喫茶店を出た四人はそのまま駅前商店街をしばらく歩いた。アーケードの下を歩いてはいたが、正午をまわってしまったので日差しが厳しくなっている。
汗を滲ませながらもアーケードを通り過ぎて、少し奥の道に進んだところでマンションが何棟か立ち並んでいた。
その中でも少し古い見た目のマンションの前で止まった梢賢は三人をその場に置いて、少し離れてから電話をかける。
「いやー、すまんすまん」
三分ほど経って戻って来た梢賢の顔は少し緩んでいた。
「雨辺さん、いました?」
永が聞くと、梢賢はにこやかに頷いた。
「おう。子どもらもおるって」
「電話ならここですりゃいいのに」
「いやや、ライオンくんのエッチ!」
「……」
ライオン呼びが定着しそうになっていることも気に入らなかったし、何より恥じらうその様が気持ち悪くて、蕾生は軽く梢賢を睨む。
だが、電話後の梢賢はすこぶる機嫌が良くて効果がなかった。
「おおかた私達には聞かれたくない会話でもしたんでしょう」
「どうもそのシングルマザーに気があるみたいだからね」
蕾生とほぼ同じ理由で梢賢に引いている鈴心も、多少は寛容な態度でいる永も、梢賢の緩みっぱなしの顔を見て溜息をついた。
「さ、さ、じゃあ行こか!」
完全に分が悪い梢賢はさっさと先導を始める。
「単純な興味なんですが、雨辺の一族ってどれくらいいるんです?こんなマンションに母子で住んでるだけではないでしょ?」
「いや──、雨辺は今は菫さん母子の三人だけや」
「ええ?」
永にとってはその回答は不可解だった。分家、と言うからにはそれなりの人数がいると思っていたからだ。
だが梢賢の答えは永の想像よりもシビアなものだった。
「意外か?考えてもみい、雨都は元々里の居候なんやで。子どもばかすか産んで増やせるかいな、里の食い扶持が減ってまう」
「そ、そんな前時代的な……」
この現代において食い扶持なんて言葉が出るとは、永には衝撃だった。
「でも麓紫村を出た雨辺はもう関係ないのでは?」
鈴心の問いにも梢賢は首を振る。
「いや、雨辺を支援してる人間が里にいるって言ったやろ?多分やけど支援する方かて人数は少ない方がいいやろ」
「そうですか……」
雨都にも雨辺にも、永が想像もしていなかった事情があることは梢賢の言葉から読み取れる。
まだ見ぬ麓紫村とはいったいどんな村なのか、途端に背筋が寒くなった。
「さ、行こ行こ!菫さん待たしてるんやから!」
永や鈴心が感じている不気味な違和感も、梢賢にとっては常識なのかもしれない。だとすると梢賢とさえも理解の壁が高い可能性がある。
ましてやこれから会う雨辺菫とはどれくらいの隔たりがあるのだろう。
上がっていくエレベーター中で永は緊張を高めた。
「ちなみに、君らはオレのサークルの友達ってことになってるから」
「大学生のふりするんですか!?」
緊張度マックスの永に対して告げられた梢賢の無茶振りに、思わず素っ頓狂な声が出た。
「鈴心は無理過ぎないか?」
なんの気なしに言った蕾生の言葉に、身長百四十センチの鈴心はムッとして反論する。
「失礼な。精神的には貴方より大人ですけど?」
無言で牽制し合うデコボココンビを仲裁するように梢賢は折衷案を提案する。
「鈴心ちゃんは、ハル坊の妹っちゅうことで!ええか?大人っぽくしてや」
「ライくんはあまり喋らない方がいいかもね」
「──だな」
見た目だけなら蕾生が一番大学生に見える。が、喋ったらおそらく精神年齢が露呈する。
蕾生もそこは納得して、喋りは元々永の領分だしと思うことにした。
満を持してインターホンを梢賢が鳴らそうとした時、部屋の扉が開けられた。
「来たな、間男」
「わあ!」
扉の側で梢賢を睨む少女が一人。少しくせっ毛のショートヘアで気が強そうな眼差しだった。
インターホンも鳴らしていないのにどうして来客がわかったのか、永達は驚いて瞬間言葉を失った。
「性懲りも無く来やがって、図々しい」
「あ、藍ちゃーん、ビックリするやーん」
梢賢に藍と呼ばれたその少女は、恐ろしい形相で睨み続けていたが、後方の三人に興味を引き、子どもらしく目を丸くした。
「?」
「はじめまして……」
それでも相手が不機嫌なことを鑑みて、永は控えめに挨拶する。鈴心と蕾生にいたっては軽く会釈することしかできなかった。
「あ、こいつらオレのダチとその妹や。夏休みやから遊びに来てんねん」
梢賢がそう説明すると、藍は品定めするように永達を順番に眺めてから同じように睨んで言った。
「ふうん。あんた達、こいつの友達なら注意してくんない。人妻にモーションかけるなって」
「えっ、あ、あはは、そ、そうですねえ──?」
確か可愛らしい十歳ではなかったのか。
年齢に似合わない物言いと表情に、永もどうしたものか言葉を濁すだけで精一杯だった。
「人聞きの悪い言い方やめてや、菫さんは離婚してシングルでしょうが!」
「あたしはそんなの認めてないから」
梢賢がそう言うと藍は短く切り捨てて、プイと振り返って部屋の中に入ってしまった。
取り残された梢賢は肩を落としている。
「だいぶ複雑な家庭のようで……」
「せやねん……」
ますます不安になった永とがっくり沈んでいる梢賢めがけて綺麗な声が響いた。
「あら?まあまあ、梢ちゃん、だめよ勝手に入ったら」
「あ、しゅ、す、菫さん!すんません!」
菫と呼ばれたその女性は、二人も子どもがいるとは思えないほど細身で、上品なワンピースを着ている。深窓の御令嬢かと見紛うほどの美貌だった。
色白で桃色の唇だが化粧気がなく、肩まで伸びる黒い髪は先の方がウェーブしている。何よりも印象的なのは、大きな黒い瞳だ。
じっと見つめられれば吸い込まれそうなほど不思議な光を帯びていた。
「いえ、こちらのお嬢さんがドアを開けてくれたので──」
頬を染めて固まってしまった梢賢に変わって永がそう言うと、菫は一瞬だけその綺麗な顔を歪ませた。
「え!?──あ、ああそう、そうだったの。ええと?」
だがすぐにおっとりした笑顔を取り戻して、永を見ながら首を傾げる。
「あ、梢賢くんのサークルの友人で周防といいます、こっちは妹です」
永が手で指して言ったので、鈴心はぎこちなく一礼した。蕾生もその後に続く。
「はじめまして」
「唯、です、友達の……」
二人の挨拶を満足気に受け取った後、菫はにっこり笑って一同を迎え入れた。
「ええ、聞いてるわ。梢ちゃんたら大学でやっとお友達ができたのね、良かったわね」
「はい、まあ、良かったです、うへへ……」
「玄関で立話もなんだからどうぞ、散らかってますけど」
「お邪魔しまっす!!」
元気なお返事をして梢賢から先に上がる。
永達も続いて入ったが、中は普通の間取りだった。おそらく2LDKだろう。
十歳の子どもが二人いると感じさせるようなものがほとんどなく、リビングもダイニングキッチンも最小限の家具で綺麗に片付いていた。
端にある仏壇だけが少し異様な雰囲気を放っている以外は、いたって普通の部屋に見えた。
汗を滲ませながらもアーケードを通り過ぎて、少し奥の道に進んだところでマンションが何棟か立ち並んでいた。
その中でも少し古い見た目のマンションの前で止まった梢賢は三人をその場に置いて、少し離れてから電話をかける。
「いやー、すまんすまん」
三分ほど経って戻って来た梢賢の顔は少し緩んでいた。
「雨辺さん、いました?」
永が聞くと、梢賢はにこやかに頷いた。
「おう。子どもらもおるって」
「電話ならここですりゃいいのに」
「いやや、ライオンくんのエッチ!」
「……」
ライオン呼びが定着しそうになっていることも気に入らなかったし、何より恥じらうその様が気持ち悪くて、蕾生は軽く梢賢を睨む。
だが、電話後の梢賢はすこぶる機嫌が良くて効果がなかった。
「おおかた私達には聞かれたくない会話でもしたんでしょう」
「どうもそのシングルマザーに気があるみたいだからね」
蕾生とほぼ同じ理由で梢賢に引いている鈴心も、多少は寛容な態度でいる永も、梢賢の緩みっぱなしの顔を見て溜息をついた。
「さ、さ、じゃあ行こか!」
完全に分が悪い梢賢はさっさと先導を始める。
「単純な興味なんですが、雨辺の一族ってどれくらいいるんです?こんなマンションに母子で住んでるだけではないでしょ?」
「いや──、雨辺は今は菫さん母子の三人だけや」
「ええ?」
永にとってはその回答は不可解だった。分家、と言うからにはそれなりの人数がいると思っていたからだ。
だが梢賢の答えは永の想像よりもシビアなものだった。
「意外か?考えてもみい、雨都は元々里の居候なんやで。子どもばかすか産んで増やせるかいな、里の食い扶持が減ってまう」
「そ、そんな前時代的な……」
この現代において食い扶持なんて言葉が出るとは、永には衝撃だった。
「でも麓紫村を出た雨辺はもう関係ないのでは?」
鈴心の問いにも梢賢は首を振る。
「いや、雨辺を支援してる人間が里にいるって言ったやろ?多分やけど支援する方かて人数は少ない方がいいやろ」
「そうですか……」
雨都にも雨辺にも、永が想像もしていなかった事情があることは梢賢の言葉から読み取れる。
まだ見ぬ麓紫村とはいったいどんな村なのか、途端に背筋が寒くなった。
「さ、行こ行こ!菫さん待たしてるんやから!」
永や鈴心が感じている不気味な違和感も、梢賢にとっては常識なのかもしれない。だとすると梢賢とさえも理解の壁が高い可能性がある。
ましてやこれから会う雨辺菫とはどれくらいの隔たりがあるのだろう。
上がっていくエレベーター中で永は緊張を高めた。
「ちなみに、君らはオレのサークルの友達ってことになってるから」
「大学生のふりするんですか!?」
緊張度マックスの永に対して告げられた梢賢の無茶振りに、思わず素っ頓狂な声が出た。
「鈴心は無理過ぎないか?」
なんの気なしに言った蕾生の言葉に、身長百四十センチの鈴心はムッとして反論する。
「失礼な。精神的には貴方より大人ですけど?」
無言で牽制し合うデコボココンビを仲裁するように梢賢は折衷案を提案する。
「鈴心ちゃんは、ハル坊の妹っちゅうことで!ええか?大人っぽくしてや」
「ライくんはあまり喋らない方がいいかもね」
「──だな」
見た目だけなら蕾生が一番大学生に見える。が、喋ったらおそらく精神年齢が露呈する。
蕾生もそこは納得して、喋りは元々永の領分だしと思うことにした。
満を持してインターホンを梢賢が鳴らそうとした時、部屋の扉が開けられた。
「来たな、間男」
「わあ!」
扉の側で梢賢を睨む少女が一人。少しくせっ毛のショートヘアで気が強そうな眼差しだった。
インターホンも鳴らしていないのにどうして来客がわかったのか、永達は驚いて瞬間言葉を失った。
「性懲りも無く来やがって、図々しい」
「あ、藍ちゃーん、ビックリするやーん」
梢賢に藍と呼ばれたその少女は、恐ろしい形相で睨み続けていたが、後方の三人に興味を引き、子どもらしく目を丸くした。
「?」
「はじめまして……」
それでも相手が不機嫌なことを鑑みて、永は控えめに挨拶する。鈴心と蕾生にいたっては軽く会釈することしかできなかった。
「あ、こいつらオレのダチとその妹や。夏休みやから遊びに来てんねん」
梢賢がそう説明すると、藍は品定めするように永達を順番に眺めてから同じように睨んで言った。
「ふうん。あんた達、こいつの友達なら注意してくんない。人妻にモーションかけるなって」
「えっ、あ、あはは、そ、そうですねえ──?」
確か可愛らしい十歳ではなかったのか。
年齢に似合わない物言いと表情に、永もどうしたものか言葉を濁すだけで精一杯だった。
「人聞きの悪い言い方やめてや、菫さんは離婚してシングルでしょうが!」
「あたしはそんなの認めてないから」
梢賢がそう言うと藍は短く切り捨てて、プイと振り返って部屋の中に入ってしまった。
取り残された梢賢は肩を落としている。
「だいぶ複雑な家庭のようで……」
「せやねん……」
ますます不安になった永とがっくり沈んでいる梢賢めがけて綺麗な声が響いた。
「あら?まあまあ、梢ちゃん、だめよ勝手に入ったら」
「あ、しゅ、す、菫さん!すんません!」
菫と呼ばれたその女性は、二人も子どもがいるとは思えないほど細身で、上品なワンピースを着ている。深窓の御令嬢かと見紛うほどの美貌だった。
色白で桃色の唇だが化粧気がなく、肩まで伸びる黒い髪は先の方がウェーブしている。何よりも印象的なのは、大きな黒い瞳だ。
じっと見つめられれば吸い込まれそうなほど不思議な光を帯びていた。
「いえ、こちらのお嬢さんがドアを開けてくれたので──」
頬を染めて固まってしまった梢賢に変わって永がそう言うと、菫は一瞬だけその綺麗な顔を歪ませた。
「え!?──あ、ああそう、そうだったの。ええと?」
だがすぐにおっとりした笑顔を取り戻して、永を見ながら首を傾げる。
「あ、梢賢くんのサークルの友人で周防といいます、こっちは妹です」
永が手で指して言ったので、鈴心はぎこちなく一礼した。蕾生もその後に続く。
「はじめまして」
「唯、です、友達の……」
二人の挨拶を満足気に受け取った後、菫はにっこり笑って一同を迎え入れた。
「ええ、聞いてるわ。梢ちゃんたら大学でやっとお友達ができたのね、良かったわね」
「はい、まあ、良かったです、うへへ……」
「玄関で立話もなんだからどうぞ、散らかってますけど」
「お邪魔しまっす!!」
元気なお返事をして梢賢から先に上がる。
永達も続いて入ったが、中は普通の間取りだった。おそらく2LDKだろう。
十歳の子どもが二人いると感じさせるようなものがほとんどなく、リビングもダイニングキッチンも最小限の家具で綺麗に片付いていた。
端にある仏壇だけが少し異様な雰囲気を放っている以外は、いたって普通の部屋に見えた。