朝の教室に、熱気を伴う夏の陽射しが差し込んでいた。

 校舎内には次々と登校してくる生徒たちの元気な声が響き渡る。

「ミ〜ト〜、昨日の雷大丈夫だったぁ? ウチら雨でビッシャビシャになって激ヤバだったよ~」

 鞄を机に置いた美兎に、同じ陸上部の茜が話しかけてきた。

「私も途中で降られて、バス停で雨宿りしたよ。最終的には隣の家のオジサンに拾ってもらって車で帰ったけど」
「お〜、例のイケメン幼馴染?」
「まぁ、イケメンかどうかは知らないけれど、その家のオジサンだよ」

 ――イケメンの幼馴染。

 隣の家に住む八神紫苑(やがみしおん)の事だ。隣と言っても田舎の隣だから、畑や林を挟んだ向こう側になるが……。

 家が近所ということもあって、幼い頃から家族ぐるみで付き合いがあった。

 例の件が有った後も、八神家のみんなは、私の親代わりのように色々と気をかけてくれていた。

 姉弟のように育ってきたから、紫苑に対しては特別な感情をいだいていないが、成長期を迎えた彼は同世代の女の子たちにとって耳目を集める存在となっていた。

 いつもホコリまみれで、フィールドワークを得意とする研究者だった私の両親と違い、この田舎には似合わない華やかさを持った両親。それが紫苑の家族だった。

 ――ついつい自分の両親と比べてしまうのは悪い癖だね。

 カラカラと教室の戸が開く音とともに、小さく黄色い声が上がる。

「逢瀬川いる?」

 噂をすれば何とやら、紫苑が教室の中に入ってきた。

 ――いつからだろう? 紫苑が私の名前ではなく、逢瀬川と名字で呼ぶようになったのは。小学校を卒業する頃は、まだ美兎と呼んでいたはずだが。

「これ親父から預かってきたぞ。車の中に忘れていたってよ」

 紫苑がシューズケースを少し乱暴に渡す。

 面倒くさいんだよ、とボヤキながら教室を出ていく紫苑。

 遠巻きに美兎を見る女子生徒たちの視線が少し痛い。

 茜が周りの空気も読まずにあっけらかんと話しかけてきた。

「なに美兎、商売道具(スパイク)を忘れたの?」

 ――茜のこういう性格にどれだけ助けられたか。

「そうそう。昨日、変な人形を拾ってね。それをバックに詰めるのに、荷物整理していたら忘れちゃったの」

 美兎は周りの生徒たちにも聞こえるよう、少し大袈裟に明るく笑った。

 それを合図にして、教室内にはいつもの喧騒が戻って来た。

 美兎は軽くため息をつくと、忘れ物を自分のロッカーへと仕舞った。

 放課後。

 美兎は体操着に着替えて、校舎に隣接するグラウンドに立っていた。

 真夏の強烈な日差しが、少女たちの肌を痛いほど焼き尽くそうとする。

 トラックでは種目ごとに別れた陸上部の生徒たちが各々の練習を始めている。

 幅跳びの選手である美兎も、フィールド内にある砂場で後輩たちと一緒に準備をしていた。

「今日は三年生がいないし、暑すぎるから記録だけ測って早めに切り上げようね」

 一年生たちの嬉しそうな返事が返ってくる。

 ――うーん、ちょっと甘やかし過ぎるかな? でも後輩にも嫌われたくはないしねぇ。あっ、でもアップはシッカリやるんだよ。怪我はしたくないでしょ。

 美兎は後輩たちを連れてトラックに移動すると、外側のレーンを借りて助走の動き造りを始めた。

 ――なんか今日は体が軽いんだよね。いい記録が出そうな気がする。

 軽くダッシュを繰り返したあと、入念にストレッチを行う美兎。

「じゃあ、一年生から3本記録取るよ! 飛んだら計測に移って、踏切板の確認や砂のならしはローテーションで回していこうね」

 美兎は一年生の後に続いて助走の位置につく。

 今日は大会ではないから、厳密にスタートの位置を調整したりはしない。

 ――1・2本飛んで3本目でアジャスト出来れば上々。県大会で上位に食い込むためには、安定して5m超えをしなくちゃ。

「行くよ~!」

 そんな事を考えながら片手を上げると美兎は助走を開始した。

 テンポよく助走に入り、徐々にスピードを上げる美兎。

ポニーテールが嬉しそうに跳ね、グングンと踏切板が近付いて来る。

 美兎が思っていたよりスピードが出ている。

 ――えっ、速すぎる! このまま駆け抜ける? でも踏切板に合いそう。

 一瞬のためらい。

 思い切って踏切板を捉えにいったつま先が、虚しく空を切った。

「えっ?」

 いや、辛うじてスパイクのピン先が踏切板に引っ掛かると、美兎は大きくバランスを崩し、前のめりのまま砂場脇のフィールドに飛び出してしまった。

 砂場脇で待機していた後輩たちが、用具を抱えたまま慌てて避ける。

「っ、痛い〜!」

 したたかに体を打ちつけた美兎が、痛みの先を見ると、肘や膝が大きく擦りむけて、血が滲み出していた。

 慌てて後輩たちが駆け寄ってくる。

「ミ〜ト、大丈夫? うゎ! 派手に転んだね」

 騒ぎを聞きつけて、トラックで練習していた茜たちも集まってきた。

「誰か! 一緒に保健室まで連れていってあげて〜!」

 茜の声にマネージャーの子たちも駆けつけてくる。

 レーキを手にして、遠巻きに見つめている美兎の後輩たち。

「美兎先輩、踏切の手前からジャンプしていたよね……?」
「私も、踏切板のすごい手前から飛んだように見えた……」
「あれ、踏切板に触らなかったら何m飛んだと思う?」
「わかんない……」