転生帰録2──鵺が嗤う絹の楔

 梢賢(しょうけん)の部屋に戻ると、鈴心(すずね)藤生(ふじき)家でのいきさつを聞きたがった。
 
「ハル様、藤生の家ではどんなお話を?」
 
「ああ、うん。話をしたと言えばしたんだけど……」
 
「なんか(けい)って人に引っ掻き回されただけな感じだったな」
 
 (はるか)蕾生(らいお)も思い出してげんなりしながら言うと、鈴心はきょとんとしていた。
 
「引っ掻き回す?」
 
「うん。蔵の泥棒は銀騎(しらき)だろってニヤニヤしながら言ってきてさ」
 
 それを聞くなり鈴心は憤慨しながら声を荒げた。
 
「銀騎は、お兄様はそんなことしません!」
 
「うん。だから僕も否定はした。でも僕らがここの所在を銀騎に教えてるんならわかんないだろってずっと疑ってて」
 
「んんん……」
 
 鈴心は今回の転生では銀騎の身内に生まれたため、銀騎(しらき)皓矢(こうや)星弥(せいや)を害するものには大きな嫌悪を示す。
 永の話を聞いて腹に据えかねているようで、珍しくいつまでも唸っていた。
 
「終いには銀騎じゃないなら雨辺(うべ)だろって言って、大人にすげえ怒られてた」
 
「そんなに短絡的な方には見えなかったのに……」
 
 蕾生の付け足しにも鈴心は意外な顔をして聞いていた。
 
「珪兄やんはな、今、コレなんや」
 
 すると梢賢が鼻に拳を立てて口を挟んだ。
 
「天狗になってると?」
 
「そ。里にビジネスで大金を運んできてくれたからな」
 
 鈴心に綺麗なハンカチを贈っていた珪の姿を永は思い出した。
 
楠俊(なんしゅん)さんが言ってた「今の彼の意見は無視できない」ってそう言うこと?」
 
「そうや。元々里は自給自足が基本の貧乏村やった。村の運営に係る費用は長年、藤生の莫大な貯金と眞瀬木(ませき)が呪術で稼いでくる日銭で賄っとった」
 
「いつまで?」
 
「いつまでも何も、ほぼ今もや。こんな現代にありえへんっちゅー思うかもしれんけど、事実や」
 
「えええー?」
 
 さすがの永も薄笑いを浮かべずにはいられない。だが梢賢は真面目な顔で言う。
 
「ハル坊の疑問は当たり前や。珪兄やんもそう思ったんやろ。あの人は必死に勉強して一流大学に入った。それを卒業するとすぐ里に帰ってきてビジネスを始めたんや」
 
「もしかして、私がもらったハンカチですか?」
 
「そ。あれの繊維の正体は藤絹(ふじきぬ)言うてな、この里でしかとれない希少な繊維や。さらに藤絹を編み上げる製法は里の者しか知らん」
 
 そこまで聞いた永は不思議そうに首を傾げていた。
 
「そんな繊維があるなんて聞いたことないけど」
 
「そやろな。藤絹の歴史を遡ると、あれは藤生がこの里に落ち着く前──つまり成実(なるみ)家に伝わる秘宝やった。
 その製法は帝にすら教えられず、絹よりも美しく丈夫で当時の朝廷では争って買われていたらしいで。
 成実が一度は朝廷の覇権をとったのも、その絹があったからとまで言われとる」
 
「製法が秘匿された不思議な繊維ってこと?植物性?それとも動物性?」
 
 絹によく似た光沢を思い出しながら永が掘り下げようとすると、梢賢は肩を竦めて首を振る。
 
「ウチみたいな末端には知る由もないわ。藤生の他には眞瀬木しか知らんやろね」
 
「確かに、あのハンカチはとても綺麗です。市場に出たら人気が出るかも。お値段次第ですけど」
 
 鈴心の一般的な評価に頷きながら梢賢は続けた。
 
「せやな。正絹よりははるかに安い値段を設定しとる。だから販路さえ確立すれば藤絹を大量生産して大儲け──っていうのが珪兄やんの計画や」
 
「それが村興しの正体ってこと?」
 
 麓紫村(ろくしむら)で大人達が話し合っているとはこの事だったかと永は確信していた。
 
「そう。話を少し戻すけど、藤絹──って言うのは珪兄やんがつけた名前やから、里では単に絹って言うて藤生からわけてもらえる糸やった。
 その糸の編み方を藤生から教わって、里のもんは自分らの衣服を作っとった。自給自足の村やからな」
 
 一を聞いて十を知る永は、情報を正確に整理する。
 
「なるほど!眞瀬木(ませき)(けい)は村の人の手に職を与えたんだね!」
 
「ビンゴや。それまで藤生と眞瀬木の経済力で生かされとった里人が、絹の製法技術で自分で稼げるようになる。それを珪兄やんが確立するつもりなんや」
 
「え?どういうことだよ?」
 
 永ほど的確に分析できない蕾生が聞くと、梢賢はゆっくりと分かりやすく説明する。
 
「順を追って言うとな、藤生から糸が精製されるやろ、その糸を里人が編んで布にする、珪兄やんがその布を売る。で、里人は報酬がもらえる。するとどうなると思う?」
 
「村人の自立が促せますね」
 
 鈴心の答えに満足しながら梢賢は弾んだ声で結んだ。
 
「その通り!今まで藤生がいないと生きられなかった赤ん坊みたいな連中が、地に足つけて生きていけるようになんねん!」
 
「そりゃすごいな」
 
「もう、それは、ひとつの革命だね」
 
 ようやく理解した蕾生も、永さえも感心しきりだった。
 
「言い得て妙やな。だもんで、今や珪兄やんは時の人。一部の里人の間ではそらもうヒーローやねん」
 
「ああ、やっとさっきの会議での彼の横柄な態度がわかったよ」
 
「お金という実にわかりやすい権力をあの人は持っているんですね」
 
「今の里で珪兄やんに逆らえるのは康乃(やすの)様ぐらいやろね。墨砥(ぼくと)のおっちゃんもなあ、押しが弱いから結局兄やんに言い負かされとるな」
 
 梢賢は一種諦めたような顔で現在の状況を憂いていた。






「でもよ、結局藤絹(ふじきぬ)ってのは何なんだ?肝心の原材料を説明できねえと世間の消費者は納得しねえだろ」
 
「ライくん、鋭い!確かに、身につけるものの原材料は大事だよ。アレルギーのある人だっているだろうし」
 
 蕾生(らいお)の投げた疑問を(はるか)が大袈裟に褒めそやして追随すると、梢賢(しょうけん)は顔をしかめて頷いた。
 
「そこよ、問題は。それをどうするかって里中の大人が大揉めしてんねん」
 
「具体的にはどう揉めてるんですか?」
 
「まず(けい)兄やんの考えは、製法は特許申請中の企業秘密って言い張ることやね。もしくは上手くでっち上げることも考えてるらしいで」
 
「急にきな臭くなりましたね」
 
 鈴心(すずね)が疑いの目を向けると、永も話にならないと言うように肩を竦めた。
 
「そんなことできる訳ない。嘘で固められた商品を買う人がいると思う?消費者を舐めてるよ」
 
「せやねん。だから藤絹の製法を明かせって主張する者、儲かるならなんでもいいっていう楽観者、そのふたつに分かれて揉めとるんよ」
 
藤生(ふじき)の考えはどうなんです?」
 
康乃(やすの)様は製法は明かせないの一点張りや。墨砥(ぼくと)のおっちゃんも珪兄やんもそっち側やな」
 
「それじゃあ、大量生産して安く売るなんて夢のまた夢じゃない?」
 
 肝心の藤生の同意が得られないなら、珪の事業はまさに絵に描いた餅だ。梢賢もそこのところが頭痛の種のような顔をしていた。
 
「最終目的はそうなんやろうけど、一部の里人が納得してへんからな。だけど実績を上げないと事業に説得力が出んやろ?だから苦し紛れに今は限られた富裕層にべらぼうな額で藤絹を売っとる」
 
 理想と現実、あまりの違いに鈴心も蕾生も舌を巻いた。
 
「どんどんきな臭くなるんですが」
 
「最初の景気のいい話と大違いだな」
 
「そこが現実のやっかいなとこやな。出自不明だけど綺麗だからいいっていう金持ちしか買わんもんに未来はないよ。けど、今はそれで里が潤ってるから珪兄やんがヒーローなのは変わらん」
 
「一応結果が出てるから強気なんですね……」
 
 鈴心は少し考え込んでいるが、蕾生は難しい金儲けの話よりも気になることがある。
 
「梢賢はどうなんだ?」
 
「うん?」
 
「藤絹の正体だよ。知りたいのか?」
 
 蕾生にとっての関心ごとは、梢賢はその現状をどう思っているか、だった。
 
「まあ、そら知れるもんならなあ……。けどこの件に関しては基本雨都(うと)に発言権はあらへんのよ。父ちゃんと母ちゃんが会議に出席してるのは中立として議長的なことしとるだけでなあ」
 
 蕾生や永にとっては梢賢が村をどうしたいのかが重要であるのに、肝心の梢賢はどこか他人事で曖昧な回答だった。
 なおも永は食い下がる。
 
「想像したことは?梢賢くんだって藤絹は身近なものなんでしょ?」
 
「なんや、ぐいぐい来るのう。そやなあ、えーっと、うーんと、言うてもうても大丈夫かなあ……」
 
「なんだよ、歯切れわりいな」
 
「言ってしまいなさい。楽になりなさい」
 
 蕾生と鈴心も梢賢に注目している。三人に詰め寄られる様はまるで取り調べのようだった。
 
「うーん、美少女にそこまで詰められると言うてしまいそう……」
 
「……」
 鈴心の無言の圧が勝利を収めた。
 
「わかった、言うわ。この里には守り神がおんねん。資実姫(たちみひめ)様っていうな」
 
「たちみ……聞いたことないな」
 
 永はこの村に来てから初めて聞く単語の連続で少し戸惑っている。それだけ麓紫村(ろくしむら)が独自の文化を築いている証拠だ。
 
「せやろな。元は成実(なるみ)家の守り神で、ここに落ち着いた時に里全体で祀るようになった独自の神様や。今も御神体は藤生家にある。
 それが仏教徒であるうちのご先祖がここに来た時に資実姫様が如来様になって、それを拝むためにこの寺が出来たらしいで」
 
「言うなれば資実如来、ですか」
 
「寺の名前が実緒(みお)寺なのは?」
 
 雨都が持ち込んだ仏教の教えを村の信仰に当てはめたのだろう。おそらく独自の神仏習合が起こったのだと鈴心も永も理解した。
 
「簡単に言うとな、里では死んだ者は資実姫様の弟子になるんや。で、その死んだ者を資実姫様の元へ導くのが実緒菩薩。寺はその名前を冠してる」
 
「村人と資実姫を繋ぐ仲介者ってことか。正に雨都にはうってつけの役割ってことだ」
 
「そうや。ここには独自の宗教が根づいとる」
 
 二人とは理解の差がある蕾生には話題が逸れているような気がしていた。
 
「それと藤絹になんの関係があるんだ?」
 
「ここからがオレの想像やねんけど、藤生の絹糸は資実姫様からもたらされてるんやないかって思うねん」
 
「ええ!?」
 
 驚く蕾生と違って、鈴心はある程度の予想をしていたようだった。
 
「資実姫は単なる偶像ではないと?」
 
「まあな。資実姫様は、何かの形で存在してる」
 
「根拠は?」
 
 鈴心は生まれが銀騎(しらき)の分家なのですんなりと超常的な説明を受け入れるが、永はもっと現実的だ。厳しい顔で梢賢に聞いた。







「根拠は──これや」
 
 梢賢(しょうけん)は三人の目の前に右手をダラリとかざした。するとその五本の指先から白く光る糸のようなものが出てきた。
 
「!!」
「げっ!」
「なっ!」
 
 (はるか)蕾生(らいお)鈴心(すずね)も、梢賢のその手を見て言葉を失うほど驚いた。
 なおも伸び続ける白い糸を、梢賢は五本まとめて右手に巻きつけてから揶揄うように言った。
 
「おお、こんなん見慣れてんだろうに、リアクションあんがとさん」
 
「見慣れてるわけねえだろ!」
 
 蕾生は叫ばずにはいられなかった。
 銀騎(しらき)皓矢(こうや)の術を見た時は敵だと思っていたので心の準備がある程度はできていた。
 だが、梢賢のは全く油断していた。ちゃらんぽらんな大学生だとたかを括っていたからだ。
 
「これは、絹糸?」
 
 梢賢の右手をしげしげと見つめて永は冷静に問うが、梢賢は首を傾げて笑っていた。
 
「さあなあ、見た目は似てるけど、オレの場合はこんなん一分も持たずに消えてまうよ」
 
「光沢があって、眞瀬木(ませき)(けい)にもらったハンカチの材質に似ていますね。あ、消えた……」
 
 鈴心もその掌に残されたものに注目していたが、件の物と見比べる隙もなく、白い糸はふっと消えた。
 
「な?姉ちゃんやったらこれで人一人ふん縛って十分は持たせるわ。オレは資質がないねん」
 
「うっそ、あの優杞(ゆうこ)さんが?」
 
「生まれつきの能力ですか?」
 
 永も鈴心も、普通の女性だと思っていた優杞にまで超常的な能力があると聞いてますます驚いていた。
 
「せやな。ちっさい頃は所構わず糸出して遊んどったわ。すぐ消えるからおもろくてな!」
 
「雨都の人は皆できるのか?」
 
「いんや。出せるのは姉ちゃんとオレだけや。その意味はわかるな?」
 
「?」
 
 蕾生が首を傾げていると、永は真面目な顔になって答えた。
 
「つまり、銀騎の呪いが解けた後に生まれた子だけが持つ力ってこと?」
 
「眞瀬木の見立てではな。だから姉ちゃんが初めて糸出した時は家中ひっくり返ったらしいで」
 
「眞瀬木に見せたってことは、藤生(ふじき)にも知られてるの?」
 
「そらもちろんや。藤生に隠し事なんてできんよ。眞瀬木に相談したらそのまま藤生に上がってくねん。
 で、姉ちゃんの力を見た康乃(やすの)様が資実姫(たちみひめ)様の影響かもしれんってな」
 
 梢賢の説明はやはりどこか他人事のような雰囲気だった。
 この村では雨都(うと)には人権がないような言い回しだ。
 
「やっぱり当時から藤生の糸に似てるってなったんだ?」
 
「まあなあ。誰が見てもわかるよ、こんなん。でも藤生の糸と違って、姉ちゃんのはしばらくしたら消えてまった。この力の正体は今もわかってへん」
 
「──雨都には、でしょ?」
 
 永が挑発するように言えば、梢賢もニヤリと笑って答える。
 
「勘繰るねえ。確かに、姉ちゃんもオレも年に一回、正月になると藤生に出向いてこの力を見せろって言われとる。あちらさんとしては逐一把握しておきたいんやろな」
 
「経過を見たがるということは、藤生ではその力の正体がわかっている可能性があるということですね」
 
 鈴心がそう言っても、梢賢は曖昧な姿勢を崩さなかった。
 
「さあなあ。うちは命令に従うだけやねん。ただ、姉ちゃんの糸もオレの糸もすぐに消えるから、大目に見られてるんやないかなって思う」
 
「藤生はその糸を物質化できる力があるから、雨都に発現した方は取るに足らない下位のものってことか」
 
 永が言っても梢賢は肯定も否定もしなかった。
 
「まあ、ウチみたいなもんには想像するだけしかできへんねん。くわばらくわばら」
 
 しかしすっかり盛り上がっている永と鈴心は仮説を立てていく。
 
「ということは、藤絹(ふじきぬ)の糸は藤生(ふじき)康乃(やすの)が超常的な力で物質化させている資源だということですね。そしてその力の源が資実姫」
 
「そう考えれば、藤絹の原材料を明かせないのも納得だよね」
 
「君らが勝手にそう考えるのは自由や」
 
 二人の想像を聞いてなおも、梢賢はのらりくらりとはぐらかしていた。







「なんか、気に入らねえ」
 
「うん?」
 
 それまで黙っていた蕾生(らいお)が少し怒気を孕んだ声で訴える。
 
「お前らの考えが正しければ、あの(けい)ってやつは藤生(ふじき)の人に無理させて金儲けしようとしてるんだろ。誰かが犠牲になって村を維持するなんておかしい」
 
 (はるか)鈴心(すずね)も蕾生らしい考えに頷く。だが、梢賢(しょうけん)はそれを嘲るように一蹴した。
 
「ライオンくんは優しいなあ。でもここではそういう正論は通らんよ」
 
「え?」
 
「この里はな、藤生の藤生による藤生のための場所なんや。眞瀬木(ませき)以下里のもん達は藤生の駒であり、藤生に生かされとる存在や。逆もまたしかりで、藤生は里人を生かす義務がある」
 
「……?」
 
 梢賢の割り切った言い方に蕾生は眉を顰めたが、構わずに続けた。
 
「君主は、民のために犠牲になるもんや。だからこそ民も君主に命を賭して従う。それがこの里では当たり前のことなんや」
 
「封建的だなあ。この村は時間が止まってる」
 
 永は溜息を吐いた後、あまり深刻にならないようにフラットな調子で感想を述べた。
 
「否定はせんよ。遠い昔、成実(なるみ)が命からがらわずかな従者を伴ってここに逃げてきてから、何も変わってへん」
 
「……」
 
 全てを諦めているような梢賢の口調は、蕾生の心にモヤモヤを植えつけていく。そんな蕾生の反応を見て、梢賢は笑った。
 
「ははは、ピュアなライオンくんは受け入れがたいよなあ」
 
「お前は何とかしたいとか思わないのか?」
 
「思わんな。何度も言うけど雨都(うと)はこの里の客人なんや。オレたちにこの里をどうこうしようっていう権利がそもそもない」
 
 はっきりと他人事だと言ってのける梢賢に蕾生は納得がいかなかった。少なくとも、優杞(ゆうこ)と梢賢の姉弟には村の影響が強く出ているのに。それも飲み込んで仕方ないで済ませるつもりなのだろうか。
 
 蕾生が口をへの字に曲げて俯いていると、鈴心が優しい口調で言った。
 
「ライの気持ちはわかります。梢賢の言葉に冷たさを感じているのも。けれどやはり私達部外者にはどうにもなりません」
 
「まあ、村の人達にそれで不満や疑問がないなら周りがどうこう言うことはできないよね。尤も、誰もそれを持たないこの環境は充分異常だけど」
 
 永が皮肉を絡めて言うと、梢賢も軽く息を吐いて何の感情も出さずに言った。
 
「だからよ、この話はただの世間話として聞いといてや。オレも君らに里のことを頼ろうとは思ってへん。雨都もどうせここを出るだろうし」
 
「そうなんですか?」
 
 鈴心が驚いて聞くと、梢賢はあっけらかんとして言ってのけた。
 
「今すぐってことはないけどな。少なくともオレは里を出るよ。銀騎の呪いは解けたんやからここにいる理由はないやろ」
 
 それは薄情にもとれる言い方だった。梢賢は自分さえよければ村のことはいいんだろうか。それは逃げることにならないか。蕾生にはそういう割り切った考えができないので、梢賢の言葉を飲み込むことができなかった。
 
「そういう考えがあるのに、雨辺(うべ)のあの人には調子のいいことを言ってるんですね」
 
「だからあ!(すみれ)さんにはああ言っとかないと何するかわからへんねん!ほんと危険なとこまで来てるんよ!」
 
 鈴心がジロリと睨みながら雨辺についての話を始めると、梢賢は慌てて弁解していた。
 それまで他人事だと飄々としていた態度は薄れていた。梢賢には明確な個人的目的があるのだろう。
 
「ああ、そうだ。この村の状況が面白すぎて本来の目的を忘れてた」
 
「ひどい!」
 
 永のいじりを受けて急におちゃらけ出す梢賢に、蕾生は苛立って聞いた。
 
「その雨辺の問題もそうだけど、蔵に入った泥棒の方はどうするんだ?それだけは俺達にも関係あるだろ」
 
「それについてはオレに心当たりがある」
 
「ええ?」
 
 ふざけたかと思えば急に真面目な顔になって言う梢賢に、蕾生も混乱してきた。
 
「なんでさっきの会議で言わなかったの?」
 
 永も少し責めるような口調になっていたが、やはり梢賢は飄々としていた。
 
「そら、雨辺が関わっとるからや。ここでは雨辺のことだけは禁句、父ちゃん達のおっかない顔見たやろ?」
 
「ああ……」
 
 眞瀬木(ませき)(けい)が会議で雨辺の名前を出した時、柊達(しゅうたつ)橙子(とうこ)楠俊(なんしゅん)でさえも恐ろしい顔で睨んでいたのを永は思い出す。
 
「ちゅーわけで改めて雨辺をなんとかすんで!」
 
「でも具体策がないんでしょぉ?」
 
「そこはハル坊の超絶かしこなトコが頼りやねんで!」
 
「ええー……」
 
 結局元のノープラン状態を再確認することになり、永は肩を落とした。
 
 するとドスドスと派手な足音を立てて優杞が部屋に乗り込んできた。
 
「あんた達!いつまで起きてんの!さっさとお風呂入って寝なさい!!」
 
「はぁい……」
 
 阿修羅のような雰囲気に気圧された四人は従うしかなかった。




 雨都家から十数メートル離れた所に眞瀬木の邸宅がある。
 そこからさらに数メール離れると、小さな荒屋が建っていた。外見は物置小屋のようだが中は綺麗にリノベーションされおり、珪はここで自分の仕事をしている。
 かつてここで起こった凄惨な事件を忘れないために、あえて珪はここに居座っている。
 
 机の上に設計図を広げてじっと考え込む。その頭の中では夥しい計算が渦巻いていた。
 
 一息ついて珪は窓の外を見る。遠くに雨都家の灯りがあった。子どもがとるに足らない計画でも立てているんだろう。
 
 鵺人(ぬえびと)があんな子どもでは拍子抜けだ。梢賢の動向は注意するべきだが、あいつの行動原理などわかりきっている。
 
 珪はふっと笑った。ついにこれまでの努力が身を結ぶ時がやってくる。あの人の夢を実現する時が。
 
 踊れ。
 思う存分踊れ。
 そして最後に嗤うのは俺だ。
 
 珪はまた机に視線を移した。そこにはこの計画の要とも言える呪具が、仄暗い光を宿していた。







 次の日。雨都(うと)家の朝は早い。柊達(しゅうたつ)楠俊(なんしゅん)には朝のお勤めがあるからだ。
 それが終わるのを待つと、普通の家庭よりは朝食の時間が遅くなる。食べ終わる頃には陽も強くなっていた。
 
「そうだ、姉ちゃん。自転車貸してくれへん?」
 
 食べ終えた食器を片付けながら梢賢(しょうけん)が言うと、姉の優杞(ゆうこ)は怪訝な顔をしていた。
 
「あんた自分のがあるでしょうが」
 
「オレが使うんやないよ。ハル坊達に貸して欲しいねん」
 
「今日はどっか行くの?」
 
 優杞がそう聞くと、梢賢は目を逸らしながら答える。
 
「ああ、うん、まあね。せっかくだから高紫(たかむらさき)で遊ぼう思て」
 
 すぐに嘘だと姉にはわかった。だが両親がまだそこにいたので、仏心で問い詰めるのは止めた。
 
「……いいけど」
 
「サンキュー!じゃあ、行くか!」
 
 返事を聞くとすぐに梢賢は立ち上がって(はるか)達を促した。早くこの場から去ろうという気持ちがミエミエであった。
 
「梢賢」
 
「ピッ!」
 
 父の柊達の低い声が梢賢の動きを止める。
 
「蔵の件が解決していないのに遊びに行く、だと?」
 
「だって、大人達の話し合いも終わってへんのやろ?オレ達かてその間ヒマやん!」
 
 苦しい言い訳ではあった。だが柊達は溜息を吐いた後それを許した。
 
「まあ、そうだな。仕方ない、夕方までには客人共々帰って来なさい」
 
「ほーい!行こ行こ!」
 
 これ以上の長居は禁物。梢賢は蕾生(らいお)の背中を押しながら居間を出る。永と鈴心(すずね)もそれについて家を出た。


「ふー、危なかったで。なんとか誤魔化せたな」
 
 寺の門まで来たところで、梢賢が汗を拭う仕草で言う。永は苦笑していた。
 
「誤魔化せたのかなあ?」
 
「少なくとも優杞さんは気づいているようでしたよ」
 
 鈴心が言えば、梢賢はイタズラするような笑顔で優杞の自転車を持ってきた。
 
「まあ、姉ちゃんはオレの好きにやらしてくれるからな。さっさと街に出ようや!ハル坊と鈴心ちゃんはこれ使い」
 
「ママチャリなら二人乗りできそうだね。リンが後ろね」
 
 永が荷台に触りながら言うと、鈴心は真顔で首を振った。
 
「いいえ、とんでもない。私が漕ぎますからハル様が後ろに」
 
「何言ってんの、そんな絵面目立つでしょ!いいからリンは後ろ!」
 
 とんでもない想像をさせられて、永は慌てた。それは絶対にやってはならない。やるものかという固い意志を示す。
 
「……御意」
 
 渋々頷いた鈴心を他所に、蕾生は素朴な疑問を投げかける。
 
「てか、二人乗りなんかして大丈夫か?補導されねえ?」
 
「おお……意外な人物から意外なご意見」
 
「なんだと!?」
 
 茶化す梢賢に蕾生は憤慨する。そして少し悪巧みを話すように梢賢は小声で言った。
 
「まあ、里を出るまでは誰にも会わへんから大丈夫やろ。ただし、街に入ったら即自転車降りて引いて歩くで」
 
「うん、わかった」
 
 永が頷いて自転車に乗り込む。鈴心も後ろの荷台に座った。梢賢は続けてマウンテンバイクを持ってくる。これが梢賢のものだろう。
 
「で?俺のは?」
 
 蕾生は辺りを見回して聞いたが、梢賢はヘラヘラと笑っていた。
 
「あーっと……、ライオン君は足も速いやろ?」
 
「おい、ふざけんな。自転車に並走できる訳ねえだろ。梢賢の後ろに立つとこねえの?」
 
 掴み掛かろうとする雰囲気の蕾生に、梢賢は大声で抗議した。
 
「アホちゃうか!オレのヤンバル号はごっつ高いマウンテンバイクやねんぞ!百八十の大男を後ろに乗っけるようにできてへんわ!」
 
「一番年上のお前が走れよ!」
 
「いやや!ヤンバル号はオレ専用やねん!──しかたない、この手だけは使いたくなかった」
 
 駄々をこねた後、梢賢はがっくりと肩を落として三人を眞瀬木(ませき)の屋敷まで連れて行った。


「おー、ルミおったおった」
 
 眞瀬木邸に到着すると、ちょうど玄関先に道着に袴姿の眞瀬木(ませき)瑠深(るみ)がいた。
 
「最悪、朝っぱらから馬鹿が来た」
 
 梢賢の姿を確認した途端暴言を吐く瑠深に、梢賢は猫撫で声で近づく。
 
「まあまあ、ルミちゃんは朝も早よから修行でえらいなあ」
 
「なんの用?あんまりあんた達に関わるなって言われてんだけど」
 
「なんてことないねん。ルミちゃん、今日一日自転車貸してねえな」
 
「はあ?」
 
 突拍子もないことに思わず声を上げた瑠深だったが、四人を順番に見て、一人だけ自転車を携えていない蕾生を見定めて言った。
 
「なるほど?そこの大男が使うのね?」
 
「むっ」
 
 怒りかけた蕾生を制して永が低姿勢で言う。
 
「すいません、今日は僕ら街に出ようと思って。お願いできません?」
 
「……わかった。貸してやるから早く行きな」
 
 これ以上関わりたくない瑠深は渋々承知した。
 
「悪いなあ、あんがとさん」
 
 だがヘラヘラ笑う梢賢に瑠深は当然の要求を突きつける。
 
「お土産はパティスリーブルーのプレミアムタルト。もちろんワンホールな」
 
「えっ!?」
 
「え?」
 
 ギクリと肩を震わせる梢賢に瑠深は圧をかけながら聞き返す。それで梢賢は観念した。
 
「うう、わかった……」
 
「──よし。ほら、傷つけたらただじゃおかないから」
 
 満足気に頷いた後、瑠深はスポーツバイクを持ち出して蕾生に釘を刺す。
 
「おう。ありがとう」
 
「!べ、別に、タルトにつられただけなんだからね!!」
 
 仏頂面しか知らなかった蕾生が素直に礼を述べたので、瑠深は途端に顔を赤らめて目をそらした。
 
「あ、ああ……」
 
 乙女の微妙な心は蕾生にわかるはずがない。それを生温い目で見ていた永はなんて綺麗なツンデレだと感心していた。
 
 そうして四人は眞瀬木家を後にする。それを陰から見送る姿には誰も気づかなかった。

 
「プレミアムタルト、とは?」
 
 山道に向かう途中で鈴心が興味津々で聞くと、梢賢はがっくり肩を落として答えた。
 
「おお……高紫で一番高いケーキやねん」
 
「ほほー」
 
 鈴心の瞳がキラリと光る。次いで永も疑問を投げかけた。
 
「修行って何の?」
 
「ああ、眞瀬木の呪術の修行をな、そろそろ本腰入れて始めるらしいで。なんせ瑠深は天才やからな」
 
「と言うことは、兄貴よりも?」
 
「せやねん。(けい)兄やんはあんまり向いてないらしい。だから変なビジネス始めたんやろな」
 
 それを聞いて永にも昨日の話の合点が行く。なぜ有力な家の跡取りが事業など始めたのかが少し疑問だった。
 
「そういうことか……」
 
 いよいよ険しい山道に差し掛かる。永は余計なことに気を回している場合ではなくなった。







 昨日乗せてもらった(けい)の車がどれだけ高級だったかを(はるか)は思い知った。

 眞瀬木(ませき)家を出た後、村の道路は古くても舗装されているだけまだましだった。問題は村を出た後。街まで出るための道はほぼ獣道だ。
 それでも村と街を繋ぐ唯一の道なので過去に歩いた人間によって踏み固められてはいる。だがそこをママチャリで走るのは論外だった。
 後ろに乗っている鈴心(すずね)は羽のように軽いけれど、道が悪過ぎて永は悪戦苦闘で漕ぎ続けた。梢賢(しょうけん)蕾生(らいお)は山道を得意とするタイプの自転車なので簡単そうに進んで行く。永はとんでもない貧乏くじを引いたのだった。
 
「ぜーはー……」
 
「大丈夫か、永?」
 
 体力バカの蕾生はケロッとしている。永は常にその蕾生が側にいるので虚勢を張る癖がある。
 
「う、うん。なかなか遠かった……」
 
「ハル様申し訳ありません。やはり私が漕いだ方が──」
 
「それだけは絶対させないから!」
 
 鈴心が申し訳なさそうに言うのを遮って、やはり永は必死で見栄を張った。
 梢賢の采配が呪わしい。蕾生には最初走らせようとしていたし、山道に不慣れな者にママチャリなんかあてがった。
 うまい具合に自分が一番楽な手段を手に入れたのは年の功だろう。そんな風に永が呪わしく思っていることなど考えもしない梢賢は威勢よく腕を上げて宣言した。
 
「さあて、里を出たからいくらでも内緒話が出来るな!」
 
「つっても、どこで話すんだ?」
 
「そら、オレらみたいな若者が腰を落ち着けるとこ言うたらひとつしかないやろ」
 
 梢賢はニヤリと笑って親指で駅前の方向を指していた。

 
 梢賢の陽気な声がハウリングとともに部屋中に響き渡る。
 
「イエーイ!ほんじゃあ景気付けに一発ウォウウォウ……」
 
 カラオケボックスの一室で、三人はそんな梢賢を白い目で見ていた。
 
「……あっそう。ノリの悪い子らやわあ」
 
 多勢に無勢、マイクを置いた梢賢は少し拗ねながらウーロン茶を音立てて飲んだ。
 
「で?蔵の泥棒に心当たりがあるっていうのは?」
 
「わかったわかった。真面目さんやなあ、もう」
 
「昨日の話では雨辺(うべ)が関係してるって言いましたね?」
 
「うん、そうや」
 
 永と鈴心の問いにも梢賢はつまらなさそうに頷いた。だが永は構わずに続ける。
 
「でも、一昨日の話ぶりじゃ(すみれ)さんは村に来たことがない感じだったけど?」
 
「そうや、泥棒は菫さんやない。もっと怪しい人物が菫さんの周りをうろちょろしてんねん」
 
「俺達がまだ知らないやつか?」
 
 蕾生の質問に、永は嫌そうな顔で反応した。
 
「もう怪しい人はお腹いっぱいだけどなあ」
 
「ハル坊の気持ちはわかる。けど、あいつの怪しさは桁外れや」
 
「一体誰なんです?」
 
 鈴心が急かすと、梢賢は少し身を乗り出して何故か小声で喋る。注目して欲しいのだろう。
 
「オレも苗字しか知らんねんけど、伊藤っちゅーやつや。歳の頃は五十代前半かな。かなりのイケおじや」
 
「どういう人なの?」
 
「自称、菫さん母子の後見人。覚えてるか?里の誰かが雨辺を支援してるんじゃないかって話」
 
「ああ……じゃあその伊藤って人は麓紫村(ろくしむら)の人なの?」
 
 永は初日にそんな話をしたことを思い出した。村に着いてからはインパクトのある出来事ばかりだったので、既に懐かしい。
 
「いいや。あんなヤツは見たことがないし、里に伊藤なんて苗字はない」
 
「意味がわからん」
 
 蕾生がぶすったれて口を曲げると、梢賢はさらに小声で、ゆっくりと言う。
 
「つまりな、伊藤は仲介人。里の誰かと雨辺を繋いでるんやないかって思うねん」
 
「まあ、直接支援するのはリスキーだもんね」
 
「ではその伊藤が書物を盗んだ犯人だと?」
 
 永と鈴心が頷いて聞いていると、梢賢は満足そうに結んだ。
 
「せやな。伊藤がその誰かに命令されて盗みに入ったとオレは見てる」







「ちょっと待てよ。伊藤ってのは村人じゃないんだろ?蔵に盗みに入れるのは村人しか考えられないって言ってたじゃねえか」
 
「そうですね。それに見知らぬ人は私達以外は村に入っていないとも」
 
 蕾生(らいお)鈴心(すずね)の反論は想定内だと言うように、梢賢(しょうけん)は余裕を見せながら勿体ぶった言い方をする。
 
(けい)兄やんがさ、銀騎(しらき)なら式神でも使って誰にも見られずに盗めるだろって言うてたやろ?」
 
「ああ、確かに」
 
「それと同じことができる人達をオレは知ってるんやけど」
 
「──眞瀬木(ませき)!?」
 
 (はるか)は思わず声を上げる。鈴心も目を見開いて驚いていた。
 
「わざわざ里を出た意味、わかってくれた?」
 
 ドヤ顔で言う梢賢を褒めてやる気遣いを忘れるほどに、永は思考するのに忙しかった。
 
「そうか。藤生(ふじき)も眞瀬木も、あの場ではいかにも被害者風だったからそこまで考えなかった」
 
「眞瀬木が伊藤の黒幕ってことか?じゃあ雨辺(うべ)を支援してるのは眞瀬木で、支援者は(ぬえ)を信仰してるから──」
 
「眞瀬木の誰かが鵺の信仰者……」
 
 永と蕾生の考えを聞いた梢賢は目を細めながら言った。
 
「そ。ハル坊が初日に鵺を信仰する素地が里にはあるのかって聞いたやろ。ドンピシャなんであん時は鳥肌たったで」
 
「なるほど。確かに実際に見た方が良かったね」
 
 永は眞瀬木(ませき)墨砥(ぼくと)(けい)瑠深(るみ)の顔と印象を思い出していた。
 仏頂面な忠臣タイプ、陰険そうなインテリタイプ、気の強い快活タイプ。三者三様の人物像だが共通しているのは呪術師特有の身に纏うおどろおどろしさ。職種から見ても鵺に興味がありそうだ。
 
「タイミングがいいのか悪いのかわからへんけど、盗難事件のおかげで浮き彫りにはなったな」
 
「では、眞瀬木が鵺を信仰する素地というのはどういう……?」
 
 核心をつく鈴心の質問に、梢賢は残念そうに答えた。
 
「ああー、それ知りたいよなあ。でもそれだけは言えへんねん。言ったら父ちゃんの首が飛ぶ」
 
「ええ!?」
 
「まさか、そこまで」
 
 蕾生は冗談だろうと少し笑ったが、現実主義の永さえも真面目に聞いていた。
 
「今まで見聞きした村の様子なら、やりかねないね」
 
「まじかよ……」
 
「そんな訳でよ、眞瀬木と銀騎(しらき)の関係についてはオレは言えへんねん」
 
「!」
 
「──うん?」
 
 サラッと言った梢賢の言葉に、鈴心が過剰に反応した。それは永も同様だった。
 
「眞瀬木と銀騎って関係あんのか?」
 
「ライ、シー!」
 
「?」
 
 鈍感な蕾生の言葉を鈴心が遮るけれど、当の蕾生にはまるでわかっていない。
 
「君らの後見人に聞いてみたら何かわかるんちゃう?」
 
「──わかった」
 
 永はすぐに携帯電話でメールを打ち始めた。送信相手はもちろん銀騎(しらき)皓矢(こうや)である。
 
「どういうことだ?」
 
「今のが梢賢の精一杯だということです」
 
 梢賢は一度だけ銀騎という単語を使うことによって眞瀬木と銀騎に何かがあることを示唆した。自分の口からは言えないから、銀騎に聞いてみろということだ。
 
「すまんなあ」
 
 ヘラヘラ笑う梢賢は満足そうだった。
 
「よし。後は返事待ち。──盗まれた雨都(うと)の書物の件は村ではどうするの?」
 
 携帯電話をポケットにしまって永が聞くと、梢賢は肩を竦めて答える。
 
「さあなあ。今頃大人達が不毛な話合いでもしてるんちゃう。んで珪兄やんがしゃしゃりでてまた怒られとるやろ」
 
 それは昨日の会議と何ら変わらない印象だ。つまり何も進展しないと梢賢は暗に言っている。
 
「有耶無耶になりそうってことだね?」
 
「どうしましょう。私達だけで行方が追えるでしょうか」
 
「探す必要ってあるのか?」
 
 永と鈴心が困っていると、蕾生は素朴な顔をして聞いた。それは梢賢も想像外だった。
 
「へ?」
 
「そりゃ書物そのものが見れれば一番だろうけど、内容は梢賢が全部知ってんだろ」
 
「あ、気づいちゃった?」
 
 永はそれも既に考えていたようで、一抹の不安を提示した。
 
「書物を見せてもらうなら間接的協力で済む。けど、梢賢くんから聞くとなると積極的な協力になっちゃうでしょ。雨都はそれが可能なのか、昨日から気になってて」
 
「なんやハル坊は小難しく考えるんやなあ」
 
 梢賢は永の慎重さに苦笑していた。
 
「じゃあ、私達が頼めば教えてくれるんですか?」
 
「ええで」
 
 あっさり承知した梢賢に永は弾んだ声で確認する。
 
「本当?」
 
「ただし、交換条件や」
 
「ああ……」
 
 ニヤと笑った梢賢の次の言葉は永には予想がついていた。
 
(すみれ)さんの家庭をなんとかしてくれたら、何でも教えたる」
 
「なるほど。そうでしょうね」
 
「振り出しに戻ったな」
 
 鈴心も蕾生も溜息を吐いて項垂れる。梢賢は一際明るい声で宣言した。
 
「という訳で!これで晴れて一致団結できるな!」
 
「はいはい……」
 
 やはり梢賢は口がうまい。交渉術にも長けている。このちゃらんぽらんな雰囲気はこういう結果を得るためではないかと永は勘繰っている。







 いよいよ話題は本来の目的へ移る。とっかかりが欲しい(はるか)はとりあえず一昨日気になったことを聞いた。
 
「で、雨辺(うべ)のうつろ神信仰ってどんなの?」
 
「ざっくり言えば、一昨日(すみれ)さんが説明したのに尽きるな」
 
「世界が終わる時にうつろ神、つまり(ぬえ)が降臨して世界を救う──ですか」
 
「ありがちな宗教観の神様を鵺に置き換えただけだな」
 
 鈴心(すずね)が思い出しながら呟いたのに続いた蕾生(らいお)の言葉に、梢賢(しょうけん)は驚きながら反応する。
 
「おお、どうしたどうしたライオンくん。急に専門家みたいやで」
 
「彼には僕がオカルティック思想の教育を施してあるので」
 
 その肩に手を置き、得意げにしている永を見て梢賢は残念な子を見るような目を蕾生に向けた。
 
「……ほんまに不憫な子やわ」
 
「うるせえ。もっと知ってること言え」
 
「そう言われてもなあ。ずぶずぶになる訳にもいかんからあんまり聞いてないねんけど──せや、なんか毎日拝んでるって言ってたな」
 
「宗教ならそれは当たり前だろ」
 
 蕾生がつまらなそうにしていると、永が話題を発展させた。
 
「ただ、拝むという行為には必ず付き物があるよね」
 
「偶像ですね」
 
 鈴心の言葉が正解だと言うように、梢賢は頷いた。
 
「せやね。御先祖を拝むならお位牌、神様を拝むなら御神体ってな感じにな。それでいくと雨辺は家宝を拝んでるっていう話や」
 
「家宝か。そういえば修行の内容も雨辺家の秘術だって言ってたね」
 
「家宝を拝むことが修行なんでしょうか?修行と言うからにはもう少し過酷なものを想像していたのですが」
 
 永と鈴心が言い合っていると梢賢は肩を竦めて答えた。
 
「その修行も家宝もオレは見たことないわあ。普段は平凡な家庭やからなあ」
 
「じゃあ、話題を少し変えよう。梢賢くんはそもそもどうして雨辺と親しくなったの?」
 
 永がそう聞くと、梢賢は頭を掻きながら頬を赤らめて恥ずかしがった。
 
「え?聞いちゃう?参ったなあ、こら」
 
「人妻に懸想した気持ちの悪い話ですか?」
 
 鈴心はもの凄い勢いで心の距離をとる。
 
「ちゃうよ!ていうか、菫さんは離婚してシングルマザーだから!間男じゃないから!そもそも初めて会ったのはオレが五歳の時!」
 
「意外と古い付き合いだったんだな」
 
 蕾生が少し驚いていると、梢賢はうんうん頷いて当時の思い出を語る。
 
「初対面はな。あれはオレが七五三の時や。こういう時なら少し贅沢してもいいやろっつって、家族で街に出てん」
 
「隠れて住んでる割に、聞いてるとけっこう活動的だよな、お前んち」
 
「んー、雨都(うと)は特例である程度里の外に出られんねん。ただし、眞瀬木(ませき)から支給された道具の携帯が条件でな」
 
「道具って?」
 
 永は興味を引かれて乗り出して聞いた。
 
「簡単に言えば持ち運びできる結界や。後は発信機の役目もある」
 
「今も持ってるんですか?」
 
「おう、もちろん」
 
 鈴心の問いにポケットをゴソゴソと探り始めた梢賢は、ポケットの裏地を引っ張り出した後舌を出す。
 
「あ、やばい、忘れちゃった」
 
「おお、確信犯」
 
 永はそんな梢賢に感嘆の声を上げる。わざわざ村を出た事といい、梢賢自身が眞瀬木を警戒している表れだと思った。
 
「ま、それは置いといて。街のファミレスに行ってんけど、帰りにオレ迷子になったんよ」
 
「なりそうだ」
 
 蕾生は五歳の梢賢を想像する。陽気に街を珍しがってフラフラしたんだろう、と。
 
「あちこち知らない道をウロチョロしとったら、綺麗な女子大生のお姉さんが声をかけてくれてな」
 
「それが菫ですか?」
 
「そうや。子どもだったから当時は意味がわからんかったけど、菫さんはオレの事知っててな。しかも「こずえちゃんでしょ?」って言わはった」
 
「怪しいじゃねえか」
 
 蕾生の感想に一応頷いた梢賢だったが、当時の気持ちを思い出しながら説明した。
 
「今思い返すとな。でもあの時のオレは迷子になった心細さもあって、オレのことを知ってる人に会えてラッキーくらいしか思わんかった。綺麗だし」
 
 最後のはいらない付け足しだった。心の距離をとっていた鈴心が今度はブリザード級の冷気を浴びせそうな目をしている。
 
「ちょっと!五歳の素直な感想でしょ!──で、菫さんはオレの手を引いて「私、君の親戚なのよ」とも言わはった。
 オレは七五三だったから、親戚の姉ちゃんも一緒に食事するはずだったんだと思ったんや」
 
「うーん。早とちりだねえ。五歳にしては頭が回り過ぎたのが災いしたね」
 
 永がそう感想を述べると、梢賢は少し後悔混じりで言う。
 
「まあな。オレは里で複雑な立場の生まれやねん。そういう鼻はきく。だから勝手に自分で話作って勝手に納得してしもうた」
 
「それでどうしたんだ?」
 
「うん。少し二人で歩いてな。交差点のところで菫さんはオレの手を離して「もうすぐお家の人が来るから、じゃあね」って言って去ってもうた。そしたらすぐに父ちゃんが走ってきたんや」
 
「もしかして、それ……」
 
 二重の意味で眉を顰めた鈴心の言葉を永が続ける。
 
「プチ誘拐なんじゃない?」
 
「──やっぱりそう思う?」
 
 わざとらしい上目遣いで聞く梢賢に、蕾生は冷たく頷いた。
 
「その時のお父さんはどんな感じだったの?」
 
「そらもうえらい剣幕で、怪我はないかとか、何か取られなかったかとか……」
 
「はい。誘拐です」
 
 念のため永が確認したけれど、そう結論づけるしかない状況だった。
 
「ちょーっと一緒に歩いただけやで!?」
 
「だって菫さんと別れた場所にお父さんが血相変えて迎えにきたんでしょ?」
 
「百パー誘拐だろ」
 
柊達(しゅうたつ)さんは、梢賢がいない間に脅されたか何かされたんでしょうね」
 
 口々に言う三人の言葉に、梢賢はがっくり肩を落とした。
 
「うう、できれば目を逸らしていたかった……」
 
「梢賢くんがいなくなった間の出来事が気になるな。帰ったら教えてくれるかな?」
 
「あかん!あの時の話はうちでは禁句なんや!絶対にあかん!オレかて聞いたけど怒鳴られておしまいやってん」
 
 梢賢は雨都にやっと生まれた男児である。当時がどれだけ修羅場だったか永は容易に想像できた。
 
「なるほど。察するに余りあるね」
 
「そんな人物によく懸想できますね」
 
 鈴心の感想はもう侮蔑たっぷりだった。
 
「えー、だってオレには優しかったし、何も嫌なことされんかったもん」
 
 だが、梢賢は完全に色ボケていた。







「それで?その後は?」
 
 (はるか)は続きをせがんだが、梢賢(しょうけん)の答えはあっさりしていた。
 
「後も何もそれっきりよ。(すみれ)さんに再会したのはつい最近。高二あたりや」
 
「どこで?」
 
「学校の帰りや。オレは高校は高紫(たかむらさき)やねん。放課後街をぶらぶら歩いてたら、(あおい)くんを連れた菫さんにバッタリ会うた」
 
「バッタリ……まあいいでしょう、続けて」
 
 鈴心(すずね)が怪しんだのは当然だが、いちいち止めていてもいられない。続ける梢賢はこの世の終わりのような顔をしていた。
 
「ショックやった。ただただ、ショックやった。菫さんが結婚して子どもまで産んでたなんてな……」
 
「それは自然な流れでは」
 
「五歳の分際で女子大生の恋愛対象になれると思うなよ、図々しい」
 
「酷い!オレは真剣やったのに!──まあでも、聞いたら離婚したってことでな。急に目の前が明るくなってん」
 
 永の苦笑と蕾生(らいお)の正論に打ちのめされた梢賢はヨヨヨと泣き崩れたが、すぐに明るい調子を取り戻す。まるで芸人がエピソードトークを披露するかのようだった。
 そんな梢賢にゴミを見るような視線を鈴心が投げつける。
 
「さっきからオレ、鈴心ちゃんにすごい勢いで嫌われてない!?」
 
「安心してください。元々貴方への好感度は底辺ですから」
 
「おおう……あかん、目眩が……」
 
「そういうのいいから、続けて」
 
 にこやかに永に裏回しされ、梢賢は溜息を吐きながら続けた。
 
「ハル坊も冷たいのう……針のむしろやん。
 でな、当時は(まゆみ)ばあちゃんが死んだばっかりでな。それまでうちの中心やったばあちゃんがのうなってしもうて、なんや家族みんなやる気なくしてなあ。そういう時に菫さんに再会したんよ」
 
「絶妙のタイミングってことね」
 
「オレもなあ、ばあちゃんがいない家に帰るのがなんか嫌でなあ。放課後は菫さんの家に入り浸ったもんよ」
 
 シングルマザーの家に入り浸る高校生。なんて気持ち悪い設定だろう。まるで大人の映画だと鈴心が嫌悪をこめながら促した。
 
「その時に親しくなったんですね」
 
「そうや。するとなあ、菫さんの本性も見えてくるやろ。(ぬえ)をうつろ神なんて呼んで有り難がっとる。
 ああ、文献で読んだまんまの人が本当におったんやって寒気がした」
 
「その頃には雲水(うんすい)一族のことは一通り知ってたんだ?」
 
 永が聞くと梢賢は胸を張って得意になっていた。
 
「おう。なんせオレは雨都(うと)家に百数十年ぶりで産まれた希望の息子やろ。そらもう家では特別扱いよ。子どもがそんな風に育ったら中二病全開やろ。
 蔵の文献も中学の間でくまなく読んだったわ!おかげで古文だけ満点やで」
 
「ちなみに、雨辺(うべ)が里を出て行った経緯は?」
 
「あ、だめ。それ言えない」
 
 調子に乗っているので舌の滑りも良くなっているだろうと、永が踏み込んで聞いたが梢賢は意外に冷静でキッパリ断った。
 
「どうして?」
 
「さっきのヤツに抵触するんや。父ちゃんの首が飛ぶ」
 
「──んだよ、使えねえな」
 
 蕾生が文句を言うと、梢賢は笑いながら手を合わせた。
 
「そこは許して欲しいわ。ざっくり言うと、鵺を過激に信仰したから里を追い出したっちゅーことや。後は堪忍!」
 
「追い出した──でいいんだね?」
 
 永が目ざとく確認すると、梢賢は素直に頷いた。
 
「そうや。まあ、眞瀬木(ませき)とかは雨辺が自ら出て行ったって言うかもしれん。でも雨都の見解は逆や、おおっぴらには言えんけど」
 
「なら、雨辺は雨都を恨んでいる可能性があるね?」
 
 永が更に踏み込むと、梢賢は真顔でまた頷く。
 
「菫さんに限って言えば、多分雨都を恨んでる。オレには笑って「雨都の人達はお元気?」なんて言うけど、腹の中は違うやろな」
 
「貴方、菫に懸想している割にそういう所は冷静ですね」
 
 鈴心が少し関心しながら言うと、梢賢は自嘲するように溜息をついた。
 
「ああ、せやなあ。ばあちゃんの教育の賜物かもな。鵺、是、忌むべし!って毎日言われとったからなあ。
 ほんまかいなって思ったのが文献読んだそもそもの動機やしな」
 
「ふうん。檀さんのある意味一方的な感情にも左右されず、菫さんの言い分も的確に分析して感情とは別のところで飲み込んでる。梢賢くんはきちんと自分を持ってるんだね」
 
「少し、意外です」
 
「すげえな。俺だったらばあちゃんに洗脳されてそうだ」
 
 三人が急に褒め始めたので、梢賢は身震いしながら首を振った。
 
「ええ、何々!?急に持ち上げても言えないもんはあるんやで!」
 
「──チッ」
 
「あぶなー、ハル坊はほんと油断ならないわあ」
 
 失敗に終わった誘導尋問には見切りをつけて、永は話題を戻す。
 
「わかった。それで、菫さんの危険思想をどうにかしようとはしたの?」
 
「うーん。オレが再会した時はもうそういうレベルではなかったわ。たまに例の伊藤が来て、菫さんを洗脳してたみたいやし」
 
「その伊藤が何をしてたかは知らないの?」
 
「伊藤が来るとオレは帰らされたからなあ。だからオレは逆方向にシフトしてん」
 
「と言うと?」
 
 鈴心がそう問うと、梢賢は悪戯するような顔で答えた。
 
「うつろ神に興味があるふりや。オレは雨都の貴重な跡取りやからオレの代になったら便宜図ったる、みたいなことをな、言った」
 
「菫さんを懐柔しようとしたんだ?」
 
「懐に入らんと情報が取り出せないからなあ。けど、あんまり成果はない。いいようにはぐらかされて化かし合いの毎日や」
 
「ふうん。じゃあ、この前菫さんが同じような事を言ってたけど、本心ではないかもしれない?」
 
 一昨日会った情報だけでは雨辺(うべ)(すみれ)は梢賢に丸め込まれているように見えた。
 だが今日よくよくその背景などを聞くと、そう単純な話ではないことがわかる。厄介なことこの上ないと永は思った。
 
「どうやろうなあ。どこまで本気なんかはわからんな」
 
「一昨日の会話は、見た目ほどのほほんとはしていなかったんですね」
 
 鈴心も考えながら感想を述べる。裏に駆け引きがあったとして一昨日の出来事を思い出していた。
 
「まあな。オレと菫さんの愛の攻防戦よ!敵対する家同士の男女が愛を育んでいく!これやねん」
 
 だがそんな二人が悩んでいる側で、梢賢は鼻息荒くひん曲がった恋愛観を披露した。
 
「変わった恋愛だな」
 
「ふっ、オレの器はでかいねん。彼女の罪ごと愛す!これやねん」
 
 呆れる蕾生の反応も気にせず、梢賢は陶酔していた。
 
「その攻防戦の起爆剤として僕らが呼ばれた訳か」
 
「説明ついでに、もう一つ重大なことがあるんやけど」
 
「何?」
 
 永は少し恐れて身構えた。その予感は当たっていた。
 
「先に謝っとくわ、すまん!実は菫さんは君らの正体を知ってんねん」
 
「え!?」
 
「ていうか、君らの居場所は菫さんから聞いてん!」
 
「ええっ!?」
 
「はあ!?」
 
 三人が口々に素っ頓狂な声を上げても、梢賢はヘラヘラと笑って手を合わせるだけだった。