「なんてことない、普通の仏像ですよ」
 
 その布を(けい)が取り払うと、二メートルほどの木製の観音像とおぼしきものが姿を現した。
 (はるか)鈴心(すずね)はそれに目を奪われていた。首から下はごくありふれた仏像に見える。問題はその頭部だ。一見穏やかな、人に似せた顔をしているが、その目元が大きく欠損していた。何かをくり抜いた様にも見える。
 
「当時の八雲(やくも)が彫ったものです。今ではただの木偶人形ですよ。何の魂も入っていない」
 
「以前は何かが入っていたんですか?」
 
 永が聞くと、珪は待ち構えていたようにスラスラと像の成り立ちを説明する。
 
「ええ。この像の瞳。ここに眞瀬木(ませき)製の秘石がおさめられていました。かつて銀騎(しらき)から持ち出した(ぬえ)の遺骸と、雨都(うと)からお借りした慧心弓(けいしんきゅう)から鵺の妖気を拝借して、それらの妖気を石におさめて仏像の瞳にしたんです」
 
「──!」
 
 珪は簡単に言ったが、その処置が常識外れの高度な技術だとわかる鈴心は言葉を失うほど驚いていた。それで永の方が落ち着いて感想を述べる。
 
「言うなれば、仮想の鵺像というわけですね」
 
「そうです。当時はここまでの物を作って鵺を崇拝していた。そしてその余波が雨都に及んでしまった」
 
「まさか、それが──」
 
「厄介なのは、雨都側の鵺信者は暴走状態だったことです。我々は呪術の知識がありますから、節度を持ってひっそりと鵺を崇めていた。だが、素人はその匙加減がわからない」
 
 永の言葉を最後まで聞かずに、珪は滑るように語っていく。
 
「ある時、暴走した雨都の鵺信者がこの仏像の瞳を奪って里を出ていったんです。それが今の雨辺(うべ)家です」
 
「……」
 
「崇拝する依代を失った眞瀬木の鵺信者は次第に減っていきました。雨辺の件があって、雨都では更に鵺を毛嫌いするようになった。元はこちらの落ち度ですから、我々も雨都を立てて鵺を否定している──というのが現代の話です」
 
「なるほど。しかし、現代の今でも個人的に鵺に興味を持つことは禁止されてはいない……」
 
 永が改めて言うと、珪はそこでやっと笑って言った。
 
「正しく理解していただけたようで良かった。先ほど名前が上がった亡き伯父の灰砥(かいと)も個人的に鵺を研究していただけ。──私も同じです」
 
「ねえ、兄さん。兄さんが疑われてるって何?」
 
「ああ、そこの所をはっきりさせないとね。ですから、私が雨辺を洗脳して、鵺に関する危険思想を広めているなんてとんでもないことです」
 
「ええっ!?」
 
 瑠深(るみ)はそれを聞いて驚愕と嫌悪を表していた。
 永はここまで好きに語らせるべきではなかったと後悔した。珪がした話は、眞瀬木の立場にある人間が聞けば筋が通っている。
 
「あんた達、そんなこと考えてたの!?馬鹿馬鹿しい!今の話でわかったでしょ?眞瀬木だって雨辺の被害者なのよ!うちの秘石を奪われたんだから!」
 
 瑠深はヒステリックに叫んだ。懐柔できたような気がしていたのは間違いだった。彼女は紛れもなく眞瀬木の人間だ。
 
「お話は、わかりました。ですが私達は貴方を疑ってはいません」
 
「おや、そうですか」
 
 それまで黙っていた鈴心は、珪の方を強気に睨んで反撃の狼煙を上げる。
 
「貴方が何らかの形で雨辺に関わっていることは確信しています」
 
「──」
 
 その言葉に、珪は眉をピクリと震わせた。
 危険を感じた永は鈴心の前に出て庇い、同じ様に睨みつける。
 
「若さゆえに妄想が止まらないと見える。気高き鵺人(ぬえびと)がそんなことではいけませんね」
 
「お話、ありがとうございました。僕らはこれで失礼します」
 
 宣戦布告をしてしまった以上、ここに長居は禁物だ。永は鈴心の手を引いて立ち去ろうとした。その背に、珪が穏やかな声で話しかける。
 
「ひとつ、提案なのですが──」
 
「は?」
 
「君達は鵺の呪いを解くために行動しているのでしょう?私の力が役に立つと思うんです」
 
「え?」
 
 思いもよらない言葉に、永は思わず振り向いた。
 珪はにこやかに笑っている。
 
「どうでしょう、今後は私が梢賢(しょうけん)と共に君達の応援をさせて頂くのは?」
 
「貴方が、ですか?」
 
「ええ。銀騎の御当主は今病床なのでしょう?私でも銀騎に劣らない支援ができますよ。例えば──」
 
 詮充郎(せんじゅうろう)の現況を知っていることをこれ見よがしに披露した後、珪は更に挑戦的に笑った。
 
「式神を使って全国から情報を集めたり……ね」
 
 鈴心は珪のマウント取りに辟易していた。永がどう返答するのか不安になる。そんな視線を受け止めた後、永もにっこり笑って言った。
 
「お断りします」
 
「──」
 
 断られる想像をしていなかったのか、珪の顔は微笑んだまま歪んでいった。
 
「前にも言いましたが、僕らはすでに銀騎と和解しました。付き合いだけなら、あちらとは何百年単位だ。知り合ったばかりの貴方に僕らの情報を預けるのは──不安です」
 
 キッパリと断る永の後ろで鈴心も珪を睨む。永の毅然とした態度で勇気づけられたのだ。そんな二人を可哀想な者でも見る様な目で、珪は皮肉を投げつける。
 
「そうですか。やはり選ばれた人は言う事が違う。ただの村人はどんなに憧れても勇者のパーティには入れないんですねえ」
 
「僕らは勇者なんかじゃない。貴方が勝手に英雄視するのは結構ですけど、押し付けないでください」
 
「……」
 
 永もとうとう腹に据えかねて反論した後、最後だからと更に付け足した。
 
「失礼します──あ」
 
「?」
 
「勇者にだって選ぶ権利はありますよ。魔王に通用する力もない村人について来られても、却って迷惑です」
 
「──!」
 
 正に捨て台詞を吐いて、永は鈴心を連れて荒屋を出ていった。
 
「兄さん……?」
 
 後に残された珪は、妹の瑠深ですら見たことがないほど恐ろしい顔で立ち尽くす。
 八雲はそんな珪の様子を見て複雑な不安を持て余していた。