雨の向こうの鉄の城

 結局、美兎は2日続けて車で帰宅することになった。

 両手両足に包帯と絆創膏をつけた美兎を見かねて、保健教諭が車で送ってくれたのだ。

「はぁ、お風呂に入るのが大変そう……」

 体を動かすたびに、あちこちから打ち身と擦り傷の痛みを感じながら、重い足取りで玄関まで近づく美兎。

 通学カバンから家の鍵を取り出すと、手慣れた手付きで自宅の扉を開けた。

「ソナタはこの屋敷の使用人か?」
「えっ……?」

 不意の呼び掛けに思わず顔を上げる美兎。

 玄関の扉を開けた少女の目の前に、身長1m程の金髪の見慣れない少年がいた。

「見慣れぬ物が沢山あるが、ここは何と言う名の空島であるか? 我は虚空の海へと飛び込んだはずだが……」

 美兎は慌てて扉を閉めると、もの凄い勢いで屋外へと飛び出した。

 そこへ、ちょうど自転車に乗った紫苑が通りかかる。

「紫苑っ! 助けて!」
「なっ……。み、美兎どうした? そんな慌てた顔して……」

 紫苑は久し振りに美兎のことを名前で呼んでいたが、二人ともそれに気が付かないほど、気が動転している。

「あの、その……、子供が……。い、いいから一緒に来て!」
「一体なんだよ?」

 美兎は引き摺るように紫苑を連れてくると、ひと呼吸おいてから玄関を開けた。

「戻ってきたか。そんなに慌ててどうしたんだ? ん、その男も使用人か?」

 玄関の中には先程と同じように、ひとりの男の子が待ち構えている。

「なに、外国の子? 美兎の知り合いの子?」

 美兎には見覚えが有った。

「しっ、知っているけど知らない子! にっ、人形の子!」

 当然のように質問をする紫苑と、よく分からない受け答えをする美兎。

「美兎。自分で何言っているか分かっている? 全然伝わらないんだけど……」
「そうだぞ。そんなに慌てて話していたら、伝わるものも伝わらないぞ」

 紫苑の言葉に少年が大きく頷く。

「き、君は人形の子だよね……?」

 美兎はその少年の顔に見覚えがあった。

 いや、見忘れるはずがなかった。

 空から降ってきた人形の顔と寸分違わぬ顔。それが今、目の前に立ち、動き、言葉を発している。身長だって1m程まで大きくなっている。

 昨夜、家に帰ってから汚れを拭き、綺麗にしてあげた記憶はある。羽のように軽い胴体と、上品な絹織物のような柔らかな手触りだったものの、間違っても生物ではなかった。

「おい、美兎。大丈夫か? 固まっているぞ」

 紫苑はいつの間にか上がり框(かまち)に腰を掛けて、件の少年と話し込んでいる。

 いや、少年なのか?

「玄関で話すのもなんだから、中に上がって話そうぜ。美兎の家に上がるのも久しぶりだな」

 紫苑が少年を連れ立って、座敷のある部屋へと上がり込んでいく。

 それをぼーっと見送る美兎。

 ――いやいや、紫苑おかしいでしょ? なんでこの状況をすんなり受け止めているの?

「我が名はルカである」

 畳に音もなく腰を下ろし、胡座を組みながら少年が自己紹介をした。

 美兎は紫苑に促されるように、客用の飲み物を用意して和室の隅の方へ腰を下ろすと、少年につられて名前を名乗った。

 少年と紫苑はテーブルを挟んで座り会話を続けている。

 ――そういえば、まだ両親がいた小学生の頃はよく紫苑が遊びに来て、父親と話し込んでいたっけ?

「我の主は鉄の城城主であられるスディーロス王家だ。その第一王女サナッタ様の近衛兵を務めておったが、反乱の嫌疑をかけられ……」

 ――あぁ、この話長くなりそう。

「ちょ、ちょっと待って!」

 美兎は思わずテーブルの上に乗り出し、二人の会話を遮った。

「君は、あの空から落ちてきた人形なの? そこからはっきりさせて!」
「我が空から落ちてきたとな? これは異なことを。我は刑場から逃げ出し、虚空の海へと身を投げたのだ。空とは頭の上に浮かぶもの、海の底にあるものではない。いや待て、まさか虚空の海の底を抜けたのか……? かつて賢者から海の底を抜けると、異世界が広がっていると聞いた事があるが……」

 首を傾げ独り言ちを続けるルカ。

「こりゃ、マジモンで異世界転移かUMA? それとも宇宙人か?」
「ちょっと、紫苑! なんであんた平然と受け入れているの!?」
「だって、俺は親父さんとそういう話しかしてなかったぞ?」

 ――そう言えばそうだった。私の両親は考古学者ではあったけど、いわゆるオーパーツ(場違いな工芸品)と呼ばれるものに傾倒して、学会では異端児扱いをされていた。

ありもしない超古代文明を追いかけて、世界中の遺跡を調査していた。

 そう、夫婦揃って飛行機に乗ったまま行方不明になるその日まで……。