転生帰録2──鵺が嗤う絹の楔

「全くもう、(すみれ)さんてば急に会いたいなんて、ちょうど街にいたからいいものをぅ!」
 
 カラオケボックスを後にした四人は菫のマンションへ向かっている。梢賢(しょうけん)は電話を受けてから顔が緩みっぱなしだった。
 
「締まりのない顔ですね……」
 
「僕らも一緒でいいのかな?」
 
 鈴心(すずね)が呆れ、(はるか)が不審に思っていても、梢賢は体をくねくねさせて舞うように歩いていく。
 
「て言うか、使徒様も一緒に連れてきて欲しいわーん、やて。甘え上手やなあ、ウヘヘヘ」
 
「ほんとにそんな語尾で言ったのか?」
 
 蕾生(らいお)のツッコミも、梢賢には聞こえていない。
 
「それにしても菫は梢賢が街に来てることを知ってたんでしょうか」
 
「さあ。たとえ村にいたとしても、あの梢賢くんの調子じゃあ自分が呼べばすぐ街に来るってわかってるんじゃない?」
 
「なるほど……確かに空でも歩きそうな勢いです」
 
 鈴心はまた梢賢に引き始めている。
 永はそんな浮かれ調子の梢賢のシャツを掴んで正気に戻そうと試みた。
 
「ねえ、梢賢くん。一昨日は僕らは君の友達として行ったけど、菫さんは僕らが使徒だってわかってたんでしょ」
 
「ん?そうや。一昨日の設定では、オレが使徒様をうまく騙くらかして里に呼んだから、とりあえず初対面かつ正体も知らないていで会って見定めて欲しいって言ってあってん」
 
「随分とまわりくどい事をしましたね……」
 
 呆れ続ける鈴心に弁解するその顔はまだニヤけていた。
 
「菫さんの反応を見るためや。それにできるだけフラットな状態の彼女を君らに見て欲しかってん」
 
「あれでフラットだったのか?」
 
「おお、もちろん。上出来な方やったなあ」
 
 一昨日の菫の様子はただのシングルマザーにはとても見えない異常ぶりだった。それを思い出していた蕾生は、あれがマシならこれから会う菫はどれだけトンでいるのか空恐ろしくなった。
 
「彼女が僕らを見定めた結果、反応はあったの?」
 
「その日の夜にメールが来たで。使徒様にお会いできて感激だったって」
 
「へ、へえ……」
 
 永も蕾生と同様に、不安を隠せなかった。
 
「まだ子どものうちに雨辺(うべ)側に引き入れましょって。だからまた近いうちに連れてきて欲しいわーん、て」
 
「だから語尾……」
 
「それで電話が来たんですね。一日経ったのに連れてこないから」
 
「かもなあ。菫さんはせっかちさんやからなあ」
 
 蕾生と鈴心の言葉もどこか上の空で浮き足立っている梢賢に、永は今度は襟足を引っ張って確認した。
 
「それで?今日は僕らはどんな設定で会えばいいの?」
 
「うん。素のままの君らでええで。ただ、前世だの呪いだのっていう基礎知識は持ってないふりしてくれる?」
 
「何故です?」
 
「詳しくは教えてもらえてないねんけど、うつろ神信仰の中での使徒っちゅうのはな、無垢な存在みたいなんや」
 
「無垢……」
 
 その意味を永は思考しようと試みるが、暑さと梢賢の浮かれモードのせいでうまく考えがまとまらない。
 
「そう。条件次第で黒にも白にも染まる存在や。そんな君らを手中に収めた者にうつろ神が降臨するって言われとるらしい」
 
「私達は道具扱いですか……」
 
 鈴心の呟きは的を射ているように思えた。だとすればこれから永達は菫に下の存在として見られる可能性がある。少し気に食わないが情報を引き出すためには仕方ないか、と永は息を吐いた。
 
「じゃあ、僕らは全員ライくんになれば良いって事だね」
 
「おい、俺がバカだってことか?」
 
 蕾生はこの手の話題にだけ鋭敏な反応を示す。
 
「せやな。ライオンくんくらい白紙な感じがちょうどいいかもしれん」
 
「難しそうですね、ハル様の溢れる知性を抑えるなんて」
 
「おい、クソガキ」
 
 不服そうな蕾生を宥めながら永はわかりやすくそうする目的を悟らせようとした。
 
「まあまあ。つまり僕らが何にも知らない態度を取れば、ここぞとばかりに洗脳しようとするって事でしょ?」
 
「ああ。それをオレは狙ってん。君らのバカさ加減では菫さんからかなりの情報が引き出せるかもしれんで」
 
 それでも蕾生は不貞腐れていた。
 
「うつろ神信仰の全容が掴めるかもしれませんね」
 
「おう。だから頼んだで、皆──」
 
 鈴心が歩くのを制して梢賢は突然真面目な顔を見せた。その視線は逆方向から歩いてくる人物に向けられている。
 
 背の高い男性だった。夏なのに黒いハイブランドのスーツ姿で、黒いハットを被っている。
 
「──!」
 
 その姿を見た途端、鈴心は体を強張らせた。その様子を見て永も緊張を高める。蕾生はあまりよくわかっておらず、二人が緊張しているので黙って様子を窺っていた。
 
 スーツ姿の男が四人に近づき、梢賢を一瞥だけして通り過ぎる。表情は読めなかったが、顔から年齢を重ねていることだけがわかった。
 
「今のが伊藤や」
 
 男が数メートル歩いた先で角を曲がってから梢賢が緊張を孕んだ声で言った。永はとりあえず見た目の評価しかできなかった。
 
「まじ、イケおじじゃん……」
 
 隣で震える鈴心に蕾生が声をかけたので、永もそちらに注目する。
 
「鈴心、どうした?」
 
「リン?大丈夫か?」
 
「あ、大丈夫、です。ちょっと迫力に呑まれそうに……」
 
 鈴心の顔色は真っ青だった。その反応をそのまま信じる永も息を呑んだ。
 
「確かにただ者じゃなさそうだ」
 
「俺は、よくわかんなかった」
 
 一人首を傾げる蕾生を見て、梢賢も複雑な顔をしている。
 
「君らの感知能力はかなりバラつきがあるんやね」
 
「そうかも。あんまり気にしたことなかったけど」
 
「そういうの、気にした方がええで。何があるかわからんからな」
 
「うん。今後は気をつけるよ」
 
 永は頭で考えるだけではどうにもならない事態がこれからは増えるだろうことに気を引き締めた。
 
「向こうから歩いてきたってことは、雨辺の家に行ってたのかな?」
 
「そうやろな。急に菫さんから電話が来るなんておかしいと思ったら、あいつの差し金やったんか」
 
「伊藤に入れ知恵されてるってこと?」
 
「ああ。こらいっそう気が抜けんな」
 
「そうだね」
 
 永は改めていつでも一触即発の状態であることを実感する。鈴心は不安でいっそう顔を曇らせた。蕾生もまた、二人の様子を見て緊張していた。







 マンションまでやってきた四人がインターホンを鳴らすと、(すみれ)が直ぐに出迎えた。
 
「こずえちゃんいらっしゃい。急にごめんなさいねえ」
 
 その表情は明るく、快活としていた。
 
「いいええ、ちょうど街におったから!」
 
 対してヘラヘラ笑っている梢賢(しょうけん)に微笑みかけた後、菫は(はるか)達を招き入れる。
 
「使徒の皆様もようこそお越しくださいました。どうぞお入りになって」
 
 開口一番にその単語が出るとは、菫は一昨日は猿芝居だったことをを先んじて言ったようなものだ。
 永は先手を取られて苦々しく思ったけれども、顔には出さずに愛想良く返事した。
 
「あ、お邪魔します……」
 
 蕾生(らいお)鈴心(すずね)も続いて部屋に入る。居間では(あい)(あおい)がソファに座っていた。
 
「おお、葵くん!藍ちゃんも今日はお揃いで」
 
「こ、こんにちは」
 
「また来たのか。クソ間男が」
 
 葵は控えめに挨拶し、藍は一昨日と同じく梢賢に辛辣な言葉を吐く。
 
「だからあ、間男やないって言うてるでしょうがっ」
 
「フン!」
 
「ムムム……」
 
 藍と梢賢が睨み合っていると、お茶を運んできた菫がのんびりとした口調で言った。
 
「葵?使徒様達に失礼な事言ったらだめよ」
 
「え?ぼ、僕……」
 
 葵は戸惑っているが、菫は藍の方を見向きもしない。梢賢は慌てて戯けてみせた。
 
「ええんですわ、菫さん。これも藍ちゃんとのコミュニケーションのひとつですわ」
 
「本当に困った子ね。だからいっそう精進しなさいって有宇儀(ゆうぎ)様に言われるのよ」
 
「ゆうぎ?」
 
「ああ、こずえちゃんは会ったことなかったかしら?私達の後見をしてくださってる方よ。伊藤(いとう)有宇儀(ゆうぎ)様とおっしゃるの」
 
 饒舌な菫の態度を永は不審な思いで見ていた。梢賢の話では伊藤という男のことはそれまで名前すらも教えていなかったはずだ。それなのに今日いきなりこんなに喋るなんて。
 
 それを感じるよりも、梢賢は突然の名前呼びに動揺を隠せなかった。
 
「あ、へー、そうなんですかあ。し、下の名前で呼ばはってるなんて、と、特別な人なんかなあ……?」
 
「あら、そうじゃないわ。あの方は私なんか手の届かないほど上にいるお方なのよ。それに、どちらかと言えば、私は年下の方が好きなの」
 
 少し上目遣いで梢賢に猫撫で声で話す菫は一昨日見た彼女よりもしたたかさを感じる。しかし梢賢は真っ赤になって喜んでいるだけだった。
 
「えっ!ああ、そうでっかあ!へへへえ、そうなんですねえ」
 
 その様子に鈴心はドン引きしていた。バカ丸出しの顔が本当に気持ち悪いと言う目をしている。
 永も転がされている梢賢の姿に呆れていた。
 
「あらいけない。話題が逸れちゃうわね。お茶でもどうぞ」
 
 にこにこ微笑みながら四人と葵に麦茶を菫は差し出す。藍の分はなかった。
 
「……」
 
 人前で堂々と娘を無視する菫の姿に蕾生はやるせない怒りを募らせる。他の皆も気づいているはずなのにそれを指摘できる勇気のある者はいなかった。
 
「先日はごめんなさいね。使徒様が来てくださったのに、知らないふりなんかして」
 
 菫が醸し出す雰囲気は他人からの苦言等が一切耳に入らないようなものだったからだ。菫はどこを見ているのだろう。永に話しかけてはいるけれど、永のことは見えていないようで、自己倒錯の世界に入り込んでいるのではないかと思えた。
 
「いえ、えっと、事情があったとか……」
 
「と言うか、本当に烏滸がましいんだけど、貴方方を見定めさせてもらっていたの。うつろ神様の使徒たる資格があるかをね」
 
「は、はあ……」
 
「大丈夫。結果は合格よ。三人ともとっても素直そうな良い子なんですもの!」
 
 朗らかな笑顔で言い切った菫。その上から目線な物言いに鈴心は心の中で怒り、蕾生はますます嫌悪感を抱く。
 そんな二人を矢面には出すまいと、永は必死で愛想笑いを浮かべていた。
 
「それで、貴方方は御自分の宿命についてどれほど御存じ?」
 
「いえ、僕らは梢賢くんに集められただけで、まだよくわからなくて」
 
「まあ、そうなの。まだ覚醒されてないのね」
 
「覚醒?」
 
 鈴心が眉を顰めたまま聞くが、菫は笑顔を崩さずに言った。
 
「ええ。使徒様は御自分の宿命に気づいた時、覚醒して上位の存在におなりになるの。貴方方はそのひよこってトコかしらね」
 
「上位の存在って何ですか?」
 
「それは使徒様それぞれで違うようだけど、私達とは全く別の高次元の存在よ。修行を始めればじきに覚醒されると思うわ」
 
 永が具体的に質問してみても、その答えに具体性はない。菫の話は抽象的過ぎる。(ぬえ)、もとい、うつろ神信仰の全容がまるで見えてこないことに一同は少しずつ焦れていった。







「修行……ですか?」
 
「どんなことするんだ?」
 
「んー、それは有宇儀(ゆうぎ)様の指示がないと何とも言えないわね。でもおそらく貴方方にもお薬が処方されるはずよ」
 
「く、薬ッ!?」
 
 鈴心(すずね)蕾生(らいお)が代わる代わる聞いてみても結果は同じだったが、その後の(すみれ)の発言に一同は驚愕した。
 
「大丈夫。便宜的にお薬って言ってるだけで、危険なものじゃないわ。これくらいのね、お札を飲むのよ」
 
 親指と人差し指で一センチほどの隙間を作ってその大きさを表現しながら菫は笑う。
 しかし鈴心には到底受け入れられることではなかった。
 
「な、なんですか、それは?」
 
「私達の頂点にはね、メシア様という方がおられるの。メシア様はうつろ神様が降臨される時にはその器となるお方。その方が毎日祈りを捧げられたお札をね、有宇儀様が持ってきてくださるの」
 
「そんなの飲んで大丈夫なのか?」
 
 蕾生が疑心を言うと、梢賢(しょうけん)はまずい、と肩を震わせる。
 
「そうね、不安になるのはわかるわ。でも最初だけよ。メシア様のお力を体に蓄えることで、素晴らしい力に目覚めると思うわ」
 
「……」
 
 猜疑の目を向ける蕾生に梢賢は人知れず焦った。そんな態度をとって菫が不機嫌になったらと思うと気が気でない。だが、その心配は無用だったようだ。菫のご機嫌なお喋りは続く。
 
「実はね、私の息子の(あおい)も貴方方と同じく使徒様のひよこなのよ」
 
「ええっ!」
 
 (はるか)の驚きを好意的にとった菫はさらにウキウキした調子で息子を見ながら言った。
 
「葵はお薬を飲み始めて随分経つけど、健康そのもの。むしろ日々力が増してるわ。貴方方の先輩なのよ」
 
 そんな母の言葉に、葵は暗い表情で俯き、(あい)は睨みながら葵の手を握っていた。
 
「なんだかすごい世界ですねえ」
 
 永はそう言うしかなかった。何か反論でもしようものならきっと恐ろしい事が起こる、と直感していた。
 
「大丈夫!私が一生懸命サポートさせていただくわ、一緒に頑張りましょうね!」
 
 鈴心も蕾生も永を見習って薄ら笑うだけに留める。
 
「こずえちゃんは、この方達の後見人として有宇儀様に報告しておくわ。これからはずっと一緒に頑張りましょう!ね!」
 
「あ、あはは、よろしく頼んます……」
 
 梢賢も同様に愛想笑いしていると、菫はあらぬ方向を見ながらうっとりして言った。
 
「ああ、今日は素晴らしい日だわ!使徒様がこんなに増えるなんて、雨辺(うべ)家の未来は明るいわね!」
 
 ここまでイッてしまっている者をどうやって正気に戻せばいいのか?永はそれが途方もないことに思えた。
 
 皆が二の句が告げなくなっていると、小さくも侮蔑を孕んだ声で藍が呟く。
 
「バカじゃないの?」
 
「──え?」
 
 ぐる、と急に首を回して菫は地獄の底から聞こえるような低い声でようやく藍の方を振り返った。
 
「そんな神様いるわけないじゃん!葵はあのお札のせいで毎日苦しんでる!それを修行なんて言ってお母さんは見ないフリして!」
 
 しかし藍はそんな雰囲気にも構わずまくしたてた。菫は恐ろしい顔で黙って聞いている。
 
「葵だけじゃなくて、おバカな子ども四人も丸め込んで責任とれるの!?この人達の保護者に訴えられたら終わりなんだよ!?」
 
 怒りに任せて訴える藍の言葉に、菫はワナワナと震え出す。堪らず梢賢が割って入った。
 
「あ、藍ちゃん、ちょっと落ち着こうな?な?」
 
「うるさい!間男!お前もお母さんを上手くのっけて調子に乗らせて!お前なんか来なければこんな事にならなかった!」
 
「う……」
 
 押し黙ってしまった梢賢にも構わず、藍は耳を塞いで泣き叫ぶ。
 
「もう嫌!もう沢山!葵、行くよ!こんな家、いたくない!」
 
「お、お姉ちゃん!?」
 
 藍は葵の手を引いて、そのまま玄関を飛び出してしまった。パタパタと走る足音が遠ざかる。
 
「葵!?」
 
 菫は悲鳴を上げんばかりの動揺を見せる。梢賢はすぐさま立ち上がった。
 
「皆、追うで!」
 
 永達も頷いて立ち上がったが、それよりも早く菫は息子の名前を呼びながら玄関に向かっていた。
 
「葵!葵!」
 
「菫さんはここで待っとってください、オレ達が連れ戻します!」
 
 咄嗟に梢賢が止めるけれど、菫は半狂乱で叫んだ。
 
「嫌よ!葵は私の息子よ!私がいなければ葵はだめなのよ!」
 
「菫さん!!」
 
 梢賢は大声を張り上げ、菫の肩を掴んだ。
 
「悪いけど、菫さんに反抗して藍ちゃんは出ていったんです。だから菫さんはいかない方がいい。オレ達がうまく宥めますから!」
 
 すると少し弱気になった菫はその場で止まって梢賢に懇願した。唇がフルフルと震えていた。
 
「ああ……わ、わかったわ。こずえちゃん、葵のことお願いね」
 
「藍ちゃんの話もちゃんと聞いてきます」
 
「……」
 
「行くで、皆!」
 
 菫を玄関に残して、梢賢の号令とともに四人はマンションを出た。

 
「子どもの足じゃ遠くまでは行けないと思いますけど、もう姿がありませんね」
 
 街並みを走りながら鈴心が言うと、梢賢には明確な目的地があるようで、目指す方向を示しながら走る速度を緩めた。
 
「多分、街外れの公園やと思うわ。あの子らも頭を冷やす時間がいるやろ。少し緩く走るで」
 
「わかった。しかし、ここまでの事態になってるとはね」
 
「常軌を逸してるぞ、こんなん」
 
 永と蕾生の遠慮のない言葉に、梢賢は悔しそうに歯噛みしていた。
 
「オレが迂闊やった。まさかこんなに闇が濃くなってるなんて……」
 
 ゆっくり走る四人の頭上には厳しい日差しが当たり続けていた。







 四人がゆっくり走って十分もすると小さな公園についた。象を形どった遊具の中に(あい)(あおい)は身を寄せ合って座り込んでいた。
 
「……」
 
「お姉ちゃん、だいじょうぶ?」
 
 涙目でうずくまる藍に、葵はその頭を撫でて気遣った。藍は目元を手で拭きながら強がっている。
 
「うん。ごめんね、あたしがしっかりしないといけないのに」
 
 ふるふると頭を振っている葵に、藍は精一杯の笑顔で答える。
 
「葵、あたしが絶対守ってあげるからね」
 
「うん、お姉ちゃん」
 
 そんな二人の会話に割り込んだのは梢賢(しょうけん)の首だった。
 
「おお、おったおった。良かったわあ」
 
「!」
 
 遊具を無遠慮に覗き込んだ梢賢はその顔にグーパンチをくらう。
 
「イテ!うーん、藍ちゃん、ナイスパンチやで」
 
「そんなこと一ミリも思ってないくせに!キモいんだよ!!」
 
「ガーン!」
 
 少し遅れた(はるか)達がそこに近づくと、梢賢がよろめいていた。
 
「どしたの、梢賢くん?」
 
「うう……心が、心に穴があいてん……」
 
 わざとらしい演技の真似を放っておいて、鈴心(すずね)がしゃがんで藍と葵に声をかけた。
 
「あんな親で災難ですね。少しお話ししません?」
 
「あんた達、お母さんの手下じゃないの?」
 
 藍が葵を守りながら言うと、鈴心はにっこり笑って答える。
 
「まさか。油断させて情報を聞こうとしていただけです。こちらの周防(すおう)(はるか)様はきっと貴女の力になってくれますよ」
 
 突然紹介されたので咄嗟にうまい言葉が出ず、永は少し屈んで挨拶した。
 
「はは、どうもー」
 
「……笑顔が胡散臭い」
 
「ガーン!」
 
 今度は永がオーバーリアクションをする番になり、蕾生(らいお)がつっこんだ。
 
「どうした永?」
 
「うう……純真な子どもに言われると堪える……」
 
「うふふ、お兄ちゃん達面白い」
 
 梢賢と永のコミカルな動きが功を奏して、葵はクスクス笑っていた。その反応に藍が態度を軟化させて答えた。
 
「まあ、少しなら話してもいいけど」
 
「良かった。じゃあ、ベンチに移動しましょう。木陰があります。ライ、何かジュース買ってきてください」
 
「おう」
 
 言われた蕾生はすぐ近くの自動販売機に駆けていった。その間に鈴心は二人をベンチに誘導する。一緒に腰掛け、梢賢と永はその脇で立つことにした。
 
 間もなく蕾生が両手にジュースを持って帰ってきた。
 
「コーラとオレンジジュース、どっちがいい」
 
「葵は炭酸飲めないから、あたしがコーラ飲む」
 
「ん」
 
 二人にジュースを渡すとすぐに蓋を開けてゴクゴクと飲み始める。真夏の炎天下を走ってきたのだから当然のことだが、葵は殊更感動するように飲んでいた。
 
「お、おいひい……」
 
「なんだよ、大袈裟だな」
 
「大袈裟じゃない。うちにこんな甘い飲み物ない。こんなに冷たいのも」
 
 藍の言葉に改めて永は(すみれ)の異常性を感じている。二人が落ち着くのを待って、鈴心が話しかけた。
 
「藍ちゃん、お母さんがああなってしまったのはいつからですか?」
 
「そんなのわかんない。お母さんはずっとああだから」
 
「相当だな」
 
 蕾生の吐き捨てた感想を鈴心はひと睨みで制して、また藍に向き直る。
 
「それでは、今日みたいにうっとりするような感じになるのは?」
 
「時々。伊藤のおじさんが来た時とか」
 
「この梢賢が来た時は、お母さんはどんな感じですか?」
 
「えっ」
 
 梢賢は肩を震わせて何かを期待している。そんな姿に冷ややかな視線を送った後、藍は淡々と言った。
 
「別に。今日こそしょうけんをかんらくするわって意気込んでる」
 
「──」
 
 放心してしまった梢賢の肩を永が叩いて慰めた。
 
「オツカレ」
 
 だが、心の中は爆笑している。
 
「葵くんはいつからお札を飲んでるんですか?」
 
「え、えっと……」
 
 鈴心が今度は葵に尋ねると、葵はうまく言葉が出ず、代わりに藍がスラスラと説明する。
 
「二年前。そいつがうちに来るようになって、そしたら伊藤のおじさんが新しい修行だよって持ってきた」
 
「二年間、毎日?」
 
「うん」
 
「藍ちゃん、君は飲んでるの?」
 
 永が聞くと、藍は少し俯いて首を振った。
 
「あたしは──飲んでない。お母さんには無視されてるから」
 
 その反応を見て、鈴心は少し躊躇いながら言葉を選びながら尋ねてみた。
 
「あの、違ってたらすみません。今日着ている服、一昨日も着てましたよね?一日あれば洗濯して乾くとは思うんですが……」
 
「お洋服はこれしか持ってない」
 
「──」
 
 藍の回答に、さすがの鈴心も言葉を失っていた。
 
「おい、永……」
 
「うん。これはかなり深刻だ」
 
 重度の育児放棄を連想した蕾生と永を他所に、梢賢が会話に割って入る。
 
「藍ちゃんよ。君の状況はわかった。けんど、今の所君らは菫さんと暮らすしかない。わかるな?」
 
「ちょ、梢賢!」
 
 戸惑う鈴心を制して梢賢は藍に顔を近づけ瞳を見据えて言う。
 
「もうちょっとだけ我慢してくれるか?菫さんはオレ達が必ずなんとかする」
 
「そんなの信じない」
 
「できるだけ早く菫さんが正気に戻るように、オレ達が頑張るから」
 
「……」
 
 疑惑の眼差しを続ける藍に、梢賢も少し力を抜いて本音で接した。
 
「まあ、そら何ともならんかもしれん。そん時は、君らはオレの家に来たらええ」
 
「お母さんは、どうなるの?」
 
 葵が純真な顔で聞くのに梢賢は少し心を痛めた。本当に最悪の場合は言える訳がない。優しい嘘が正しいかなんてわからない。けれど梢賢は今はそうするしかなかった。
 
「そうやな、菫さんも一緒に来たらええよ。優しい普通のお母さんになってな」
 
「お前を父親とは認めないぞ」
 
「ええっ!?やだ!そういう意味じゃないのにっ」
 
 藍に言われた言葉に梢賢は努めてコミカルに照れた。その気持ちが伝わったのか、藍も渋々と頷いた。
 
「まあ、考えてやってもいい」
 
「そうか、あんがと。絶対に助けるからな」
 
 藍と葵の頭に手をおいて笑ってみせる梢賢の姿は健気だった。永達は改めて梢賢の胸の内を思いやる。
 
「よし、じゃあ送ったるから帰ろ。一緒に謝ったる」
 
「あたしは悪いことなんかしてない」
 
「わかったわかった。オレが謝ったるから」
 
 藍と梢賢のやり取りの中、永の携帯電話が軽快な呼び音を立てた。
 
「うん?」
 
「どうした永?」
 
皓矢(こうや)からメッセージだ。調べがついたから電話して欲しいって」
 
「おう、ちょうどええわ。オレは二人を送って、ルミ御所望のタルト買ってくるわ。その間に電話したらええ」
 
 梢賢は既に藍と葵と手を繋いでいた。
 
「いいの?」
 
「里では出来んやろ。オレもいない方がよさそうやしな」
 
「わかった。じゃあ、後で」
 
「おう、後でな」
 
 そうして梢賢は二人の手を引いて公園から出て行った。







 (はるか)皓矢(こうや)に電話をかけるとすぐに繋がった。動画通話に切り替えて、その画面を三人で覗き込む。
 
「ああ、早かったね。大丈夫なのかい?」
 
 画面の向こうの皓矢は本棚を背に映っていた。薄暗いのでおそらく研究所の書庫だろう。
 
「うん。今公園なんだけど、周りは誰もいないし、念のため梢賢(しょうけん)くんは外してもらった」
 
「そうか。それなら話しやすい」
 
「そう言えば、ホテルのことはいろいろ、あ、ありがとな」
 
 永は珍しく小声で呟いた。銀騎(しらき)に対しては下手に出たくない意地があるので素直になれないんだな、と蕾生(らいお)は思った。
 皓矢の方もそれを充分察しているので苦笑しながら頷く。
 
「どういたしまして。不自由はないかい?」
 
「大丈夫です、お兄様」
 
 鈴心(すずね)が少し身を乗り出して返事をすると、皓矢もにっこりと笑った。
 
「やあ、鈴心。元気そうだね」
 
「はい。おかげさまで」
 
 その声を聞きつけたのか、最初からいたのかはわからないが突然星弥(せいや)の顔が画面に飛び込んできた。
 
「すずちゃーん!!」
 
 その弩級の大声は永と蕾生の鼓膜をつんざいた。
 
「せ、星弥……」
 
「すずちゃん、そっちはどうなの!?暑いんじゃないの!?熱中症は大丈夫なの!?」
 
 鈴心に関する星弥に洞察の鋭さに永も蕾生も少し怖くなった。鈴心はその剣幕に押されて少し口篭っている。
 
「ええっと、昨日少しアレでしたが、今日はもう慣れました」
 
「ええ!?気をつけてよ、もう!蕾生くんっ!わたし言ったよねっ!?」
 
「も、申し訳ない」
 
 とばっちりだったが、星弥の雰囲気に逆らえず蕾生は思わず謝った。
 
「すずちゃんもすずちゃんだよ!毎日電話してって言ったのに、兄さんにばっかり電話してずるいったらない!」
 
「ハル様、あれは気にせずお兄様と会話してください」
 
 ついに鈴心は永の後ろに引っ込んだ。しかし星弥の方は更に画面に近づいてどアップで迫る。
 
「あ、ちょっと、すずちゃん?すずちゃーん!」
 
 その変態性が更に増しているので蕾生もつい一歩後ずさる。画面の奥から皓矢の溜息と呟きが聞こえた。
 
「ルリカ」
 
 するとその声に反応して青い大きな鳥が甲高い声とともに現れた。鳥は星弥の首根っこを嘴で掴んで部屋の奥へ引きずっていった。
 
「あっ、ちょっと、ルリちゃん、待って!もう少しだけえぇぇ……」
 
「その鳥──」
 
 何度か見たことはあったけれど、皓矢が何かを攻撃したり守ったりする以外にも出てくるのかと蕾生は驚いた。
 
「ああ、そういえば色々忙しくてきちんと紹介してなかったね。あの子は瑠璃烏(ルリガラス)と言う僕の式神だ。気軽にルリカと呼んでるけどね。今は修行中の星弥のお目付役をさせている」
 
「そうか。まあ元気そうで良かった」
 
 蕾生にはその形容しか穏便に言えることがなかった。
 
「星弥も修行がだいぶキツくてね。ストレスが溜まってあんなことに」
 
「いやあ、元からだよねえ」
 
 遠慮しない永は星弥のあれがストレスからではないことをはっきり言う。星弥は陰陽師の修行をするためについてこなかったので、蕾生は一応その進捗を気にした。
 
「皓矢……サンが、修行をつけてるンスか?」
 
「最初はそのつもりだったけど、僕は妹を甘やかしてしまうようでね。僕の師匠にそれがばれて、今は師匠に指導してもらっているよ。師匠は厳しいから、ストレスが溜まって……」
 
 困ったように笑いながら言う皓矢に永はもう一度言い切った。
 
「だから、元からだって」
 
「まあ、その辺は帰ったら教えてあげよう。本題に入るけどいいかな?」
 
「もちろん。何かわかった?」
 
 堂々巡りになりそうな雑談から脱して、皓矢は少し真面目な顔に戻して話し始める。
 
「そうだね、お尋ねの眞瀬木(ませき)という呪術師とうちに接点があるかだけど、結論から言えばあった」
 
「へえ!」
 
「銀騎はどこにでも出てくるな」
 
 予想はついていたが、自分達の周りに必ずいる銀騎の存在に永も蕾生も改めて驚いていた。
 
「ははは、申し訳ない。あったと言っても、かなり昔の話だ。ざっと二百五十年前の記録に少しだけね」
 
「そんな前かよ」
 
「当時は陰陽師という稼業そのものが衰退していてね、それを打破するべく銀騎(しらき)朝詮(ちょうぜん)という人が身内以外にも術者を募ったんだ」
 
「銀騎朝詮って、おたくの開祖でしょ?」
 
 永が確認すると、皓矢も大きく頷いた。
 
「そう。お祖父様が尊敬してやまない偉大な先祖だ。尤も、銀騎という字に改めてからのことだけどね」
 
「改名したってことか?」
 
「そうだね。それ以前は違う漢字を充てていたんだけど、師羅鬼(しらき)幽保(ゆうほ)──元々の朝詮の名前なんだけど、彼が改革して身内以外にも全国から有力な術者を集めたんだ」
 
「へえ……」
 
 永がそれを初めて聞くような感じで聞いているので皓矢は首を傾げながら尋ねる。
 
「永くんは覚えていないかい?」
 
「そんな昔のことは鮮明にはわかんないな。もっと前から陰陽師には狙われてたけど、そいつの名前なんて興味なかったし。銀騎って言う名前も知ったのは最近な気がしてる」
 
 永の記憶力のセーブについては梢賢から言われていたので、蕾生はそんなものだろうと思っていた。
 
「そうか。確かに君達から見ればうちはいつも胡散臭い奴らだったろうからね。
 で、師羅鬼幽保は身内と有力な術者をまとめて陰陽師集団・銀騎を作った。それが今でも続いている我が家という訳だ」
 
「それはちょっと知ってる。親戚筋を分家において、外部からの人達を部下としてこき使ってるんでしょ。親藩と外様みたいな」
 
 容赦ない永の例えに皓矢は苦笑しながら頷いた。
 
「まあ、そうだね。今から二百五十年前、銀騎の黎明期において、眞瀬木家はその外様候補だった」
 
「集めるというと、どのようにしたんですか?」
 
 星弥がこれ以上出てこないと見定めた鈴心が永の後ろからひょっこり顔を出して聞いた。
 
「公募もしたし、こちらからスカウトに行ったりもしたようだ。眞瀬木家はこちらから幽保本人が当時の麓紫村(ろくしむら)に出向いている」
 
「ええ?だって隠れて住んでたのに?なんか不思議な結界が張ってあったけど?」
 
「そうです。私達も目の当たりにしましたが、とても奇妙なものでした。銀騎に見つかるとは思えませんでしたよ」
 
 永と鈴心が口々に言うと、皓矢は少し考えてたら見解を述べる。
 
「恐らくだけど、君達が見たその奇妙な結界は雨都(うと)が村にやってきてから張り直したものじゃないかな?当時はごく普通の結界だったと記録されている。ただ、その記述を僕は少し疑っている」
 
「と言うと?」
 
「麓紫村の結界は幽保本人が出向かなければ破れないものだった可能性もある。天才の幽保には普通の結界に見えただけかもしれないね。
 総じて考えると、村に張ってある結界は今も昔も強力なものであることは間違いない」
 
「つまり、開祖の力をもってしかコンタクトがとれなかったほど、眞瀬木の力は強いということですか?」
 
「そう。スカウトしたくなる気持ちもわかるだろう?」
 
 鈴心の確認に皓矢は満足そうに頷いていた。







「それで?銀騎(しらき)がスカウトしてどうなったんだよ」
 
 (はるか)皓矢(こうや)に話の続きを急かした。
 
眞瀬木(ませき)家は民間出身の呪術師だ。衰退しているとはいえ、陰陽師の肩書を持つ銀騎の誘いには両手を挙げて喜んだそうだ。そして当時の当主の長男をうちに修行に出したとある」
 
「へえー、銀騎はお弟子さんも集めたんだあ」
 
 嫌味を込めた永の言葉を皓矢は気づかないフリをして続けた。
 
「銀騎の下で働いてもらうためにはうちの術や理を学んでもらう必要がある。当時は全国から術者の子息が集められて教育を施したそうだ」
 
「でも良かったのか?よくわかんねえけど、他人に自分家の手の内を教えるなんて危ねえんじゃ?」
 
「集められた子息達は二度と実家に戻ることはない」
 
 蕾生の質問に皓矢は平然と言ってのけた。それに永はまた嫌味で反応する。
 
「出た。卑怯なやつ」
 
「当時は切羽詰まっていたからね。子息の実家にはきちんと説明しているはずだけど」
 
「それで、眞瀬木の長男はどうなったんですか?」
 
 鈴心の問いに皓矢は溜息混じりで答えた。
 
「それが、どうもこの長男が問題でね。詳しい経緯は記されていないんだけど、銀騎に来た後ごく短い期間で出奔している」
 
「ああ……それが確執ってこと?」
 
「だろうね。うちにある記録はこちら側から書いたものだから、眞瀬木が悪いようになっているけど、真相はわからない」
 
「まあ、呪術師なんてどいつもこいつも良くはないよ」
 
 公平を気取った皓矢の説明も永にしてみれば同じ穴の貉である。
 
「はは、耳が痛いね。だけど、うちにも言い分はある。眞瀬木は出奔する際、銀騎から(ぬえ)の遺骸の一部を持ち出している」
 
「──!」
 
 皓矢の言葉に鈴心は大きな衝撃を受けていた。
 
「じゃあ、眞瀬木が悪いんじゃね?」
 
「問題は、そこじゃないよ」
 
 のんびり言った蕾生の言葉を永が真面目な顔で否定した。画面上の皓矢も今までで一番神妙な顔つきになっている。
 
「そう。出奔した眞瀬木家の長男が鵺の遺骸と銀騎の技術を麓紫村に持ち帰ったんだとしたら……」
 
「眞瀬木の技術、銀騎の技術、鵺の未知数の力が合わさって、独特のやばい術に進化を遂げた──なら、あの変な結界も説明がつく」
 
 永の考えを捕捉するように皓矢も言った。
 
「そういう雑種の力は、時として我々のような正当な陰陽師には想像もつかないような術を作り上げる」
 
「うわー、自分で言った。高飛車発言!」
 
 永がそう揶揄すると、皓矢は苦笑していた。
 
「今のは眞瀬木を褒めたんだよ?それにこの件があってからうちもオリジナリティのある術の開発を始めた。それを完成させたのが僕の父だ」
 
「マジかよ、超天才じゃん。どうりでお前の使う術って変な呪文だと思った」
 
 皓矢が使う陰陽術はその祝詞からまず違う。永は今まで使われてきた一般的なものとは一線を画す皓矢の術を思い出していた。
 
「父の作り上げた術体系の使い手は、僕と師匠だけ。あ、星弥はまだタマゴだね」
 
「ではお兄様の力なら麓紫村を探せたのでは?どうして放っておいたんです?」
 
 鈴心の素朴な疑問に皓矢は呑気に答えた。
 
「んー、それを言われると困るなあ。なにせ二百五十年前の出来事だったからねえ。僕もそんな古い記録を理由もなくわざわざ読んだりしないしねえ」
 
「なんだよ、ちゃんと代々言い伝えろよな。だから今になって問題になるんだ」
 
「それは申し訳ない。そんなに眞瀬木とうちの因縁は問題なのかい?」
 
「もう、ちょっと酷いよ。心して聞けよなあ」
 
 そうして永は文句を言いながら雨辺(うべ)家についての現状を皓矢に説明した

 
「……ちょっと、言葉が出ないな」
 
「でしょ?」
 
 あらましを聞いた皓矢は開口したまま頭を抱えた。
 
「一体、どこをどうしたら、そんなひん曲がった信仰心が生まれるんだろう……」
 
「所詮お坊ちゃまには下々の考えなんてわかんないよねえ」
 
「永、言い過ぎだぞ」
 
「えー。だって眞瀬木と雨辺がこうなったのは、銀騎が介入したからでしょう?」
 
 永が不服を言うと、それに鈴心も追随した。
 
「銀騎はきっかけに過ぎないかもしれませんが、責任はあると思います」
 
「ほらぁ」
 
 すると皓矢は更に真顔になっていた。
 
「とにかくもう一度うちの文献を漁る必要があるな。少し時間が欲しい」
 
「おう、もっと詳細に調べてくれよな」
 
「俺たちはその間どうするんだ?」
 
「お兄様、私達にできることはありますか?」
 
 鈴心が聞くと皓矢は考えながら答える。
 
「そうだね。その雨辺(うべ)(すみれ)が信じている組織が知りたい。眞瀬木の協力者、伊藤と言う男、何よりメシアなんて存在は僕は初めて聞いた」
 
「うん、それはもうちょっと探ってみる」
 
「あと、できればそのお薬とやらのサンプルは手に入るかい?それが分析できれば──」
 
「ああ。わかった。やってみる」
 
「ハル様、危険です!」
 
 簡単に頷く永を鈴心が嗜めると、永は手を振って笑った。
 
「大丈夫だって、気をつけるから!梢賢(しょうけん)くんもいるしね」
 
「無理はするな。何かある前に引き返すんだ、いいね?」
 
「う、うん」
 
 しかし皓矢も鈴心同様神妙な顔で言うので、永は少し態度を改めた。
 
「蕾生くん」
 
「?」
 
白藍牙(はくらんが)は持っているね?」
 
「ああ」
 
 麓紫村に来てから蕾生は外出時はずっと白藍牙を背負っている。背にあるそれに手をかけて頷いた。
 
「何かあったら、鈴心と永くんは君が守るんだ」
 
「もちろん。けど、これが役に立つのか?」
 
 今の所白藍牙はただの木刀でしかない。蕾生は少し不安を覚えていた。だが、皓矢は自信を持って頷く。
 
「それは君の牙だ。使い方は君の心が知っている」
 
「……?」
 
 そんな抽象的に言われても困る。ただ白藍牙を握ると少し勇気が出る気がする。蕾生はその自分の感覚を信じることにした。
 
「こうなっては慧心弓(けいしんきゅう)どころじゃないかもしれないけど、そっちも探りなさい」
 
「ああー!そうだったー!どんどん最初の目的から遠ざかる!」
 
 今まさにそれを思い出した永は頭を抱えて大袈裟に叫んだ。しかし鈴心は既に諦めたような顔で溜息をついた。
 
「それもいつもの事です」
 
「ではまた連絡するよ。くれぐれも気をつけて」
 
 皓矢が締めようとした所で遠くから星弥(せいや)の声が聞こえてきた。
 
「すずちゃーん!すずちゃー……」
 
 だが、その姿を再び見せることもなく電話は切れた。
 
「はあ……」
 
 鈴心は今日一番の大きな溜息をついていた。







 皓矢(こうや)との電話を切って数分も経たずに梢賢(しょうけん)が戻ってきた。
 のんびりした口調で手を上げて近寄ってくる様に三人は(すみれ)とはさほど揉めずに収めたようだと思った。
 
「おおーい、戻ったでえ」
 
「あ、梢賢くん。お疲れ」
 
「なんかわかったか?」
 
「うん。すんごいことが」
 
「そうか。そらあ、良かったなあ」
 
 永が力強く頷いて答えても、梢賢は興味なさそうにのらりくらりとしている。
 わざとらしくて白々しいと蕾生(らいお)は思ったが、それが梢賢の立場でとれる態度なのだろうと理解してやることにした。
 
(あい)ちゃんは大丈夫そうですか?」
 
「まあな、現状維持や。しばらくはしゃあないやろ」
 
「可哀想に。あんな親で……」
 
 藍を心配する鈴心(すずね)を見ても梢賢はそれ以上のフォローなどはしなかった。
 ドライに立ち回ることが梢賢のやり方なのかもしれない。そうやって俯瞰を貫いて最終的に何を終着点とするつもりなのか、(はるか)にはまだそれが見えなかった。
 
「ほな、ルミへの土産が腐る前に、里に戻ろか」
 
「そうだね。炎天下で動いたら疲れたよ」
 
「帰ればちょうどおやつの時間やな!」
 
 梢賢が下げているケーキ箱が入った紙袋を鈴心はじっと見つめていた。それはもう熱心に。
 
「おい、もの欲しそうに見んなよ」
 
「しっ、失礼な!私は街で一番高価なタルトのクオリティに興味があるだけです!」
 
 蕾生が嗜めると鈴心は真っ赤になって反論する。梢賢は肩をがっくり落としていた。
 
「あー、もう、ほんと散財やわ。財布すっからかんよ」
 
「じゃ、最後に村まで頑張りますか!」
 
 そうして四人は自転車を停めてある駅前へ向かう。その後は来た時と同様以上の地獄が永を待っていた。

 
 麓紫村(ろくしむら)に着いたのは午後の四時を過ぎていた。村は小高い山の上にあるので、街から向かう方こそが本当の地獄だった。ママチャリで山道を一時間以上かけて登ってきた永は既に虫の息だ。
 
「ぜー、へええぇ……」
 
「ハ、ハル様大丈夫ですか?」
 
「な、なにがぁ!?全然余裕だけどぉ!?」
 
 あろうことか鈴心にすらキレ散らかす始末で、おろおろする鈴心に蕾生は溜息が出た。
 
「ほい、ごくろーさん。じゃ、まずはルミんとこやな」
 
 涼しい顔で言う梢賢に文句を言う気力も永にはない。ママチャリは鈴心が押して、蕾生は永を支えながら眞瀬木(ませき)の家の前までやってきた。
 
 するとその家の前で恐ろしい顔で仁王立ちしている者がいる。瑠深(るみ)だった。
 
「ええ、何々、怖いんやけど!」
 
「しょーおーけーえーん」
 
「ひいぃ!」
 
「あんた達こんな時間まで何やってたの!」
 
 ビビる梢賢を他所に蕾生も鈴心も首を傾げる。
 
「そんなに遅くねえだろ」
 
「夕方までには帰ってこれましたよ」
 
「都会の不良どもは黙ってな!里の門限は三時!そんなの赤ん坊だって知ってるよ!」
 
 瑠深の言い分は蕾生達にとってみれば理不尽だった。そんなことは知らなかったのだから。梢賢はそれを悪びれもせずケーキ箱をちらつかせながら瑠深の機嫌をとった。
 
「まま、ま、ルミちゃあん、ほれ」
 
「うっ!」
 
 燦然と輝くパティスリーの店名ロゴ入りの紙袋を見て瑠深は瞬時に黙った。
 
「お代官様、ここはひとつこれで」
 
「ま、まあ仕方ないね。お客人は慣れない道だったでしょうから!」
 
「ルミ様、感謝やでえ」
 
 機嫌が治った頃合いを見計らって、蕾生は借りた自転車を返した。
 
「あ、自転車、ありがとな」
 
 すると瑠深は少し頬を赤らめてツンをかます。
 
「べ、別にいいけど!?キズつけたりしてないでしょうね!?」
 
「それは大丈夫だ。大事に乗った」
 
「そ、それならいいけど!」
 
 そんな瑠深の様子を永が息を整えながら細目で見ていた。
 そして瑠深の持つ紙袋に再び熱い視線が送られている。鈴心だ。
 
「何、あんた、食べたいの?」
 
「えっ!まさか、そんな、一切れだけでもとか、そんなつもりはありませんけど!?」
 
 ギクリと肩を震わせて素直に欲求をどもりながら言う鈴心に、瑠深は初めて優しい笑顔を見せた。
 
「フフッ!おかしな子。いいよ、あたしも一人で食べたら太っちゃう。おいで」
 
「よろしいので!?」
 
 鈴心は目を輝かせて前のめりだ。
 
「ついでに野郎どもも食べてきな。あ、でもお前らは一人一センチな」
 
「そんな殺生なー、ルミはーん!」
 
 言いながら梢賢は先だって眞瀬木家の玄関に入っていく。
 
「お、お邪魔します……」
 
 それに続いて鈴心も浮き足立つ心を抑えつつ入って行った。
 
「永、大丈夫か?」
 
「うん。糖分とれるなら。お邪魔しようよ」
 
 最後に蕾生と永も玄関へ入った。

 
 眞瀬木の家屋は雨都(うと)のものと同じくらいに見えたが、雨都は寺部分があるので生活区域だけで比べたら眞瀬木の方が何倍も広そうだった。
 しかしどこか殺風景だった。藤生(ふじき)家のような華美なものもないし、雨都家のような生活感溢れるもの──例えば洗濯物が出しっぱなしとかいうようなものは感じられなかった。
 
 最小限の家具が置いてあるだけの広々とした居間に四人は通されていた。少しして、瑠深がケーキと冷たいお茶を持ってきた。
 
「はい、どうぞ」
 
「はー!」
 
 瑠深はまず鈴心の前にタルトを置いてやる。タルトはキラキラと輝いており、鈴心の顔も輝いていた。
 続けて男子達の前にもタルトを置いていくが、鈴心のものの半分以下で自立できないほどだった。
 
「おおお、オレの分け前はこんなもんか……金出したのはオレやのに……」
 
「うるさいね。半分は康乃(やすの)様とゴーちゃんに持ってくんだよ!」
 
「はい……」
 
 しゅんとする梢賢の横で、瑠深の発言から揺るぎない藤生への忠誠心を永は感じ取っていた。
 
「──!」
 
 タルトを一口食べた鈴心は言葉を失っていた。それを見て満足そうに瑠深は笑う。
 
「いい顔だ。梢賢が大枚はたいた甲斐があったね」
 
「恐縮ですぅ」
 
 梢賢は一口でタルトを平らげてしまって、お茶をしかめっ面で飲んでいた。







 各自タルトを堪能して疲れが取れた頃、瑠深(るみ)が聞いた。
 
「あんた達、いつまでここにいるの?」
 
 しまった長居し過ぎた、と梢賢(しょうけん)はギクリと肩を震わせる。だが時既に遅い。それで(はるか)ものんびりとした口調ではぐらかそうとした。
 
「え?えーっと、そうですねえ、蔵の書物の件がひと段落つくまでですかね?」
 
「最大で夏休みが終わるまでです」
 
 しかし鈴心(すずね)が真面目に回答してしまい、瑠深の方が驚いていた。
 
「はあ!?あんたらバカじゃないの?そんなに置いておける訳ないでしょ!」
 
「はあ……やっぱご迷惑ですよねえ」
 
「当たり前じゃない!夏は織魂祭(しょくこんさい)で忙しいんだから!たださえ兄貴が──とと」
 
 永は愛想笑いを浮かべ続けたが、瑠深は困惑と苛立ちでテンションが上がりつい口を滑らせた。
 
「しょく、こんさい、とは?」
 
「うっ!」
 
 鈴心が首を傾げてきくと、瑠深はあきらかに狼狽して言葉に詰まる。だが、梢賢はそれにあっさり答えた。
 
「里でやる祭や。お盆みたいなもんやで」
 
「梢賢!?」
 
「ええやん、参加させる訳やなし。なんなら祭の間は高紫市(たかむらさきし)のホテルにでも行ってもらうから。なあ?」
 
「ああ、はい。地域のお祭りに部外者が禁止なのはわかりますから」
 
 永としてはその祭には当然興味がある。だがここで教えてもらうことは叶わないだろうと踏んで、興味のない振りをした。後で梢賢に教えてもらえばいいのだから。
 だが永の態度をイマイチ信用できない瑠深は不服そうな顔をしていた。
 
「……」
 
「それはどういう祭なんだ?」
 
 すると蕾生(らいお)が聞いてしまった。さっきの鈴心と言い、どうも意思の疎通がままならないと永は心で残念がった。きっと体力を使い過ぎて頭が回っていないんだろうと思うことにする。
 案の定瑠深は喧嘩腰で言う。
 
「はあ!?部外者のあんたらに教える訳ないでしょ!」
 
「そうか……」
 
「そ、そんなにしおらしくしてもダメなんだからね!」
 
 蕾生ががっかりした態度を見せると、瑠深は急にうろたえる。そこへ梢賢が割って入った。
 
「まあまあまあ。ちょっとくらいええやろ、あんな、うちの寺が資実姫(たちみひめ)様をお祀りしてるのは言うたよな?
 里の先祖は資実姫様のお弟子さんやろ。里の信仰では、亡くなった先祖は今も資実姫様の元で修行中やねん。ご先祖さま、よう頑張ってはるなあ、達者でなあって応援する祭やねん」
 
「へえ……結構珍しい考えだね。普通のお盆だと帰ってくるご先祖をおもてなしするのに」
 
 永はますます興味が湧いた。雨辺(うべ)麓紫村(ろくしむら)の独自の宗教観は自分達がこんな運命でなければワクワクするものばかりだ。
 
「んで、修行中のご先祖のために、各家庭で織物をこさえて奉納すんねん。あなたの子孫も頑張ってますよーってな」
 
「ということは、ここではその修行というのは織物のことですか?」
 
「せやね。資実姫様は糸の神様やから、ご先祖は織物を資実姫様から教わってるっちゅー設定やねん」
 
 鈴心は修行という単語に注視していた。雨辺の言う修行に比べたらこちらのものは健全な考えに思える。
 
「設定とか言うな!まったく、あんたそれでも寺の息子!?」
 
 喚く瑠深を無視して梢賢は更に続ける。
 
「でな、祭で奉納する織物の材料はちょっと特別でな。毎年藤生(ふじき)の当主がお籠もりやって祭祀用の糸を用意して、それを皆に配るんや。そういや、そろそろ時期やな」
 
「喋りすぎだ!」
 
「ふがっ!」
 
 ついに瑠深の怒りの平手が飛んだ。次いで永達を凄みながら脅す。
 
「あんた達、今の話は絶対に外で漏らすんじゃないよ!てか知ってるって事も黙ってな、死にたくなかったらな!」
 
「はあ……」
 
 永はなぜ梢賢がここで教えたのかが気になっていた。後で雨都(うと)家に帰ってから存分に聞こうと思っていたのに、何故眞瀬木(ませき)瑠深(るみ)が同席した場でわざわざ。
 もしかしたら梢賢は瑠深を味方に引き入れようとしているのでは、と思うのは考え過ぎだろうか。
 
「さ、もう話はおしまい!食べ終わったらとっとと帰る!」
 
「ご、ごちそう様でした」
 
「おー、こわ。じゃあ、うちに帰るか」
 
 流石に引き時だろう。これ以上は瑠深を怒らせるだけだと全員が思った所で帰り支度をする。
 
「……梢賢」
 
「なんや?」
 
 帰り際、瑠深は真面目な顔で静かに注告した。
 
「あんたがこいつらにペラペラ余計な事話してるのは黙っといてあげる。でもくれぐれも気をつけな」
 
「──おう」
 
 梢賢は力強く頷いた。

 
 眞瀬木家を出ると少し薄暗くなっていた。
 
「ただいまー」
 
「あ!梢賢くん!良かった、帰ってきた」
 
 雨都の家に戻ると楠俊(なんしゅん)が珍しく慌てて四人を出迎える。
 
「なんや、ナンちゃん。慌てて」
 
「いいから急いで入って!皆も!」
 
「どうかしたんですか?」
 
 永が聞くと楠俊はさらに大慌てで言った。
 
康乃(やすの)様がいらしてるんだよ、君達に会いにね!」
 
「えええっ!」
 
 それを聞いた梢賢は腰が抜けそうなほどに驚いて奇声を上げた。







 雨都(うと)の家で一番格式の高い奥座敷へと急いだ四人は、梢賢(しょうけん)を筆頭に恐る恐る襖を開けた。
 
「失礼しますぅ……」
 
「遅いぞお前達!里の門限は三時だろうが!」
 
 息子の顔を見るやいなや、柊達(しゅうたつ)が怒鳴った。普段なら愛想笑いで揶揄うくらいはする梢賢も、康乃(やすの)の眼前ではそうはいかない。
 
「すいません、お客人達は慣れない道なもんで……」
 
「……だったら三時に帰れって言ってくれねえと」
 
「ライくん、シー!」
 
 小声で文句をたれる蕾生(らいお)(はるか)はさらに小声で制して康乃に一礼した。
 
「遅くなって申し訳ありません」
 
 それを受けていち早く鈴心(すずね)が跪いて正座し、手をついて頭を下げた。それに永と蕾生も続くと、上座に座る康乃は笑って答える。
 
「あら、いいのよ。若い人達は元気に遊ぶのも大事だもの。それにいきなり来てしまった私達が悪いんだし」
 
「そんな、滅相もないことです!お前達、早く康乃様と剛太(ごうた)様の前に」
 
 恐縮しきりの柊達に逆らえるはずもなく、四人は康乃と剛太に相対して座った。すると康乃はまず隣の剛太を紹介する。
 
「皆さんにはまだ紹介していませんでしたね、孫の剛太です」
 
藤生(ふじき)剛太(ごうた)です。初めまして。よろしくお願いします」
 
 礼儀正しく一礼する姿は先日見た時よりも大人びて見えた。
 
「ははっ!」
 
 慌てて土下座する梢賢に続いて永達も挨拶をする。
 
「これはどうもご丁寧に。周防(すおう)(はるか)です」
 
(ただ)蕾生(らいお)……ッス」
 
御堂(みどう)鈴心(すずね)と申します」
 
 鈴心が顔を上げると、剛太は目を丸くして顔を赤らめた。だが鈴心には伝わっていなかった。
 
「今日はね、お誘いをしに来たの」
 
「お誘い、ですか?」
 
「せっかく里に来ていただいたのに、うちの墨砥(ぼくと)が堅物だからろくなおもてなしができなくて──ごめんなさいね?」
 
 康乃はかなり気安く接してくる。その雰囲気に少々面くらいながら永は慌てて答えた。
 
「ああ、いえ、そんな!僕らこそ図々しくご厄介になってますから」
 
「もうすぐ里でお祭があるのだけど、ご存じ?」
 
「あ──、いえ……」
 
 ついさっき聞いたばかりだが、隣の梢賢が目で訴えてくるので永は素知らぬ振りをした。
 
織魂祭(しょくこんさい)って言って、お盆のようなものなんだけどね、それに貴方がたをご招待したいと思ってるの」
 
「ええええっ!!」
 
「あなた!」
 
 先に驚いて奇声を上げたのは柊達で、横で座っていた橙子(とうこ)に叱責された。
 
「も、申し訳ない……。ですが御前、彼らは部外者ですよ!眞瀬木(ませき)殿はなんと?」
 
「あら、いちいち墨ちゃんの許しを取らなくちゃいけないの?当主は私ですよ」
 
「は、はあ……」
 
 簡単に柊達をあしらった後、康乃はにこにこしながら話を進める。
 
「織魂祭と言うのはね、里の守り神である資実姫(たちみひめ)とその弟子になった我々の先祖をお祀りする大切な行事なの。そこに貴賓としてご出席願いたいわ」
 
「えええー……」
 
「あなた!しっかりなさい!」
 
 永達よりも先に反応して青ざめる柊達を橙子がまた怒鳴る。その後ようやく永は慎重に尋ねた。
 
「そんな大事な催しに僕らなんかが出席させていただいていいんですか?」
 
「ええ。是非」
 
 康乃は笑って頷いている。元々興味を引かれていた祭だ、断る理由はない。
 
「それは身に余る光栄です」
 
 永が一礼の後に承諾すると、またもや横で柊達が「受けるの?」と言わんばかりに声を上げた。
 
「えええー?」
 
「あーた!」
 
 雨都夫妻の反応を完全に無視して、康乃は嬉しそうに手を打った。
 
「良かった。今年は特別なお祭りになりそうね。ところで、どなたか手芸なんかおできになる?」
 
「あ、僕、趣味でレース編みを少々……」
 
「マジか、ハル坊!?」
 
 今度は先に梢賢が驚いていた。似たもの父子なのである。
 そういう雨都のコミカルさには慣れているのだろう、康乃はそれを咎めたりもせずに孫の剛太を促した。
 
「まあ、すごい!人は見かけによらないのねえ。剛太、お出ししなさい」
 
「はい、お祖母様」
 
 剛太は陰から三宝を出して永の前に置いた。その上には美しい糸の束がひとつ乗せられている。
 
「わあ……」
 
「なんて美しい……」
 
 永も鈴心もその清廉な美しさに感嘆の声を上げる。
 
「祭祀用の絹糸です。ご査収ください」
 
「いいんですか?」
 
 あまりの美しさに永が物怖じしていると、康乃はまたにっこり笑った。
 
「ええ。同じ糸を里の者にも配るのでね。せっかくですからそれで何か編んでいただきたいと思って。織魂祭で奉納させていただきたいわ」
 
「どんなものを編めばよろしいので?」
 
「なんでも結構よ。少ししかないから、皆もちょっとした物を編んでます。靴下とか、ハンカチとかね」
 
「なるほど、わかりました。お預かりします」
 
 永は丁重にその糸の束を受け取った。手触りも素晴らしく良く、こんな極上のものは初めてだった。
 
「良かったわ、楽しみにしています。それから後で八雲(やくも)に編み棒を届けさせますね」
 
「ひええええっ!」
 
「あなた、しっかり!」
 
 新たな単語の登場に、柊達はついに腰を抜かした。橙子もうろたえながらその腰を摩っている。
 
「やくも……?」
 
「眞瀬木の一族の中に呪具職人がいるの。彼が作った針や編み棒で里の者も絹糸を織ったり編んだりしてるのよ」
 
「はー、そんな方がいらっしゃるんですか」
 
「ええ。会っておいて損はないと思うわ」
 
 何かを含んだ康乃の物言いが少し気になったけれど、すぐに話題が変わってしまった。
 
「それから、雨都の蔵に入った盗人の件ですけど……」
 
「あ、はい」
 
「うちでも調査をしたのだけれど、手がかりのようなものが全く見当たらなくてね」
 
「はあ」
 
「もう少し時間をくださる?調査を続けますから」
 
「わかりました。よろしくお願いします」
 
 永は一応頭を下げたが、予想していた通り康乃が有耶無耶にしようとしていることは明白だった。
 
「まあ、文献については柊達や梢賢が内容は熟知してるのよね?」
 
「はひ!」
 
「内容が知りたかったら、柊達と梢賢に教えてもらったらどうかしら」
 
「ははっ」
 
 梢賢と柊達が揃って土下座するのを見ながら、永は犯人のことは追及するなと言われたのだと思った。
 
「では、そろそろ帰ります。長居してしまってごめんなさいね」
 
「とんでもございません!」
 
「失礼しました」
 
「剛太様も御足労いただきありがとうございました!」
 
 土下座を繰り返す柊達の様は雨都での威厳ある父親像をかき消す。二人を玄関へ案内しようとする腰の低さも大袈裟で滑稽だった。
 
 座敷を出る直前、剛太は振り返って鈴心を見た。目があったので鈴心が会釈すると、またぽっと頬を赤らめた。その様子を見ていた永は少し胸がムカムカしている。剛太は赤面したまま祖母の後ろをついて行こうとしていた。
 
「剛太」
 
「?」
 
 しかし蕾生が呼び止めたので剛太はもう一度振り返る。梢賢は焦って蕾生を嗜めた。
 
「ああっ、バカ!様つけんかい!」
 
「……くん」
 
「な、なんでしょう」
 
「多分、後で──えっと、眞瀬木のなんてったっけ?」
 
 蕾生に聞かれた鈴心が答えた。
 
瑠深(るみ)さんですか?」
 
「そうそう。そのルミが後でケーキ持って行くって言ってた」
 
「は、はあ……?」
 
「すげえ美味かったから、楽しみにしとけよ」
 
 なんの脈絡もない蕾生の話題に、梢賢が困り果てて言う。
 
「もう、バカちんが!剛太様へのもん、オレらが先に食べたことになるやろが!」
 
「なんか問題あんのか?」
 
 あっけらかんとしている蕾生を手で制して鈴心が代わりに謝った。
 
「すみません、ライが失礼なことを」
 
「あ、いえ!大丈夫です!お兄ちゃん、ありがとう。楽しみにしておくね」
 
「おう」
 
 康乃と剛太が帰っていくのを見届けて、永が蕾生に近づいた。
 
「珍しいね、ライくん」
 
「何が?」
 
「わざわざ子どもを気にかけるなんて」
 
 蕾生の図体では子どもには怯えられるのがいつものことなので、自分から世間話をしに行った様に永は多少なりとも驚いていた。当の蕾生は不思議そうに首を傾げている。
 
「あー、そうだな……なんか気になってな、アイツも」
 
「ふうん……」
 
 も、と括ったからには他にも気になる子どもがいるのだろう。おそらく(あい)(あおい)のことだと永は考える。
 三人の子どもと蕾生の共通点。今の所はそれがなんなのかはわからなかった。