転生帰録2──鵺が嗤う絹の楔

 トンデモ話を聞いて心臓を抑えている梢賢(しょうけん)(はるか)が聞いた。
 
「話を戻すけど、梢賢くんは眞瀬木(ませき)の派閥のことは知ってたの?」
 
「まあ、ルミがそこまで話したんなら、しらばっくれてもしゃあないけど」
 
「知ってたんだ」
 
 やっぱりな、と永は思っていた。梢賢から助けを求めてきたくせにこう情報を小出しにされては全く要領を得ない。
 しかし梢賢は悪びれずに言う。
 
「噂だけな。そもそも里に雨辺(うべ)の支援者がおるかもって最初に話したやろ?その時点でオレの中では眞瀬木の(ぬえ)肯定派やろな、とは思ってた」
 
「なんでその時に言ってくれなかったんです」
 
 鈴心(すずね)が素直に不満を述べると、梢賢は開き直っていた。
 
「ええ?今ならまだしも、会ったばかりで人となりも知らない君らに言うのはちょっと難しいよ。助けを求めたのはオレの方やけど、眞瀬木かて親戚みたいなもんやんか!」
 
「……そうでしたね、梢賢も身内をやたらと疑いたくはありませんよね」
 
「そうそう」
 
 渋々引き下がった鈴心の代わりに、永がズバリと言ってのける。
 
「梢賢くん。どっちつかずでバランスを取る事は君の美徳かもしれないけど、そろそろそうも言ってられなくなるかもよ」
 
 これまでの梢賢の言動で永が感じていることは、梢賢は永達、雨辺(うべ)、眞瀬木を盤上の駒として配置してそれぞれの動向を岡目八目で見ているのではないかということだ。
 その場合、盤上のゲームマスターは梢賢だ。梢賢に動かされている感覚が拭えなくて永は厳しい言葉を選んだ。
 
「……そうかもな」
 
 梢賢はそんな永の言葉を噛み締めてから頷いた。自分のやり方が限界に近づいていることを受け止め始めているととった永は更に追求した。
 
「という訳で、梢賢くんは眞瀬木の鵺信者は誰だと思う?」
 
「そら、当主の墨砥(ぼくと)のおっちゃんは違うやろ。ルミかてそんな話を君らにするんじゃ肯定派やない」
 
「消去法で、眞瀬木(ませき)(けい)?」
 
 いよいよ核心をついた永の問いにも、梢賢は険しい顔で首を振った。
 
「……いや、それは考えたくない」
 
「……」
 
「でも、状況を考えたら珪兄やんが濃厚なのは、頭ではわかる」
 
「うん……」
 
「けどオレは信じたい。珪兄やんはそんなことせえへん」
 
 永は梢賢の考えは甘いと思っていた。身内だろうが何だろうが情に縛られては本質を見失う。そして眞瀬木珪はおそらくそれを狙っている。
 梢賢が身内に甘い性格なのは知り尽くしているだろうから、結局梢賢は珪に強く出られないと舐められている。
 だが、部外者である永はそれを許さない。その気持ちが視線に出てしまっており、梢賢は自身の気持ちが二つに割かれてその狭間で立ち往生してしまう。
 
「永。もうやめてやれよ。梢賢が可哀そうだ」
 
「ライオンくん!」
 
 永の言いたいことが雰囲気でわかる蕾生(らいお)は、どんどん困っていく梢賢を見かねて嗜めた。すると梢賢は顔を上げて蕾生に助けを求める。
 
「僕もねえ、梢賢くんの気持ちは尊重したいんだけどさあ……」
 
 蕾生に肩を持たれてはこれ以上梢賢を責められず、永も困り始めた。そこに鈴心が一石を投じる。
 
「一縷の望みはあります」
 
「ん?」
 
「瑠深さんは鵺信者が誰か聞いた時、「もういない」と言いました。梢賢、心当たりは?」
 
「もういない、って──あ」
 
 問われた梢賢は何かを思い出して小さく叫んだ。
 
「やはり、いたんですね?」
 
「あの人のことかなあ……?」
 
「誰?」
 
 永が聞くと、梢賢は少し躊躇いながら話し始める。
 
「……もう十年も前の話や。眞瀬木に灰砥(かいと)っちゅー人がおった。墨砥のおっちゃんの兄貴や」
 
「つまり、瑠深さんの伯父さんですか」
 
「そうや。その頃、眞瀬木は代替わりの時でな。オレら部外者は長男の灰砥のおっちゃんなんやろうと思ってた」
 
「けど、実際に当主になったのは弟の方……」
 
 それは何かある、と永は瞬時に思う。少し考え込んだ隙に蕾生が直接的な質問をした。
 
「その人は今どこにいるんだ?」
 
「死んだ」
 
「!」
 梢賢の短い答えに三人とも驚いた。
 
「けど、なんで死んだのかわかってへんねん。葬式はもちろんうちの寺でやってんけど、参列したのは眞瀬木と藤生(ふじき)だけやった」
 
 そこまで聞くと鈴心と永も口々に考えを述べ始める。
 
「眞瀬木の当主は今では鵺否定が基本だと瑠深さんが言っていましたよね……」
 
「長男が継げなかったのは、鵺信者だったから……?」
 
「それなら「もういない」の意味も通ります」
 
 しかし蕾生の言葉が事実を捉えていた。
 
「でももう死んでるなら関係ねえだろ」
 
「──生きてるのかもしれん」

「ええ?」
 
 永が訝しんで聞くと、梢賢も眉を寄せて神妙な面持ちで言った。
 
「オレは灰砥のおっちゃんの葬式で、死に顔を見てへん。式中に棺が開けられることもなかった」
 
「まさか……」
 
「灰砥のおっちゃんが何処かで生きてて、(すみれ)さんを洗脳してる──?」
 
 ここへ来て新しい人物の登場と途方もない想像に、蕾生も永も鈴心も言葉を失った。







 翌朝、今日も二手に分かれて行動することになった。梢賢(しょうけん)蕾生(らいお)は引き続き雨辺(うべ)を探ることにする。
 
「じゃあ、行ってくる」
 
 ママチャリに跨った蕾生に、(はるか)が少し心配そうに尋ねた。
 
「ライくん、大丈夫?昨日は気分悪くなったんでしょ?」
 
「昨日は不意をつかれたからだ。──多分」
 
 今日はもうあの札があることがわかっているから心の準備は出来ている。わかっていれば動揺することもないと蕾生は考えて胸を張った。
 
「まま、例の薬を見なければええ。今日はあの家宝についてもう少し聞いてくるわ」
 
 梢賢も軽い感じで言うので、永は余計に釘を刺さずにはいられなかった。
 
「梢賢くん、ライくんの体調だけはほんとに気をつけてよね」
 
「ああ、わかっとる。ストレスがかからないようにな」
 
「あれくらいじゃ(ぬえ)にはならねえよ」
 
 小舅の言葉を聞くようなうんざりした蕾生の発言は瞬時に一蹴された。
 
「万が一でしょ!君の鵺化はわからないことばっかりなんだからね!」
 
 その剣幕に怯んでいると、梢賢が肩を叩いて言う。
 
「九百年かけて熟成された過保護や。ライオンくん、あきらめ」
 
「わかったよ。てか永こそ、やり過ぎるなよ?」
 
「僕の方は大丈夫!」
 
 今度は永が胸を張る番だったが、蕾生はそれを無視して鈴心(すずね)に言い含めた。
 
「鈴心、ちゃんと見てろよな。でないと精神年齢が赤ん坊になるぞ」
 
「そこまでにはならないよ!」
 
「貴方に言われずともわかっています」
 
 結局、お互いが過保護だという事が露呈されて梢賢は苦笑してから蕾生を促した。
 
「よっしゃ、ほんじゃ行こか」

 そうして梢賢と蕾生は村を出る。でこぼこの山道を自転車で通り過ぎて、街に出た所で蕾生が尋ねた。
 
「なあ」
 
「うん?」
 
「昨日言ってた灰砥(かいと)って人、伊藤とは違うのか?」
 
 蕾生は自分なりの考えを聞いてみた。昨日初めて聞いた眞瀬木(ませき)灰砥(かいと)の正体が実は伊藤であれば納得ができる気がしていた。だが、梢賢はすぐに首を振る。
 
「ああ、もちろんや。顔が全然違う」
 
「じゃあ、どんな人だったんだ?」
 
「そやなあ、優しいおっちゃんやったで。よく(けい)兄やんと一緒に遊んでもろたわ」
 
 そう話す梢賢の顔は割と普通で、昨日の動揺は一晩で落ち着けたのだろう。
 
「その人に子どもは?」
 
「いや、灰砥のおっちゃんは独身やった」
 
「ふうん」
 
「オレは、灰砥のおっちゃんは子どもがおらんから当主にならんかったんやろって勝手に思ってた。あかんな、オレの悪いくせや」
 
 梢賢は頭がよく回るのと、周りの状況を分析することに長けている反面、自身に都合よく解釈してしまうと安心してそれ以上は深く考えない所がある。
 幼少時に菫に誘拐まがいのことをされたのも、永達に指摘されてから気づいた。それで梢賢は自分の性格を顧みて反省している。
 
「案外そうかもしれないだろ?」
 
 ただ、蕾生はそこまで悲観することではないと思っていた。事実はどこにあるかわからない。蓋を開けて見れば梢賢の解釈通りなこともあるだろう。
 けれど梢賢は慎重な姿勢を崩さなかった。
 
「けど、なんで死んだのかっていう疑問は残る。それがわからんと疑いは晴れん」
 
「そうだな……」
 
 そうこうしている内に、二人は(すみれ)のマンションに着いていた。
 
「さあてと、今日も菫さんは綺麗かなー?」
 
 わざと戯けて言う梢賢は空元気を出している、と蕾生は思った。インターホンを鳴らすとすぐに菫が出迎えた。
 
「まあ、いらっしゃい。こずえちゃん、蕾生様」
 
「おはようございますぅ。お言葉に甘えてまた来ちゃいました」
 
 可愛く年少ぶる梢賢に菫はにっこり笑っている。どう見ても異性として見られていないのに、梢賢の涙ぐましい努力に蕾生は呆れていた。
 
「いつでも大歓迎よ。ちょうど朝のお祈りが終わったところなの」
 
(あおい)くんはお勉強ですか?」
 
「ええ、そうよ」
 
 梢賢はリビングに入っても誰もいないので確認すると菫がにこやかに答える。もうひとつ、踏み込んでみた。
 
(あい)ちゃんは?」
 
「……知らないわ」
 
「……」
 
 途端に無表情で冷たくなる菫の反応を見た蕾生は、せめて藍に対する仕打ちだけでも先になんとかできないかと考えたが、いい方法は浮かばなかった。







「さあ、今日はなんのお話をしましょうか?」
 
 先ほどの質問などなかったかのように、(すみれ)は明るい声音で二人に笑いかける。梢賢(しょうけん)もそれを掘り下げることはせず、情報収集に努めようとしていた。
 
「そうですね、この前からチラチラお聞きしてるメシア様ってお方はどういう……?」
 
 蕾生(らいお)が伊藤を疑ったように、梢賢の方はメシアが眞瀬木(ませき)灰砥(かいと)ではないかと疑っていた。菫はそういう背景事情は知る由もないのですんなりと教えてくれる。
 
「うつろ神様の使徒様──(あおい)や蕾生様達のような方達の頂点に立ってるお方よ。すでに覚醒を終えられていて、その御身にうつろ神様が降臨される日まで厳しい修行を続けていらっしゃると聞くわ」
 
「て言うと、うつろ神様は実体がないんで?」
 
「それはそうよ。日本には他にもいろいろな神様がいるけど、誰もお姿を見たことはないでしょ?それとおんなじ!」
 
「あ、あー、なるほど!そりゃそうですねえ!」
 
 今日も菫はご機嫌だった。それを崩さないように梢賢も愛想笑いを浮かべる。
 
「あの、使徒とメシアって人の違いってなんスか?」
 
 続けて蕾生が聞くと、菫は少し考えながらも教えてくれた。
 
「そうねえ、どちらも覚醒した使徒様なんだけど、その中でもメシア様は覚醒の深度が特別でね。うつろ神様に一番近い所にいらっしゃるお方よ」
 
「覚醒ってなんなんスか?」
 
 皓矢(こうや)から聞かれていることもあって蕾生が掘り下げると、菫は更に考えながら答える。
 
「うーん、具体的に聞かれると困っちゃうわね。私も見たことないし。お姿が変わる方もいれば、オーラの色が変わる方もいたり、個性があるって有宇儀(ゆうぎ)様は仰ったわ」
 
「つまり、覚醒すると何かしらが変わるってことですかね?」
 
 歯切れの悪い菫から何とか引き出そうと梢賢も助け舟を出す。すると菫はニンマリと意味深に笑った。
 
「そうね。何しろ私達とはひとつ上の階層に上がった存在になるのだから。──その覚醒、もうすぐ見れるかもしれないわよ?」
 
「どういうことです?」
 
「うふふっ、実はね、葵の修行が実を結びそうなの。有宇儀様に見ていただいたら、覚醒が近いんですって!」
 
「ええ!?」
 
 梢賢はお愛想で驚いて見せたが、蕾生はそんな気になれなかった。非常にまずい事態になっていると感じたからだ。
 だが菫はそれを純粋に喜んでいるようで、自慢話が止まらない。
 
「使徒として覚醒したら、メシア様のお側でお仕えできるんですって!そうしたら、聖母(マザー)の私も迎え入れてくださるって!」
 
「は、はあ……」
 
 もう時間がないかもしれない。リアクションを梢賢にさせて、蕾生は心の中で焦っていた。
 
「だからね、こずえちゃんには謝らないといけないって思ってたの」
 
「え?」
 
「葵を雨都(うと)に迎えてくださるって言っていたでしょう?でも覚醒の方が早くなりそうだから、麓紫村(ろくしむら)には行けないと思うわ。ごめんなさいね」
 
 笑いながら謝る菫の態度は完全に梢賢を下に見ていた。しかし情報を多く引き出すためにはそれに乗っかって調子づかせる方がいい。梢賢は愛想笑いを続けていた。
 
「あ!ああ、そうですかー!ま、まあ、そっちの方がいいでしょうからねえ、アハハ……」
 
「麓紫村と言えば、もうすぐよね?」
 
「何がです?」
 
 梢賢がキョトンとして聞けば、菫は笑って言った。
 
「あらあ、お祭りのことよ!」
 
「え!?何で知ってはるんですか?」
 
「そりゃあ、雨辺だって元は麓紫村にいたんだもの。織魂祭(しょくこんさい)くらい知ってるわ──あの忌々しい」
 
 語尾だけ憎しみをこめた菫の言葉だったが、梢賢は気づかないふりをした。
 
「そ、そうですか。お祭りが何か?」
 
「今年もおやりになると思うけど、蕾生様達が村に滞在しているのが気になってね。まさか、参加したりしないわよね?」
 
「それは──」
 
 蕾生が答えかけると、梢賢は慌ててそれを遮った。
 
「し、しし、しませんよぅ!使徒様はうつろ神様のものでしょ?資実姫(たちみひめ)とは関係あらしませんもの!」
 
「そうよね。安心したわ。──でも、こずえちゃんは参加するんでしょ?」
 
「そらまあ……ただうちは祭司役を頼まれてるだけであって、織魂祭は里人だけの祭ですからぁ」
 
「そうね。居候の立場って大変よね。雨都の皆さんもあんな村見限ってメシア様の所へ向かったらいいのに」
 
 菫には他意はないのだろう。心底うつろ神とメシアを信じ切っている。この話題になると梢賢もはぐらかすしかできない。
 
「はあ、まあ、すぐにはねえ……僕一人ではどうにもねえ……」
 
「大丈夫、待っててこずえちゃん。葵がメシア様の所へ行ったらメシア様に進言させるから。皆で行きましょうね!」
 
「ああ、そら、どうも……」
 
 皆で行く、だなんてそれがどういう事なのか菫はわかっているのだろうか。
 おそらく楽園や桃源郷のようなものを想像しているに違いない。鵺の呪いにそんなものはありはしないのに。
 菫の盲目な態度は蕾生には末期の妄想症候群に見える。
 
「楽しみね、うふふ!」
 
 菫の剣幕に押され気味の二人はその場をお愛想で乗り切るだけで精一杯で、笑いながら菫がその視線をダイニングに隠して置いてある絹織物に移したことは気付かなかった。







 雨都(うと)家では、(はるか)が甘えた声でレース針を投げ出していた。
 
「あーん、もう疲れた!」
 
「では休憩を」
 
 すぐさま鈴心(すずね)は冷たい麦茶を差し出す。
 
「サンキュー!うまっ」
 
 それを永が半分ほど飲み干すと、続けて水羊羹を差し出した。優杞(ゆうこ)からわけてもらった物である。
 
「糖分もお取りください」
 
「あまー、うまー!──はー……っ」
 
 水羊羹をペロリと平らげて緩んだ顔が幾分かましになった頃、鈴心は永に問いかけた。
 
「今日はいかがしますか?」
 
「そうだなあ……昨日は瑠深(るみ)さんに聞いても慧心弓(けいしんきゅう)のことはわかんなかったからねえ」
 
眞瀬木(ませき)に貸したというのはどういう目的があったんでしょう……」
 
「弓も、道具のうちだよね」
 
「はあ」
 
 鈴心の相槌に永はニヤリと笑って言った。
 
「眞瀬木には呪具の製作部署があるよね?」
 
八雲(やくも)さんに聞きに行くんですか?」
 
「ま、ダメで元々!」
 
 永の行動力が健在で、鈴心は少し安心する。
 
「どこに行けば会えるんでしょう?」
 
「うーん。て言うかちゃんと筋は通さないとダメだろうから……」
 
「まずは瑠深さんの所ですね?」
 
 そうしてまた二人は思いつきのまま雨都家を飛び出した。

 
 
 眞瀬木家の前までくると、少し冷静を取り戻す。二人は昨日と同じやり取りをするはめになった。
 
「──人気がないね」
 
 真っ暗な玄関をそっと覗きながら永が小声で呟くと、鈴心もまた小声で言う。
 
「昨日もこんな感じでしたね。まさか罠では?」
 
「それは考え過ぎだと思うけど、用心した方がいいか、な?」
 
「では一旦帰りましょう」
 
「うん……」
 
 危機管理が働いている鈴心はすぐに踵を返したが、永は少し後ろ髪を引かれていた。何の気配もしない玄関を注視していると、突然中から瑠深が引き戸を引いて出てきた。
 
「あっ!」
 
「ヤベッ!」
 
 瑠深とばっちり目が合ってしまった永は思わず背を向けて逃げ出してしまった。が、すぐに追いつかれ首根っこを掴まれた。
 
「おい、何がだ?なんか悪さしようとしてたんか?コラ」
 
「いえいえ、そんな滅相もない!」
 
 永に凄んでみせる瑠深の迫力はまるで地獄の閻魔のようだった。その剣幕には永もタジタジでヘラヘラ笑うしかなかった。
 
「まったく、祭りの準備で父さんも兄さんも忙しくしてるのをわかって来てるんだろ?あたしをナメてんな!?」
 
「ああ!人気がないのはそういうことだったんですね!」
 
「はあ?おま、マジふざけんなよ」
 
 まだ腑抜けている永の的外れたのんびり加減に瑠深がいっそう怒りかけた時、やっと鈴心が戻って止めに入る。
 
「瑠深さん!どうかお怒りを鎮めてください!ハル様は本調子ではないんです!」
 
「ああ?」
 
 瑠深の平手打ちが飛びそうで、半泣きの永をかばいながら鈴心が事情を話した。
 
「なるほど。藤絹編んで、一時的に腑抜けになってるんだ」
 
 永に縋り付きながら鈴心は必死で頷いていた。そんな危機迫る状況でも、永は締まりなく笑っていた。
 
「すみません、なんか頭働かなくてぇ」
 
 その様子を見て、瑠深は大袈裟に溜息を吐いた。
 
康乃(やすの)様もどうしてこんな奴らを祭に招いたんだろ……」
 
「それは私達にもさっぱり。でもいい機会だとは思っています」
 
 永の代わりに答える鈴心に、瑠深は思いっきり嫌味で返した。
 
「主人がこんなんなってんのに?」
 
「すぐ戻りますから」
 
「あーあ、なんかアホらし。で、今日は何の用?」
 
 気が抜けた瑠深は永を掴んでいた手を離して聞いた。永はまだヘラヘラ笑いながら言う。
 
「実は、八雲さんを紹介してほしくて」
 
「八雲おじさんを?なんで」
 
 瑠深が意外そうに目を丸くしているので、細かい説明は鈴心が引き継いだ。
 
「私達、かつて雨都(うと)(かえで)が使った慧心弓の行方を追ってるんです。古い記録に眞瀬木に貸したとあったので……」
 
「ああ、昨日言ってたやつね。眞瀬木の記述があったってそれ?」
 
「はい」
 
「え、でも、その古い記録って楓って人が生まれる前なんじゃないの?なんの関係があるの?」
 
 すると突然永が背筋をしゃんとしてスラスラと語り始める。
 
「その関係がわからないから来たんです。慧心弓は楓サンが扱った時に焼失していて、今はない事はわかってるんです。
 ただ、僕らは慧心弓のことをもっと知らなくちゃいけない。この村に長くあったことは事実ですから、その間に起こった事を知りたいんです」
 
「──こわっ、急に饒舌になったんだけど」
 
「ハル様、お帰りなさい」
 
「うん」
 
 驚く瑠深を他所に、鈴心も軽く一礼して一歩下がる。永はそれを当然のように受け入れていた。
 
「コント集団?」
 
「違います」
 
 真面目な鈴心の顔にますます毒気を抜かれた瑠深の方が、とうとう折れた。
 
「わかった。八雲おじさんに繋いであげる」
 
「ありがとうございます!」
 
「ただし、あたしも行く」
 
「もちろん。お世話になります」
 
 キリっと微笑んだ永を見て、瑠深はますます力が抜けた。
 
「はいはい……」







 八雲(やくも)の工房は、眞瀬木(ませき)邸の裏にあった。屋敷の影に隠れてひっそりと佇んでいる。外見は倉庫と言えなくもないが、はっきり言って木造の荒屋だった。
 
「八雲おじさーん、いる?」
 
 硬そうな木戸をガタガタと引いて瑠深(るみ)が中の人物に声をかける。
 
「む。瑠深か。どうした」
 
 八雲は何か作業をしていた様だったが、さりげなくそれを隠して振り返った。
 
「おじさんに会いたいって人連れてきたんだけど」
 
「──なんだ、貴様らか」
 
 歓迎されるはずもないのはわかっていた。八雲の(はるか)を見る視線は鋭い。
 
「先日はどうも」
 
「お邪魔いたします」
 
 だがここで怯んでは情報が得られない。永と鈴心(すずね)は図々しさを装って荒屋の中に入る。中は木材や道具が散らかっており、瑠深は歩く場所を探しながら呆れていた。
 
「うわ、相変わらず座るとこもないね」
 
「ここには客など来ないのでな」
 
「あ、僕らなら大丈夫です!お仕事中すみません」
 
 永がわざとお愛想すると、八雲はさらに視線を尖らせて睨む。
 
「前置きはいい。用件を言え」
 
「は。では、慧心(けいしん)という名の弓をご存知ありませんか?」
 
「昔から雨都に伝わる弓だな」
 
 即答されたのは予想外だった。永は慎重に言葉を選んで尋ねる。
 
「その通りです。ご覧になったことは?」
 
「ない。あれは雨都(うと)(かえで)が持ち出して以降戻っていないと聞く。俺を幾つだと思ってる」
 
「おじさん四十七、生まれてない」
 
 瑠深が耳打ちしてくれたので、永は一礼してから質問を変えた。
 
「失礼しました。では先代とかそれよりも前に、慧心弓(けいしんきゅう)についての記録などは残っていませんか?」
 
「何故、そんなことを聞く」
 
 訝しむ八雲の顔は、生来の強面も手伝って重厚な圧があった。だがそれに臆することなく永は続けた。
 
「雨都の古い資料に、眞瀬木に慧心弓を貸したという記述がありまして。呪具の専門家なら心当たりがあるかなーって」
 
「……心当たりがないではないが」
 
「えっ!」
 
 即座に永は期待したが、八雲は目を閉じて短く答えただけだった。
 
「黙秘する」
 
「……そういう態度を取られるということは、疑ってもよいということですか?」
 
「好きにしろ。俺は嘘はつけん。だから黙秘する」
 
 八雲の頑なさは嫌でも伝わってくる。永も鈴心も顔には出さなかったが内心で困っていた。
 
「残念だったね。八雲おじさんが口を噤んだら何も出てこないよ」
 
 少し面白そうな顔をして瑠深が得意げに言うと、それまで黙っていた鈴心が口を開いた。
 
「あの、八雲さんは(ぬえ)についてどう思いますか?」
 
「何も。それを考えるのは眞瀬木本家の仕事。俺は道具屋にすぎん」
 
「──では、眞瀬木(ませき)灰砥(かいと)氏は鵺信者ですか?」
 
「リン!?」
 
 鈴心の直接的な言葉にさすがの永もぎょっとしていた。鈴心は真っ直ぐに八雲を見ている。八雲は眉を震わせて動揺していた。
 
「──」
 
「おじさん……」
 
 瑠深が心配そうに声をかけた時、木戸の方から人影が現れた。
 
「お嬢さん、踏み込み過ぎですよ」
 
「!!」
 
「兄さん!」
 
 そこに立っていたのは、余裕の笑みを浮かべた眞瀬木(ませき)(けい)だった。







眞瀬木(ませき)……(けい)……」
 
 (はるか)の体は強張っていた。
 その緊張を嘲るように珪は薄く笑って言った。
 
「これはおかしな所で会いますね、鵺人(ぬえびと)のお二人」
 
「こんにちは……」
 
 鈴心(すずね)も同様に緊張を孕んだ挨拶しかできず、瑠深(るみ)も二人をここに連れてきたことを叱責されるのを恐れていた。
 
「兄さん、えと、これは──」
 
 だが、珪はそんな瑠深を無視して鈴心に対してにっこり笑う。
 
「うちの瑠深と仲良くしてくれてありがとう。里には同年代の者があまりいなくてね」
 
「こちらこそ」
 
 瑠深を気遣わなかった珪の態度に鈴心は嫌悪を感じており、それが緊張を解き臨戦態勢をとる引き金になった。
 永は物怖じしなくなった鈴心を見習おうと背筋を伸ばして顔を引き締める。
 そんな二人の感情を的確に捉えた珪も続く言葉が強くなっていた。
 
「だからと言って、うちのパーソナルな部分に立ち入るのは関心しませんね」
 
「それは、失礼しました」
 
 永は言葉だけで謝ってみせたが、視線は落とさずに珪を見据えていた。
 それを受け流して珪は漸く瑠深の方を一瞥する。
 
「ワキが甘いぞ、瑠深。お前もまだまだ、だな」
 
「──ごめんなさい」
 
「あまり瑠深を責めるな。侵入を許したのは俺のミスだ」
 
 落ち込んだ瑠深を八雲が庇って言う。
 珪は八雲には少し笑って訂正した。
 
「ああ、誤解なさらないでください。僕は別に怒っているわけではない」
 
「……」
 
 その言葉が建前であることは永でもわかる。突然現れたジョーカーのような不気味さを感じつつ、永は珪に注目していた。
 
「ただ、こうして周りから固められるのは好きではないのでね。それなら僕の方から教えて差し上げようと思って参った次第ですよ」
 
「──え?」
 
「君達がお探しの、「眞瀬木の鵺信者」は私です」
 
「!」
 
 こうもあっさりと暴露するとは、永も鈴心も驚いた。
 珪は説明じみた言葉で続ける。
 
「君達の言葉を借りましたが、鵺信者と呼ばれるのは心外です。瑠深が昨日説明したと思いますが、今後は鵺肯定派と呼んでいただきたい」
 
「それは──失礼しました。つまり、貴方は眞瀬木の中のひとつの派閥に過ぎないということですね」
 
 永の確認に珪は頷いて、尚も饒舌に語る。
 
「その通りです。雨都(うと)さんの手前、鵺については歓迎しないのが今の眞瀬木の方針ですが、鵺そのものは私達の世界ではとても興味深いのでね」
 
「では、貴方は呪術師として鵺に価値を見出しているんですね?」
 
「ええ、そうです。ですから僕個人としては鵺人の君達にお会いできたのは本当に嬉しい」
 
 珪の言葉は人を見下しているような言い方で、永はどこまで本心を、または真実を語っているのか見極めようとする。
 
「……」
 
慧心弓(けいしんきゅう)について調べているとか?」
 
「まあ、そうです」
 
 永が頷くと、珪は講義でも始めるような雰囲気で朗々と語った。
 
「では、順を追って説明して差し上げましょう。雨都がここに来るより前、その時代には今君達が使った「鵺信者」と言うに相応しい行いをする者が眞瀬木にいました」
 
「──」
 
「そもそも、眞瀬木が鵺というものを知ったのは、当時の眞瀬木の者が銀騎(しらき)に弟子入りしたからです。ああ、それはご存知ですね?」
 
「……はい」
 
 この男も情報戦に長けていることはわかっていた。さらにそれをひけらかすタイプだということも。永は機を伺いながら言葉少なに頷いた。
 
「おい、珪。いいのか?」
 
「構いませんよ、身内の恥をお話することになりますが、今の僕にかけられた疑いを晴らすためですから」
 
 八雲の言葉を軽くあしらって珪は少し自嘲気味に笑う。
 
「疑いって?」
 
 瑠深の質問を無視して珪はまた饒舌に語った。
 
「その者は銀騎で修行を重ねるうちに、鵺そのものに魅入られてしまったんです。そしてとうとう銀騎から鵺の遺骸の一部を持ち出して帰ってきた」
 
 瑠深は聞き入れてもらえなかったことに落ち込んでいたが、構わず珪は続ける。
 
「彼は眞瀬木の中にいながら、鵺を崇拝するようになった。持ち帰った遺骸を依代にね。そして秘密裏に仲間を増やしていったんです」
 
 そこまで言うと、沈黙を守っている八雲に向かって珪は言う。
 
「おじ様、あれを見せて差し上げてください」
 
「それは、墨砥(ぼくと)兄さんの許可がなければ……」
 
「いやだなあ、何をそんなに怯えるんです?あれにはもう何の力も入っていないことはおじ様自身で太鼓判を押したでしょう?」
 
「それはそうだが……」
 
 躊躇ってその場を動かない八雲をおいて、珪は作業場の角で黒い布を被っている何かまで歩みを進めた。







「なんてことない、普通の仏像ですよ」
 
 その布を(けい)が取り払うと、二メートルほどの木製の観音像とおぼしきものが姿を現した。
 (はるか)鈴心(すずね)はそれに目を奪われていた。首から下はごくありふれた仏像に見える。問題はその頭部だ。一見穏やかな、人に似せた顔をしているが、その目元が大きく欠損していた。何かをくり抜いた様にも見える。
 
「当時の八雲(やくも)が彫ったものです。今ではただの木偶人形ですよ。何の魂も入っていない」
 
「以前は何かが入っていたんですか?」
 
 永が聞くと、珪は待ち構えていたようにスラスラと像の成り立ちを説明する。
 
「ええ。この像の瞳。ここに眞瀬木(ませき)製の秘石がおさめられていました。かつて銀騎(しらき)から持ち出した(ぬえ)の遺骸と、雨都(うと)からお借りした慧心弓(けいしんきゅう)から鵺の妖気を拝借して、それらの妖気を石におさめて仏像の瞳にしたんです」
 
「──!」
 
 珪は簡単に言ったが、その処置が常識外れの高度な技術だとわかる鈴心は言葉を失うほど驚いていた。それで永の方が落ち着いて感想を述べる。
 
「言うなれば、仮想の鵺像というわけですね」
 
「そうです。当時はここまでの物を作って鵺を崇拝していた。そしてその余波が雨都に及んでしまった」
 
「まさか、それが──」
 
「厄介なのは、雨都側の鵺信者は暴走状態だったことです。我々は呪術の知識がありますから、節度を持ってひっそりと鵺を崇めていた。だが、素人はその匙加減がわからない」
 
 永の言葉を最後まで聞かずに、珪は滑るように語っていく。
 
「ある時、暴走した雨都の鵺信者がこの仏像の瞳を奪って里を出ていったんです。それが今の雨辺(うべ)家です」
 
「……」
 
「崇拝する依代を失った眞瀬木の鵺信者は次第に減っていきました。雨辺の件があって、雨都では更に鵺を毛嫌いするようになった。元はこちらの落ち度ですから、我々も雨都を立てて鵺を否定している──というのが現代の話です」
 
「なるほど。しかし、現代の今でも個人的に鵺に興味を持つことは禁止されてはいない……」
 
 永が改めて言うと、珪はそこでやっと笑って言った。
 
「正しく理解していただけたようで良かった。先ほど名前が上がった亡き伯父の灰砥(かいと)も個人的に鵺を研究していただけ。──私も同じです」
 
「ねえ、兄さん。兄さんが疑われてるって何?」
 
「ああ、そこの所をはっきりさせないとね。ですから、私が雨辺を洗脳して、鵺に関する危険思想を広めているなんてとんでもないことです」
 
「ええっ!?」
 
 瑠深(るみ)はそれを聞いて驚愕と嫌悪を表していた。
 永はここまで好きに語らせるべきではなかったと後悔した。珪がした話は、眞瀬木の立場にある人間が聞けば筋が通っている。
 
「あんた達、そんなこと考えてたの!?馬鹿馬鹿しい!今の話でわかったでしょ?眞瀬木だって雨辺の被害者なのよ!うちの秘石を奪われたんだから!」
 
 瑠深はヒステリックに叫んだ。懐柔できたような気がしていたのは間違いだった。彼女は紛れもなく眞瀬木の人間だ。
 
「お話は、わかりました。ですが私達は貴方を疑ってはいません」
 
「おや、そうですか」
 
 それまで黙っていた鈴心は、珪の方を強気に睨んで反撃の狼煙を上げる。
 
「貴方が何らかの形で雨辺に関わっていることは確信しています」
 
「──」
 
 その言葉に、珪は眉をピクリと震わせた。
 危険を感じた永は鈴心の前に出て庇い、同じ様に睨みつける。
 
「若さゆえに妄想が止まらないと見える。気高き鵺人(ぬえびと)がそんなことではいけませんね」
 
「お話、ありがとうございました。僕らはこれで失礼します」
 
 宣戦布告をしてしまった以上、ここに長居は禁物だ。永は鈴心の手を引いて立ち去ろうとした。その背に、珪が穏やかな声で話しかける。
 
「ひとつ、提案なのですが──」
 
「は?」
 
「君達は鵺の呪いを解くために行動しているのでしょう?私の力が役に立つと思うんです」
 
「え?」
 
 思いもよらない言葉に、永は思わず振り向いた。
 珪はにこやかに笑っている。
 
「どうでしょう、今後は私が梢賢(しょうけん)と共に君達の応援をさせて頂くのは?」
 
「貴方が、ですか?」
 
「ええ。銀騎の御当主は今病床なのでしょう?私でも銀騎に劣らない支援ができますよ。例えば──」
 
 詮充郎(せんじゅうろう)の現況を知っていることをこれ見よがしに披露した後、珪は更に挑戦的に笑った。
 
「式神を使って全国から情報を集めたり……ね」
 
 鈴心は珪のマウント取りに辟易していた。永がどう返答するのか不安になる。そんな視線を受け止めた後、永もにっこり笑って言った。
 
「お断りします」
 
「──」
 
 断られる想像をしていなかったのか、珪の顔は微笑んだまま歪んでいった。
 
「前にも言いましたが、僕らはすでに銀騎と和解しました。付き合いだけなら、あちらとは何百年単位だ。知り合ったばかりの貴方に僕らの情報を預けるのは──不安です」
 
 キッパリと断る永の後ろで鈴心も珪を睨む。永の毅然とした態度で勇気づけられたのだ。そんな二人を可哀想な者でも見る様な目で、珪は皮肉を投げつける。
 
「そうですか。やはり選ばれた人は言う事が違う。ただの村人はどんなに憧れても勇者のパーティには入れないんですねえ」
 
「僕らは勇者なんかじゃない。貴方が勝手に英雄視するのは結構ですけど、押し付けないでください」
 
「……」
 
 永もとうとう腹に据えかねて反論した後、最後だからと更に付け足した。
 
「失礼します──あ」
 
「?」
 
「勇者にだって選ぶ権利はありますよ。魔王に通用する力もない村人について来られても、却って迷惑です」
 
「──!」
 
 正に捨て台詞を吐いて、永は鈴心を連れて荒屋を出ていった。
 
「兄さん……?」
 
 後に残された珪は、妹の瑠深ですら見たことがないほど恐ろしい顔で立ち尽くす。
 八雲はそんな珪の様子を見て複雑な不安を持て余していた。







 雨辺(うべ)家では昼食前の祈りが終わっていた。梢賢(しょうけん)蕾生(らいお)は昨日同様、側での見学を許された。
 祈りの作法は昨日と寸分違わず同じ、時間の間隔が狂うほど──と言っても差し支えないほど(すみれ)(あおい)の様子は変わらなかった。
 
「はあい、お祈りおしまい。葵、お疲れ様」
 
「……」
 
 菫は昨日と同じく上機嫌だったが、祈りを終えた葵は何も言わずに居間から出て行った。少し顔色がよくないように見える。そして相変わらず(あい)は祈りの最中には姿を見せなかった。
 
「葵……くん、大丈夫スか?疲れてるみたいだったけど」
 
 心配した蕾生が聞くと、菫は楽観的に笑っていた。
 
「そうね、一生懸命お祈りするから疲れるのよ。少し休めば大丈夫!」
 
「はあ……」
 
 蕾生は葵が自室へと向かった方を気にし続けるが、梢賢は仏壇の中を指して菫に質問した。
 
「あのぅ、この仏壇の中のは観音様?ですかね?」
 
「いいえ、それはうつろ神像(しんぞう)よ」
 
「うつろ神は、(ぬえ)──てか、獣みたいな姿だって言いませんでしたか?」
 
 仏壇の中の仏像は、顔こそ狒々の様相だが首から下は一般的な人型の体であった。そんな蕾生の疑問にも菫はすんなりと答えてくれた。
 
「そうね。うつろ神様の本来のお姿は神獣ね。この神像は、うつろ神様の依代になったメシア様を模ったと言われているわ」
 
「だいぶ古そうっスね」
 
「それはそうよ。雨辺が麓紫村(ろくしむら)を出て、ここに落ち着いてからすぐに作ったものですもの」
 
「そりゃ、年代物ですなあ」
 
 梢賢はさらに情報を引き出そうと煽てるような相槌を打つ。それで菫はにこやかに続けた。
 
「元はもっと大きな像だったそうよ。麓紫村では大勢の信者達がその像に祈りを捧げていたわ」
 
「里にそんな像があったんですか?」
 
「ええ。でも雨都(うと)眞瀬木(ませき)のうつろ神排斥のせいで、私達雨辺は里を出て行かなければならなくなった。
 その時、大きな神像は持ち出せなかったから、仕方なくその瞳だけをくり抜いたの」
 
「もしかして──」
 
 梢賢がその手の中にあるものを指さすと、菫は満足そうに笑った。
 
「そう。我が家の家宝、犀芯の輪(さいしんのわ)はその瞳から作られているの。だからこうして、小さいけれど神像をまた作って、お祈りの時には像にお返しするのよ」
 
「瞳をくり抜いたってことは、そこが神像の大事な部分だったっちゅーことですか?」
 
「ええ。元々の像に収められたのも、この瞳にうつろ神様の毛髪と神気が込められていたからだそうよ。
 つまり本体は瞳の方だったというわけ。だから瞳だけでも持ち出したんでしょうね。
 でも昔から神像を拝んでいた習慣があったから、小さくても作ったんじゃないかしら。お祈りするにも雰囲気って大事でしょ?」
 
 菫の話は昨日皓矢から聞いた内容と合わせても矛盾はなかった。昔は村に像があったという新情報を手に入れた梢賢と蕾生は顔を見合わせて、もう少し踏み込んでいく。
 
「その元瞳が、どうして指輪になったんです?」
 
「さあ……私が生まれるはるか昔のことだから。指輪型にすれば肌身離さず持っていられるからかしら?今の私達は恐れ多くてそんなこと出来ないけれど」
 
 菫はそこまで知らなかった。今まですんなり話してくれている状況を鑑みてもしらばっくれているようには見えない。拍子抜けした梢賢は適当な相槌で流そうとしていた。
 
「ああ、お祈りのたびに葵くんがここに持ってきますもんねえ」
 
「大切な家宝ですからね。家の秘密の場所に隠してあるの。あら、いけない。葵ったらしまうの忘れてるわ──葵!葵!」
 
 自分の手元にある家宝にようやく気づいたような素振りで菫は自室に戻ったはずの葵を呼ぶ。だが、返事はなく葵が部屋から出てくる気配もなかった。
 
「?」
 
「どうしたのかしら……」
 
 仕方なく菫は立ち上がり、葵の部屋へと向かう。
 蕾生はその時嫌な予感がした。葵に対して抱いていた不安がより大きくなる。
 
「葵!葵!!」
 
 すぐに尋常でない声で菫が息子を呼ぶのが聞こえた。異変を悟った梢賢と蕾生も立ち上がった。
 
「なんや?」
 
「行くぞ」
 
 急ぎ葵の部屋へ向かうと、入口で菫が半狂乱で叫んでいた。
 
「葵!葵!どうしたの、葵!」
 
 葵は床に突っ伏して倒れており、菫が肩を揺すっても何も答えなかった。
 
「……」
 
「藍、何があった?」
 
 部屋の隅で膝を抱えて震えている藍の姿を確認した蕾生が聞くと、藍は悔しそうに唇を噛んだ後感情を押し殺して言った。
 
「葵はもう限界だよ。疲れ果ててる。このままじゃ──」
 
「きゅ、救急車!?」
 
「やめてちょうだい!そんなもの呼ばないで!!」
 
 慌てた梢賢が口走ると、菫は恐ろしい顔で叫んだ。
 
「でも……」
 
有宇儀(ゆうぎ)様に連絡するわ。葵を見ていただくなら有宇儀様しかいない」
 
 倒れている葵の体を抱きしめて菫は呟くようにそればかり言っていた。菫の腕の中で意識を失った葵の顔が垣間見えた。顔色は白かったが、苦しんでいる様子はなく静かに眠っているようにも見えた。
 
「貴方達、悪いけれど今日は帰ってくれる?」
 
「いや、でも……」
 
 蕾生は葵の姿から目を離せなかった。葵の姿はつい最近体験した出来事と重なる。
 
「ライオンくん、帰るで」
 
「いいのか?」
 
「出直しや。藍ちゃん、またな」
 
 二人にはここでできることはなく、伊藤を呼ぶと言われてはここにいることすら危険になる。梢賢は冷たいようだったが、冷静な態度だった。
 しかし、藍は去っていく二人を睨み続けている。それでも梢賢は背を向けて玄関へ向かった。蕾生は後ろ髪引かれる思いだったが、梢賢に従った。

 

「あかんなあ……一刻の猶予もないで、ありゃ」
 
 マンションを出てすぐ、梢賢が不安な顔を隠さずに呟いた。
 
「じゃあなんで出てきちまったんだよ?」
 
「伊藤を呼ぶなんて言われたら、あそこにはおれへんやろ。オレ達はまだなんも対策をたてとらん」
 
「けどよ……あの葵の姿、俺、見たことある」
 
 蕾生は彼女のことを思い出していた。
 
「何やて?」
 
「キクレー因子が暴走した時の銀騎(しらき)だ……」







 雨都(うと)家に戻った(はるか)鈴心(すずね)は肩を落として困っていた。
 
「もぉー、頼むよリン」
 
「すみません……」
 
 鈴心はシュンとして俯いている。永も頭を掻きながら途方に暮れていた。
 
「やばいな、つられて本格的に喧嘩売っちゃったよ」
 
「申し訳ありません。ムカついたので……」
 
「まあ、確かに嫌味なメガネだけどさー」
 
 決定的に対立したのは永の方であるが、きっかけを与えた鈴心の方がより落ち込んでいた。
 
 するとそこにバタバタと忙しない足音を立てて梢賢(しょうけん)蕾生(らいお)を連れて帰ってくる。
 
「ハル坊!ハル坊!」
 
「ん?どしたの、梢賢くん」
 
 息を切らせて汗だくのまま、梢賢は永に詰め寄った。
 
「キクレー因子のこと、詳しく教えてくれ!」
 
「へ?」
 
 間抜けな声を上げる永に、蕾生が雨辺(うべ)で起こった事を説明した。

 
 
「なるほど。(あおい)くんが……」
 
「なんて事……」
 
 葵の状況を聞いた永も鈴心も神妙な面持ちで息を飲んだ。
 
「あの倒れた姿。この前の銀騎(しらき)みてえだった」
 
「……ライくんがそう感じたなら、そうなのかもしれないね」
 
「おい!早く教えてくれ!キクレー因子が暴走するどうなるんや!?」
 
 すっかり興奮している梢賢の問いに、永は冷静な態度に戻ってから説明する。
 
「キクレー因子は(ぬえ)が持ってるDNAだって言ったよね。あれが活発化すると、鵺化する危険がある」
 
「鵺が持ってるDNAがなんで葵くんにあるんや?」
 
「キクレー因子は鵺に呪われた人間にも植えつけられてるんだ。僕にも、リンにもキクレー因子はある」
 
「正確には、私の中のキクレー因子は銀騎(しらき)詮充郎(せんじゅうろう)によって植えつけられたものですが」
 
 梢賢は焦るあまりに鈴心の補足もあまりに頭に入っていない様だった。
 
「じゃあ、ライオンくんが鵺に変化するのって──」
 
「ライくんの中のキクレー因子が鵺化を促してるんだ。キクレー因子保有の濃さによって個人差があるらしい」
 
「ライの中のキクレー因子が一番濃く活発なため、今の所ライだけが鵺化するんです」
 
 永と鈴心の説明は梢賢が欲したものではなく、地団駄を踏んで急かす。
 
「答えになってへん!君らはそうかもしれんけど、なんで葵くんまで!?」
 
「だから、雨都にもキクレー因子があるからだよ。雨辺は雨都の傍流なんだから、葵くんが保有していてもおかしくない」
 
「何やて?」
 
 あまり冷静でない梢賢の心を落ち着かせるように、永はゆっくりとした口調で説明した。
 
「「うつろがたり」に書いてあったでしょう?雲水(うんすい)は僕らに協力してくれた、そして鵺化の戦いに巻き込まれて雲水自身も呪いを受けている。僕ら程ではないけどね」
 
「キクレー因子は遺伝することが銀騎の研究でわかっています」
 
「オ、オレにもあるのか……?」
 
「恐らく」
 
 鈴心の補足が今度は届いた梢賢は、途端に青ざめて何も言えなくなった。
 
「ライから聞いた限りでは、星弥(せいや)の時と似ているようですね」
 
「銀騎の孫娘か?じゃあ、彼女を助けたって言うのは……」
 
 わなわなと震えながら梢賢がやっとそれだけ言うと、鈴心は頷いて続ける。
 
「星弥も詮充郎によってキクレー因子を植えつけられたデザインベビーです。星弥の実験は早い段階で失敗だとされていました。でも、私達と関わったせいで眠っていたキクレー因子が暴走して意識不明に陥りました」
 
「鵺化は、心身に重いストレスを与えられた時に起こる。これはライが何度もそうなっているから確かな情報だよ。あの時の銀騎さんも重大なストレスを抱えてた」
 
(すみれ)が葵に与えたストレスは、相当重いものだったでしょうから……」
 
 永と鈴心の説明を真面目に聞いていた梢賢はさらに身を乗り出して聞いた。
 
「どうやってその子は助かったんや!?」
 
「それが……」
 
「なんや!」
 
 梢賢の剣幕にたじろぎながら、永は困りながら答えた。
 
「なんで助かったのか、僕もわからないんだよ。その後ライくんが鵺化しちゃって大変だったから……」
 
「それじゃ困る!葵くんも助けてくれえ!」
 
「リン、あの時に起こったこと、皓矢(こうや)から聞いてないの?」
 
 永は降参するように両手をあげて鈴心に振った。すると鈴心も自信なさそう答える。
 
「お兄様もあの時のことは今も調査中だそうです。ただ、お兄様の想像では、ライが鵺化したからではないかと」
 
「どういうこと?」
 
「星弥の中のキクレー因子は厳密には鵺由来ではなく、人工のレプリカに過ぎません。詮充郎がその活発化を図りましたが、時同じくしてオリジナルが顕現したので、レプリカの出る幕がなくなったのでは、とお兄様は仰っていました」
 
 その仮説を噛み締めながら聞いた永は首を捻っていた。
 
「その理屈だと、葵くんには当てはまらないね」
 
「はい。雨辺のキクレー因子は何代も遺伝を経ているとはいえ、鵺由来のオリジナルですから。後は、保有するキクレー因子が少量であることを祈るしか」
 
「既に活発化しちまったから倒れたんだろ?」
 
 蕾生の質問にも鈴心は予想で答えるしかなかった。
 
「でも少量であれば鎮静化も容易いはずです、多分……」
 
 それを聞いて梢賢はますます青ざめた。
 
「少量やないかもしれん」