リビングに通された四人は、肩を寄せ合って座った。精神的な理由もあるが、物理的にも男が三人も上がり込めば小さな部屋は鮨詰め状態だった。
 
「外は暑かったでしょ?良かったらどうぞ、お口汚しですけど」
 
 (すみれ)は冷たい麦茶と、素朴な見た目のクッキーを出してくれた。おそらく手作りだろう。
 
「ありがとうございます」
 
 辛うじて(はるか)がそう答えられただけで、蕾生(らいお)鈴心(すずね)は居心地悪そうに黙って座っていた。
 
「えーっと、(あおい)くんは?お勉強中ですか?」
 
 梢賢(しょうけん)が少し足を崩して聞くと、菫はにっこり笑って答える。
 
「ええ。でもせっかく(こずえ)ちゃんが来てくれたから休憩にするわ。呼んでくるわね」
 
 そう言って立ち上がると、菫は玄関の方向へと向かっていった。リビングに来る途中で部屋らしきものがあったのを永は思い出す。
 その扉を開けて菫が一言二言声をかけると中から大人しそうな、(あい)そっくりの少年が出てきた。
 
 少年は恐る恐ると言った体でリビングを覗き込み、少し緊張を孕んだ表情で入ってきた。
 
「お、葵くん、ごくろーさん!」
 
「こ、こんにちは」
 
 顔も声も藍そっくりで、違うのは髪の質が葵の方がストレートだと言うくらいだ。ただ、性格は正反対のようだ。
 
「よーしよしよし、オレの隣に座んなさいな!」
 
「は、はい……」
 
 梢賢が隣をバンバン叩いて促すと、葵は遠慮がちにそこに座った。
 
「はい、葵。こぼさないようにね」
 
 菫が持って来たマグカップからは細い湯気が出ていた。その香りから温めの麦茶だと想像がついた。
 
「お母さん、僕も、冷たいのがいい」
 
 梢賢達のグラスを見て葵は小さな声で言う。だが菫は微笑みながら首を振った。
 
「だめよ、お腹壊したらどうするの。ちょうどいい具合に冷めてるから飲みなさい」
 
「はい……」
 
 その様子に永達三人は少し面食らった。十歳にもなれば多少冷たくても大丈夫ではないだろうか。
 だがこういう意識の高い母親はわりといる。何より他所の家の方針に口を挟む気も義理もないので、三人は黙っていた。
 
「あの……女の子の方の、藍ちゃんは?」
 
 最初に会ってから全く姿を見せなくなった藍に対して、鈴心は我慢できずに聞いてしまった。
 すると菫はまた一瞬だけ顔を歪ませる。
 
「ああ──。いいのよ、あの子は。好きにやってるから」
 
 その瞳は恐ろしく冷たくて、鈴心も永も蕾生でさえも、驚きで固まってしまう。
 
「それよりも、貴方達、うつろ神様に興味があるんですって?」
 
「え!?」
 
 突然の菫からの本質を孕んだ質問に永は一瞬頭が真っ白になった。慌てて梢賢を見ると、こっそりウィンクをして見せる。話を合わせろ、と言うのだろう。
 
「ええ、まあ、はい。僕ら民俗学専攻でして──そういうのを調べてまして、ハイ!」
 
 咄嗟に永は大学生らしい単語を並べてみた。あまり自信はなかったが、菫はすんなり受け入れて少し困った表情を見せた。
 
「あらあ、困ったわあ。うつろ神様はうちだけの神様だから、論文とかに書かれると困るのだけど」
 
「えっ!?ええと、そうじゃなくて、そういうのを調べてたら個人的に興味がわきまして!もちろん論文にはしませんよ!」
 
 もっと梢賢と打ち合わせをするべきだった、と永は悔やんだ。例え嘘でも自分の発言をすぐに撤回するはめになるとは、些かプライドが傷つく。
 
「そう?それならいいわ」
 
 だが菫は特に怪しんではいないようだった。そのにこやかな様子を見て、永は胸を撫で下ろした。
 
「菫さん、こいつらにちょっと教えてやってくださいよ。うつろ神さんのこと」
 
 梢賢がそう促すと、菫は少し姿勢を正して語り始める。
 
「いいわよ、少しだけね。うつろ神様は聖なる獣でね、お顔は狒々、手足が猛虎、体は野猪、尾が大蛇というお姿でね、いつか世の中が終わりを迎える時に天から降りてきて私達をお救いくださるの」
 
「はあ……なるほど」
 
 初めて聞く単語だった「うつろ神」とはつまり鵺のことを指している。鵺信仰の話だと思いながら永は続きを聞くことにした。
 
「うつろ神様が救ってくださるのは徳を積んだ存在だけなのよ。だから普段から善い行いをしていかなければならないの」
 
「限られた人だけを救うのですか?」
 
 鈴心は思わず首を捻りながら聞いてしまった。そんな限定的な神はおろか仏も聞いたことがないからだ。だが、菫は当然のように頷いた。
 
「そうよ。何もできない凡庸な存在はうつろ神様にとっては必要ないの。だから、うつろ神様に相応しい存在にならなくてはならないの」
 
「はあ……」
 
 一般的な神仏と決定的に違う教えに鈴心は生返事で首を捻り続けている。
 
「だから私達親子は毎日努力して善行をつみ、うつろ神様のお側にいけるように日々修行してるのよ」
 
 そもそも神仏に対して人間が行う修行というものは、人間側が神仏に近づくために自ら精進するものである。
 この国では自然に対してそういう信心が生まれることが多いのだから、神そのものが人に対して存在を定義し押しつけるような教えは聞いたことがない。
 
 そこまで聞いて蕾生も白けてしまった。これでは典型的な詐欺前提の新興宗教だ。神秘の存在として教祖を設定し、教祖のみを尊ぶような教えは危険性を多分に孕んでいる。
 
 蕾生が呆れるように溜息をついたので、鈴心はそれを注意する意味で誰にも見えないようにその背中をつねった。
 そんな二人のやり取りを横目に、永は冷静に情報を引き出そうとする。
 
「修行と言うと、どんなことを?」
 
「それは言えないわ。雨辺(うべ)家の秘技だから。ごめんなさいね」
 
「そうなんですか……」
 
 殊勝な態度とは裏腹に、永は心の中で舌打ちをした。
 続いて菫は梢賢に向き直り、とんでもないことを話し始める。
 
「梢ちゃん、雨都(うと)の人達はどうなの?貴方みたいにうつろ神様を信仰してくれるといいんだけど」
 
 梢賢がうつろ神を信仰しているなんて話は聞いていないので、永達三人はギョッとして梢賢を見た。
 
「え!?いやあ、なかなかすぐにはねえ。オレも機会を伺ってるんですけどねえ?」
 
 三人からの視線を浴びてしどろもどろになった梢賢は愛想笑いで誤魔化そうとしていた。
 すると菫は今日一番の饒舌になって言う。
 
「そうねえ、随分長いことすれ違ってきてしまったものねえ。でも梢ちゃんの代になったら変わるわよね?そうしたら葵を里に迎えてくれるんでしょう?」
 
「そうですねえ、もちろん菫さん達が里に住んでくれるのは歓迎なんですけどー……」
 
「楽しみだわ、明日からいっそう修行に精を出さなくちゃ!」
 
「あ、まあ、ほどほどに……適度な感じで……ね?」
 
 一人で盛り上がる菫に、たじろぎながら曖昧な返事を繰り返す梢賢を、三人は冷ややかな視線で刺した。