金色の(ぬえ)は鋭い眼差しで黒い鵺を睨んでいる。その迫力に、その場の誰もが動けなくなった。
 
「……」
 
「──」
 
 黒い鵺──(あおい)はその気迫に当てられて少し怯み、また一歩後ずさる。
 
「なんて美しい……」
 
 すぐ側で蕾生(らいお)が鵺化したのを目の当たりにした康乃(やすの)は呆然としていた。今、現実で起こったことが信じられないという訳ではなく、その金色の姿の神々しさに目を奪われていた。
 
「す、凄い!本当に金色!黒と金、二体の鵺!やった、やったよ灰砥(かいと)伯父さん!」
 
「珪、やはりお前はまだあいつの事を……」
 
 金色の鵺の顕現にますます興奮した(けい)は有頂天になって亡き伯父の名を呼ぶ。
 その姿を父親の墨砥(ぼくと)は後悔とともに眺めることしかできなかった。
 
「ウギャアアア!」
 
 蕾生の気迫に一度は怖気づいた葵だったが、何もせずに屈服する訳にはいかないとばかりに、半ばやけを起こして蕾生に襲いかかる。
 
「ウオオオア!」
 
 それを受けてたった蕾生は雄叫びをあげて葵の突進を受け止めた。体格を比べても蕾生の方が頭一つ大きい。突進した葵は逆に吹っ飛ばされることになる。
 
「ワアアァアア!」
 
 後ろに跳躍した葵は大きく叫んだ。空気が震えて衝撃波が蕾生を襲う。
 
「オアアァァア!」
 
 それが到達する前に、蕾生も大きく叫び衝撃波を相殺した。
 
「ギィアアッ!」
 
 体や衝撃波の大きさで敵わないなら、葵は小さな体を活かした機動性で勝負するしかない。縦横に飛んだ後、蕾生めがけて鋭い爪で襲いかかる。機敏に動き回り手足で打撃を繰り返した。
 
 小煩い打撃を受けながら、蕾生も腕を伸ばして葵を組み敷こうとする。それをスルリと躱した葵はついに蕾生の喉元に噛みついた。
 
「ギャァアッ!」
 
「ライくん!」
 
 苦悶の表情を浮かべる蕾生を見て、(はるか)は思わず一歩踏み出したがすでに人智を超えた神獣同士の戦いだ。人の身の永にはなす術がない。
 
「ライオンくん……おされてへんか?金色の鵺は、その先の存在なんやろ?」
 
 梢賢(しょうけん)が防戦一方の蕾生を見て言うと、鈴心(すずね)も悔しさに歯噛みする。
 
「金色の姿の鵺にはライの自我があります。ライはできるだけ葵くんを傷つけないように戦っている。けど、黒い姿の鵺である葵くんは──」
 
「自我がないから、容赦がないってことか……」
 
「このままではジリ貧です」
 
 葵の爪や打撃を受けながら、その身体を取り押さえようと奮戦する蕾生の姿を永は苦悩しながら見ていた。
 
「……」
 
「ハル坊!なんかないんか!?このままじゃ葵くんもライオンくんも無事じゃ済まん!」
 
 梢賢の叫びを受けて、永は苦し紛れに珪を挑発した。
 
「おい、珪!これがお前の目的なのか?これじゃあ鵺化した二人を消耗させるだけだ!」
 
「おっといけない。つい見惚れてしまっていました。鵺化した葵は大切な器。そろそろ鎮っていただきましょうか、瑠深(るみ)!」
 
 珪はさらに下卑た笑みを浮かべた後、大声で瑠深を呼んだ。二体の鵺の戦いに怯えてしまっていた瑠深は大きく肩を震わせる。
 
「──!」
 
 そんな妹の様子など構わずに珪は再度犀髪の結(さいはつのむすび)を目の前に差し出した。
 
「さあ、この犀髪の結に祈れ。お前の呪力なら可能だ。これをもってあの黒い鵺を従えるんだ」
 
「え……あ……」
 
 珪は怯えて動かない瑠深の前まで歩き、その手に無理矢理犀髪の結を握らせる。
 
「怖がることはない。それで晴れてお前は鵺の主人になる。僕ら兄妹は新たな世界の扉を開くんだ!」
 
 新たな世界の扉──またも聞いたその言葉に永は驚愕した。あの時、銀騎(しらき)詮充郎(せんじゅうろう)も同じことを言っていた。
 偶然だろうか?いや、何か共通することがあると直感した。
 
「瑠深さんダメです!」
 
「!?」
 
 犀髪の結を受け取ってしまった瑠深に、鈴心は必死で叫んだ。
 
「私達は鵺を従えようとして破滅していった人を知ってる!瑠深さんはそんな道に進んではいけない!」
 
 戸惑う瑠深に向けて、墨砥も静かな口調で諭すように言う。
 
鵺人(ぬえびと)の言う通りだ、瑠深。我々は灰砥兄さんの件から学んだはずだ。あれに手を染めてはいけない」
 
 すると珪はそれまで笑っていた態度を翻してヒステリックに叫んだ。
 
「お父さんは黙っててくれませんか!灰砥伯父さんを見殺しにした時のようにね!
 ──ええ、そうですとも。灰砥伯父さんと同じ轍を踏んではいけない。だからこそ僕はこうするしかないのです」
 
「珪!目を覚ましなさい!お前は灰砥兄さんを誤解している!」
 
「はあ!?誤解しているのはお父さんの方でしょう?だから伯父さんが粛清されるのを容認した!伯父さんを見捨てたんだ!」
 
「……」
 
 もう息子には何を言っても通じない。墨砥は苦悩に塗れて言葉を失った。
 
「さあ、瑠深。僕ら兄妹は二人で一人だろう。僕の頭脳はお前のもの、お前の呪力は──僕のものだ」
 
「あ……兄さん……」
 
 瑠深は既に抗う気力さえ失くしている。手の中の犀髪の結を握ったまま珪の瞳に魅入られかけた。
 
「バカ言ってんじゃねえぞ!クソアニキが!」
 
「!」
 
 だがすんでのところで、永の怒号が瑠深をとどめる。
 
「瑠深サンの力は瑠深サンのものだ!妹と自分を同一視して考えるなんて、自立できてないシスコン野郎のすることだ!」
 
「な、なんだ……その汚い言葉遣いは!気高い鵺人がそんなことでいいと思ってるのか!」
 
「うるせえ!前も言ったけど、僕らを勝手に英雄視すんじゃねえ!こちとら大迷惑なんだよ!」
 
 言われた珪だけでなく、鈴心も梢賢も永の乱暴な物言いに驚いて少し怯んだ。
 そして瑠深は。
 
「……」
 
「瑠深サン、お願いだ、僕らを──ライを信じてくれ!ライが必ず葵くんをなんとかするから!」
 
「え……」
 
 言われて瑠深は視線を二体の鵺に移す。黒い鵺が引っ掻いたり噛みついたりしているのを、金色の鵺が防ぎながら反撃の機会を狙っていた。
 傷をあちこちに受けながらも、金色の鵺である蕾生は諦める様子を見せない。黄金の瞳は依然輝いている。
 
「あ──」
 
「瑠深さん!お願いします、ライを信じて!」
 
 必死な鈴心の声が、瑠深の胸の中にストンと落ちた。
 
「兄さん、ごめん。あたしはこれ、使えない……。だって、あの子が……可哀想だよ」
 
 傷だらけの蕾生。しかしそれ以上に葵の姿が痛ましかった。母親を失ってやり場のない悲しみをぶつけるその姿が哀れだった。
 
 そんな二人を思いやって、瑠深は犀髪の結を投げ捨てる。
 
「瑠深ィィイ!!」
 
 珪が怒りに我を忘れて叫ぶ。けれど瑠深はそれを必死で堪えた。