祭の厳かな雰囲気を割って入ってきたのは黒い礼服に身を包んだ雨辺(うべ)(すみれ)だった。
 白い肌はいつにも増していっそう白く、口元の紅だけがくっきりと鮮やかに見える。

 その手に引いているのは息子の(あおい)。白いシャツ黒い半ズボンを着て一言も発さず、その瞳は虚ろで何も映していないようだった。
 
「御前、剛太様!!」
 
 一番に動いたのは眞瀬木(ませき)墨砥(ぼくと)だった。真っ直ぐに舞台を目指して進んでくる菫から二人を守ろうと、その進路を避けるように脇へと素早く連れていく。

 驚き慌てる梢賢(しょうけん)(はるか)達もその行動に従った。
 
「す、菫さん!?」
 
「バカな、どうやって入った?」
 
 狼狽する梢賢と墨砥に向けて菫はクスクスと笑いながら言う。
 
「あら?村人の皆さんにお願いしたら入れてくれましたよ?うふふ……」
 
 葵と繋がれていない方の手を口元にあてて笑う様は妖艶で、その中指には黒い石造りの環がはめられている。
 
「……」
 葵の表情には生気がなく、菫に歩かされているようだった。
 
「ハル様、葵くんの様子が変です!」
 
「ああ……心ここにあらずって感じだ」
 
(あい)ちゃんがいない……」
 
 鈴心(すずね)は辺りを見回して藍の姿がどこにも見えないことに不安を募らせた。葵が異常な姿で現れたのに、葵を常に守っていた藍がいない。
 
「永、あの指にしてるの、例の家宝だ」
 
「あれが、サイシンの輪?」
 
 菫の手元を確認した蕾生(らいお)が指したことで永は初めて犀芯の輪(さいしんのわ)を目にした。黒光りしている石の環は禍々しい雰囲気を醸している。
 
「どないなっとんねん……」
 
「梢賢……ッ!」
 
 菫の後方から、優杞(ゆうこ)が息を切らせてよろめきながら走って来た。ぼろぼろに汚れた姿を見て、梢賢も夫の楠俊(なんしゅん)もギョッとする。
 
「姉ちゃん!?」
 
「優杞!」
 
 妻の異変を認めた楠俊は舞台の横から飛び降りて、迂回して優杞の側に駆け寄った。
 
「はぁ、はぁ……あなた、ごめんなさい」
 
 夫に支えられながら這々の体でいる優杞に楠俊は厳しい声で聞いた。
 
「何があった?」
 
「突然あの女が寺にやって来て、藤生(ふじき)の方向へ向かおうとするもんだから、里の男達が止めようとしたの。そしたら、あっという間に全員吹っ飛ばされて……」
 
「ウソやろ……」
 
 まだ目の前の光景が信じられない梢賢を睨みつけて優杞は叫ぶ。
 
「梢賢、あんたあの女知ってるね!?」
 
「う……」
 
「いいか、梢賢!これはあんたの責任だ。死ぬ気で止めな!あの女はもう人間じゃない!」
 
「あ……う……」

 姉弟のやり取りも全く意に介さず、菫はゆっくりと舞台に近づいていった。
 すぐに康乃(やすの)が動く。墨砥はそれを止めようとしたが、その腕は振り払われた。

 康乃は菫の歩みを遮るように舞台の前に立った。
 
「貴女、雨辺の方ね?」
 
「その通りです。初めまして、藤生の御当主様。私は菫、この子は息子の葵と申します」
 
「……」
 
 菫は仰々しく笑って一礼する。葵はその場で微動だにしなかった。
 
 それを受けて康乃も微かに笑って威厳を込めた声音で言う。
 
「今日は里では一番大切な行事ですのよ。日を改めてくださる?」
 
「あら、一番大切な日だからこそ参りましたの。私達もこれを奉納させて頂きたいと思いまして」
 
 菫はハンドバッグから手製の絹織物を取り出した。その乳白色の輝きは、先ほど皆で炊き上げたものと遜色ない。
 
 思いもよらなかった物を見て、康乃は厳しい視線を投げて言った。
 
「何故、貴女がお持ちなのかしら?」
 
「眞瀬木の方に頂きましたの。ずうっと私達を支援してくださっている──ね」
 
 含み笑いながら菫はチラと(けい)の方を見た。それを聞いた墨砥が目に見えて狼狽する。
 
「な、……んだと?」

「チッ」
 
 舌打ちした珪を見て永はやっぱり、と思った。菫を支援していたのは珪だったのだ。あんなに得意げに誤解だと言っていたのに。
 
「あの舞台の上に奉納するんですよね」
 
 炎は下火になって燻っている。しかし菫はそれでも絹織物を手に足を一歩進めようとした。
 それを制して康乃が立ちはだかる。
 
「申し訳ないけれど、雨辺のご先祖様は資実姫(たちみひめ)様の元にはいらっしゃいませんよ」
 
 余裕を感じさせる笑みだった。本当に康乃に余裕があったかはわからない。けれど虚勢だとしてもそうした康乃の態度は菫を苛立たせた。
 
 菫は歯軋りした後、恐ろしい形相で手を振り上げる。
 
「!!」
 
「──させぬ!」
 
 その腕は康乃に届くことなく、墨砥に掴まれた。瞬時に康乃の前に走り出て菫を止めたのだ。その後ろで康乃は毅然と立って菫を睨んだ。
 
「御前、お下がりください」
 
「でも──」
 
 墨砥が康乃に気を取られた瞬間を菫は見逃さなかった。
 
「邪魔よ」
 
 菫は力任せに腕を振り上げ、その反動で墨砥を身体ごと吹っ飛ばした。それは常人の力ではなかった。
 
 蕾生は菫の様子に驚いていた。今まで会っていたお淑やかな菫ではない。鬼女のような様相を目の当たりにし、蕾生は背負った白藍牙(はくらんが)を意識し始めていた。
 
「父さん!」
 
 高く舞い上がった墨砥は空中で身を翻して着地し、駆け寄った瑠深と合流する。

 二人はすぐに臨戦態勢をとった。瑠深はジリジリと菫との距離をつめていく。墨砥はその後ろで瑠深に呼吸を合わせていた。おそらく二人がかりで菫を捕えるつもりだ。
 
 だが、菫はそんな二人をつまらないものでも見るような目で見ていた。
 
「──ハッ!」
 
「──ッ!」
 
 瑠深が手を組み掛け声を上げると、菫の体がビタッと周りの空気とともに固まった。その隙に墨砥が回り込んで後ろ手に捕える。
 
「あんた、目的は何!?うちを陥れるなんてどういう了見なの!?」
 
 瑠深が詰問すると、菫は眉をへの字に曲げて泣くような声で言う。
 
「酷いわ……私は里に挨拶に来ただけなのに」
 
 その弱々しい声とは真逆に、菫は捕らえられた腕をぐっと広げて墨砥を押し返した。
 
「ぬぅ!」
 
「どうして……あたしの緊縛が効いてないの!?」
 
 瑠深は手を組み替えて術を強めた。しかし、菫の動きは止まらなかった。
 
「酷いわ、酷いわ……私はただお祝いして欲しいだけなのに」
 
 亡霊のようにゆらりと立ちながら菫は今度は本当に涙を流す。
 
「お祝い?」
 
 永が怪訝に聞き返すと、泣いていたはずがすぐにニヤリと笑って菫は高らかに宣言した。
 
「私の息子がうつろ神となって、里に降臨するお祝いを──!」
 
 その言葉にその場の全員が凍りついた。
 
「な……」
 
「何ですって?」
 
 墨砥も康乃も動揺して一瞬動きを鈍らせた。その隙に乗じて珪が右手を挙げるのを梢賢の目が捕らえていた。
 
「……」
 
「まずい!葵くん!」
 
 危険を察知した梢賢は葵に駆け寄った。


 
「爆ぜろ、裁きの熱波」