶たぬように声もかけ続けてくれていたけれど……それもいつしかなくなり、気がつけば小学校を卒業……。
そして、ほとんど通うことなく中学校卒業の日を迎えていた……。
義務教育のいいところはどんなに出席日数が足りず、学力が身についてなくても一応卒業を認めてくれるところだ。
小、中学校を卒業したのはいいけれど、集団生活の中でどろりと鉛のように段々と重く募ったマイナス感情によって、いつしかこの世に生きる意味さえも見いだせなくなっていた……。
『死にたい……』
そう、強く思うようになっていった……。
けれど、思うだけで実際に行動に移す勇気もなくて……カーテンを閉めきり、人との関わり合いを一切絶った部屋の中でなんとも情けない人間(ヤツ)だ……と、自分を罵り、嘲笑う日々を過ごしていたーー……。