転生帰録2──鵺が嗤う絹の楔

「は……ははは、はははは!素晴らしい!実に素晴らしいものを見せてもらった!」
 
 場の雰囲気をぶち破って(けい)の高らかな笑いが響いた。場違いな程にはしゃぐ珪に(はるか)は厳しい視線で言い放つ。
 
「お前の計画は失敗だ、観念するんだな」
 
「失敗?とんでもない、大成功だとも!今、康乃(やすの)様は言いましたよね!その葵を里に迎えると!」
 
「ええ」
 
 康乃が睨んでいることも意に介さず、珪は上機嫌で続けた。
 
「今こそ、里は(ぬえ)の元で一つになるべきなんです!(あおい)を鵺として祀り、鵺の下では里の者は皆平等!そして眞瀬木(ませき)は鵺の主人として里に君臨するんです!」
 
「珪!お前はまだそんなことを……!」
 
「兄さん!正気に戻ってよ!」
 
「僕は正気さ!大真面目だとも!」
 
 墨砥(ぼくと)瑠深(るみ)が大声で嗜めても、珪は常軌を逸した高笑いを続けていた。
 
「鵺に、魅入られてしまったか……」
 
 無念を感じて項垂れる墨砥の肩を叩いて、それまで事の成り行きを見守っていた八雲(やくも)が一歩前に進む。
 
「珪」
 
「なんです、おじ様?」
 
 その寡黙な瞳に後悔の色を滲ませて八雲は静かに告げた。
 
灰砥(かいと)兄さんを殺したのは俺だ」
 
「──!!」
 
 その言葉に、珪は途端に顔を曇らせた。
 八雲の告白は続く。
 
「灰砥兄さんも、ちょうど今のお前の様に鵺に魅入られていた。粛清は避けられなかった。だが、お前が灰砥兄さんを慕っていたのは充分知っている」
 
「──」
 
「心のよりどころを突然失ったお前は、こうでもしなくては自我が保てなかったんだろう。許せとは言わん、腹いせに俺を殺せ」
 
「八雲おじさん!?」
 
「お前は、その負い目で珪に加担したのか……」
 
 そのとんでもない申し出に、瑠深は大きく動揺し、墨砥は諦めの入った表情で項垂れた。
 
 そして珪は八雲に対し、とても冷たい目で言い捨てる。
 
「──知ってますよ、そんなことは」
 
「!?」
 
「八雲おじ様が贖罪で僕の言いなりになっていることもね、もちろん知ってましたよ。都合が良かったので利用させてもらいました」
 
「そうか……」
 
 八雲は全てを諦めた。珪の心に巣食ったものは、己の命に変えても取り除くことができないことを悟った。
 
「でも、そうですね。せっかくの申し出ですからお受けしますよ。犀髪の結(さいはつのむすび)ではいらぬ調整をされて僕は少々むかついているのでね」
 
「……」
 それでも、差し出せるものはこれしか思いつかない。
 
「兄さん!やめて!」
 
「珪!」
 
 瑠深も墨砥もこの事態に絶望した。眞瀬木という家の業をこれほど後悔したことはない。
 
「サヨナラ、八雲おじ様──」
 
 無抵抗の八雲に向けて、珪は愉快そうに右手を振り上げる。
 
 だが、次の瞬間、その手は白く光る糸で縛り上げられた。
 
「!」
 
「やめろ……」
 
梢賢(しょうけん)ッ!?」
 
 姉に比べたら極弱い梢賢の糸は、それでも珪の右手を縛って動きを止めていた。梢賢は心の底から叫ぶ。
 
「もうやめてくれ!珪兄ちゃん!」
 
 だが珪は梢賢を見下して蔑んだ。
 
「離したまえ。どっちつかずの愚図が」
 
「そうや……結局オレは(すみれ)さんにも、ハル坊達にもいい顔して、その間をふらふらしとった。そのせいで菫さんは死んでもうた……」
 
「よくわかってるじゃないか。全てはお前が優柔不断だったからだよ」
 
「ふざけるな!梢賢くんは──」
 
 激昂しかけた永を制して梢賢は懺悔するように言った。
 
「ええんやハル坊。コウモリ野郎でも愚図でも、オレは何でもええ。ただ、里の皆を信じたかった。色んな人の機嫌とって皆が仲良くしてくれるなら、オレは裏切り者でも良かった」
 
「梢賢……」
 
 その気持ちは、瑠深が理解していた。
 藤生(ふじき)と眞瀬木の間で常に道化を演じて里の円滑な運営を図る雨都(うと)は、珪のように見下す者が多い。しかし中には瑠深のように好ましく思う者も確かにいる。雨都は、里での潤滑油のような存在だ。
 
「なあ、珪兄ちゃん!?もうやめよ、皆に謝ろ!オレも里の皆に謝る!雨辺(うべ)を調子づかせたのは確かにオレやから!珪兄ちゃんも謝ってくれ!そうしたら康乃様かて許してくれる!」
 
 梢賢の言い分は甘いことこの上ない。康乃もおいそれと同意する訳にはいかなかった。珪ももちろん切り捨てる。
 
「バカか、お前は!?謝ったら許すなんてのは子どもだけなんだよ!謝っても許されないことを、この里では誰もがしてるんだ!」
 
 雨辺の離反。
 藤生の嫁一家の自殺。
 眞瀬木灰砥の粛清。
 ──そして、雨都(うと)(かえで)の殉死。
 
「ああ、本当や……」
 
 梢賢は里で行われた多くの闇の深さを、今、思い知った。
 
「楓婆が言っとった「里はもう終わる」ってのは本当やった。けど!楓婆は終わらしたくないから、あないに頑張った!楓婆が首の皮一枚で繋げたモンをオレかて終わらせたくなかったんや!」
 
「梢賢……」
 
 梢賢は希望の子だと、雨都の誰もが産まれた時から思っていた。姉の優杞(ゆうこ)は正直言ってこのちゃらんぽらんな弟には荷が重すぎると思っていた。
 けれど、誰よりもそう思っていたのは本人だったのだろう。背負わされた期待とも宿命とも戦って、折れずにこうして珪に対峙している弟を優杞は誇りに思う。
 
「黙れ!他所者が大きなお世話だ!里のことは我々が考える!雨都も、雨辺も──藤生も!鵺人に成り果てた者には任せられない!!」
 
 梢賢の真っ直ぐで真摯な思いに怯んだ珪は、それを打ち消すべく頭ごなしに否定した。もはや珪に誠実な思いは届かない。
 
「先にその減らず口から閉じてやる……」
 
 梢賢の出した糸が時間とともに緩んでいく。自由を取り戻した珪の右手は梢賢へと狙いを定めた。
 
「梢賢くん!」
 
「──くっ!」
 
 蕾生を支えなければならない永は咄嗟には動けない。蕾生も疲れ果ててしまっていて同様だった。
 
「梢賢!」
 
 鈴心は恐怖のあまり悲鳴をあげる。梢賢は己の非力さに呆れて目を閉じた。







「──!!」
 

 チィイイイ……ッ!
 青い鳥が高らかに叫んで飛び回った。
 梢賢(しょうけん)に飛ばされた呪いの衝撃波は、対象に届く前に霧散した。

 

「──ッ!なんだ!?」
 
 呪詛を返された(けい)の手が赤く爛れる。激痛に顔をしかめて、珪はその術者を探した。
 
「お兄様!」
 
 鈴心(すずね)の希望に満ちた声が響く。
 青い鳥を差し戻し、その肩にとめた皓矢(こうや)が涼やかな顔で言った。
 
「込み入った話の最中に申し訳ない。僕の妹に血を見せる訳にはいかないのでね」
 
 どうやっても格好良くなる皓矢の言動は人智を超えているのかもしれない。(はるか)蕾生(らいお)は「お約束」を見せられた気分でシラーとしていた。
 
「そうか、お前は銀騎(しらき)!」
 
 やっと皓矢の存在に気づいた珪は忌々しいものを見る目で睨みつける。
 しかし皓矢は康乃(やすの)の方へ歩み寄って深々と一礼した。
 
「すみません、ご挨拶が遅れまして。銀騎(しらき)皓矢(こうや)と言います」
 
「貴方が──」
 
「銀騎の、次期当主……」
 
 康乃も墨砥(ぼくと)も唖然として皓矢の姿を凝視する。
 
「元はと言えば、銀騎が眞瀬木(ませき)家のご先祖に(ぬえ)の知識を与えたことが原因です。本当に申し訳ありませんでした」
 
 次いで皓矢は墨砥にも頭を下げた。
 
「更に言えば、銀騎が雨都家を呪ったことで麓紫村(ろくしむら)はここまで複雑な事情を抱えることになった。なんとお詫びしたらいいのか検討もつきません」
 
「銀騎の方、顔をお上げになって」
 
「は……」
 
 康乃は表情を少し緩めて穏やかに言った。
 
「最初のきっかけはそうでも、里の問題を大きくしたのは中の私達です。そうね……人間の業というものかしらね」
 
「恐れ入ります」
 
 殊勝な皓矢の態度に激昂した珪は、左手を振り上げて皓矢に術を飛ばそうとした。
 
「いいや!銀騎が悪い!詫びると言うならとことん詫びてもらおうか!」
 
「──」
 
 だが、皓矢が珪の方を一瞥しただけでその術は珪の顔の前で暴発する。その衝撃で珪は後ろに吹っ飛んだ。
 
「あああっ!」
 
「し、視線だけで──?」
 
 自身が強力な呪術師である瑠深(るみ)は皓矢の力を正確に感じ取り青ざめる。
 
「こわ……」
 
 それを見た永は何もそこまで実力の差を見せつけなくても、と皓矢の意地悪さに引いていた。
 
「くっ、おのれ、銀騎ィィイ!」
 
 このままで終われない珪は歯を食いしばって立ちあがる。その肩をポンと叩く者が突然現れた。
 
「いや、惜しかったですなあ」
 
「──!」
 
 何の前触れもなく、まるで最初からそこにいたような存在感で佇む男に、皓矢は緊張とともに身構えた。
 
「伊藤さん!?」
 
「まさか銀騎の若当主まで出張るとは計算外ですな、珪さん」
 
「う……」
 
 伊藤有宇儀(ゆうぎ)は以前見かけた時と同じ、黒いスーツに黒いハットを被ってにこやかに笑っていた。
 
「仕方ない、我々は手を引きますが──」
 
「そんな!ここまで来て!」
 
「貴方はどうします?」
 
「え?」
 
 まるで捨て犬のような目をした珪に、伊藤はほくそ笑みながら提案する。
 
「一緒に来るなら、歓迎しますよ?」
 
「お、おお……おお!では本当にメシア様はいらっしゃるんですね!?」
 
「──では、参りましょう」
 
 満足気にまた笑って、伊藤は右手で弧を描く。すると空中に真っ暗な穴のようなものが出現した。風がその穴の中に吸い込まれている。珪は躊躇いもせずに喜んでその穴に飛び込んだ。
 
「兄さん!?」
 
「行かせるか!」
 
「動くな!!」
 
 止めようとする瑠深と墨砥は、皓矢の怒号で動きを止めた。永達もここまで険しい表情の皓矢は初めて見る。
 
 その場の全員が緊張で硬直した。
 
「抵抗したら、皆、殺されるぞ……!」
 
 皓矢にここまで言わしめる伊藤の恐ろしさを誰もが感じ取った。
 
「さすがですな」
 
 伊藤はまだニコニコ笑って自らも穴に入った。
 
「さようなら、クズ達」
 
 伊藤とともに、珪も最後に嗤って消えていく。宙に浮かんでいた穴はそこで閉じられた。もはや何の気配もない。
 
「珪兄……ちゃん?」
 
 梢賢は呼んでも応えない姿を探す。もう何処にもいないのに。
 
「あ、ああ、ああああああああ!!」
 
 悲痛な叫びが空しく響く。

 
 
 突きつけられた現実を、誰もがまだ受け入れられずにいた。
 
 地面に落ちていた犀芯の輪(さいしんのわ)は砕けて砂となり、崩れていった。







 翌日の朝、(はるか)蕾生(らいお)鈴心(すずね)も疲れがとれない気怠さのまま起き出した。
 
「おはようございます」
 
 三人揃って居間に行くと、優杞(ゆうこ)が朝食を並べていた。
 
「おはよう。疲れはとれた?」
 
「まあ、だいたい」
 
 強がって少し嘘をつく蕾生に、優杞はいつものサバサバした調子で笑って言った。
 
「そ。じゃあ朝ご飯しっかり食べて回復しなさいね!」
 
 食卓にはいつもとはまるで違うメニューが並べられていた。肉の割合が凄すぎる。
 
「すごいご馳走です」
 
 鈴心が目を丸くしていると、蕾生は素直にテンションを上げて喜んだ。
 
「うまそうだ!」
 
「たまにはね。昨日はあんた達も頑張ったからね!」
 
 優杞が昨日負った怪我も軽傷ではないはずだが、そんな素振りを全く見せずに笑っていた。雨都(うと)家の女は強い。
 
「おはようございます」
 
「あら!」
 
 三人に遅れて皓矢(こうや)が顔を出す。その姿を見るなり、優杞は声の調子を半音上げた。
 
「昨夜は僕まで泊めていただいて、すみませんでした」
 
 皓矢は柊達(しゅうたつ)橙子(とうこ)に深々と礼をする。二人は少し居心地悪そうにしながら威厳を保ちつつ応えた。
 
「む……まあ、仕方なかろう」
 
「昨日の騒ぎを収めていただいたんです、当然ですよ」
 
「ありがとうございます」
 
 どこまでも堅苦しい両親に代わって、優杞は明るく皓矢に着席を促す。
 
「さあさあ、お座りになって!沢山召し上がってくださいね!」
 
「これはまた、豪勢な朝食ですね。有り難くいただきます」
 
「おらまあ、おほほほ!」
 
 有頂天な優杞の様子から、永と蕾生は朝食が豪華な真の意味を悟った。
 
梢賢(しょうけん)は……起きて来ないのでしょうか?」
 
 座りながら鈴心が心配そうに聞くと、楠俊(なんしゅん)も困ったような顔をしていた。
 
「うん、呼んだんだけど返事がなくてね」
 
「そうですか……」
 
 永と蕾生も続いて梢賢を思いやる。
 
「少し、そっとしておいてあげたほうがいいだろうね」
 
「そうだな……」
 
(けい)くんのことは本当のお兄さんみたいに慕っていたからねえ……」
 
 楠俊の溜息が重たい空気の居間に落ちる。最後まで信じたかった眞瀬木(ませき)(けい)の末路を考えると梢賢の心の傷は察するに余りある。
 一同は沈んだまま豪華な朝食をとった。

 
 
 食事が済むと、皓矢が柊達にあらたまって尋ねる。
 
「あの、藤生(ふじき)家を訪問したいのですがよろしいでしょうか?」
 
「ああ……雨辺(うべ)の子のことかね?」
 
 (あおい)は結局目を覚さないまま、昨夜は藤生(ふじき)康乃(やすの)に預けられた。
 
「ええ。(ぬえ)化後の容体が気になりますので」
 
「そうね。目覚めたという知らせもまだありませんから」
 
 橙子がそう承知したのを受けて、柊達は楠俊に命令する。
 
「楠俊、案内して差し上げなさい」
 
「わかりました」
 
「僕らも行ってもいいですか?」
 
 永がそう申し出ると、柊達はまた橙子の反応を気にする。
 
「……」
 
「構わないと思いますよ。あの子のことは今は貴方方が一番良く知ってるでしょうから」
 
「──では、皆で行ってきなさい」
 
 お墨付きをもらった皓矢と永達は楠俊に連れられて藤生家へと向かった。

 
 
 五人が出かけた後、橙子は片付けながら優杞に聞いた。
 
「梢賢はまだ寝てるの?」
 
「多分……」
 
「仕方のない子ね」
 
 肩で息を吐いた後、橙子は息子の部屋に向かった。


 

「梢賢」
 
 橙子はいつものようにノックもしないで襖を開けた。梢賢はベッドの上で布団を頭から引っ被って返事もしない。
 
「……」
 
「この暑い時期にますます暑苦しい。起きなさい」
 
「……」
 
 もぞもぞと動きはするものの一向に顔を見せない息子に、母は溜息を吐いた後厳しい声で言い放った。
 
「起きないとちょん切りますよ」
 
「ご、ごめんなさい!」
 
 ほぼ条件反射で起き上がった梢賢の顔も髪もくしゃくしゃで、目も赤く充血していた。
 
「全く情けない顔だこと。私は本当に息子を産んだのかしら」
 
「……」
 
 口をへの字に曲げて黙ったままの梢賢に、橙子はさらに厳しい言葉を浴びせる。
 
「男だからメソメソするなとは言わないけれど、お客様が大勢いらしているのに情けない姿を晒すことは許しませんよ」
 
「……ごめんなさい」
 
「お前はなんのために似合いもしない関西弁を使っているの?」
 
「え……?」
 
 橙子はゆっくり近づいてベッドに腰掛けた。
 
「この里から脱却するため、でしょう?威勢を張って自ら鼓舞するためではないの?」
 
「……」
 
「お前の大好きなお笑い芸人は、たとえ親が死んでも舞台に立って笑ってますよ」
 
「!」
 
 母の言葉に梢賢は驚いた。いつも馬鹿馬鹿しいと言っていた梢賢の好みに初めて母が理解を示してくれた。
 
 橙子は厳しい口調のままだったが、表情は少し優しかった。
 
「そうやって生きると決めたなら貫き通しなさい。雨都梢賢は、飄々としたお調子者で器用に立ち回る──そういうキャラクターなんでしょう?」
 
「母ちゃん……」
 
 だが優しくされて泣きべそをかきかけた梢賢に、橙子はすぐ苛ついて声を荒げる。
 
「立ち上がるか、ちょん切るか!3、2……」
 
「立ち上がります!!」
 
 それで梢賢は慌ててベッドから飛び降りる。橙子は満足げにしていた。
 
「それでこそ私の息子。そして楓が託した子です」
 
「オス!」
 
「駄洒落にしては面白くないわね」
 
「厳しいッ!」
 
 母の偉大さ、そしてありがたさを梢賢は噛み締めながら前を向いた。







 楠俊(なんしゅん)に連れられて藤生(ふじき)邸に着いた一同を迎えたのは剛太(ごうた)だった。
 
「おはようございます」
 
 皓矢(こうや)が挨拶すると、剛太は人見知りを発揮して所在なさげに戸惑った。
 
「あ──えっと……」
 
銀騎(しらき)皓矢(こうや)です。早い時間に申し訳ありません」
 
「剛太さん、おはようございます」
 
 皓矢の後ろから鈴心(すずね)が顔を出すと、剛太はたちまち顔を明るくさせて元気よく返した。
 
「あ!おはようございます!」
 
「……」
 
 その様子に、皓矢は笑顔のまま苛ついた。鈴心を狙う輩認定をしたようだった。
 
 (はるか)も皓矢の様子を見て、こいつと同じだとは、と複雑な気持ちになった。
 
「剛太、(あおい)のやつはどうだ?」
 
 そういう激しい心の攻防があったことなど全くわかっていない蕾生(らいお)が剛太に聞く。
 
「あ……あの子ならまだ目を覚ましてません」
 
「剛太様、こちらの銀騎殿は(ぬえ)化に関しては専門家です。診ていただいたらいかがでしょうか?」
 
「そ、そうですね!お祖母様に伺ってきます!」
 
 横から楠俊が付け足すと、剛太は弾かれたように中へ戻っていった。
 
 一同は玄関に取り残された形になったが、楠俊の計らいで奥の間へと進んだ。

 
  
「どうぞ、お入りになって」
 
 奥の間の襖を開けた康乃(やすの)は剛太に支えられていた。表情にはまだ疲れが滲んでいる。
 
「大丈夫ですか?相当お疲れなのでは?」
 
 永が気遣うと、康乃は力無く笑った。
 
「嫌ねえ、もう年なのかしら。情けないわね」
 
「いえ、昨日のご活躍を思えば当然だと思います」
 
「確かに。昨日は凄かったもんな」
 
 続けて鈴心と蕾生も口々に褒めると康乃は少し元気を取り戻したようだった。
 
「まあ、光栄だわ」
 
 康乃に促されて奥の間に入った一同は、そこで布団に寝かされて眠る葵に対面する。
 
「失礼します」
 
 入るなり皓矢が葵の側まで行き、その額に手を当てた。
 
「……」
 
「どうご覧になります?」
 
 康乃も元から座っていたのだろう、葵の枕元に敷いてあった座布団に座り直して皓矢に尋ねた。
 
「彼はずっとこの状態ですか?」
 
「そうね。昨夜は墨砥(ぼくと)が寝ずの番で見張ってくれていたのだけれど、特に変わったことはなかったそうよ」
 
「あ、眞瀬木(ませき)の人が来てたんですね」
 
 永が言うと、康乃は穏やかに頷いた。
 
「ええ。一晩何もなかったから、帰って自主的に謹慎しているわ」
 
「それは殊勝なことで」
 
 息子があんな事になったのに役目を忘れない墨砥の律儀さに、永は舌を巻いた。
 
「お兄様、どうですか?」
 
「……うん。キクレー因子は落ち着いているようだ。星弥(せいや)の状態と比べても変わらないように思える」
 
 集中して葵の様子を探っていた皓矢は、一旦手を離してから鈴心の問いに答えた。
 
 すると康乃が首を傾げて自身が耳慣れない言葉を反芻する。
 
「キクレー因子?」
 
「私の祖父が名付けたDNAで、(ぬえ)由来のものです。こちらでは単に鵺の妖気と呼ばれているものに相当します」
 
「まあ、そうなんですか。それがどなたのと変わらないって?」
 
「私の妹です。彼と同じくキクレー因子を保有していますが、永くんや蕾生くんのものと違って普段は因子が眠っている状態です。彼──葵くんの状態もそれに似ています」
 
 皓矢は躊躇なく説明した。
 星弥のことはぼかす事もできたのにそうしなかったのは、こうなった原因が少なからず銀騎(しらき)にもあることを皓矢が償いたいと思っているからだ。
 
「そうですか……では未だに目覚めないのは、精神的な?」
 
「かもしれません。聞けば母親が目の前で石化したとか。それが原因で鵺化したようですから、彼が心の整理をつけるまでは……」
 
「そう……時間が解決してくれるとよいのですけど」
 
 康乃は沈んだ面持ちで俯いた。







 鈴心(すずね)は気になっていたことを康乃(やすの)に聞いた。
 
「あの、(あおい)くんはどうなるんですか?」
 
「もちろん目覚めるまではここで看病しますよ。その後は藤生(ふじき)で暮らしてもらえたらと思っているけれど、彼の気持ちを尊重します」
 
「そうですか」
 
 鈴心が安心していると、今度は(はるか)が康乃に話しかける。
 
「あの、康乃さんはあの時(あい)ちゃんと話しましたよね?」
 
「ああ、あの子……」
 
 (ぬえ)化した葵を元に戻して消えていった少女の姿を康乃は思い出していた。
 
「僕らは彼女は葵くんの双子の姉だと思っていましたが、本当はイマジナリーフレンドだったのでは?」
 
「……かもしれないわね」
 
「なんだ、それ?」
 
 蕾生(らいお)が聞くと、永は手短に説明した。
 
「小さい子が、理由はそれぞれなんだけど、自分だけに見える友達を妄想して、あたかも本当に存在しているように振る舞うことだよ」
 
「それは、他人にも見えるもんなのか?」
 
「いや、普通は自分にしか見えない」
 
「じゃあなんで藍は俺達にも見えたんだ?」
 
 蕾生の疑問に皓矢(こうや)が自身の見解を述べた。
 
「もしかすると彼の中のキクレー因子が作用したのかもしれない。眞瀬木(ませき)(けい)によってその潜在能力を高められていたんだろうからね」
 
「キクレー因子はそんなこともできるんですか?」
 
 鈴心が驚いて聞くと、皓矢は眉を顰めて首を捻る。
 
「さあ……僕も初めて聞く症例だよ」
 
 すると康乃もまた自身の見解を述べた。
 
「私の想像なんだけれど、葵くんは本当に双子だったのかも。けれど片方は生まれる前に消滅してしまった。でもその魂は常に側にいたのかもしれない」
 
「そのお考えの方が合理的ではあります。雨辺(うべ)(すみれ)氏がいない今では確かめる術はありませんが」
 
 軽く頷きながら言う皓矢の後に続いて、鈴心が寂しそうに結んだ。
 
「菫さんは藍ちゃんのことは常に無視していました。彼女が実は存在しないことを知っていたんですね」
 
「そうだね……」
 
 永もしんみりと頷く。蕾生は鵺に変化していたけれど、あの場で藍が頑張ったことはちゃんと覚えていた。
 
 藍は確かに存在したのだ。真相はどうあれ蕾生達は覚えているし、何より葵の心の中に必ずいるだろう。

 
 
「その枕元にあるのは──?」
 
 皓矢が注目したのは、紫色の水晶のような石だった。無機物とは思えないほどの存在感を放つそれに皓矢は警戒せざるを得ない。
 
「ああ、それが石になった菫さんです。姿は変わっても我が子の側にいたいでしょうから」
 
「……」
 
 皓矢がしばしその石を見つめていると、部屋の外でバタバタと喧しい足音がした。
 
「すんません!すんませーん!」
 
「あの声は──」
 
 永はその声の持ち主をすぐに理解し、弾んだ声を出す。
 
「お邪魔しまああす!」
 
 大声で襖を開けたのは梢賢(しょうけん)だった。
 康乃は少し驚いたがやはり声を弾ませる。
 
「まあ」
 
「梢賢!静かに!」
 
「す、すまん!」
 
 怒鳴った鈴心もその顔は明るかった。
 
「梢賢くん」
 
「随分と寝坊だな」
 
 永も蕾生もニヤニヤ笑いながら揶揄った。
 梢賢は頭を掻きながら一礼する。
 
「いやあ、申し訳ない!──とと、葵くんは?まだ起きひんの?」
 
「ああ。彼の中のキクレー因子は落ち着いているから、後は心の問題だね」
 
 皓矢にそう言われて少し安心した梢賢は、実にふっきれた顔で宣言する。
 
「ほうか……でもちょうどええわ!葵くんにも聞いてもらわな!」
 
「?」
 
 蕾生達が首を傾げていると、梢賢は康乃に向かって土下座した。
 
「康乃様!」
 
「なんです?」
 
「この度は本当に申し訳ありませんでした!雨辺が暴走したのはオレのせいです!」
 
「まあ」
 
 康乃は少し目を丸くして梢賢の話を聞いていた。
 
「ここまでのことしといて、何言うてんねん思わはるかもしれませんけど、昨日の件で墨砥(ぼくと)のおっちゃんと瑠深(るみ)には何の落ち度もありません!」
 
「そうねえ」
 
「ですから眞瀬木(ませき)の責を負うのはオレにお願いします!」
 
「……具体的にはどう責任を取ると?」
 
 少し厳しい声で康乃が尋ねると、梢賢は伏せていた顔をガバと上げてハッキリ言った。
 
眞瀬木(ませき)(けい)は、オレが首根っこ掴んで連れ戻し、必ず康乃様の前に土下座させます!」
 
 それは、梢賢が新たに立てた誓いだった。
 
「梢賢……」
 
 蕾生はそれを聞いて安心し、永は変わらずニヤニヤ笑い、鈴心は安堵の溜息をもらす。
 
「ですからどうか!眞瀬木墨砥、瑠深、並びに八雲(やくも)を放免してください!」
 
 真っ直ぐに康乃を見て訴える梢賢の瞳には揺るぎない光が宿っていた。
 
「いいでしょう」
 
 康乃は満足げにニコニコ笑って頷いた。永は相変わらずこのおばちゃんは軽いなあ、と苦笑する。
 
「ありがとうございまっす!」
 
「おい、梢賢」
 
「何や?」
 
 蕾生もその晴れた顔を讃えた。
 
「見直したぜ」
 
「──おう!」
 
 戯けるでもなく、含みがあるわけでもない、心から笑う梢賢の顔を蕾生達は初めて見た気がした。







 梢賢(しょうけん)の態度が康乃(やすの)の心を動かした訳ではないのだろうが、眞瀬木(ませき)を放免するきっかけになったことは確かだった。

 分家扱いの眞瀬木の嫡男が行ったことは許されざる事である。康乃には里人への体面があり、独断で放免することは出来なかった。そこへ中立の雨都(うと)からの申し出は渡りに舟だったのだ。

 雨都は客人とは言え里の宗教面で深い所まで食い込んでいる。そこの嫡男が責を負うと言えば里人も納得せざるを得ない。梢賢は気づいていないが、麓紫村(ろくしむら)における彼の地位は本人が思っているよりも遥かに高い。

 その日のうちに康乃による大号令が敷かれ、眞瀬木(ませき)家当主墨砥(ぼくと)、長女瑠深(るみ)、分家の大柿(おおがき)鋼一(こういち)──とは八雲(やくも)の本名だが、その三人は無罪放免とされた。
 
 そして眞瀬木家嫡男の(けい)は大罪人として指名手配となり、その追討を雨都梢賢に任ずるということも発布された。

 これで今回の件は一応の決着をつけたのだが、真面目が服を着て歩く墨砥は自主謹慎を続けている。瑠深も体調不良として自宅からは出て来ず、八雲のみが通常通り作業場にて里人のために生活雑貨などを作成している。

 一連の堅苦しいやり取りを側から眺めていた(はるか)は「ほんと時代劇みたい」と毒付いていた。
 蕾生(らいお)は梢賢が立ち直ったことを喜んでおり、村のしきたり云々はどうでも良かった。ただ、珪以外の眞瀬木の者達もすぐに許されたのでそこは安心した。
 鈴心(すずね)皓矢(こうや)銀騎(しらき)と麓紫村の相違点を見出しては「興味深い」と事あるごとに言い合っていた。

 (あおい)はまだ目覚めない。
 
 それで皓矢も麓紫村にもう一泊することになった。優杞(ゆうこ)が熱心に引き留めたからではあるが。

 

 そして翌日の朝、雨都家に藤生(ふじき)剛太(ごうた)が息を切らせて駆け込んできた。
 
「銀騎様!銀騎様はいらっしゃいますか!?」
 
「まあ、剛太様。そんなに慌ててどうしたんです?」
 
 玄関で彼を迎えた橙子(とうこ)は驚きで目を丸くしていた。こんなに活発に動く剛太を初めて見たからだ。
 
「あの、あの、すぐに銀騎様に来ていただきたくて!あの子が目を覚ましたんです!」
 
「何やてえ!?ほんまか、剛太くん!」
 
 騒ぎを聞きつけた梢賢が興奮して言うと、橙子の鋭い視線が飛んでくる。
 
「梢賢!!」
 
「……様、えろうすんまへん」
 
 わざとらしく寸劇のように体をすぼめる梢賢に、剛太は焦れていつにない大声を出す。
 
「そんなことはどうでもいいです!早く来てください!」
 
 次いでやってきた皓矢は直ぐに玄関を降りて靴を履き始めた。
 
「わかりました、行きましょう」
 
 皓矢と剛太の後に続いて、永、蕾生、鈴心も当然のように玄関を飛び出した。梢賢もそれを追おうとした所で姉に引き止められる。
 
「待って、梢賢!」
 
「僕らも行っていいかい?」
 
「へ?」
 
 優杞だけでなく、楠俊(なんしゅん)もやって来てそう言うので、梢賢はつい首を傾げてしまった。だが考えている時間も惜しいのでそのまま三人で藤生家と向かった。



 

「失礼します」
 
 藤生家の奥の間。皓矢がまず襖を開けて静かに入り、永達三人と梢賢が続けて入った。楠俊と優杞は遠慮がちに廊下で様子を窺っている。
 
「ああ、どうぞ」
 
 こんな大人数にも気にすることなく、康乃はいつもののんびりとした調子で一同を迎え入れた。
 剛太は機敏に動いて、布団で寝ていたのであろう葵を優しく抱き起こしてその背を支えてやった。
 
「……」
 
「葵くん!」
 
 確かに目を開けている葵を見て、梢賢は嬉しそうに近寄った。が、葵の瞳は定まらずに何も言葉を発さない。
 
「……」
 
「葵、くん?」
 
「まだね、意識がはっきりしないみたいなの。一言も喋らないし……」
 
 康乃が梢賢に向けて優しく答えると、皓矢は葵のそばにしゃがんだ。
 
「失礼。葵くん?」
 
「……」
 
 呼ばれても、葵はただ呆然としていて何も答えなかった。
 
「少し触るよ?いいかな?」
 
「……」
 
 皓矢は葵の額に手を置いた後、頬、首元のあたりを触診してから頷いた。
 
「──うん。気の流れは正常だね」
 
 そうして少し身を引いた皓矢に代わって、梢賢が近づいてその手を取った。
 
「葵くん……ごめんなあ」
 
 するとその小さな指がピクリと動いた後、葵はようやく口を開く。
 
「おかあさんは?」
 
「……」
 
 梢賢は何も言えなかった。
 雨辺(うべ)(すみれ)はもういない。直接手を下したのは珪でも、梢賢はその責任の一端を背負っている。
 どう謝ればいいのか、その前にどう真実を伝えるべきなのか、梢賢は情けないほどに考えが浮かばなかった。
 
「おねえちゃんは?」
 
「あ……」
 
 (あい)もまた、葵が自ら生み出した幻想であったなどとは少なくとも今の状態の葵にはとても言えなかった。
 
 梢賢が己の無力さに打ちひしがれていると、康乃が優しく助け舟を出した。
 
「藍ちゃんはね、ここですよ」
 
 康乃は温かな手で葵の胸元に触れて答えてやった。
 
「そう……」
 
 葵は何の感情も見せずにただ康乃の手に視線を落として頷いた。
 
「お母さんはね、ここよ」
 
 続けて康乃は枕元に置いておいた菫石(すみれいし)を取って葵の掌に乗せた。
 
「……おかあさん」
 
「葵くんとずっと一緒よ」
 
「うん……」
 
 康乃の言葉がどれだけ届いているかはわからない。葵はただ手の中の菫石を眺めて呆然としたままだった。
 
「葵くん……」
 
「大丈夫、ゆっくり良くなるさ」
 
「……」
 
 皓矢が梢賢の肩を叩いて励ましたが、梢賢は葵の現状を憂いて沈んだ顔のままであった。

 
  
「康乃様、折言ってお願いがございます」
 
 ふと廊下で控えていた優杞が手をついて切り出した。
 
「姉ちゃん?」
 
「何かしら?」
 
 梢賢も康乃も首を傾げてそちらを注視すると、楠俊も妻に続いて頭を下げて言う。
 
「そちらの雨辺(うべ)(あおい)くんを私共夫婦の養子に迎えたく存じます」
 
「ええええ!」
 
 梢賢は大袈裟に驚いたし、永達もその展開に驚いていた。そして康乃も少し目を開いて声を上げる。
 
「まあまあ」
 
 すると夫妻は頭を下げたまま続けた。
 
「夫婦で二晩考えました結果にございます」
 
「何卒お聞き入れいただきたく……」
 
「そうねえ。雨辺さんはそちらの親戚ですもんね、自然な形だとは思うけど──」
 
 康乃はすでにいつも通りに深刻ぶらない口調で考えながら梢賢の方を振り向いた。
 
「梢賢ちゃんはどう思う?」
 
「そ、そ、そんなん……」
 
 梢賢は驚きのあまり口をパクパクさせながらも、終いには大粒の涙を零した。
 
「大賛成に決まってますやん!」
 
 それを見ていた永も蕾生も鈴心も、心から良かったと思った。当初の梢賢の願いは叶わなかったけれど、葵だけでも迎え入れることができたことは梢賢にとっても喜ばしい結果になった。
 
「じゃあ、後は葵くん次第ね」
 
 康乃が満足そうににっこり笑って少し身を引くと、梢賢は涙をぐいと拭って殊更に明るい声で葵に呼びかける。
 
「葵くん!あんな、葵くん、これからはオレのうちで暮らさへん?」
 
「お兄ちゃんの?」
 
 葵はキョトンとして梢賢を見上げた。少し瞳に光が差した。
 
「そう!オレは大学とかあるから出かける事が多いけど、オレの兄ちゃんと姉ちゃんが君とずっと一緒におるから!」
 
「ずっと、一緒……?」
 
「ずうっと一緒やで!」
 
 梢賢が胸を叩いているのを見ながら、葵は菫石を握りながらただ純朴に尋ねる。
 
「おかあさんも?」
 
「……当たり前やで!」
 
 梢賢の望みは叶わなかった。
 
 菫はいない。
 その罪の意識は永劫に消えないだろう。
 
 けれど梢賢の家族は、その罪を共に抱える選択をしてくれた。
 
 後悔はある。けれど過去は変えられない。
 だからせめて未来だけは笑って過ごせるように守っていきたい。
 
 葵と菫石はその誓いの象徴である。
 梢賢はその未来ごと、葵を抱き締めて泣いた。
 
「ずうっと……一緒……」
 
 梢賢の温もりに包まれて、葵の瞳からもすうっと涙が一筋流れ落ちた。


 
銀騎(しらき)さんと、鵺人(ぬえびと)のお三方、ちょっとよろしいかしら?」
 
 楠俊と優杞が葵と話しながら打ち解けていく姿を見届けてから、康乃は皓矢と永達に向き直って言った。
 
「は?」
 
「ご覧にいれたいものがあるの」







 康乃(やすの)剛太(ごうた)に連れられて、(はるか)蕾生(らいお)鈴心(すずね)皓矢(こうや)藤生(ふじき)邸の裏山に来ていた。

 一同の後を追いかけて梢賢(しょうけん)もすぐにやってくる。
 裏山には、藤生家の神木たる藤の木が静かに佇んでいる。祭の後の静けさも手伝って、一際清廉さを皆感じていた。

 
 
「康乃様、一体どうしたんです?」
 
 後から追いついた梢賢が問うと、康乃は藤の木を振り返った後、改まって皆に言った。
 
「この藤の木が、資実姫(たちみひめ)の宿る藤生家の御神木です」
 
「なるほど。先日は舞台が建てられてましたから、きちんと拝見するのは初めてですが──見事なものですね」
 
 皓矢は藤の木を見上げながら、その神気に当てられて息を飲んだ。
 
「この木に、私が祈ると絹糸が生えてきます。それは資実姫の髪の毛だと伝えられています」
 
「なんと──」
 
「ご覧に入れましょう」
 
 そうして康乃は両手を合わせて意識を集中させ目を閉じた。
 
 まさか実際に藤の木と康乃の超常な力を見せてもらえるとは。永達は緊張で思わず息を止めて見守った。
 
「……」
 
 だが、藤の木は何も反応せず、ただそこで静かに枝を揺らしている。
 
「ああ、やはり……」
 
 康乃は目を開けた後、肩を落として溜息を吐いた。
 
「どうかなさったんですか?」
 
 永が聞くと、康乃はこちらを向いて力無く笑った。
 
「どうやら私は力を使い果たしてしまったようね」
 
「ええっ!?」
 
 いの一番に驚いたのは梢賢だった。
 
「では、もう絹糸は出現しないんですか?」
 
「そうねえ。来年からのお祭りはどうしたらいいのかしら……」
 
 鈴心が聞くと、康乃はのんびりとした口調で、それでも少し困っていた。
 
 だが、更に困って取り乱したのは梢賢の方だった。
 
「えええ、えらいこっちゃ!墨砥(ぼくと)のおっちゃんが知ったら卒倒すんで!」
 
「仕方ないんじゃないかしら?」
 
「そんな軽いっ!」
 
 康乃の様子に、分不相応でもつっこまざるを得ない梢賢。そんな二人の横から、剛太が少し思いつめた表情で一歩前に出た。
 
「……」
 
「剛太、どうした?」
 
 蕾生が声をかけると、剛太は一瞬だけ振り返って力強く頷いた後、康乃に申し出た。
 
「お祖母様、僕が祈ってみてもいいですか?」
 
「剛太様が?」
 
 目を丸くした梢賢を他所に、康乃は孫を優しく見つめて促した。
 
「やって見る?」
 
「はい」
 
 そして今度は剛太が藤の木に相対して、手を合わせて祈る。すると、木の枝が騒めき始めた。
 枝垂れた枝は隣り合い絡み合うものと擦れて、ザワザワと音を立てる。
 その音がピタリと止んだ次の瞬間、白く柔らかい閃光が舞った。
 光かと見紛うそれは、頼りないけれど確かに糸の形を成しており、数本がそのまま地面にパサリと落ちた。
 
「見事だ……」
 
 一部始終を見届けた皓矢は感嘆の声を漏らす。
 
「すげ……」
 
 蕾生もまた、剛太の成した成果に驚愕していた。
 
「ご、剛太様ーッ!!」
 
 神がかった雰囲気をぶち壊すように、梢賢の歓喜の大声が響く。
 康乃も満足そうににっこりと笑っていた。
 
「はあ、はあ……お祖母様……やりました」
 
 消耗し、肩で呼吸している孫を康乃は惜しみなく讃えた。
 
「初めてにしては上手でしたよ、剛太」
 
「ありがとうございます!」


  
 次に、康乃は少し呆けてしまっている皓矢に向き直った。
 
銀騎(しらき)の方には、どうお見えになったかしら?」
 
 すると皓矢は意識を取り直して、けれどまだ整理がつかない頭でようやく答えた。
 
「あ、ああ……そうですね。見事としか言いようがない、私などでは検討もつかない不思議なお力です」
 
「まあ、お上手ね」
 
「いえ、本当に。世間は広いですね、感服いたしました」
 
「あらあら」
 
 孫を褒められて喜ばない者などいない。康乃は本当に嬉しそうに笑っていた。
 
「とにかく里は安泰や!バンザーイ!バンザーイ!」
 
 しかしすぐに梢賢の場を読まない軽快な声が響く。康乃はそれに苦笑しつつ頷いた。
 
「そうね。まだ終わらせる訳にはいかないわ」
 
「あ……」
 
 祭の日、「里は終わる」と言ってしまった梢賢は少し罰が悪そうに押し黙った。
 
 康乃は梢賢を──未来の後継を勇気づけるように笑う。
 
(かえで)姉さんが案じてくれた、この里の未来を守らなくては」
 
「はい」
 
 康乃もまた、梢賢に託そうとしている。楓から預かった希望を。


  
「ところで、鵺人(ぬえびと)の方達は元々慧心弓(けいしんきゅう)を探していたのよね?」
 
「え!?あ、はい!」
 
 急に康乃から話題を振られた永は慌てて頷くのが精一杯だった。
 
「あれは戻ってこなかったようだけど、うちの藤の木の弦を使って新しくお作りになったらどうかしら?」
 
「えええ!?」
 
 驚きでのけぞる永の代わりに、鈴心が冷静に答える。
 
「お話は嬉しいのですが、慧心弓でなければ鵺に対しての特効がないと言いますか……」
 
「ですからね、これをお持ちになって」
 
 その反応は想定内だと言うように、康乃は永に硬鞭(こうべん)を差し出した。(けい)が使った犀髪の結(さいはつのむすび)である。
 
「それ……」
 
 蕾生は間近で初めてそれを見たが、あの時のような禍々しさはすでに感じられず、綺麗な紋様が施された鉄棒に見えた。
 
「これを持って八雲(やくも)の所へお行きなさい。話は通してあるから」
 
「はあ……」
 
 永はその硬鞭を受け取ったものの、なぜこれが必要なのかわからずに首を傾げた。







 その日の午後、昼食をとってから(はるか)蕾生(らいお)鈴心(すずね)梢賢(しょうけん)康乃(やすの)から預かった硬鞭(こうべん)を持って八雲(やくも)の作業場を訪れた。
 眞瀬木(ませき)の技術に興味津々の皓矢(こうや)もついて来た。
 
「こんちはー……」
 
 固い木戸を梢賢が遠慮がちに開けると、中には八雲が待ち構えていた。
 
「む、来たか」
 
「あのう、康乃様に言われて来たンスけどー……」
 
「その前に礼を言わせてくれ。墨砥(ぼくと)兄さんと瑠深(るみ)の赦免を康乃様にとりなしてくれたとか。ありがとう」
 
 寡黙な大男の八雲が頭を下げる様は、ある意味異様な圧がある。けれど梢賢は特に怯んだりもせずに少し笑った。
 
「いやあ、元はオレが蒔いた種ですから。その割に墨砥のおっちゃんも瑠深も家から出てきまへんけど」
 
「まあ、しばらくは仕方なかろう」
 
 墨砥の生真面目な性格も、瑠深の純粋ゆえの意固地さも知り尽くしている八雲は当然のように頷いていた。
 それで梢賢も時間が解決してくれるのを待つべきなのだと悟る。
 
「お邪魔しまーす」
 
「こんにちは」
 
 続いて永と鈴心も入って来た。蕾生は初めて入るので物珍しそうにキョロキョロと中を見回している。
 
「む、鵺人(ぬえびと)と──銀騎(しらき)も一緒か」
 
「すみません、大勢で押しかけて」
 
 皓矢も内心は蕾生と変わらず、心なしか表情が浮ついている。しかし八雲は特に気にせず一人で何かを納得しながら言った。
 
「いや、ちょうどいい。康乃様からの頼まれ物について助言して欲しかった」
 
「と言いますと?」
 
 皓矢が首を傾げると、八雲は永の方を向いて尋ねる。
 
周防(すおう)の、犀髪の結(さいはつのむすび)は持ってきたか」
 
「ああ、はい。預かってます」
 
 永が硬鞭を渡すと、八雲はそれを受け取って片手で少し上下させてから皓矢に聞いた。
 
「ふむ。……これをどう見る?」
 
「少し伺いましたが、その硬鞭には慧心弓(けいしんきゅう)の神気が複製されているとか」
 
「そうだ。何か感じるか?」
 
「……微かには。鵺の妖気の奥の奥、そこに少し光が見えます。ただ、それが慧心弓の神気なのかは僕にはわかりかねます」
 
 二人の話を注意深く聞いていた永が口を挟んで尋ねる。
 
「わかんないもんなの?」
 
萱獅子刀(かんじしとう)と違って、慧心弓の近年のデータは銀騎にはないんだ。長いこと雨都(うと)が持っていたからね」
 
 皓矢の返答に、八雲も顎に手を置いて考えるように呟いた。
 
「ふむ。すると伝承レベルのものを取り出して新たな弓に込めても、慧心弓にはならんかもしれんな」
 
「そうですね……。それ以前にこんな微かな気配を取り出せるかが難問でしょう」
 
 勝手に大人だけで進んでいく話に、とうとう蕾生が根をあげた。
 
「なんか全然話が見えねえんだけど」
 
「ああ、ごめんごめん。つい先走ってしまった。ええと八雲さんから説明して頂いても?」
 
 皓矢がそう促すと、八雲は表情を崩さずに淡々と述べ始める。
 
「む。わかった。この犀髪の結──原材料は犀芯の輪(さいしんのわ)だが、かつて眞瀬木が銀騎から持ち出した鵺の体毛と、雨都から借りた慧心弓が纏っていた鵺の妖気を拝借して合わせたものが込められていることは話したと思う」
 
「はい、確かに聞きました」
 
 永が頷くと八雲は手中の硬鞭を指でトントンと軽く叩きながら更に説明した。
 
「最初は犀芯の輪を鵺の疑似魂(ぎじこん)として、眞瀬木が鵺神像(ぬえしんぞう)に格納して崇めていた訳だ」
 
「それを、指輪型に加工し直して雨辺(うべ)が持っていたんですよね」
 
「その通り」
 
 鈴心の付け足しに八雲が頷いた後、蕾生が聞いた。
 
「けど、祭の日に雨辺がはめてたのはレプリカだったんだろ」
 
「そうだ。あれには(けい)が仕込んでいた呪毒が溢れていた。雨辺(うべ)(すみれ)の……キクレー因子と言うのか?それと結合して一瞬だけ常人ならざる力を得たが、彼女が石化するとともにその役目を終えて砕けた」
 
 珪が異空間に消えた後、菫がはめていた犀芯の輪が無くなっていたことを永は思い出した。
 
「ではもっと前からその硬鞭が「犀髪の結」であり、「犀芯の輪」でもあったということですね」
 
「そうだ」
 
 八雲は相変わらずの無表情で頷いた。







 今ここにある硬鞭(こうべん)は、(ぬえ)疑似魂(ぎじこん)であり、鵺の妖気を増幅する呪具でもある。そこまで聞いた梢賢(しょうけん)は眉を顰めて言う。
 
「だいぶヤバいシロモンやな。こんなんどうやって保管しとけばええんや?」
 
康乃(やすの)様もそれを憂いていた。あんな事があっては藤生(ふじき)眞瀬木(ませき)も、雨都(うと)さえもこれを持て余すだろう」
 
 八雲(やくも)がそう答えると、皓矢(こうや)が細かく頷きながら身も蓋もない事を言う。
 
「なるほど。それならば鵺人(ぬえびと)とやらに押し付けてしまえと、そういうことですね?」
 
「え!?ちょっと、慧心弓(けいしんきゅう)を作ってくれるんじゃないの!?」
 
 どうも話が弓に行かない様なので(はるか)は焦った。しかし八雲は落ち着いている。
 
「最後まで聞け。この硬鞭は犀芯の輪(さいしんのわ)から作ったのだから、慧心弓から抽出した鵺の妖気とともに、慧心弓自身の神気も僅かに取り込まれている」
 
「つまりね、慧心弓の神気のコピーが硬鞭の中にあるからそれを取り出して、新たな弓に宿らせれば慧心弓の複製弓が作れるかもってことだよ」
 
 言葉の足りない八雲の説明を皓矢が補ったことで、永にも理解ができた。鈴心(すずね)も同様で、弾んだ声を出す。
 
「すごい!本当ですか!?」
 
「かつて慧心弓を雨都から借りた時にとった記録によれば、慧心弓はその神気の中に鵺の妖気を取り込んでいたらしい。だからこそ、慧心弓は鵺に対する武器として有効なのだ」
 
「なるほど。慧心弓のメカニズムとしては、毒には毒を持って制すってことかな。鵺の妖気を神気で(くる)んで放つ矢は、確かに効きそうだ」
 
 皓矢は嬉々として慧心弓の分析に思いを馳せている。しかし、すぐにハタとなって八雲に問うた。
 
「ただ、今は、中で妖気と神気の割合が逆になっていませんか?神気が妖気に(くる)まれた状態だ」
 
「そうだ。(けい)の設計でその様に調整した。その割合を元に戻して弓に宿らせれば、理論上は可能だ」
 
「すげえじゃねえか、永、やったな!」
 
 蕾生(らいお)は八雲が「可能」と言った言葉で判断して喜んだ。だが、永はまだ疑っている。
 
「う、うん……。でも、そんなことが本当にできるの?」
 
「問題は、そこだ」

 永の不安を肯定するように、八雲は少し顔を曇らせる。そしてまず皓矢が見解を述べた。
 
「詳しく調べないとはっきりとは言えないけど、現在の硬鞭の中にある慧心弓の神気が少な過ぎる。おそらく、眞瀬木(ませき)(けい)によって鵺の妖気が増幅されたのでは?」
 
「でも、妖気と神気を反転させたのは八雲さんですよね?逆の作業をすればいいのでは?」
 
 鈴心の疑問は当然だったが、八雲はさらに難しい顔をしていた。
 
「確かにそうなのだが、銀騎(しらき)の見立て通り俺が扱った時よりも妖気が増幅されているのでは勝手が変わるからかなり困難だ」
 
「あいつ、ほんとに碌でもないことしやがったな……」
 
 永も悔しそうに歯噛みしていた。
 
「なんとかならんの?」
 
 梢賢も救いを求めて皓矢を見た。皓矢は腕を組んで深く考える。
 
「硬鞭の中の神気を増幅できたらあるいは──」
 
「だがどうやって?」
 
「……」
 
 八雲とともに黙ってしまった皓矢に、突如永が低く笑った。
 
「ふっふっふ。まだまだだな皓矢」
 
「急にどうしたハル坊?」
 
「いつ出そういつ出そう、もしかしてこいつの出番なんてないのかもしれないと思っていたけど、ついに来たね」
 
「何がだよ?」
 
 とっておきの物をもったいぶるのは永の癖なのだが、蕾生もさすがに焦れた。
 
 そうして永は更に大袈裟な動作でゆっくり桐の箱をポーチから取り出して掲げて見せる。
 
「ジャーン!この子達の事をお忘れですかあぁ!?」
 
「──あ」
 
 それを見た皓矢は目を丸くしていた。鈴心も晴れやかな顔になって叫ぶ。
 
「そうか、翠破(すいは)紅破(こうは)ですね!」
 
「何!?」
 
 突然の新たな神具の登場に、八雲でさえも驚愕していた。
 
「そう、僕の可愛い二本の矢!その(やじり)がここに揃ってんのよ!?」
 
「そうか、そいつに慧心弓と同じ力が宿ってるんやな!?」
 
 梢賢も明るい声に戻っていた。永は勢いのままに桐の箱を皓矢に握らせる。
 
「ね?これ、使えるでしょ?」
 
「確かに。出来るかもしれない」
 
 箱を開けて鏃を手に取る皓矢の瞳には、強い光が宿っていた。
 
「ふむ。鏃の神気で奥に隠れている神気を釣り上げることができれば──」
 
「スポーン!てか?やば、興奮するわ!」
 
 すっかり安心した梢賢はもうふざけていた。
 
「光明が見えましたね、八雲さん」
 
「うむ、久々に腕が鳴るな。銀騎の、出来れば手伝ってはくれないか?」
 
「それはこちらからもお願いしたい所ですよ」
 
 皓矢と八雲が互いに笑いかけながら言うと、鈴心もいっそう安心して声を弾ませた。
 
「お兄様!」
 
「バンザーイ!」
 
「バンザーイ!」
 
 永と梢賢も手を上げて喜んでいる。その様子を蕾生は笑いながら見ていた。
 やはり、事態はなんとかなるものだ。それはきっと永がずっと頑張っているからだと思った。


 
「では早速作業に取り掛かろう」
 
 八雲が硬鞭を作業机に置くと、梢賢は突然大声で止めた。
 
「あああ、ちょっと待って!」
 
「どうした?」
 
「その前にスジ通さな!」
 
 そう言うと、梢賢は硬鞭をひったくって作業場を飛び出した。