「やぁ~だ、もう! 家に帰るまで持たなかったかぁ~」

 駆け込んだバス停の中で、美兎は雨で濡れた通学鞄の中から、小さなハート柄が刻まれたミニタオルを取り出すと、まず両手を拭ってから雨が滴る髪の毛と顔を拭いた。

 美兎の自慢のポニーテールも雨に濡れ細っていた。

 バス停の屋根に大粒の雨粒が激しく叩きつけ、甲高い音が小屋の中に響き渡る。

「ゲリラ豪雨ってやつかな? 練習中はあんなにカンカン照りだったのに……」

 まるで飴玉のような雨がアスファルトに弾け、瞬く間に路面を覆い尽くし、大きな水たまりを生成していく。

 空は真っ黒な雲に覆われ、周囲は夕方のように薄暗くなってきた。

「まだ三時前だっていうのに真っ暗だね」

 眼の前に広がる田園の上を、冷ややかな風が走り抜ける。

 美兎はその冷たさに思わず体を震わす。

 濡れた学生服が急激に少女の体温を奪っていく。

「寒っ……。これじゃ風邪引いちゃうよ」

 美兎は部活の道具を入れていたスポーツバッグから、ジャージの上着を取り出そうと身をかがめた。

 その瞬間。

 目の前が真っ白になるほどの光とともに、激しい轟音に包まれた。

「キャァッッ!!」

 美兎の悲鳴がかき消されるほどの落雷の音が響き渡る。

 思わずしゃがみ込み、膝を抱えた状態から、恐る恐る顔をあげる美兎。

「なに、むちゃくちゃ近くに雷が落ちた? って、あれ……」

 美兎があたりを見渡すと、雨が止み眩いばかりの日差しが照りつけていた。

 バス停から出て空を見上げると、空一面を覆う真っ黒な空が割れ、細長く眩いばかりの夏空が顔を出していた。

「うわっ、さっきまで大雨だったのに、もう日が差してきた」

 美兎が見上げる先。雲と雲の切れ目にフッと大きな影が姿を現した。

 それは美兎も良く知る、何度も写真や現物で見たことがあるものだった。

 そう、まだ彼女の両親がいた頃。小学校のときに両親と行ったヨーロッパ旅行で見たお城だった。

 違う点といえば、石造りのそれではなく、銀色に光り太陽の光を反射する金属のように見えたこと。

 そして、大きな岩のような島に乗って空に浮かんでいることだった。

 ――えっ……? なに? 空に浮かぶ城?

 有り得ないものを見たショックで声が出ない美兎。

 程なくして、美兎が見つめる前で雲の切れ目は閉じ、空に浮かぶ城のように見えたものは、漆黒の雲海へと姿を消してしまった。

 呆然と空を見上げる美兎。

 その顔にまた雨粒が落ち、微かに雷鳴が響いてきた。

「なにか……、落ちてくる……?」

 美兎の視線の先には小さな黒い点が見えた。

 ゆっくりと、ひらひらと、くるくると動きながら、それは間違いなく美兎の方へと向かって落ちてきた。

 段々と大きくなるそれは人の形をしていた。たが、羽のようにゆっくりと空を舞い、美兎の眼の前でパサリと音を立ててアスファルトの路面に着地した。

「なに? 人形?」

 美兎は近くに落ちていた木の枝でそれを突いてみる。

 ――全長は30cm程だろうか?

 布で出来た男の子の人形に見えるそれは、木の枝で容易く押せるほど軽かった。

 指先で触ると、まるで羽毛布団のように軽く柔らかい感触が伝わってくる。

 人形は雷に撃たれたかのように、ところどころ焼け焦げ、煤で汚れてた。

「これは?」

 人形の手には仄かに光る黄金の羽が握られていた。

 美兎は思わず手に取り、それを見つめる。

 ――綺麗。

 雨に濡れることなく光を放つ不思議な羽。

「あっ!」

 ひときわ強い光を放つと、羽は美兎の手の中に溶け込むように消えてしまった。

「消えちゃった……」

 降りしきる雨の中、美兎は路面に膝を付き、呆然と手のひらと人形を見つめていた。

 パァーパァー!

 クラクションの音に気が付き、美兎が振り返ると、一台の乗用車の中から見慣れた男性が降りてきた。

「美兎ちゃん! こんな雨の中で何しているの? 車に轢かれちゃうぞ!」

 姿を現したのは、美兎の近所に住む幼なじみの父親だった。

「ひどい雨だから家まで送ってあげるよ。早く車に乗りな」
「あ、ありがとうございます。カバン取ってきますね」

 美兎は人形を手に取ると立ち上がり、荷物が置いてあるバス停の中へ駆けて行った。