「私の両親がいた頃は、有宇儀(ゆうぎ)様のような上位の方は見たことがなかったわ。中学の時に両親が亡くなったのだけど、その頃初めて有宇儀様が来てくださったの」
 
「ほう……」
 
 梢賢(しょうけん)もまた心の中で、もっと喋れと願いながら聞いていた。
 今日は(すみれ)は随分とよく喋る。おそらくこちらを取り込もうと必死なのだろうが、逆に情報をとことん引き出してやると梢賢は意気込んだ。
 
「両親の葬儀や手続きなんかを全てやってくださった後、身寄りのなくなった私に後見人として生活費や全ての援助をしてくださると仰ったの」
 
「いきなり現れたんスか?」
 
「私にとっては突然だったけれど、有宇儀様は雨辺のことはずっと見守ってくださっていたそうなのよ。何故だかわかるかしら?」
 
 菫はニヤリと口端を上げて勿体ぶる。こう言う時はのせるに限ると知っている梢賢はわざとしらばっくれた。
 
「なんでですかね?」
 
「もう、こずえちゃん!最初に言ったでしょ?雨辺(うべ)はうつろ神様の一番弟子なんだって!だから特別なの。それに私には特に大切なお役目があるって!」
 
「なんスか、それ」
 
 蕾生(らいお)の天然の無知が功を奏していた。菫はさらに増長して身振りまでまじえて話す。
 
「私が産む子どもはうつろ神様の使徒になるだろうって!特に男子を産んだ暁には必ず上位の使徒として立派なお役目を果たすだろうって!」
 
 興が乗り過ぎているとすら言っていい菫の様子にさすがの梢賢も開いた口が塞がらない。
 更に菫は浮かれた声で蕾生に話しかけた。
 
「それから私は有宇儀様のもとで修行を開始したわ。そしてその甲斐あって、(あおい)を授かることができたの!これがどんなに凄いことかわかる?」
 
「いや……」
 
「あのね、雨都(うと)も雨辺も、昔から何故か女しか生まれない家系だったの。百年以上ずっとよ。だけど、とうとう私の代で男子を授かったの。葵は奇跡の子なのよ!」
 
「奇跡……ッスか」
 
 葵よりも先に産まれている男子、即ち梢賢を蕾生が見ると、気まずそうにしていた。
 
「あー、えーっと……」
 
「あ、そうね。先にこずえちゃんも生まれてたわね。でも雨都に生まれてしまったために、使徒様の素養が持てなかったからこずえちゃんはお気の毒だわ」
 
 菫は蔑むように笑っていた。先に産まれていた梢賢に対する負け惜しみと当て擦りなのは明らかだった。
 
「ムッ」
 
「ライオンくん、どうどう!」
 
 その態度にカチンときた蕾生だったが梢賢が小声で宥めるのでとどまった。しかし菫はどんどん増長していく。
 
「でも素養がなくてもこずえちゃんは蕾生様達の後見人になれたじゃない。卑下したらダメよ、頑張りましょうね!」
 
「はあ、そうですねえ」
 
 完全に梢賢を馬鹿にしている菫はもちろん、ここまで言われてもヘラヘラ笑っている梢賢にも蕾生は腹が立った。だが、梢賢はまた小声で蕾生を制した。
 
「ええねん、ええねん。黙って聞き!」
 
「という訳でね、私達親子はうつろ神様にとって特別な存在だから、メシア様が有宇儀様に命じて何不自由ない暮らしをさせてくださるの。──私は聖母(マザー)だから」
 
「そうスか」
 
 蕾生はすっかり臍を曲げて菫が最後に得意げに話した内容はあまり聞いていなかった。
 だが隣では梢賢が愛想笑いを浮かべて頷いていた。
 
「ははあ、なるほどぉ、そういう尊い経緯があったんですねえ」
 
 その梢賢の姿勢は本当に尊敬に値すると蕾生は改めて思った。今度は心から。
 
「だからね、蕾生様達も仮にも使徒様のたまごなんだから遠慮しなくていいのよ。急にうちの葵みたいな扱いは無理でしょうけど、それなりの事はしてくださるわ」
 
 この女は本当に終わっている、正気の沙汰ではないと蕾生はもう言葉も出なかった。
 
「はあ、じゃあ、まあよろしく頼んます……」
 
「おい、いいのか!?」
 
 蕾生が小声で責めると、梢賢もいい加減にキレているのだろう、小声だがその言葉は投げやりだった。
 
「仕方ないやろ!承知しとかんと話が進まん!」
 
 しかし菫はそんな二人のやり取りは耳に入らないし、見えてもいないのだろう。胸を張って大きく頷いていた。
 
「任せて!有宇儀様にしっかりお願いしておくから」
 
 そんな頃合いを見計らったかのように、時計がポーンと音を立てた。
 
「あら、いけない。もうそんな時間なのね」
 
「どうしたんすか?」
 
 梢賢が聞くとすっかり警戒心を無くした菫はあっさり教えてくれた。
 
「お祈りの時間なのよ。ちょうどいいわ、見学していらっしゃいな」
 
「いいんですか?」
 
 梢賢は思わず喜んでしまった。何せやっと儀式めいたものが見れるのだから。二年以上通ってやっと、である。
 
「ええ。隠す必要もなくなったしね。蕾生様にも参考にしていただけると思うわ」
 
「はあ……」
 
 蕾生の方は不安で仕方なかった。なんとか逃げられないかと考えていると、葵が少し呆けた顔をして部屋から出てきた。両手で小さなクッションのようなものを持っている。
 
「お母さん、時間です」
 
「いい子ね。始めましょう」
 
 菫は葵からそのクッションを受け取って少し厳かに立ち上がる。
 
「それは?」
 
 蕾生が指差して聞くと、菫は威厳をこめた声で答えた。
 
「これが我が家の家宝──犀芯の輪(さいしんのわ)よ」
 
 黒い、簡素な石造りの小さな輪がその手の中で妖しげに輝いていた。