深月の日々に本邸女中の手伝いが加わって十日ほど経過した。
起床時間は変わらず日が昇る前。やるべき目的が明確にあって起きる夜明けは、より意識が冴えて動けている気がした。
「おはよう、鈴」
寝台を下り、深月は床に置かれた鈴の寝床に声をかける。
器用に身体を丸くしている鈴は、まだすやすやと寝息を立てて起きる気配がなかった。
(今日はお寝坊ね)
だいたいこの時間から鈴は深月より先に置き、扉の前で外に出たいと催促してくる。深月が扉を開けて見送り、それから朝支度に取り掛かるというのが一日の始まりだった。
だが、たまに鈴は日中遊びすぎて起床時刻が遅れることもある。どうやら今日がその日のようだ。
深月は柔らかい鈴の毛並みをそっと撫で、いつも通り支度を始めた。
近頃は炊事場に立つことが多く忙しなく動き回るので、華美になりすぎない無地の半襟や、控えめな柄の長着を選ぶように心がけた。
髪もひと纏めにくくり、邪魔にならないようしっかり結んだ。
この簡素な長着は、女中の手伝いをすることが決まった深月に、朋代があつらえてくれたものだ。朋代は暁からの指示で準備したと言っていたが、もともと衣食住のすべてを十分すぎるくらい与えられている深月には、この配慮が心苦しくもあった。
深月の保護には、安全確保のほかに生活面の援助も含まれている。乃蒼が現れてからは、白夜家からも補助金が送られていると知り、立場上の扱いとわかっていても余計に居た堪れなくもなっていた。
だから、こうして少しでも働いていたほうが気は楽だった。
……余計なことを考える暇も、少しは減るから。
「あっ、いけない」
姿見で格好を確かめていると、気を取られて文机に腕が当たる。脚の長い洋製の机には、数冊の本が積まれている。その一冊が、振動で崩れてしまった。
(璃莉さんが渡してくれていた西洋の書物。まだすべて読み終えたわけではないけど、いろんな物語があるのね)
それは白夜家本宅に訪れた日、母の部屋に保管されていた西洋の書物である。すべて色恋中心で、深月にとっては初めて触れる類のものだ。
恋を自覚した深月に対し、璃莉は嬉々としてこれらを見繕ってくれた。
二冊ほど読み終えてまだ次の物語には手を出せていないけれど、読み終えた話はどちらも男女が結ばれる幸せな結末で心がほっとするものだった。
結ばれることが約束されている恋愛譚に、巷の女子の間で流行っている理由もわかると、深月は納得していた。
それから深月は崩れた本を積み直し、鈴を起こさないように気をつけながら部屋を出た。
すぐ目の前には吹き抜けの階段が現れる。それを間に挟んだ先にある扉を深月は目で追った。
(暁さま、しっかり休めているといいけれど……)
永桜祭当日まで約ひと月を切り、一般隊員を含め、暁はさらに忙しくしているようだった。昼間は報告書の確認や書類整理をこなし、夜間もよく帝都の各区画を巡回していることが多いと耳にしている。
「……本当にお早いですね、深月さん」
階段を下りたところで、書類の束を抱えた羽鳥と鉢合わせた。
「羽鳥さん、おはようございます」
「おはようございます。本邸女中の勤めにしては少し早くはありませんか?」
羽鳥の問いに、深月は控えめに首を横にした。
「いえ、先にお庭のほうを掃除してしまおうかと」
手伝いにはまだ時間がある。それまでに別邸の庭を掃いておこうと思っていた深月だが、羽鳥の表情はあまりすぐれない。
「手伝いとはいえ、業務内容は通常の女中と変わりないと聞いています。加えて早朝から別邸の庭掃除だなんて詰め込みすぎではありませんか?」
「え……そう、でしょうか?」
起床時間は変わらず日が昇る前。やるべき目的が明確にあって起きる夜明けは、より意識が冴えて動けている気がした。
「おはよう、鈴」
寝台を下り、深月は床に置かれた鈴の寝床に声をかける。
器用に身体を丸くしている鈴は、まだすやすやと寝息を立てて起きる気配がなかった。
(今日はお寝坊ね)
だいたいこの時間から鈴は深月より先に置き、扉の前で外に出たいと催促してくる。深月が扉を開けて見送り、それから朝支度に取り掛かるというのが一日の始まりだった。
だが、たまに鈴は日中遊びすぎて起床時刻が遅れることもある。どうやら今日がその日のようだ。
深月は柔らかい鈴の毛並みをそっと撫で、いつも通り支度を始めた。
近頃は炊事場に立つことが多く忙しなく動き回るので、華美になりすぎない無地の半襟や、控えめな柄の長着を選ぶように心がけた。
髪もひと纏めにくくり、邪魔にならないようしっかり結んだ。
この簡素な長着は、女中の手伝いをすることが決まった深月に、朋代があつらえてくれたものだ。朋代は暁からの指示で準備したと言っていたが、もともと衣食住のすべてを十分すぎるくらい与えられている深月には、この配慮が心苦しくもあった。
深月の保護には、安全確保のほかに生活面の援助も含まれている。乃蒼が現れてからは、白夜家からも補助金が送られていると知り、立場上の扱いとわかっていても余計に居た堪れなくもなっていた。
だから、こうして少しでも働いていたほうが気は楽だった。
……余計なことを考える暇も、少しは減るから。
「あっ、いけない」
姿見で格好を確かめていると、気を取られて文机に腕が当たる。脚の長い洋製の机には、数冊の本が積まれている。その一冊が、振動で崩れてしまった。
(璃莉さんが渡してくれていた西洋の書物。まだすべて読み終えたわけではないけど、いろんな物語があるのね)
それは白夜家本宅に訪れた日、母の部屋に保管されていた西洋の書物である。すべて色恋中心で、深月にとっては初めて触れる類のものだ。
恋を自覚した深月に対し、璃莉は嬉々としてこれらを見繕ってくれた。
二冊ほど読み終えてまだ次の物語には手を出せていないけれど、読み終えた話はどちらも男女が結ばれる幸せな結末で心がほっとするものだった。
結ばれることが約束されている恋愛譚に、巷の女子の間で流行っている理由もわかると、深月は納得していた。
それから深月は崩れた本を積み直し、鈴を起こさないように気をつけながら部屋を出た。
すぐ目の前には吹き抜けの階段が現れる。それを間に挟んだ先にある扉を深月は目で追った。
(暁さま、しっかり休めているといいけれど……)
永桜祭当日まで約ひと月を切り、一般隊員を含め、暁はさらに忙しくしているようだった。昼間は報告書の確認や書類整理をこなし、夜間もよく帝都の各区画を巡回していることが多いと耳にしている。
「……本当にお早いですね、深月さん」
階段を下りたところで、書類の束を抱えた羽鳥と鉢合わせた。
「羽鳥さん、おはようございます」
「おはようございます。本邸女中の勤めにしては少し早くはありませんか?」
羽鳥の問いに、深月は控えめに首を横にした。
「いえ、先にお庭のほうを掃除してしまおうかと」
手伝いにはまだ時間がある。それまでに別邸の庭を掃いておこうと思っていた深月だが、羽鳥の表情はあまりすぐれない。
「手伝いとはいえ、業務内容は通常の女中と変わりないと聞いています。加えて早朝から別邸の庭掃除だなんて詰め込みすぎではありませんか?」
「え……そう、でしょうか?」