「感じるもの、ですか。そういわれてみると何となく違和感を感じますね。どこがどうとははっきりしないのですが……」

キルシュに問われ改めて考えてみると、どうにも地に足がつかないというか足元がふわふわしているような感触が、この部屋に入ってからずっと感じられていた。

その事をキルシュに伝えてみると、彼は得心がいったらしく笑顔で頷いた。

「この部屋に入ってからボクも妙な感覚にとらわれていたんだけど、ザイの言葉のお陰でその理由がようやくわかってきたよ」

「理由、ですか?」

「うん、実はね。この部屋全部に“まやかし”がかけられていたんだよ。これを打ち消さないと先に勧めないようになっているね」

キルシュがドラウプニルの杖を振りかざすと、その先端に光が蓄積され始めた。

周囲の魔素を現象に変換せず、そのまま収束しているのだ。

この魔術は確か……。

「“解呪”」

キルシュの言葉とともに杖に収束された魔素の光が粒子となって、部屋全体に拡散する。

すると、粒子が付着した箇所が歪み、本来の姿を取り戻していく。

魔術で構成されていた磨かれた石材で作られていた遺跡の壁面の偽装が“解呪”により剥がされ、本来の姿であるゴツゴツとした黒い岩石で構成された洞窟のものへと戻されたのだ。

正体が暴かれた巨大な空間は、高さ30m以上横幅は100mをゆうに超える巨大な洞窟の大空洞だった。

白銀山の麓に作られた眠れる竜の遺跡は、この大空洞へつながる回廊だったのだろう。

ディートリヒは自身の目の前で起きた事象についていけず、困惑した声を上げた。

「な、何が起きてるんだ? 遺跡が洞窟になっちまったぞ!? 訳が分からねぇ……」

「正確には逆だ。洞窟だった場所が遺跡に偽装されていたわけだ。視覚だけでなく足や手に伝わる感触までほとんど現実のものと大差ない高度なレベルで構築されていたのは驚きだな」

「これも魔術の効果ってやつなのか?」

「確かに発動していたのは魔術だろうが、そのレベルはもはや魔法に近いといっていいな。人間の魔術師が扱えるレベルをはるかに超えている」

魔術の中には“幻術”と呼ばれる対象の見た目を変化させて、正体を偽装する系統がある。

視覚に効果のあるものが大半なのだが、この遺跡にかけられていた魔術は視覚以外に触覚や嗅覚にすら影響を与え、対象を幻惑するものだった。

その証拠に感覚強化している護衛士の俺ですら、わずかな違和感程度の違いしか感じ取れなかった。

「魔術と魔法? 一緒じゃねぇのか?」

「名称が似ているので一緒くたにされやすいが、まったくの別物といっていいほどの隔たりがある。魔術で実現できるのは現象など物理的なレベルに留まるが、魔法は世界の法則そのものに干渉することができる。次元そのものが違うといってもいい」

「言っている意味がよくわからんが、魔術のすげぇのが魔法っていう考えでいいのか?」

「ああ、その認識で十分だ」

このような魔術を先ほどのホブゴブリンの司祭程度が使えるはずがない。

明らかにホブゴブリンのキャパシティを超えている。

ではこの魔術をかけた術者はどこにいるのか。

その答えは俺たちの目の前にあった。

巨大な洞窟の奥、今まで遺跡に見せかけた石の壁で隠されていた箇所には巨大なドラゴンが眠りについていた。

小さな山ほどの大きさの体は深紅の鱗に包まれている。

背には一対の被膜が張られた翼が生えており、長大な尻尾が生えている。

「レッドドラゴン、それも長老種だね」

キルシュの言葉がそれは何であるのかを告げた。

それはドラゴンの中で最も気象が荒く傲岸不遜な性格をもつ種族である。

頭には二本の巨大な角が生えており、その下にあるこれまた巨大な赤い瞳が己の寝床に入り込んだ不埒な侵入者の姿を捉えていた。

炎のごとき輝きを宿した紅蓮の双眼がギロリと睨みつける。

「何者だ……? 誰の許しを得て我が臥所に入り込んだ、薄汚い人間どもよ」

ドラゴンの口から重々しく言葉が発せられた。

その言葉は俺たちが話す人間と同じものだった。

「ドラゴンが、魔物が、人間の言葉を喋る……だと!?」

人間の言葉を話す魔物は滅多にない。

ディードリヒが驚愕するのも当たり前の至極当然のことだった。

「生後百~二百年程度の成竜と呼ばれるドラゴンも含めて、普通の魔物は人間の言葉なんて話せないんだけどね。長い年月を重ねた長老種以上のドラゴンともなると、他種族の言語さえ当たり前のようになるんだよ」

ドラゴンはその成長段階によって、幼竜、若竜、成竜、長老種、古代種に分けられる。

ドラゴンはその傲岸不遜な性質からして単独行動を好み、親になった竜が面倒を見るのは幼竜までであり、単独で餌がとれるようになった若竜にからは一人立ちする傾向がある。

あとは生きた年月に従ってドラゴンの体は大きくなっていく。