転生帰録2──鵺が嗤う絹の楔

 梢賢(しょうけん)の態度が康乃(やすの)の心を動かした訳ではないのだろうが、眞瀬木(ませき)を放免するきっかけになったことは確かだった。

 分家扱いの眞瀬木の嫡男が行ったことは許されざる事である。康乃には里人への体面があり、独断で放免することは出来なかった。そこへ中立の雨都(うと)からの申し出は渡りに舟だったのだ。

 雨都は客人とは言え里の宗教面で深い所まで食い込んでいる。そこの嫡男が責を負うと言えば里人も納得せざるを得ない。梢賢は気づいていないが、麓紫村(ろくしむら)における彼の地位は本人が思っているよりも遥かに高い。

 その日のうちに康乃による大号令が敷かれ、眞瀬木(ませき)家当主墨砥(ぼくと)、長女瑠深(るみ)、分家の大柿(おおがき)鋼一(こういち)──とは八雲(やくも)の本名だが、その三人は無罪放免とされた。
 
 そして眞瀬木家嫡男の(けい)は大罪人として指名手配となり、その追討を雨都梢賢に任ずるということも発布された。

 これで今回の件は一応の決着をつけたのだが、真面目が服を着て歩く墨砥は自主謹慎を続けている。瑠深も体調不良として自宅からは出て来ず、八雲のみが通常通り作業場にて里人のために生活雑貨などを作成している。

 一連の堅苦しいやり取りを側から眺めていた(はるか)は「ほんと時代劇みたい」と毒付いていた。
 蕾生(らいお)は梢賢が立ち直ったことを喜んでおり、村のしきたり云々はどうでも良かった。ただ、珪以外の眞瀬木の者達もすぐに許されたのでそこは安心した。
 鈴心(すずね)皓矢(こうや)銀騎(しらき)と麓紫村の相違点を見出しては「興味深い」と事あるごとに言い合っていた。

 (あおい)はまだ目覚めない。
 
 それで皓矢も麓紫村にもう一泊することになった。優杞(ゆうこ)が熱心に引き留めたからではあるが。

 

 そして翌日の朝、雨都家に藤生(ふじき)剛太(ごうた)が息を切らせて駆け込んできた。
 
「銀騎様!銀騎様はいらっしゃいますか!?」
 
「まあ、剛太様。そんなに慌ててどうしたんです?」
 
 玄関で彼を迎えた橙子(とうこ)は驚きで目を丸くしていた。こんなに活発に動く剛太を初めて見たからだ。
 
「あの、あの、すぐに銀騎様に来ていただきたくて!あの子が目を覚ましたんです!」
 
「何やてえ!?ほんまか、剛太くん!」
 
 騒ぎを聞きつけた梢賢が興奮して言うと、橙子の鋭い視線が飛んでくる。
 
「梢賢!!」
 
「……様、えろうすんまへん」
 
 わざとらしく寸劇のように体をすぼめる梢賢に、剛太は焦れていつにない大声を出す。
 
「そんなことはどうでもいいです!早く来てください!」
 
 次いでやってきた皓矢は直ぐに玄関を降りて靴を履き始めた。
 
「わかりました、行きましょう」
 
 皓矢と剛太の後に続いて、永、蕾生、鈴心も当然のように玄関を飛び出した。梢賢もそれを追おうとした所で姉に引き止められる。
 
「待って、梢賢!」
 
「僕らも行っていいかい?」
 
「へ?」
 
 優杞だけでなく、楠俊(なんしゅん)もやって来てそう言うので、梢賢はつい首を傾げてしまった。だが考えている時間も惜しいのでそのまま三人で藤生家と向かった。



 

「失礼します」
 
 藤生家の奥の間。皓矢がまず襖を開けて静かに入り、永達三人と梢賢が続けて入った。楠俊と優杞は遠慮がちに廊下で様子を窺っている。
 
「ああ、どうぞ」
 
 こんな大人数にも気にすることなく、康乃はいつもののんびりとした調子で一同を迎え入れた。
 剛太は機敏に動いて、布団で寝ていたのであろう葵を優しく抱き起こしてその背を支えてやった。
 
「……」
 
「葵くん!」
 
 確かに目を開けている葵を見て、梢賢は嬉しそうに近寄った。が、葵の瞳は定まらずに何も言葉を発さない。
 
「……」
 
「葵、くん?」
 
「まだね、意識がはっきりしないみたいなの。一言も喋らないし……」
 
 康乃が梢賢に向けて優しく答えると、皓矢は葵のそばにしゃがんだ。
 
「失礼。葵くん?」
 
「……」
 
 呼ばれても、葵はただ呆然としていて何も答えなかった。
 
「少し触るよ?いいかな?」
 
「……」
 
 皓矢は葵の額に手を置いた後、頬、首元のあたりを触診してから頷いた。
 
「──うん。気の流れは正常だね」
 
 そうして少し身を引いた皓矢に代わって、梢賢が近づいてその手を取った。
 
「葵くん……ごめんなあ」
 
 するとその小さな指がピクリと動いた後、葵はようやく口を開く。
 
「おかあさんは?」
 
「……」
 
 梢賢は何も言えなかった。
 雨辺(うべ)(すみれ)はもういない。直接手を下したのは珪でも、梢賢はその責任の一端を背負っている。
 どう謝ればいいのか、その前にどう真実を伝えるべきなのか、梢賢は情けないほどに考えが浮かばなかった。
 
「おねえちゃんは?」
 
「あ……」
 
 (あい)もまた、葵が自ら生み出した幻想であったなどとは少なくとも今の状態の葵にはとても言えなかった。
 
 梢賢が己の無力さに打ちひしがれていると、康乃が優しく助け舟を出した。
 
「藍ちゃんはね、ここですよ」
 
 康乃は温かな手で葵の胸元に触れて答えてやった。
 
「そう……」
 
 葵は何の感情も見せずにただ康乃の手に視線を落として頷いた。
 
「お母さんはね、ここよ」
 
 続けて康乃は枕元に置いておいた菫石(すみれいし)を取って葵の掌に乗せた。
 
「……おかあさん」
 
「葵くんとずっと一緒よ」
 
「うん……」
 
 康乃の言葉がどれだけ届いているかはわからない。葵はただ手の中の菫石を眺めて呆然としたままだった。
 
「葵くん……」
 
「大丈夫、ゆっくり良くなるさ」
 
「……」
 
 皓矢が梢賢の肩を叩いて励ましたが、梢賢は葵の現状を憂いて沈んだ顔のままであった。

 
  
「康乃様、折言ってお願いがございます」
 
 ふと廊下で控えていた優杞が手をついて切り出した。
 
「姉ちゃん?」
 
「何かしら?」
 
 梢賢も康乃も首を傾げてそちらを注視すると、楠俊も妻に続いて頭を下げて言う。
 
「そちらの雨辺(うべ)(あおい)くんを私共夫婦の養子に迎えたく存じます」
 
「ええええ!」
 
 梢賢は大袈裟に驚いたし、永達もその展開に驚いていた。そして康乃も少し目を開いて声を上げる。
 
「まあまあ」
 
 すると夫妻は頭を下げたまま続けた。
 
「夫婦で二晩考えました結果にございます」
 
「何卒お聞き入れいただきたく……」
 
「そうねえ。雨辺さんはそちらの親戚ですもんね、自然な形だとは思うけど──」
 
 康乃はすでにいつも通りに深刻ぶらない口調で考えながら梢賢の方を振り向いた。
 
「梢賢ちゃんはどう思う?」
 
「そ、そ、そんなん……」
 
 梢賢は驚きのあまり口をパクパクさせながらも、終いには大粒の涙を零した。
 
「大賛成に決まってますやん!」
 
 それを見ていた永も蕾生も鈴心も、心から良かったと思った。当初の梢賢の願いは叶わなかったけれど、葵だけでも迎え入れることができたことは梢賢にとっても喜ばしい結果になった。
 
「じゃあ、後は葵くん次第ね」
 
 康乃が満足そうににっこり笑って少し身を引くと、梢賢は涙をぐいと拭って殊更に明るい声で葵に呼びかける。
 
「葵くん!あんな、葵くん、これからはオレのうちで暮らさへん?」
 
「お兄ちゃんの?」
 
 葵はキョトンとして梢賢を見上げた。少し瞳に光が差した。
 
「そう!オレは大学とかあるから出かける事が多いけど、オレの兄ちゃんと姉ちゃんが君とずっと一緒におるから!」
 
「ずっと、一緒……?」
 
「ずうっと一緒やで!」
 
 梢賢が胸を叩いているのを見ながら、葵は菫石を握りながらただ純朴に尋ねる。
 
「おかあさんも?」
 
「……当たり前やで!」
 
 梢賢の望みは叶わなかった。
 
 菫はいない。
 その罪の意識は永劫に消えないだろう。
 
 けれど梢賢の家族は、その罪を共に抱える選択をしてくれた。
 
 後悔はある。けれど過去は変えられない。
 だからせめて未来だけは笑って過ごせるように守っていきたい。
 
 葵と菫石はその誓いの象徴である。
 梢賢はその未来ごと、葵を抱き締めて泣いた。
 
「ずうっと……一緒……」
 
 梢賢の温もりに包まれて、葵の瞳からもすうっと涙が一筋流れ落ちた。


 
銀騎(しらき)さんと、鵺人(ぬえびと)のお三方、ちょっとよろしいかしら?」
 
 楠俊と優杞が葵と話しながら打ち解けていく姿を見届けてから、康乃は皓矢と永達に向き直って言った。
 
「は?」
 
「ご覧にいれたいものがあるの」







 康乃(やすの)剛太(ごうた)に連れられて、(はるか)蕾生(らいお)鈴心(すずね)皓矢(こうや)藤生(ふじき)邸の裏山に来ていた。

 一同の後を追いかけて梢賢(しょうけん)もすぐにやってくる。
 裏山には、藤生家の神木たる藤の木が静かに佇んでいる。祭の後の静けさも手伝って、一際清廉さを皆感じていた。

 
 
「康乃様、一体どうしたんです?」
 
 後から追いついた梢賢が問うと、康乃は藤の木を振り返った後、改まって皆に言った。
 
「この藤の木が、資実姫(たちみひめ)の宿る藤生家の御神木です」
 
「なるほど。先日は舞台が建てられてましたから、きちんと拝見するのは初めてですが──見事なものですね」
 
 皓矢は藤の木を見上げながら、その神気に当てられて息を飲んだ。
 
「この木に、私が祈ると絹糸が生えてきます。それは資実姫の髪の毛だと伝えられています」
 
「なんと──」
 
「ご覧に入れましょう」
 
 そうして康乃は両手を合わせて意識を集中させ目を閉じた。
 
 まさか実際に藤の木と康乃の超常な力を見せてもらえるとは。永達は緊張で思わず息を止めて見守った。
 
「……」
 
 だが、藤の木は何も反応せず、ただそこで静かに枝を揺らしている。
 
「ああ、やはり……」
 
 康乃は目を開けた後、肩を落として溜息を吐いた。
 
「どうかなさったんですか?」
 
 永が聞くと、康乃はこちらを向いて力無く笑った。
 
「どうやら私は力を使い果たしてしまったようね」
 
「ええっ!?」
 
 いの一番に驚いたのは梢賢だった。
 
「では、もう絹糸は出現しないんですか?」
 
「そうねえ。来年からのお祭りはどうしたらいいのかしら……」
 
 鈴心が聞くと、康乃はのんびりとした口調で、それでも少し困っていた。
 
 だが、更に困って取り乱したのは梢賢の方だった。
 
「えええ、えらいこっちゃ!墨砥(ぼくと)のおっちゃんが知ったら卒倒すんで!」
 
「仕方ないんじゃないかしら?」
 
「そんな軽いっ!」
 
 康乃の様子に、分不相応でもつっこまざるを得ない梢賢。そんな二人の横から、剛太が少し思いつめた表情で一歩前に出た。
 
「……」
 
「剛太、どうした?」
 
 蕾生が声をかけると、剛太は一瞬だけ振り返って力強く頷いた後、康乃に申し出た。
 
「お祖母様、僕が祈ってみてもいいですか?」
 
「剛太様が?」
 
 目を丸くした梢賢を他所に、康乃は孫を優しく見つめて促した。
 
「やって見る?」
 
「はい」
 
 そして今度は剛太が藤の木に相対して、手を合わせて祈る。すると、木の枝が騒めき始めた。
 枝垂れた枝は隣り合い絡み合うものと擦れて、ザワザワと音を立てる。
 その音がピタリと止んだ次の瞬間、白く柔らかい閃光が舞った。
 光かと見紛うそれは、頼りないけれど確かに糸の形を成しており、数本がそのまま地面にパサリと落ちた。
 
「見事だ……」
 
 一部始終を見届けた皓矢は感嘆の声を漏らす。
 
「すげ……」
 
 蕾生もまた、剛太の成した成果に驚愕していた。
 
「ご、剛太様ーッ!!」
 
 神がかった雰囲気をぶち壊すように、梢賢の歓喜の大声が響く。
 康乃も満足そうににっこりと笑っていた。
 
「はあ、はあ……お祖母様……やりました」
 
 消耗し、肩で呼吸している孫を康乃は惜しみなく讃えた。
 
「初めてにしては上手でしたよ、剛太」
 
「ありがとうございます!」


  
 次に、康乃は少し呆けてしまっている皓矢に向き直った。
 
銀騎(しらき)の方には、どうお見えになったかしら?」
 
 すると皓矢は意識を取り直して、けれどまだ整理がつかない頭でようやく答えた。
 
「あ、ああ……そうですね。見事としか言いようがない、私などでは検討もつかない不思議なお力です」
 
「まあ、お上手ね」
 
「いえ、本当に。世間は広いですね、感服いたしました」
 
「あらあら」
 
 孫を褒められて喜ばない者などいない。康乃は本当に嬉しそうに笑っていた。
 
「とにかく里は安泰や!バンザーイ!バンザーイ!」
 
 しかしすぐに梢賢の場を読まない軽快な声が響く。康乃はそれに苦笑しつつ頷いた。
 
「そうね。まだ終わらせる訳にはいかないわ」
 
「あ……」
 
 祭の日、「里は終わる」と言ってしまった梢賢は少し罰が悪そうに押し黙った。
 
 康乃は梢賢を──未来の後継を勇気づけるように笑う。
 
(かえで)姉さんが案じてくれた、この里の未来を守らなくては」
 
「はい」
 
 康乃もまた、梢賢に託そうとしている。楓から預かった希望を。


  
「ところで、鵺人(ぬえびと)の方達は元々慧心弓(けいしんきゅう)を探していたのよね?」
 
「え!?あ、はい!」
 
 急に康乃から話題を振られた永は慌てて頷くのが精一杯だった。
 
「あれは戻ってこなかったようだけど、うちの藤の木の弦を使って新しくお作りになったらどうかしら?」
 
「えええ!?」
 
 驚きでのけぞる永の代わりに、鈴心が冷静に答える。
 
「お話は嬉しいのですが、慧心弓でなければ鵺に対しての特効がないと言いますか……」
 
「ですからね、これをお持ちになって」
 
 その反応は想定内だと言うように、康乃は永に硬鞭(こうべん)を差し出した。(けい)が使った犀髪の結(さいはつのむすび)である。
 
「それ……」
 
 蕾生は間近で初めてそれを見たが、あの時のような禍々しさはすでに感じられず、綺麗な紋様が施された鉄棒に見えた。
 
「これを持って八雲(やくも)の所へお行きなさい。話は通してあるから」
 
「はあ……」
 
 永はその硬鞭を受け取ったものの、なぜこれが必要なのかわからずに首を傾げた。







 その日の午後、昼食をとってから(はるか)蕾生(らいお)鈴心(すずね)梢賢(しょうけん)康乃(やすの)から預かった硬鞭(こうべん)を持って八雲(やくも)の作業場を訪れた。
 眞瀬木(ませき)の技術に興味津々の皓矢(こうや)もついて来た。
 
「こんちはー……」
 
 固い木戸を梢賢が遠慮がちに開けると、中には八雲が待ち構えていた。
 
「む、来たか」
 
「あのう、康乃様に言われて来たンスけどー……」
 
「その前に礼を言わせてくれ。墨砥(ぼくと)兄さんと瑠深(るみ)の赦免を康乃様にとりなしてくれたとか。ありがとう」
 
 寡黙な大男の八雲が頭を下げる様は、ある意味異様な圧がある。けれど梢賢は特に怯んだりもせずに少し笑った。
 
「いやあ、元はオレが蒔いた種ですから。その割に墨砥のおっちゃんも瑠深も家から出てきまへんけど」
 
「まあ、しばらくは仕方なかろう」
 
 墨砥の生真面目な性格も、瑠深の純粋ゆえの意固地さも知り尽くしている八雲は当然のように頷いていた。
 それで梢賢も時間が解決してくれるのを待つべきなのだと悟る。
 
「お邪魔しまーす」
 
「こんにちは」
 
 続いて永と鈴心も入って来た。蕾生は初めて入るので物珍しそうにキョロキョロと中を見回している。
 
「む、鵺人(ぬえびと)と──銀騎(しらき)も一緒か」
 
「すみません、大勢で押しかけて」
 
 皓矢も内心は蕾生と変わらず、心なしか表情が浮ついている。しかし八雲は特に気にせず一人で何かを納得しながら言った。
 
「いや、ちょうどいい。康乃様からの頼まれ物について助言して欲しかった」
 
「と言いますと?」
 
 皓矢が首を傾げると、八雲は永の方を向いて尋ねる。
 
周防(すおう)の、犀髪の結(さいはつのむすび)は持ってきたか」
 
「ああ、はい。預かってます」
 
 永が硬鞭を渡すと、八雲はそれを受け取って片手で少し上下させてから皓矢に聞いた。
 
「ふむ。……これをどう見る?」
 
「少し伺いましたが、その硬鞭には慧心弓(けいしんきゅう)の神気が複製されているとか」
 
「そうだ。何か感じるか?」
 
「……微かには。鵺の妖気の奥の奥、そこに少し光が見えます。ただ、それが慧心弓の神気なのかは僕にはわかりかねます」
 
 二人の話を注意深く聞いていた永が口を挟んで尋ねる。
 
「わかんないもんなの?」
 
萱獅子刀(かんじしとう)と違って、慧心弓の近年のデータは銀騎にはないんだ。長いこと雨都(うと)が持っていたからね」
 
 皓矢の返答に、八雲も顎に手を置いて考えるように呟いた。
 
「ふむ。すると伝承レベルのものを取り出して新たな弓に込めても、慧心弓にはならんかもしれんな」
 
「そうですね……。それ以前にこんな微かな気配を取り出せるかが難問でしょう」
 
 勝手に大人だけで進んでいく話に、とうとう蕾生が根をあげた。
 
「なんか全然話が見えねえんだけど」
 
「ああ、ごめんごめん。つい先走ってしまった。ええと八雲さんから説明して頂いても?」
 
 皓矢がそう促すと、八雲は表情を崩さずに淡々と述べ始める。
 
「む。わかった。この犀髪の結──原材料は犀芯の輪(さいしんのわ)だが、かつて眞瀬木が銀騎から持ち出した鵺の体毛と、雨都から借りた慧心弓が纏っていた鵺の妖気を拝借して合わせたものが込められていることは話したと思う」
 
「はい、確かに聞きました」
 
 永が頷くと八雲は手中の硬鞭を指でトントンと軽く叩きながら更に説明した。
 
「最初は犀芯の輪を鵺の疑似魂(ぎじこん)として、眞瀬木が鵺神像(ぬえしんぞう)に格納して崇めていた訳だ」
 
「それを、指輪型に加工し直して雨辺(うべ)が持っていたんですよね」
 
「その通り」
 
 鈴心の付け足しに八雲が頷いた後、蕾生が聞いた。
 
「けど、祭の日に雨辺がはめてたのはレプリカだったんだろ」
 
「そうだ。あれには(けい)が仕込んでいた呪毒が溢れていた。雨辺(うべ)(すみれ)の……キクレー因子と言うのか?それと結合して一瞬だけ常人ならざる力を得たが、彼女が石化するとともにその役目を終えて砕けた」
 
 珪が異空間に消えた後、菫がはめていた犀芯の輪が無くなっていたことを永は思い出した。
 
「ではもっと前からその硬鞭が「犀髪の結」であり、「犀芯の輪」でもあったということですね」
 
「そうだ」
 
 八雲は相変わらずの無表情で頷いた。







 今ここにある硬鞭(こうべん)は、(ぬえ)疑似魂(ぎじこん)であり、鵺の妖気を増幅する呪具でもある。そこまで聞いた梢賢(しょうけん)は眉を顰めて言う。
 
「だいぶヤバいシロモンやな。こんなんどうやって保管しとけばええんや?」
 
康乃(やすの)様もそれを憂いていた。あんな事があっては藤生(ふじき)眞瀬木(ませき)も、雨都(うと)さえもこれを持て余すだろう」
 
 八雲(やくも)がそう答えると、皓矢(こうや)が細かく頷きながら身も蓋もない事を言う。
 
「なるほど。それならば鵺人(ぬえびと)とやらに押し付けてしまえと、そういうことですね?」
 
「え!?ちょっと、慧心弓(けいしんきゅう)を作ってくれるんじゃないの!?」
 
 どうも話が弓に行かない様なので(はるか)は焦った。しかし八雲は落ち着いている。
 
「最後まで聞け。この硬鞭は犀芯の輪(さいしんのわ)から作ったのだから、慧心弓から抽出した鵺の妖気とともに、慧心弓自身の神気も僅かに取り込まれている」
 
「つまりね、慧心弓の神気のコピーが硬鞭の中にあるからそれを取り出して、新たな弓に宿らせれば慧心弓の複製弓が作れるかもってことだよ」
 
 言葉の足りない八雲の説明を皓矢が補ったことで、永にも理解ができた。鈴心(すずね)も同様で、弾んだ声を出す。
 
「すごい!本当ですか!?」
 
「かつて慧心弓を雨都から借りた時にとった記録によれば、慧心弓はその神気の中に鵺の妖気を取り込んでいたらしい。だからこそ、慧心弓は鵺に対する武器として有効なのだ」
 
「なるほど。慧心弓のメカニズムとしては、毒には毒を持って制すってことかな。鵺の妖気を神気で(くる)んで放つ矢は、確かに効きそうだ」
 
 皓矢は嬉々として慧心弓の分析に思いを馳せている。しかし、すぐにハタとなって八雲に問うた。
 
「ただ、今は、中で妖気と神気の割合が逆になっていませんか?神気が妖気に(くる)まれた状態だ」
 
「そうだ。(けい)の設計でその様に調整した。その割合を元に戻して弓に宿らせれば、理論上は可能だ」
 
「すげえじゃねえか、永、やったな!」
 
 蕾生(らいお)は八雲が「可能」と言った言葉で判断して喜んだ。だが、永はまだ疑っている。
 
「う、うん……。でも、そんなことが本当にできるの?」
 
「問題は、そこだ」

 永の不安を肯定するように、八雲は少し顔を曇らせる。そしてまず皓矢が見解を述べた。
 
「詳しく調べないとはっきりとは言えないけど、現在の硬鞭の中にある慧心弓の神気が少な過ぎる。おそらく、眞瀬木(ませき)(けい)によって鵺の妖気が増幅されたのでは?」
 
「でも、妖気と神気を反転させたのは八雲さんですよね?逆の作業をすればいいのでは?」
 
 鈴心の疑問は当然だったが、八雲はさらに難しい顔をしていた。
 
「確かにそうなのだが、銀騎(しらき)の見立て通り俺が扱った時よりも妖気が増幅されているのでは勝手が変わるからかなり困難だ」
 
「あいつ、ほんとに碌でもないことしやがったな……」
 
 永も悔しそうに歯噛みしていた。
 
「なんとかならんの?」
 
 梢賢も救いを求めて皓矢を見た。皓矢は腕を組んで深く考える。
 
「硬鞭の中の神気を増幅できたらあるいは──」
 
「だがどうやって?」
 
「……」
 
 八雲とともに黙ってしまった皓矢に、突如永が低く笑った。
 
「ふっふっふ。まだまだだな皓矢」
 
「急にどうしたハル坊?」
 
「いつ出そういつ出そう、もしかしてこいつの出番なんてないのかもしれないと思っていたけど、ついに来たね」
 
「何がだよ?」
 
 とっておきの物をもったいぶるのは永の癖なのだが、蕾生もさすがに焦れた。
 
 そうして永は更に大袈裟な動作でゆっくり桐の箱をポーチから取り出して掲げて見せる。
 
「ジャーン!この子達の事をお忘れですかあぁ!?」
 
「──あ」
 
 それを見た皓矢は目を丸くしていた。鈴心も晴れやかな顔になって叫ぶ。
 
「そうか、翠破(すいは)紅破(こうは)ですね!」
 
「何!?」
 
 突然の新たな神具の登場に、八雲でさえも驚愕していた。
 
「そう、僕の可愛い二本の矢!その(やじり)がここに揃ってんのよ!?」
 
「そうか、そいつに慧心弓と同じ力が宿ってるんやな!?」
 
 梢賢も明るい声に戻っていた。永は勢いのままに桐の箱を皓矢に握らせる。
 
「ね?これ、使えるでしょ?」
 
「確かに。出来るかもしれない」
 
 箱を開けて鏃を手に取る皓矢の瞳には、強い光が宿っていた。
 
「ふむ。鏃の神気で奥に隠れている神気を釣り上げることができれば──」
 
「スポーン!てか?やば、興奮するわ!」
 
 すっかり安心した梢賢はもうふざけていた。
 
「光明が見えましたね、八雲さん」
 
「うむ、久々に腕が鳴るな。銀騎の、出来れば手伝ってはくれないか?」
 
「それはこちらからもお願いしたい所ですよ」
 
 皓矢と八雲が互いに笑いかけながら言うと、鈴心もいっそう安心して声を弾ませた。
 
「お兄様!」
 
「バンザーイ!」
 
「バンザーイ!」
 
 永と梢賢も手を上げて喜んでいる。その様子を蕾生は笑いながら見ていた。
 やはり、事態はなんとかなるものだ。それはきっと永がずっと頑張っているからだと思った。


 
「では早速作業に取り掛かろう」
 
 八雲が硬鞭を作業机に置くと、梢賢は突然大声で止めた。
 
「あああ、ちょっと待って!」
 
「どうした?」
 
「その前にスジ通さな!」
 
 そう言うと、梢賢は硬鞭をひったくって作業場を飛び出した。







 梢賢(しょうけん)は急いで自宅に戻って来ていた。
 
「ただいまあ!姉ちゃん達は?」
 
 玄関を上がったところで橙子(とうこ)がおり、短く答える。
 
「帰ってきたわよ、孫を連れて」
 
「マジで!?もう!?」
 
 梢賢は二重に驚いていた。
 楠俊(なんしゅん)優杞(ゆうこ)夫妻がもう(あおい)を連れ帰ってきたこと。それから橙子の口から「孫」という単語が出たことだ。
 
「全く、今朝突然話があるなんて言って、他所様の子を引き取りたいなんて──我が娘ながらなんて無鉄砲なのかしら」
 
 こんな風に口早に喋る母を梢賢はあまり見たことがない。例え文句だとしてもだ。
 
「顔が笑ってんで、お母ちゃん」
 
「ああ!?」
 
 なので面白くなってつい揶揄ってしまった梢賢に、橙子は極道の女組長のような睨みを効かせた。
 
「ピッ!」
 
 一目散に逃げた梢賢を追って(はるか)蕾生(らいお)鈴心(すずね)もドタバタと騒がしく戻ってくる。
 
「ちょっと梢賢くん、待ってよお!」
 
 居間に行くと、葵が優杞と楠俊に囲まれて食事をしていた。
 
「おお……」
 
 葵の顔に血色が戻り、黙々とスプーンを動かす様を見て梢賢は感嘆の声を上げる。
 
「お帰り、梢賢」
 
「なんや姉ちゃんソレ!お子様ランチか!?」
 
 優杞は葵の隣でにこにこしながら、口を拭いてやったり甲斐甲斐しく世話をしていた。
 
「作ってみたかったのよぉ、こういうの!」
 
「最初から飛ばしすぎなんちゃう?」
 
 逆隣の楠俊も苦笑しつつも、葵が食べているのを幸せそうに見ていた。
 
 そんな二人の気持ちが通じているかはまだよくわからないが、葵は一心不乱にお子様ランチを食べ続けている。
 
「葵くん、うまいか?」
 
 小刻みに頷きながら手を止めない葵の様子に、梢賢は更に感動していた。
 
「そうかあ……」


  
 そんな我が子と新たにできた孫の様子を薄暗い隣の部屋から覗いている者がいる。
 
「……」
 
「何してるんですか?柊達(しゅうたつ)さん」
 
 明るい部屋の団欒に踏み入れるのを躊躇った永達は、襖を隔てた隣の部屋で柊達がコソコソ様子を窺っているのを見てこちらに来たのだった。
 
「──!いや、何、私が側に行ったら泣くんじゃないかと思って……」
 
 強面坊さんは焦りながらそう答えた。本人の意識とは別に、その様は実にコミカルだ。
 
雨都(うと)家は基本コント集団ですね」
 
「ワカル」
 
 鈴心と蕾生の感想が全てを物語っていた。


 
「あんた、用事は済んだの?」
 
「いや、これからや。その前にスジ通さんとと思ってな」
 
 優杞と梢賢の会話を、何故か柊達とともに隣の部屋から永達も覗いて見守った。
 
「葵くん、あんな、これ……」
 
 梢賢が恐る恐る取り出した犀髪の結(さいはつのむすび)と呼ばれていた硬鞭(こうべん)に、葵はビクッと震えてスプーンを落とした。
 
「──!!」
 
 慌てて優杞がスプーンを拾って葵の背中を摩る。
 
「だ、大丈夫?梢賢!あんたなんてもの見せるの!」
 
「いいや、見るんや。見てくれ、葵くん!」
 
 梢賢はさらにずいと硬鞭を葵の目の前に差し出した。
 
「梢賢!」
 
「優杞。ちょっと……」
 
「でも──」
 
 楠俊が穏やかに制したが、優杞はまだ不安そうだった。
 
「葵くん、これ、ちっと形が違とるけど、わかるか?」
 
 葵は目の前の硬鞭にかつて犀芯の輪(さいしんのわ)であった頃の妖気を感じ取って、優杞にしがみつきながら答えた。
 
「うん……怖いの」
 
「せや。これはごっつこわーいもんや。それを前まで君は平然と触っとった」
 
「ごめんなさい、僕……」
 
「いや、いいんや。謝らんでもええ」
 
 梢賢は硬鞭を少し遠ざけて葵の目を見て言った。
 
「今の葵くんはこれが怖いものだってわかってるんやろ?それで充分や」
 
「僕、それ、もう持ちたくない……」
 
「ほうか。なら、これ兄ちゃん達にくれへんか?」
 
 梢賢がそう言うと、葵は怯えながらも声を荒げて焦った。
 
「だめ!お兄ちゃん達もおかしくなっちゃうよ!」
 
 葵はやはりわかっていたのだろう。
 あの呪具が母親を狂気に駆り立てた原因だったこと。自分の運命も狂わせたこと。そして最愛の姉を創り出してしまったこと。わかっていながらも、葵は母のために従うしかなかった。
 
 そんな健気で優しい葵の頭を撫でて、梢賢はにっこりと笑った。
 
「心配してくれるんか、ありがとうな。でも大丈夫やで。これをな、今度はごっつええもんにするんや」
 
「いいもの?」
 
「そう。ぜーんぜん怖くない、めっちゃありがたーいモンにこいつは生まれ変わる」
 
 だから、君も生まれ変わって欲しい。ここで。
 
「ほんと?」
 
「おう。それをな、やってもええかって葵くんに聞こうと思ったんや」
 
 すると葵は無邪気にニカッと笑った。
 
「いいよ!」
 
「──ありがとう」
 
 梢賢はしばし葵の頭を撫で続ける。どうか、これからは健やかに。叔父として願わずにはいられなかった。


 
「なあ、あいつ、幼くなってないか?」
 
 梢賢に撫でられてニコニコしている葵の様子を影から見ていた蕾生が小声で呟いた。
 
「そうかもしれません。以前はもっとしっかりしていたような……?」
 
 鈴心もそれに同意すると、永が総括するように答えた。
 
「精神的ショックが大きくて幼児退行してるのかも」
 
「ああ……」
 
「──生まれ変わったんだよ、きっと」
 
 そうだ、そう考えればいい。蕾生は笑い続ける葵に視線でエールを送る。
 
「そのうち年相応に戻るだろ?」
 
「きっとね。ここにいれば」
 
 永も同じように葵の幸せな行末を願っていた。


 
「よーし、元の持ち主の許可が下りたで!」
 
「全く、騒々しい!早く行け!」
 
 それまでのほのぼのとした空気感が一気に台無しになるような軽快さで梢賢が立ち上がると、優杞もつられて角でも出すような勢いで怒鳴る。
 ただ、それを見ても葵は変わらず笑っていた。







「ほいほい、お待たせ」
 
 八雲(やくも)の作業場に(はるか)達を伴って戻って来た梢賢(しょうけん)の軽快さを見て、皓矢(こうや)は笑いながら聞いた。
 
「スジは通してきたのかい?」
 
「おう、バッチリや」
 
 それから硬鞭(こうべん)を八雲に渡してから梢賢は強い意思をこめて言う。
 
「──生まれ変わらせたってや」
 
「承知した」
 八雲も力強く頷いた。
 
「では八雲さん、どこから手をつけましょう?」
 
「うむ、そうだな……」
 
 積極的な皓矢を見て、永が少し揶揄う。
 
「随分楽しそうじゃん?」
 
「うん、そりゃあね。銀騎(しらき)は自分が使う呪具は基本自分で作るけれど、眞瀬木(ませき)は専門家に一任している。そこが眞瀬木の強みだよ、勉強させてもらいたい」
 
「何を言う。(ぬえ)の専門家に立ち会ってもらえるなら私の方こそ勉強させてもらおう」
 
「さいですか……」
 
 すっかり乗り気の専門家二人を見比べて永は呆れながら溜息をついた。


 
「御免」
 
「おっちゃん!」
 
 梢賢達が戻って間もなく、作業場の戸板を開けて眞瀬木(ませき)墨砥(ぼくと)瑠深(るみ)が入って来た。
 
「みな、ここにいると聞いてな」
 
「どうも……」
 
 遠慮がちに入ってきた瑠深の姿に、鈴心(すずね)が弾んだ声で駆け寄った。
 
「瑠深さん!体調はどうですか?」
 
「うん、そこそこ……?バカに借り作ったままじゃあ落ち込んでもいられないしね」
 
「さよけ」
 
 瑠深が、少し元気はないけれど、梢賢に悪態をついた事で梢賢も少しほっとした。なのでいつも通りに返す。
 
 子ども達の反応を見た後、墨砥は一歩進んで永達に向かって頭を下げた。
 
鵺人(ぬえびと)の皆さんには、(けい)が大変申し訳ないことをした。本当にすまない」
 
「いえ、僕らは別に……」
 
 恐縮して慌てる永に続いて、鈴心と蕾生(らいお)も口々に言う。
 
「そうです。結局私達は珪さんを止められませんでした」
 
「俺があそこまで消耗してなけりゃ……」
 
「いや。あの場で皆殺されずに済んだのは貴方方のおかげだ」
 
 墨砥は首を振りながら、皓矢にも視線を送る。それを受けて皓矢も軽く会釈を返した。
 
「あの、良かったら聞かせてくれませんか?珪さんと、灰砥(かいと)さんのこと……」
 
 永はどうしても気になっていた。眞瀬木(ませき)灰砥(かいと)という人物が眞瀬木(ませき)(けい)に与えた影響について。
 
「……身内の恥を話すことになるが、それでも良ければ聞いていただこう」
 
「大丈夫です。恥ずかしい人達の話なら慣れてますから!」
 
 躊躇いながら言う墨砥に、永は皓矢を見ながら明るく答える。心当たりのある皓矢は何も言わずに苦笑していた。
 
「……兄の灰砥は優秀な呪術師だったのだが、実戦を好まなくてね。術を体現するよりは、術体系を開発する方が好きで得意だった」
 
 話し始めた墨砥に皓矢は頷きながら反応する。
 
「たまにいらっしゃいますね、そういう方」
 
「おめーのジジイだろが」
 
 だが、永にそうつっこまれて、皓矢は苦笑してまた黙った。
 
「兄は毎日文献を読んで暮らしていた。眞瀬木が所有するものはどんなに古くても隅から隅まで読み、把握しておかないと我慢ができない性格で──」
 
「そういう人、よく知ってます」
 
 永がうんうん頷いて言うと、やはり皓矢は後ろで苦笑する。
 
「兄が鵺にのめり込むのは自然なことだったのかもしれない。ただでさえ俗世離れしている兄はますます自分の世界、鵺を中心に置いた独自の世界に没頭した」
 
「ええ?そんな陰気な印象ちゃうかってんけどなあ。よく遊んでもろたし」
 
 梢賢が横入りすると、墨砥はそちらを向いて答える。
 
「お前や珪と遊ぶ時はただの気分転換だったからだろう。子どもの無邪気さに当てられれば、どんなに狂気があろうと一時的には薄れるさ」
 
「狂気ですか、はっきり仰るんですね」
 
 永が真顔でそう言うと、墨砥も真面目に頷いた。
 
「まあ、私は兄とは逆で体術を高める方が好きだったからな。私から見れば鵺を崇める兄の行動は奇異そのものだったよ」
 
「それで、十年前に跡目争いが起こったんですね?」
 
「ある程度の想像はつくだろうが、そもそも鵺肯定派は当主になれないのが慣例だ。次代の当主は満場一致で私に決まった」
 
 そこまで聞いた鈴心が続きを促すように尋ねる。
 
「けれど、それに灰砥さんは納得しなかった……?」
 
「いや、そこには兄も不満はなかったと思う。当主なんかになれば、好きな研究に没頭できないからね。ただ、何を思ったのか、兄はとんでもないことをしようとしていた」
 
「何だよ、それ?」
 
 蕾生が聞くと、墨砥は一瞬躊躇ったものの低い声で答える。
 
「……あろうことか、康乃(やすの)様を呪おうとした」







 眞瀬木(ませき)灰砥(かいと)は、藤生(ふじき)康乃(やすの)を呪おうとしていた。
 
 墨砥(ぼくと)の告白に、その場の皆が息をのんだ。
 
「何故、そうなるんです?」
 
「それは……」
 
 鈴心(すずね)が聞いても、墨砥は言葉を濁し次の句を懸命に探しているようだった。
 
 それで(はるか)がズバリと持っていた推論を口にする。
 
「康乃さんも、鵺人(ぬえびと)だから──では?」
 
「気づいて……いたのか」
 
(けい)さんが言ってましたよ。「鵺人に成り果てた藤生には任せられない」って」
 
「どういうことですか?」
 
「それは、梢賢(しょうけん)くんなら知ってるよね」
 
 首を傾げる鈴心に、梢賢を見るよう視線で永は促した。それで梢賢は観念したように肩で息を吐く。
 
「しゃあない。トップシークレットやで」
 
 蕾生(らいお)も緊張しながら梢賢の言葉を待つ。
 
「康乃様は、(まゆみ)婆ちゃんの娘なんや」
 
「──!!」
 
 永は少し見当がついていたものの、蕾生と鈴心は衝撃に打ちのめされた。
 
「藤生の前当主が若い頃、雨都(うと)(まゆみ)と恋に落ち、できた子が康乃様だ」
 
 梢賢の言葉を続ける墨砥の言葉も重い。永達は何も言えずに黙って聞くしかなかった。
 
「だが、里のトップと居候の家の娘との結婚など認められる訳がない。当主は別の娘と強引に結婚させられ、檀はひっそりと娘を産んだ後、藤生家に取り上げられた。
 その後、まるで厄介払いをするように檀にも強制的に里が外部から呼んだ婿を当てがったのだ」
 
「それがオレの爺ちゃんや。あ、誤解せんといてくれよ?爺ちゃんはほんまにええ人やったで!」
 
 梢賢が明るくフォローしたものの、真実の重さに三人は衝撃を受けたまま口々に言う。
 
「……なんてことだ」
 
(かえで)、楓はそれで──」
 
「康乃さんは、それ知ってんのか?」
 
 蕾生が聞くと、墨砥は首を振る。
 
「いや、ご存知ない……はずだ」
 
「檀婆ちゃんはな、康乃様の前でも他人のふりを貫いとった。誰にも気づかせなかったよ、母ちゃんにもな」
 
 梢賢が少し悲しそうに言うと、瑠深が遠慮がちに尋ねる。
 
「……梢賢は何故知ってるの?」
 
「珪兄ちゃんに教えてもろた。こーんなこまい頃な」
 
 右手で当時の身長の低さを表しながら答える梢賢に、墨砥はまた頭を下げる。
 
「そうか……本当にすまない……」
 
「聞いた時はよくわからんかったけどな。でも何でかその話が忘れられなくて、理解できたのは婆ちゃんが死んだ後やったな」
 
 幼少時に刺さった棘のような記憶が、思春期になって甦る。
 多感な時期に自分の身内に関する、生々しく暗い過去を知った梢賢の当時を永は想像してみる。だから自宅や村にはいたくなくて街をフラフラしていたのかと思い至ってみれば、理解できる。
 
「康乃さんは雨都の血を引いているから、(あおい)くんのキクレー因子に干渉できたんですね……」
 
「謎は解けたけど、後味は悪いね」
 
 鈴心も隠されていた真実に打ちのめされていた。それからかつて雨都(うと)(かえで)が背負っていたものの大きさを知る。永もやるせない思いだった。
 
「私もあれは驚いた。資実姫(たちみひめ)様のお力に加えて鵺の力も操ってみせたのだから」
 
「そりゃ、力を使い果たして当然かもな」
 
 墨砥の呟きに蕾生が反応すると、次の瞬間とんでもない速さで墨砥はグルンと蕾生の方を向いて鬼のような形相で聞き返した。
 
「何だと!?」
 
「あ、バカ!」
 
「あ、ヤベ」
 
 慌てて梢賢が諌めたがもう遅い。墨砥はお口チャック状態で口元を抑える蕾生ではなく、梢賢の方に詰め寄った。
 
「やや、康乃様が、ち、力を使い果たしただと!本当か、梢賢!?」
 
 梢賢は襟元を掴まれてガクガクと揺さぶられた。
 
「ほ、ほ、ほんとですぅ……」
 
「ああぁ……」
 
「父さん、しっかり!」
 
 苦しそうに梢賢が認めると、墨砥は一瞬意識を遠ざける。後ろにフラついて瑠深に支えられた。
 
「資実姫の力は確かに康乃様には無くなりました。ですが、お孫さんに発現していますよ」
 
 見かねた皓矢(こうや)が落ち着いて教えてやる。すると墨砥はまたもグルンと皓矢の方を向いて涙目で聞いた。
 
「ほ、本当かね!?」
 
「ええ。見事なものでした」
 
 皓矢が笑って頷いてやると、墨砥はその場でへなへなと座り込む。
 
「ほー……」
 
「父さん!」
 
 情けない父親の姿が晒されて、瑠深は心配やら恥ずかしいやらで声を荒げた。
 
 そんな二人の様を見ていた鈴心と蕾生は笑いを堪えるあまりに無表情で目配せをし合う。「ここにもコント集団」「ワカル」と。
 
「けど、わかんないな。どうして灰砥さんも珪さんも鵺人を目の敵にするんです?口では持ち上げておきながら──」
 
 弛んだ空気感を戻すような永の言葉に、墨砥も体勢を立て直し元の威厳ある物言いで答えた。
 
「ここからは私の想像なのだが、兄や珪の考える世界では鵺も鵺人も信仰の対象であると同時に、従えるべき存在なのだと思うのだ」
 
「ああ、眞瀬木が鵺を従えるとも言っていましたね」
 
「人間の上位の存在が鵺及び鵺人。珪達は鵺を上位の存在と認めつつ、それよりも更に上に自分達が上り詰めようとしているのでは……」
 
 そんな墨砥の考えを皓矢も頷きながら聞いた。
 
「いつかは鵺の上に君臨することを目指す、ということか……」
 
「スーパー上昇志向って訳ね」
 
 永は呆れていた。やはり眞瀬木珪は碌でもない。だがそれを父親と妹の前ではさすがに言えなかった。
 
「それで、灰砥さんは康乃さんを呪おうとしたから、その……」
 
「粛清した」
 
「……」
 
 鈴心が遠慮がちに言った言葉に、八雲は淡々と短く答える。それで鈴心は何も言えなくなった。更に八雲は続ける。
 
「八雲には二つの役目がある。一つは呪具職人。もう一つは眞瀬木を乱す者を粛清する暗殺者だ」
 
「ハハァ……」
 皓矢が感嘆を漏らすので、鈴心は不安になって嗜めた。
 
「お兄様、そこは学ばないでください」
 
「もちろん」
 
 そんな茶々入れを意に介さず、八雲は懺悔するように言う。
 
「灰砥兄さんを粛清した後、珪への配慮が足りなかった。もう少し気をつけていれば鵺に魅入られることも無かったかもしれない」
 
「どうかな、それは」
 
「……」
 梢賢の言葉の続きを八雲は神妙な顔で待った。
 
「珪兄やんのアイデンティティはとっくに鵺で作られとった。オレは小さい頃から良く知っとる。だからそれを唯一知ってたオレが止めなくちゃいけなかったんや」
 
「梢賢、決してお前のせいではないぞ」
 
 自分を責める梢賢を墨砥も瑠深も首を振って気遣った。
 
「そうだよ。父さんやあたしも知ってて何もしなかった。兄さんを信じたかったから……」
 
「せやな……」
 
 梢賢は確かに最初から珪を疑っていた。だからこそ菫を正気に戻すことに躍起になった。そうすれば珪は菫や葵を諦めるかもしれないと、信じたかった。
 実際は珪は既に梢賢にも墨砥達にも及ばない所まで行ってしまっていた。梢賢達が珪を信じたいばかりで目が曇ってしまっていたのを逆手にとって、珪は自分の望みを完遂した。
 
「あの馬鹿息子が──!」
 
 家族以外の梢賢がここまで信じてくれていたのに。そんな憤りを墨砥は素直に表す。
 
「おっちゃん、珪兄やんの件はオレに任せてくれへんか?」
 
「え?」
 
「オレが地の果てまでだって探し出して連れ帰る。そんで康乃様に土下座させんねん!そん時はおっちゃん達も付き合ってもらうで!」
 
 さすが、楓が託した子だ。墨砥は改めて梢賢に陽だまりのような感情を抱く。
 
 雨都は、いつも村に新しく清々しい風を送ってくれる。
 
「──わかった。お前に任せよう」
 
「梢賢、ありがと」
 
「おう」
 
 この楓の後継に、村の──眞瀬木の未来を託してみよう。
 墨砥も瑠深も、ニカッと笑う梢賢の笑顔を信じた。







 話題が一段落つくと、墨砥(ぼくと)は大慌てで作業場を出ていった。康乃(やすの)から剛太(ごうた)に継承された藤生(ふじき)の力を確認するためである。
 図らずも父親に置いていかれた瑠深(るみ)は少し場違いな気もしたが、八雲(やくも)に声をかけた。
 
「それで、新しい弓はできそうなの?」
 
「うむ。この二つの(やじり)を使って(ぬえ)の妖気と慧心弓(けいしんきゅう)の神気を硬鞭(こうべん)から取り出す算段はついた」
 
 すると横から皓矢(こうや)が少しウキウキしながら口を挟む。
 
「弓本体はどうするんです?」
 
「まさか、一から作る……の?」
 
 (はるか)も薄々勘付いていた不安を口にした。
 
「それが希望ならそうするが、三ヶ月以上かかる」
 
「やっぱり……」
 
 がっかりと肩を落とした永の横で鈴心(すずね)も残念そうにしていた。
 
「そんなにかかるものなんですね」
 
「竹曲げて、糸張ればいいだけなのにか?」
 
 蕾生(らいお)の迂闊な認識に、永が烈火の如く怒った。
 
「ライくん、なんてこと言うの!大昔の野蛮人じゃないんだよ!?職人さんへの侮辱です、謝りなさい!」
 
「す、すいません……」
 
 だが八雲は涼しい顔で言ってのける。
 
「別に構わないが、一から作るのは最終手段だな」
 
「他に方法があるんですか?」
 
 鈴心の問いに八雲は軽く頷いた。
 
「ここは眞瀬木(ませき)が誇る武器工房だ。あらゆる武器の基礎まで作成したものは常にストックがある」
 
「え、じゃあ、弓も!?」
 
「もちろんだ。仕上げだけを残して作ってあるものが数本ある」
 
「うひょー!」
 
 永はいつになく興奮しており、蕾生は思わず一歩引いてしまった。実はさっき怒られたのがだいぶ効いている。
 
 両手を上げて喜ぶ永に、八雲は工房の奥を促した。
 
「その中にお前の手に馴染むものがあればそれを譲ろう、こっちだ」
 
 永はスキップでも踏むような足取りで八雲についていく。
 奥の間は完全に倉庫化しており、所せましといろいろな道具が置いてあった。
 
 弓や杖、それから短剣などの武器はもちろん、衣服や一見日用品に思える皿や花瓶などあらゆる物品が棚に敷き詰められていた。
 それでも雑然とした感じはなく、埃っぽさも感じられない。清浄な空気が満ちていた。
 
「これは、壮観だね」
 
「すごいです。全部八雲さんが作ったんですか?」
 
 そこに入るなり、皓矢と鈴心は棚をぐるりと見回して感嘆の声を上げる。
 しかし、八雲は平然と頷いただけだった。
 
「そうだが。弓はここだ」
 
 倉庫部屋の奥、棚の中に整然と立てられた数本の弓があった。永はそこに近づいて溜息を漏らす。
 
「わあ、結構ありますね。どれがいいんだか……?」
 
「まず真っ直ぐ立って目を閉じ、精神を集中しろ。そうすると見えてくるものがある」
 
「はあ……」
 言われて永は背筋を伸ばし、目を閉じた。
 
「……」
 屋内なのに空気が綺麗だ。心が落ち着いていくのがわかる。
 
「……」
 目を閉じているけれど、何かが見えた。小さな灯りが呼んでいる。
 
「……あ」
 
 永はそこで目を開けて、棚の中から迷いなく一本の弓を取り出した。
 まだそれは剥き出しの竹だったが、不思議と手に馴染む感覚があった。
 
「これ、気になるなあ」
 
「ふむ、それか。さすがだ」
 
「え?」
 
 八雲は無表情だが、その言葉は確実に満足しているようだった。それで永は期待を込めて次の言葉を待つ。
 
「それは去年作ったものだが、最近では一番納得した出来のものだ」
 
「やった……」
 
 永は手にした弓に既に愛着のようなものを感じていた。
 
「さすがハル様です」
 
 鈴心も喜びながら永を褒め、蕾生も永ならこれくらいは当然と言わんばかりに大きく何度も頷いた。
 
「では早速始めましょう。すみませんが僕もあまり時間がなくて……」
 
 腕まくりで皓矢が八雲を促すと、八雲も振り返って静かに頷く。
 
「む。そうか、そうしよう」
 
「わくわく!」
 永は擬音をわざわざ声に出して、期待満面の笑みで二人を見ていた。

「あの、八雲おじさん……」
 
 一同が倉庫部屋を出ようとした時、瑠深が遠慮がちに声をかける。
 
「どうした、瑠深」
 
「その犀髪の結(さいはつのむすび)はどうなるの?」
 
「あぁ……これは鵺の妖気と慧心弓の神気を抜き出したらただの鉄棒になる」
 
「廃棄しちゃうの?」
 
 瑠深は寂しそうに尋ねる。兄の残した物が捨てられるのが辛いのだろう。
 
「むう……我ながら惜しいとは思うが、あまり良いものではなかったからな」
 
「それも、生まれ変われないの?」
 
 瑠深には特に妙案があった訳ではない。ただ、兄の証が何の価値もなく忘れられていくのが寂しかっただけだった。
 
 だが、それは八雲にとっては一つの兆しであった。
 
「む?──そうか」
 
「八雲さん、仕事が増えましたね」
 
 皓矢も同じ事を察していた。
 
「そうだな」
 
「これは徹夜確定ですね」
 
 皓矢がニヤリと笑うと、八雲も少し笑った。
 
「ああ、そうしよう」
 
「?」
 二人の笑みは、何も察していない梢賢(しょうけん)に向けられる。
 
「梢賢、楓石(かえでいし)はあるか」
 
「そらもちろん」
 
「俺に託してはもらえないか?」
 
「ええ!?」
 
 驚く梢賢を八雲の次なる言葉が更に追い打ちをかけた。
 
「この犀髪の結をお前の呪具として生まれ変わらせる」
 
「えええっ!!」
 
 驚きながらも無意識にシャツの中にある楓石のペンダントを握る梢賢に、八雲は真っ直ぐ目を見ていった。
 
「お前はこの先、(けい)を探しに行くんだろう」
 
「そらまあ……」
 
「その過程で戦うこともあるだろう。その時、きっと役に立つ。頼む」
 
 八雲は頭を下げて言う。それに少し考えてから、梢賢は口を開いた。
 
「じゃあ、いっこ聞きたいことがあるんやけど」
 
「なんだ?」
 
「楓婆を石にしたのは、眞瀬木なんか?」
 
「──」
 
 八雲は黙ってしまった。しかし梢賢は強く出る。
 
「どうなんや、ちゃんと答えてくれ」
 
 そして八雲は観念したように短く答えた。
 
「そうだ」
 
「やっぱり……」
 
「梢賢、楓さんがいた頃はおじさんはまだ生まれてないし、父さんだって──」
 
 瑠深がなんとかフォローしようと口を挟むも、梢賢は優しい目で首を振った。
 
「ルミ、オレは別に責めるつもりはないよ」
 
「え?」
 
「八雲のおっちゃん、当時のことは伝わっとるんやろ?」
 
 聞かれた八雲はゆっくりと話し始める。
 
「俺の聞いた話では、雨都(うと)(かえで)は鵺の呪いに当てられて亡くなった。その遺体は鵺の呪いを内包する貴重なものだ。当時の眞瀬木は惜しいと考えたんだろう。いつか役立つ日があるかもしれないと、眞瀬木随一の保存術が施されたそうだ」
 
「その感じだと、当時も眞瀬木に鵺肯定派がおったみたいやな。しかも上の立場の」
 
「そこまでは俺の口からは言えん。墨砥兄さんに聞いてみるといい」
 
「──いいや、そんだけわかれば充分や」
 
 八雲の言葉に誠意を見た梢賢は深く息を吐いて引き下がった。
 
「あの、その事を雨都の人達はご存知なんですか?」
 
 蛇足かもしれないけれど、永はその事が気になっていた。八雲は素直に教えてくれた。
 
「石化は雨都(うと)(まゆみ)立ち会いのもとで行われたそうだ」
 
「ばあちゃんは隠し事がうまいからなあ」
 
「……」
 
 苦笑する梢賢に、永はやはり余計な事を聞いてしまったかもと少し後悔した。
 
 そんな永の心配を打ち消すように微笑んだ後、梢賢は胸元からペンダントを取り出して、ジッと見つめた後首から外し八雲に差し出した。
 
「わかった。よろしく頼んます」
 
「承った」
 
「いいのか、梢賢?」
 
 蕾生が遠慮がちに聞くと、梢賢はスッキリした顔で笑う。
 
「おう。言われた気がしてん。「戦え」って」
 
「楓サンは厳しいからねえ」
 
「子孫ならば余計でしょうね」
 
 永も鈴心も、あの頃の楓を思い出している。梢賢はちょうどその頃の楓と同じ光を瞳に宿していた。
 
「よっしゃ、改めて言わしてもらうわ。ハル坊、オレも仲間に加えてくれ」
 
 願ってもないことではあった。
 けれど永には少し躊躇いがある。また雨都の人間を危険な目に合わせることになる。それが果たして正しいのか、永にはわからない。
 
 梢賢はそんな永の気持ちすらも見透かして、屈託のない笑みを向けた。
 
「鵺との問題はもう君らだけのもんやない。雨都にも因縁ができてしまいよった。きっちりケジメつけたるわ、楓の後継者としてな」
 
 その宣言を、蕾生と鈴心は力強く頷くことで受け止める。
 
「わかった。これからもよろしく」
 
「おう!」
 
 永も心を決めて右手を伸ばす。梢賢はその手をとって二人はがっちりと握手を交わした。


 
 その午後から翌一昼夜、八雲の作業場ではずっと灯りがついていた。







 翌日の午後、永達四人は眞瀬木(ませき)墨砥(ぼくと)に呼び出され、眞瀬木邸に来ていた。
 
「こんちはー」
 
 梢賢(しょうけん)が玄関で軽く挨拶すると、瑠深(るみ)が迎えてくれた。
 
「ああ、よく来たね」
 
「お邪魔します」
 
「墨砥さんが僕らに何のお話ですか?」
 
 瑠深にはそれまでの刺々しさがなく、鈴心(すずね)(はるか)を友達に接するように促した。
 
「うん、とりあえず上がりなよ」
 
 蕾生(らいお)は眞瀬木邸から離れた場所にある作業場を気にしながら瑠深に聞く。
 
皓矢(こうや)八雲(やくも)はずっと作業してんのか?」
 
「そうね」
 
「もうすぐ丸一日経つんじゃねえか?」
 
「八雲おじさんにとっては珍しいことじゃないよ。呪具馬鹿だからね、納得するまで出てこない」
 
 瑠深は少し肩を竦めて苦笑する。次いで鈴心も心配を吐露した。
 
「お兄様も研究室に籠りっきりなのは日常茶飯事ですが、お食事はきちんとされているのかだけ気がかりです」
 
「それなら心配ない。父さんとあたしがきっちり食事は届けてる。毎回皿は空になってるから食べてるはず」
 
 その言葉に安心した鈴心は行儀良くお辞儀して礼を言う。
 
「ありがとうございます。お世話かけてすみません」
 
「とんでもない。あの人がいなけりゃ梢賢の武器も、ハルコちゃんの弓も完成しないよ」
 
 瑠深はすっかり鈴心が気に入ったのだろう。ニコニコ笑って答えた後、最後に永の方を見てニヤリと笑う。
 
「ハルコちゃん?」
 
「わー!わー!お邪魔しまーっす!」
 
 蕾生が首を傾げると永は慌ててその背を押して家の中に入った。瑠深はまた可笑しそうに笑っていた。


 
「ま、お茶でもどうぞ」
 
 居間に四人を座らせてから、瑠深は冷たい麦茶とパティスリーのロゴが入ったケーキ箱を持ってきた。
 
「そ、それは!!」
 
 刻印された店名に瞬時に反応した鈴心は瞳をキランと輝かせた。
 
「うん。あんた気に入ってたでしょ、このタルト」
 
「感激です、またいただけるなんて!」
 
「スポンサーに感謝しなよ。今回はあんたらにも分厚く切ってやろう」
 
 瑠深は箱から燦然と輝くプレミアムタルトを取り出して包丁を入れていく。
 
「ありがたやー!康乃(やすの)様、女神様!」
 
 梢賢は涙を流さん勢いで手まで合わせて喜んだ。永と蕾生もワクワクしながら瑠深の手元に注目していた。
 
「ああ、来たか」
 
 五人で和気藹々とケーキを食べ終えた頃合いを見計らって墨砥が居間に入ってきた。
 
「お邪魔してます。で、今日はどういった……?」
 
 改めて永が聞くと、墨砥はいくつかの書類やファイルを持って着席した。
 
「うむ。(けい)の書斎を調べてな、あの伊藤とか言う男の事が少しわかった」
 
「本当ですか!」
 
「ああ。どうやらヤツは兄の部下だと名乗って珪に近づいたようだ」
 
灰砥(かいと)さんの部下、というと眞瀬木の縁者ってことですか?」
 
 興味深そうに身を乗り出す永の前に、墨砥は書類の一つを取り出して広げて見せる。
 
「珪が調べた伊藤についての身上調査書だ。それによると、伊藤はかつて雨辺(うべ)とともに里を出た眞瀬木の縁者の末裔らしい」
 
「そんな人がうちにいたの?出てったのは雨辺だけなんだと思ってた」
 
 瑠深がそう言うと、墨砥は頷きながら説明を続けた。
 
「表向きはもちろんそうだ。だが雨辺には里を出る時に犀芯の輪(さいしんのわ)を託している。あれは(ぬえ)信仰の要。外に信仰の場を移すにしても、雨辺を監視するにしても、人材は必要だ」
 
「やはり、眞瀬木の鵺肯定派と雨辺を繋ぐ仲介者が常にいたってことですね」
 
 永が言う事にも墨砥は頷いて答えた。
 
「そうだ。伊藤は兄の灰砥の代からの仲介者だと珪には名乗ったようだ」
 
「断定はされないんですね」
 
 その永の言葉に、墨砥は眉をピクリと動かしてから付け加える。
 
「私の息子は、そう言われて鵜呑みにするようなうつけではない。こうしてきっちり自分で裏どりをしている。
 そういう仲介者が元は確かにいたのだが、かなり前にその血筋が途絶えていたことが調査でわかっている」
 
「じゃあ、伊藤は何者なの?」
 
 瑠深が訝しげに聞くと、最後に大きく息を吐いて墨砥はこう結んだ。
 
「結局のところはわからない。だが、珪はそれを知りながらも伊藤と協力関係を続けていた。鵺に関係する何かがあったことは間違いない」
 
「そうだね……あの殺気と、不思議な力。只者じゃないよ。人間なのかな、そもそも?」
 
 瑠深が言ったその言葉に永ははっとした。
 
「瑠深さん、それ鋭いかもしれません」
 
「え?」
 
「実は銀騎(しらき)にも間者が入りこんでいて──」
 
 銀騎(しらき)詮充郎(せんじゅうろう)の秘書として長年勤めていた佐藤斗羽理(とばり)が実は得体の知れない者だったこと。脱走する直前に詮充郎に重傷を負わせ、家宝を奪取したことなどを永は簡潔に説明した。
 
「なるほど。佐藤に伊藤、いかにも偽名っぽいな」
 
 墨砥が考え込んでいると、永は更に付け足した。
 
「ここに来て伊藤という人の存在を聞かされた時、妙な既視感がしたんです。そして今のお話であの女と似てるって確信しました」
 
「佐藤という女の正体は掴んでいるのかね?」
 
「あ──それはまだ僕らは聞かされてません。皓矢が調べていると思いますけど、このゴタゴタでそこまで話してなくて」
 
 そこまで聞いた墨砥は広げていた書類を整えてまた封筒にしまうと、それを永に差し出した。
 
「そうか……。良かったらこの書類を持っていくかね?」
 
「いいんですか?」
 
「我々も情報網はそれなりにあるが、銀騎に比べたらたいしたことはない。そちらに預けた方が有用だろう。それに──」
 
 墨砥は少し躊躇った後、小さな声で呟くように言った。
 
「あの伊藤という男が兄の時から暗躍していたのだとしたら、兄を鵺に狂わせたのはあいつかもしれない……」
 
「そうですね、あり得ることです」
 
 銀騎研究所において佐藤が詮充郎の側で暗躍していたように、眞瀬木でも同様のことがあってもおかしくはないと永は考えていた。
 
「こんな事を頼めた義理ではないのだが、あの男の素性を必ず暴いてくれ」
 
「ええ。必ず」
 
 永は墨砥の思いとともに、封筒を受け取った。