翌日の午後、永達四人は眞瀬木(ませき)墨砥(ぼくと)に呼び出され、眞瀬木邸に来ていた。
 
「こんちはー」
 
 梢賢(しょうけん)が玄関で軽く挨拶すると、瑠深(るみ)が迎えてくれた。
 
「ああ、よく来たね」
 
「お邪魔します」
 
「墨砥さんが僕らに何のお話ですか?」
 
 瑠深にはそれまでの刺々しさがなく、鈴心(すずね)(はるか)を友達に接するように促した。
 
「うん、とりあえず上がりなよ」
 
 蕾生(らいお)は眞瀬木邸から離れた場所にある作業場を気にしながら瑠深に聞く。
 
皓矢(こうや)八雲(やくも)はずっと作業してんのか?」
 
「そうね」
 
「もうすぐ丸一日経つんじゃねえか?」
 
「八雲おじさんにとっては珍しいことじゃないよ。呪具馬鹿だからね、納得するまで出てこない」
 
 瑠深は少し肩を竦めて苦笑する。次いで鈴心も心配を吐露した。
 
「お兄様も研究室に籠りっきりなのは日常茶飯事ですが、お食事はきちんとされているのかだけ気がかりです」
 
「それなら心配ない。父さんとあたしがきっちり食事は届けてる。毎回皿は空になってるから食べてるはず」
 
 その言葉に安心した鈴心は行儀良くお辞儀して礼を言う。
 
「ありがとうございます。お世話かけてすみません」
 
「とんでもない。あの人がいなけりゃ梢賢の武器も、ハルコちゃんの弓も完成しないよ」
 
 瑠深はすっかり鈴心が気に入ったのだろう。ニコニコ笑って答えた後、最後に永の方を見てニヤリと笑う。
 
「ハルコちゃん?」
 
「わー!わー!お邪魔しまーっす!」
 
 蕾生が首を傾げると永は慌ててその背を押して家の中に入った。瑠深はまた可笑しそうに笑っていた。


 
「ま、お茶でもどうぞ」
 
 居間に四人を座らせてから、瑠深は冷たい麦茶とパティスリーのロゴが入ったケーキ箱を持ってきた。
 
「そ、それは!!」
 
 刻印された店名に瞬時に反応した鈴心は瞳をキランと輝かせた。
 
「うん。あんた気に入ってたでしょ、このタルト」
 
「感激です、またいただけるなんて!」
 
「スポンサーに感謝しなよ。今回はあんたらにも分厚く切ってやろう」
 
 瑠深は箱から燦然と輝くプレミアムタルトを取り出して包丁を入れていく。
 
「ありがたやー!康乃(やすの)様、女神様!」
 
 梢賢は涙を流さん勢いで手まで合わせて喜んだ。永と蕾生もワクワクしながら瑠深の手元に注目していた。
 
「ああ、来たか」
 
 五人で和気藹々とケーキを食べ終えた頃合いを見計らって墨砥が居間に入ってきた。
 
「お邪魔してます。で、今日はどういった……?」
 
 改めて永が聞くと、墨砥はいくつかの書類やファイルを持って着席した。
 
「うむ。(けい)の書斎を調べてな、あの伊藤とか言う男の事が少しわかった」
 
「本当ですか!」
 
「ああ。どうやらヤツは兄の部下だと名乗って珪に近づいたようだ」
 
灰砥(かいと)さんの部下、というと眞瀬木の縁者ってことですか?」
 
 興味深そうに身を乗り出す永の前に、墨砥は書類の一つを取り出して広げて見せる。
 
「珪が調べた伊藤についての身上調査書だ。それによると、伊藤はかつて雨辺(うべ)とともに里を出た眞瀬木の縁者の末裔らしい」
 
「そんな人がうちにいたの?出てったのは雨辺だけなんだと思ってた」
 
 瑠深がそう言うと、墨砥は頷きながら説明を続けた。
 
「表向きはもちろんそうだ。だが雨辺には里を出る時に犀芯の輪(さいしんのわ)を託している。あれは(ぬえ)信仰の要。外に信仰の場を移すにしても、雨辺を監視するにしても、人材は必要だ」
 
「やはり、眞瀬木の鵺肯定派と雨辺を繋ぐ仲介者が常にいたってことですね」
 
 永が言う事にも墨砥は頷いて答えた。
 
「そうだ。伊藤は兄の灰砥の代からの仲介者だと珪には名乗ったようだ」
 
「断定はされないんですね」
 
 その永の言葉に、墨砥は眉をピクリと動かしてから付け加える。
 
「私の息子は、そう言われて鵜呑みにするようなうつけではない。こうしてきっちり自分で裏どりをしている。
 そういう仲介者が元は確かにいたのだが、かなり前にその血筋が途絶えていたことが調査でわかっている」
 
「じゃあ、伊藤は何者なの?」
 
 瑠深が訝しげに聞くと、最後に大きく息を吐いて墨砥はこう結んだ。
 
「結局のところはわからない。だが、珪はそれを知りながらも伊藤と協力関係を続けていた。鵺に関係する何かがあったことは間違いない」
 
「そうだね……あの殺気と、不思議な力。只者じゃないよ。人間なのかな、そもそも?」
 
 瑠深が言ったその言葉に永ははっとした。
 
「瑠深さん、それ鋭いかもしれません」
 
「え?」
 
「実は銀騎(しらき)にも間者が入りこんでいて──」
 
 銀騎(しらき)詮充郎(せんじゅうろう)の秘書として長年勤めていた佐藤斗羽理(とばり)が実は得体の知れない者だったこと。脱走する直前に詮充郎に重傷を負わせ、家宝を奪取したことなどを永は簡潔に説明した。
 
「なるほど。佐藤に伊藤、いかにも偽名っぽいな」
 
 墨砥が考え込んでいると、永は更に付け足した。
 
「ここに来て伊藤という人の存在を聞かされた時、妙な既視感がしたんです。そして今のお話であの女と似てるって確信しました」
 
「佐藤という女の正体は掴んでいるのかね?」
 
「あ──それはまだ僕らは聞かされてません。皓矢が調べていると思いますけど、このゴタゴタでそこまで話してなくて」
 
 そこまで聞いた墨砥は広げていた書類を整えてまた封筒にしまうと、それを永に差し出した。
 
「そうか……。良かったらこの書類を持っていくかね?」
 
「いいんですか?」
 
「我々も情報網はそれなりにあるが、銀騎に比べたらたいしたことはない。そちらに預けた方が有用だろう。それに──」
 
 墨砥は少し躊躇った後、小さな声で呟くように言った。
 
「あの伊藤という男が兄の時から暗躍していたのだとしたら、兄を鵺に狂わせたのはあいつかもしれない……」
 
「そうですね、あり得ることです」
 
 銀騎研究所において佐藤が詮充郎の側で暗躍していたように、眞瀬木でも同様のことがあってもおかしくはないと永は考えていた。
 
「こんな事を頼めた義理ではないのだが、あの男の素性を必ず暴いてくれ」
 
「ええ。必ず」
 
 永は墨砥の思いとともに、封筒を受け取った。