雨都(うと)家に戻ってきた(はるか)鈴心(すずね)を振り返りながら大きく息を吐いた。
 
「やー、しかし、リンも危ない橋渡るよねえ」
 
「事前に相談もせずに申し訳ありませんでした」
 
 鈴心は軽く頭を下げて反省の意を示した。
 
「うん、まあ結果オーライかな。でも思いつきで動くのはライくんだけで勘弁して欲しいなあ」
 
「ああ……ライと同等のことをしてしまうとは」
 
「まあ、直前にウラノス計画の話をしてたのが良くなかったよね!しかし、僕らも運が良くてよかったよかった」
 
「恐れ入ります」
 
 軽く諌めはしたが、永は全く怒っていない。むしろ鈴心の機転のおかげで眞瀬木(ませき)瑠深(るみ)から重要な情報を引き出せた。
 
「瑠深さんの調子じゃ、僕じゃあそこまで踏み込めなかった。上出来だよ、リン」
 
「有難きお言葉……」
 
「かたいなあ」
 
 鈴心は反省しきりでいるので永は苦笑する。蕾生(らいお)と同等に見られたのがショックだったようだ。

 
 蕾生と梢賢(しょうけん)が未だ帰らないので、永は再び編み物を始めた。
 
「ハル様、大丈夫ですか?」
 
「うん。疲れたらすぐ止めるから。祭まで日もないし」
 
「はあ……」
 
 心配そうにしている鈴心を他所に、永は編みながら瑠深から聞いた話を整理していく。
 
「しかし、あれだね。眞瀬木の(ぬえ)信者って誰だろうね」
 
「そうですね……あの口ぶりでは瑠深さんではないとは思いますが」
 
「僕らが知ってる眞瀬木の人は、墨砥(ぼくと)さんと(けい)さんぐらいだもんなあ」
 
 永の手元を注視しながら鈴心はもう一人の人物を思い出していた。
 
八雲(やくも)という人も眞瀬木の系列ですが、なんと言うかそういう派閥に関わるようなタイプには見えませんね」
 
「ザ・職人!って感じだったもんね」
 
 二人が抱く八雲の印象は、さながら芸術家のようなものであり、派閥と言われるような浮世のものとは遠いイメージだった。
 
「まだ眞瀬木には会ってない方もいるんでしょうね」
 
「そうだねえ……瑠深さんの「もういない」っていう言い方が気になるんだよなあ」
 
「最近までは確実に一人いた、ということでしょうか」
 
「それが誰なのか、何故いなくなったのか……」
 
 永は考えながらも着実にレースを編み上げていく。鈴心もその側で瑠深の言葉をもう一度思い出していた。

 
 
「ただいまさーん!」
 
 三十分も経った頃、陽気な声が聞こえた。梢賢が帰ってきたのだ。蕾生も後に続いて永と鈴心がいる居間にやってきた。
 
「あ、お帰り。今日は門限までに帰ってこれたね」
 
 永が声をかけて顔を上げると、蕾生も梢賢も汗だくになっていた。
 
「まあな。炎天下の中自転車漕ぐはめになったけど」
 
「ああもう、キツイキツイ!汗びっしょりや!」
 
 そんな二人の出立ちを見て、鈴心は少し遠ざかる。
 
「ちょっと、鈴心ちゃん?」
 
「臭いので来ないでください」
 
「ガーン!」
 
 ショックでよろめいた梢賢に、永は笑っていた。
 
「ははっ、じゃあまずシャワーでも浴びてきたら?」
 
「おう!そうさしてもらうわ!行くで、ライオンくん!」
 
 梢賢に肩をがっしと掴まれた蕾生は大袈裟に嫌がった。
 
「ええっ、お前と一緒に入るのか?ヤダよ!」
 
「ワガママ言いなや!時間の節約や!」
 
 上機嫌で蕾生を引きずっていった梢賢がこの世の終わりのような顔をして戻ってきたのは、それから二十分後だった。
 
「……」
 
「どしたの、梢賢くん?」
 
 永が驚いていると、その後ろで蕾生は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
 
「だから嫌だったんだ、俺は」
 
「あかん……完敗どころか、オレなんか豆粒や……」
 
「ああ……」
 
 梢賢の敗北感は、かつて永も味わったことがあるものだった。それを察した永は深く頷いて同意を示す。その様子を見ていた鈴心は更に嫌悪感を強めて男共を見下していた。
 

「あーあ、疲れちゃった!」
 
 梢賢がメソメソしているのを誰も構わなくなった頃、永が急にレース針を投げ出した。
 
「編み物、進んだか?」
 
「遅々として進まないよぉ。すぐ疲れちゃうんだもん」
 
 蕾生の問いに腑抜けた返事をする永を見て、鈴心が楚々と労った。
 
「ハル様、肩をお揉みします」
 
「いいの!?やったー」
 
 無邪気に喜ぶ永を見て、梢賢は少し引きながら言う。
 
「なんか、ハル坊おかしくない?」
 
「永は疲れ過ぎると精神年齢が下がるんだ」
 
 蕾生が説明すると、梢賢は顎に手をあて興味深そうに頷いた。
 
「ほう。自己防衛かね、これ以上疲れないように頭脳を使うのをセーブしてんのかな」
 
 永の手が止まったのを機に、蕾生が話し始める。
 
「永。俺達が街にいる時に皓矢(こうや)から連絡がきた」
 
「え?マジ?あー、そこそこ!で、何だって?」
 
「例の長男のことだ」
 
 嬉々として肩を揉まれていた永は、その言葉が出た途端、いつもの表情を戻していた。
 
「わかった。聞くよ」
 
「おお、急に正気に戻った!」
 
 梢賢が揶揄うのを無視して、蕾生は辿々しく説明を始めた。