蔵の中は一昨日入った時と同じ、薄暗く閑散としていた。書棚も変わった所はなくほとんどが空の状態のまま。その中の一ヶ所だけは新めの書物が数冊仕舞われている。
 
「二日ぶりに入ったけど──、リンは何か感じる?」
 
 (はるか)が蔵の中を見回しながら聞くと、鈴心(すずね)は申し訳なさそうに首を振った。
 
「いえ……特に何も」
 
「ふーむ、仮に眞瀬木(ませき)が式神かなにか使って入ったなら気配くらい残ってるかなーって思ったんだけどな」
 
「何もない……とは言い切れません。私には何も感じないだけです。眞瀬木と銀騎(しらき)の術の(ことわり)が違うとしたら、私程度では感知できないと思います」
 
「それ、ちょっと引っかかってるんだけど、リンは銀騎の術が使えるってこと?確認なんだけど」
 
 永は以前に星弥(せいや)に聞いたことがある。だが星弥は具体的なことは知らなかった。
 ただ、鈴心は幼少期に銀騎(しらき)詮充郎(せんじゅうろう)から頻繁に健康診断を受けていたと聞いた。その診断の内容や目的などは、結局聞けずにいる。
 あのクソジジイにお前は何をされたんだと、面と向かって聞く勇気が持てないまま、永はそのことがずっと気がかりでいる。
 
「いいえ、使えません。習っていないので。ただ、私の身体は銀騎詮充郎の精子からできていますから、銀騎のDNAによる感知能力だけはあるようです」
 
 鈴心は思いの外平然としていた。だがもたらされた事実は永の度肝を抜いた。
 
「ええ!?ちょっと待ってよ、てことは遺伝子上ではリンは詮充郎の子どもってこと!?」
 
「ああ、はい」
 
「いやいやいや、そんなケロっとした顔で言われても」
 
 永の動揺を見て、鈴心は肩を落として謝った。
 
「すみません。なんだかバタバタしていてウラノス計画の詳細を報告するのを失念していました……」
 
「まあ、そうだね。銀騎さんの昏睡とライくんの鵺化(ぬえか)があったから、それどころじゃなかったよね──て、待って。じゃあ、銀騎さんも孫じゃなくて……」
 
「遺伝子上は詮充郎の娘です」
 
「ああ、そう……なんか腑に落ちたよ」
 
 星弥のしたたかな性格や、鈴心に対する変態的な執着心などは確かに詮充郎寄りだと永は思った。皓矢(こうや)の妹というよりは、詮充郎の娘だと思うとしっくりくる。
 
「ウラノス計画の説明をいたしますか?」
 
「いや、今はいいよ。今度ライくんもいる時にね。それよりも今は慧心弓(けいしんきゅう)だ」
 
「御意」
 
 ウラノス計画はキクレー因子を人工的に保有させたデザインベビーを作ることだと皓矢から聞いている。その被験者が鈴心と星弥だ。
 それ以上のことを今この場で聞いて一人きりで受け止める覚悟が永には出来なかった。せめて側に蕾生(らいお)がいないと心細い。
 
 そうして鈴心との話をはぐらかした後、永は唯一書物が残されている箇所に近づいてその中の一冊を手に取った。
 
「うーん。読むのが怖いけど、これからいってみるか」
 
(まゆみ)さんの日記ですね?」
 
「うん。(かえで)サンが帰ってきた日のことが書いてあるといいなーって……あった、ここだ」
 
 永は日記帳をパラパラとめくって内容を追う。鈴心もその手元を覗き込んだ。
 
「『──ようやく楓が帰ってきた。ぼろぼろの姿で。弓矢もどこへやってしまったのやら。戻るなり倒れるように眠ってしまった』」
 
「これ……」
 
「やはり、弓は焼失してしまったみたいだね……楓サンは弓をここに持ち帰っていない」
 
「……」
 
 永はあまり気が進まないが、心の中で日記の持ち主に謝って読み進める。
 
「『眞瀬木に診てもらったが、楓は鵺の呪いを受けたらしい。これから徐々に体が弱っていくだろう。解除の術はない』」
 
「……」
 
 鈴心は黙って聞いている。当時の楓を思い出しながら。
 
「『もう、一日のほとんどを寝て過ごしている。ただ口だけは達者で、橙子(とうこ)に鵺話をするので困る』」
 
「……」
 
「『楓には私の姿も見えていないようだ。手指も冷たく、唇は乾き続ける。このまま死んでしまうのだろうか──』」
 
 楓の死にゆく姿が生々しく綴られており、それ以上は永も読めなかった。鈴心も啜り泣きながら止める。
 
「ハル様……、もう……」
 
「うん……僕もこれ以上は読めない……。それに、檀さんも僕らに読んで欲しくないと思う」
 
「ううっ」
 
 グスッと鼻を啜る鈴心の頭をそっと撫でて、永は日記帳を棚に戻した。
 
「他の手掛かりを探そう」
 
「そんなもの、あるでしょうか」
 
 目を擦りながら鈴心が弱音を吐くと、それを優しく受け止めてから永は日記帳の隣にある書物に手をのばす。
 
「うん。後はこれだね。雲水(うんすい)一族がここに来た当時の記録。恐らくその時は弓矢を持ち込んだはずだから、何か──」
 
 またページをめくる永の手元を鈴心は覗き込んだ。
 
「えーっと、ものすごく端的だなあ。書き留めただけって感じ」
 
「そうですね。『里に着いた』、『寺を与えられた』、『婿をとる』……」
 
「ん?」
 
 永と鈴心はある一文に注目した。
 
「『弓を……眞瀬木に──』」
 
「『──貸した』!?」