「緊張します。ローズさん」

 ドレスに身を包み、髪を結ったアカリは、落ち着きのない様子で呟いた。

 今日の舞踏会の『景品』であるローズは、長い黒髪をいつものように高く結い上げ、双子が用意した『王子様』の衣装を纏っていた。
 ローズがアカリの頭を優しく撫でると、アカリの頬がほんのり染まる。 

「――ローズ嬢、『光の聖女』」
「ロイ様」
「うえっ」

 そんな時、突然声を掛けられ、アカリはあからさまに顔を顰めた。

「『うえ』とはなんだ。『うえ』とは。全く、『光の聖女』。人に対する態度がなっていないぞ」
 ロイは大きな溜め息を吐いた。
 アカリは、やれやれといった様子のロイにカチンときた。

「なんで貴女は私のこと、いつもいつも『光の聖女』って呼ぶんですか! 私には、名前があるんです。ちゃんと名前で呼んでください!」
「……『アカリ・ナナセ』」
「フルネームで呼ばないでください!」

 ギャンギャンとアカリは吠える。
 その様子を見ながら、『ふるねーむ』? とローズは首を傾げた。

 魔王討伐以外では異世界召喚が禁じられている今、異世界の記憶を持つ人間は、『異世界人《まれびと》』と呼ばれている。
 彼らの多く国に招き入れ、保護している大国の王であるロイは言葉を理解しているようだったが、ローズは意味がわからずにいた。

「君は、本当に面倒で騒がしいな」
「私のせいみたいに言うのはやめてください。そうさせているのは貴方です!」
「まあいい。今日は君にご相手願う予定なのだから、くれぐれもおとなしくしていてくれよ」
「は?」
「俺と踊った少女が、野良猫だと言われるのは、俺もあまり気分の良いものではないからな」
「野良……っ!?」

 アカリは、顔をかっと赤くした。
 呼び方もムカつくが、野良猫だなんて失礼な!

「ロイ様。アカリをからかうのはおやめください」
「こうも態度に出して俺に怒る人間も少ないからな。なかなか面白くてな」
 くすくすとロイは笑う。
「なっなっな……っ!」
 アカリは、思わず手が出そうになった。一回殴らないと気がすまない。

「アカリ。――抑えてください」
 しかし大国の王であるロイを、しかも人前で殴るのは問題だ。
 ローズはアカリをなだめる為に、そっと彼女の手をとった。
「ローズさん……」
 アカリと視線を合わせ、ローズは微笑む。

「ローズ嬢。君は今日の景品だ。こちらへ来てくれ」
 だがロイは、アカリとローズの間に割って入ると、ローズの手を引いて壇上へと上がった。
 そこには二つの椅子が置いてあり、一つはロイの玉座のようで、もう一つはロイのものには劣るが、立派な造りだった。
 ロイはローズを椅子に座らせた。
 そして彼女に王冠を被せると、ふわりと赤いマントをかけた。

「きゃああっ! 素敵!」
 これで、『王子様』の完成だ。
 女性陣からきゃあきゃあという声が上がるのを聞いて、ロイは満足そうに頷いた。

「あの、何故王冠をかぶる必要が……?」
「今日の趣向だ。それに、そちらのほうが盛り上がる」
 困惑顔のローズとは対照的に、ロイは楽しげに笑って言った。

「では、舞踏会を始めよう」

 ロイがそう言って精霊晶のはまった剣を天井に掲げると、大広間の天井が消え満天の星空が映し出された。
 空には星が流れ、『こちら側』に現れた星は、壁にかけられていた蝋燭の一つ一つに、星の魔法を灯していく。

 踊るように蝋燭のまわりをくるりと星が回ると火は大きなり、星が通り抜けた後の壁の装飾は、一瞬で別のものへと塗り替えられる。
 星は、まるで子どもが駆け回るように楽しげに広間の中を飛び回ると、きらきらした星屑を人々に降らせた。
 そして最後に、人々の手の中に落ち着くと、流星は金平糖へと変わった。
 それはあまりに綺麗で甘くて、優しい魔法だった。

「これ、は……」
 まるで夢でもみているかのような美しい光景に、誰もが目を見張った。
 魔力の強さが地位に比例するともされるこの世界で、宴の演出は主催者の能力を知らしめるという意味もあるが、こんなに素晴らしいものを見るのは、ローズも初めてだった。

「学院の教師の双子は発明が得意でな。今日の演出も二人に任せている」

 ロイの言葉を聞いてローズは驚いた。
 天才と変人は紙一重だとはいうが、まさにあの双子に相応しい言葉だとローズは思った。
 
 ロイが主催の舞踏会。
 舞踏会では、主催かそれに親しいものが、最初に踊るのが普通だ。
 ロイはローズを残して階段を下りると、アカリの体をぐいと引き寄せた。

「――光の聖女。俺と踊れ」
「あのですね。こういうのは、男性が『踊ってください』ってですね!!!」

 ローズと踊るために仕方ないとはいえ、あまりにもムードのない誘い方に、アカリはイラッとした。
 王様だというのに、そういう配慮も出来ないのか――そう思って、アカリはロイを睨みつけた。

「君は案外夢見る乙女なんだな。騒がしいから、そういうことは気にしない人間かと思ったが」
「んなっ!!!」

 アカリの意志など関係ない。ロイがアカリの手を取り踏み出せば、美しい演奏が響き渡る。
 楽器も、奏者も、魔法も――どれをとっても一級品だ。

「素敵!」
「ねえ、見て。ロイ様が笑ってらっしゃるわ」
「一緒に踊られている方はどなたかしら?」

 ロイに導かれてアカリは踊る。
 ロイは手に、黒い手袋をはめていた。
 それが自分を気遣っての行動だと思うと、アカリは気に食わないとはいえ、ロイの足をわざと踏むことはできなかった。

「よかったな。注目されているぞ。『光の聖女』」
「だから、私の名前は光の聖女ではないと……!」
 不満げなアカリを、ロイは笑ってそう呼んだ。

「まあ、あの方があの『光の聖女』様なの?」
「魔王を倒すために異世界から招かれた方!」
「なんて素敵なお二人かしら」
「聖女様ならロイ様と踊られていても違和感はないわね」
「可愛らしいお顔の方ね」

 ――『光の聖女』。
 周りの人々の声を聞いて、アカリはふと、彼が自分のことをそう呼ぶのには、理由があるのかもしれないと思った。
 もともとこの世界の人間で、有名だったローズと違い、アカリは顔も名前も広くは知られていない。
 だとしたら、アカリの存在を周知させるには、名前ではなく肩書きで呼ぶのが効果的なのかもしれなかった。
 ロイのように――『光の聖女』、と。

「……」
「静かになったな。自己紹介の前に君のことを皆が知ってくれたからよかったじゃないか。君はあまり、人と話すのは得意ではないだろう?」
「貴方は、最初からそのつもりで」
「さあな。とりあえず、君は今日は笑っておいたほうがいい。いくら俺と踊ることで君が選ばれやすいとは言っても、不機嫌でしかめっ面の女性を一番に選ぶわけもいかないのだから」
「……こう、ですか?」

 アカリは精一杯笑ってみた。
 だがその笑顔は、どこかぎこちない。

「作り物感がひどいな。もっと自然な笑い方は出来ないのか?」
「……」

 しかし精一杯の努力へのロイの評価は散々なもので、アカリは本気でロイの足を踏んでやろうかと思った。
 ロイ・グラナトゥムという男は、何もかもが見えているようで気に食わない。

「……君は本当に、彼女のためならなんだって我慢しそうだな」

 ――だから。
 呆れたように呟かれたロイの言葉を、アカリは無視することにした。
 二人のダンス終わると、どこからともなく拍手が起こった。
 踊り終えたアカリはロイを置いて、すぐにローズのもとへ駆け寄った。

「食事はいいのか?」
「……これだけの人の多さですし、何かあったら困りますから」
「まあ確かに、君に泣き出されるのもは困るが」

 ロイは冷静に呟く。

「アカリ、せっかくですし楽しんできてはどうですか? 何事も経験ですよ」
「でも……」
 自分を気遣うように笑うローズの顔を見て、アカリは少しだけ苦い顔をした。

「……そうですね。やっぱり、ちょっとだけ食べてきます。ここのご飯、実は私の世界と同じものが結構あって、懐かしかったんですよね」
 ぱっと表情を明るくして、アカリは階段をおりた。
 走り去る様子は優雅とは言えないが、アカリらしいといえば、らしいと言える。

「……行ってしまいました」
 ローズは苦笑いした。

「グラナトゥムの料理人には異世界人《まれびと》がいるからな。だがなんというか……それでもアカリは変わっているな。記憶と召喚の差かもしれないが」
「ロイ様はどうして、本人に対しては名前で呼ばれないのです?」
「こちらのほうが面白い反応が返ってくるからな」
「まるで子どものようなことを仰るのですね」

 ロイの返答に、ローズはくすりと笑った。

「……まあ、こうやって話をできる相手は、俺にとって珍しい。だから君たちのことは、大切にしたいと思っている。彼がいなければ、君たちともこうはいかなかっただろうが」
「『彼』?」

 大国の王の口から、『大切にしたい』などという言葉が出て、ローズは少し驚いた。
 言葉といい態度といい、クリスタロス王国の人間に対するロイの態度は、国の規模からすれば恐れ多いことだが、やはりとても有り難い。

「ローズ嬢。一つ質問をいいだろうか」
「ええ。なんでしょう?」
「君は本当に彼らがこの学院を卒業したら、ベアトリーチェ・ロッドと結婚するのか?」
「そうですね。お父様たちも、それをお望みですし」
 ローズの答えは、貴族の娘としては正解だった。

「そうか……」
 だが答えを聞いて、ロイの顔は少し曇った。

「それが何か?」
「君は、これからリヒト王子がどうするつもりか何か聞いているか?」
「……リヒト様ですか?」
「ああ」

 ローズは首を傾げた。
 元婚約者について、どうして自分に彼が尋ねてくるのか理解出来ない。

「リヒト様については、私は何も……。アカリにプロポーズされていらっしゃいますが、陛下があまりよく思われていないので、保留という形になっているかと思うのですが……」

「保留?」
「陛下が認めてくだされば、というところだと思います。先日、レオン様がリヒト様にひどい物言いをされていたとき、アカリはリヒト様を庇っていましたし、仲は悪くないのではないかと思っていますが」
「……彼は、あまり兄とは仲が良くないのか?」
「レオン様は完璧主義なところがおありですから。リヒト様は自由といいますか……その、少し変わったところもお有りですので」
「……そうか」

 ロイは腕を組んで、思案するように目を伏せた。

「もしかして、レオン様やリヒト様が何かご迷惑を?」
「いや、そういうわけではないんだが。……それにしても」
「はい?」
「なんというか、君も変わっているな。鋭いのか鈍いのか、よくわからないところがある」
「????」

 苦笑いをして呟かれたロイの言葉の意味がわからず、ローズは再び首を傾げた。



 舞踏会に参加するため大広間に来ていたリヒトは、ずっと壁に寄りかかって楽しげな人々を眺めていた。
 会場にかけられた魔法について、おおよその予想はついたが、それらを組み合わせることで場を盛り上げらせるように演出するという芸当は、今の自分には出来ないなとリヒトは思った。
 魔法の仕組みはわかっても、使えないのと同様に、自分は芸術性に欠けている。
 見たままを再現するのは出来たとしても、人に好まれるような構成を作り出せるかというとそうではない。

「リヒト!!!」
「フィズ」

 リヒトが感心して広間を眺めていると、フィズが駆け寄ってきた。
 舞踏会では服の指定は特にないが、庶民も通っていると言うこともあり、服を持たない者には無償で貸出が行われている。
 学院から支給された服に身を包んだフィズは、髪をきっちり整えていて、いつもより凛々しく見える。

「お前は踊らないのか?」
「俺は、別に得意ではないからいい」
「えっ? 俺たちに教えてくれたのに、リヒトは得意じゃないのか?」

 フィズの問いに、リヒトは曖昧に微笑んだ。
 本当はリヒトはアカリを誘おうと思っていたが、リヒトはロイのように、アカリを輝かせる自信がなかった。
 それにリヒトは、闇魔法を使えない。

「……」
 リヒトは王冠とマントを被り、椅子に座るローズを見上げた。
 ローズに、ロイが話しかけている。
 赤い瞳を持つ人間。
 魔力の強い証であるその色を宿した二人を見て、リヒトは顔を顰めた。
 美男美女でお似合いだ。
 クリスタロスにいた頃は、ローズはロイといる時明らかに嫌そうだったのに、今は心を許しているのか、ローズもロイも、その表情は柔らかいようにリヒトには見えた。

「まあ、踊りたい相手は俺が誘うと困ってしまうだろうから」

 リヒトは困ったように笑った。
 そして、ドレスを着たフィズの想い人を見つけて、リヒトはフィズの背を押した。

「さあ、行け。フィズ」
「うわっ。押すなよ! リヒトっ!!」
 リヒトに突然背中を押されたフィズは、バランスを崩したまま足を踏み出し、いつの間にかリーナの前に来ていた。

「……フィズ」
 よろめくフィズを見て、リーナは眉根を寄せた。

「お……俺と、踊ってくれ!」
 しかし体勢を整えたフィズが、膝をついて懇願すると、リーナは一度瞬きしたあとに、『仕方ないわね』とフィズの差し出した手に自らの手を載せた。

「仕方ないわね。一回だけよ?」
「う、うん」
 リーナから了承をもらえて、フィズは思わず照れ笑いした。
 音楽が始まる。
 授業では、一人踊れないまま終わったフィズが、リーナを華麗に導いていく。

「……いつの間にこんなにうまくなったの?」
「秘密」
 リーナは、フィズの上達ぶりに驚いているようだった。
 フィズは、リヒトの方に振り返って、歯を見せて笑った。
 リヒトはフィズの笑顔を見て小さく頷いた。それからリヒトは、広間に集まった他の生徒たちを眺めていた。
 中でも、一際目を引いていたのは。

「レオン様〜!!」
「兄上は相変わらずだな……」

 たくさんの人の中でも、相変わらず目立つ兄の姿を見つけて、リヒトは嘆息した。
 レオンは、高等部に在籍しているであろう女性たちに囲まれていた。

 リヒトは少し予想外だったが、ギルバートとミリアが踊る予定はないようだった。
 ギルバートが他の女性に声をかけられて踊るのを、護衛としてミリアは見守っていた。
 いつもはミリアに構ってばかりなのに、今日のギルバートは、彼女を認識していないようにすらリヒトには見えた。

「ギル兄上は、何をお考えなのかやっぱりよくわからないな……」

 ポツリリヒトは呟く。
 ギルバートは、昔から不思議な人だった。
 幼い頃、時折全てを見通しているようだとは感じていた。
 未来を見通す光属性。
 その属性と強い魔力の両方を持つ相手だったからこそ、リヒトはギルバートが、何も告げず眠りについたことを疑問に思ったものだ。

 ギルバートであれば、こうなることはわかっていたはずなのに、と。
 ローズが塔から落ちたとき、水属性を使えるギルバートがいれば、ベアトリーチェがいなくてもローズは助ったはずだ。
 それなのに、ギルバートはあの場にいなかった。直前までそばにいたにもかかわらず、だ。

 結果として、あの出来事があったからこそ、ローズはベアトリーチェに深い信頼を寄せるようになった。
 しかしそれを見越して、妹の危機を見過ごしたと言うなら、それは兄としてはあまりに非情だ。
 ローズは、ギルバートを兄として誰よりも敬愛している。
 ギルバートも、いつもは妹であるローズを可愛がっているように見える。
 だからこそその相手の危険を放置した理由が、リヒトにはわからなかった。

 それに、ミリアのことだってそうだ。
 ギルバートはミリアがローズを助けてから、『運命』と彼女のことを呼んでいるのをリヒトは知っている。
 もしその『運命』が、『運命の相手』という意味での言葉なら、その相手を無視して他の女性と楽しげに踊るのは、あまりに薄情だ。

「……一体、何を考えて……」

 ギルバートは、今日も人当たりのいい笑顔を浮かべている。
 リヒトは時計を取り出した。
 時計は二重構造になっており、その中には、ローズがかつてベアトリーチェのために国中に飛ばした四つ葉が入っていた。
 時計は以前リヒトが作ったもので、リヒトがローズに贈った薔薇の入れ物のように、二重構造の一部分に生体を維持するための魔法がかけられている。

「もうそろそろ、時間か……」
 もうすぐ、舞踏会は終了の時間だ。
 少し眠いとリヒトが目を擦っていると、大広間に一人の少女が入ってきた。

 一瞬で思わず目を奪われる。 
 海を思わせる青い髪は、緩やかに波打っている。
 堂々とした態度はどこか雄々しく、雄大で静かな海を思わせる。
 仮面の間からのぞく瞳は、まるで海の宝石アクアマリンのように煌めいていた。

 身長は、アカリより小さくシャルルよりは大きい。
 空色のドレスを身に纏った彼女の肌は真っ白で、その手には傷一つ有りはしない。
 仮面をしていても明らかだった。
 他の人間とは生まれも育ちも違う高貴さを、その少女は宿していた。
 少女が入ってきた瞬間、誰もが自らの敗北を理解した。

 彼女のために、道が開かれる。
 ――まるで、モーセの海割りだ。
 アカリはその光景を見て、そんなことを思った。
 その光景を見て、ロイは笑った。
 玉座に座っていた彼は階段を降り少女に近づくと、恭しく彼女に頭を垂れた。

「一曲、踊ってもらえるか?」
「…………」

 ロイは少女の手をとった。それと同時に音楽が変わる。
 アカリとロイの組み合わせとは違う。
 二人は、まさに完璧だった。
 おとぎ話に出てくるヒロインが、王子様に魔法をかけられたと表現すべきなのがアカリなら、今ロイの手を取る少女は、生まれながらにプリンセスというべきオーラがあった。
 曲が終わり、二人の手が離れる。

「素晴らしい時間だった。ありがとう」
 ロイの言葉を聞いて、誰もが思った。
 今日の勝者は彼女に決まりだ。
 元々主催者であるロイの意向により勝者が決まるのだ。最初にロイがアカリを選んだときはアカリに決まると誰もが思ったが、圧倒的な差を見せつけられては、誰も反論はできない。
 ロイに口付けられても、少女の方は表情一つ変えなかった。

「それでは、最優秀舞踏賞を発表しよう」
 壇上に戻ったロイはそう言って、ローズに耳打ちした。
「あとは頼んだ。台詞はさっき伝えたもので頼む」
「かしこまりました」
 ローズはロイの支持どおり、仮面の少女の前に立った。
「おめでとう。貴方が一番素晴らしかった。一緒に踊ってくださいますか? 姫君」
 ローズはそう言うと、膝をついて少女の手の甲に口づけた。

「きゃああああっ!」
 女性陣から声が上がる。
「本当に物語の王子様のようだわ。……ああ、私が踊りたかった」
「無理よ。あんなものを見せられたのでは、勝てる気がしないわ」
「……」
 アカリもローズと踊りたかったが、格の違いを見せられてはどうにもできない。
「これ、貴方の指示ですよね?」
「ああ。面白い趣向だろう?」
 アカリの問いに、ロイはにやりと笑った。

 アカリは顔を膨らませた。
 自分がされたら嬉しいが、他の誰かなら面白くない。
 それにローズは今日の『王子様』なのは知っているが、ローズは男装はしているが女性なのだ。
 その相手に同性相手に口付けるよう指示を出すなんて、大国の王とはいえどうなのか。

「君は不満らしいが、別に彼女は特に気にしていないようだったぞ。というより、同性のほうが気が楽らしい」
「……」
 ロイの言葉をきいて、それもどうなのだろうかとアカリは思った。

 ローズと少女の踊りは素晴らしかった。
 ローズは相手を気遣うように微笑みを浮かべながらステップを踏む。
 公爵令嬢としてのその表情と、彼女の格好の雰囲気の違いが、またローズに別の魅力を与えていた。

 そんな彼女に見惚れていたのは、『王子様』とはしゃいでいた少女ばかりではない。
 他国の王侯貴族も通う学院で、性別問わずその場にいた人間を、ローズは惹きつけていた。
 『光り輝く赤き薔薇』――公爵令嬢と過ごしていた時から、ローズのことを持て囃すものは多かった。

 ローズが王子《リヒト》の婚約者だったからこそ、身を引いた者も多い。
 だからこそ、ローズが王子と婚約破棄をして、騎士として魔王を倒したとき、彼女を妻にと多くの国の王子たちが名乗りを上げた。
 赤い瞳を持つ公爵令嬢。
 そして、魔王を倒した器。
 それだけでもローズには価値があると誰もが理解するのに、ローズ本人はほとんど無自覚だった。

 ローズからすれば、人に優しくするのは当然で、強い魔力を持つ者が優遇されるのは当たり前で、周りの人間が自分に優しいのは当然でしかないのだ。
 共に魔王を倒した『神に祝福された子供』――ロイをも倒した今の婚約者ベアトリーチェ・ロッドがいるために、求婚の決闘を申し込む者は今のところいないが、人が人を思う気持ちは止めることは出来ない。
 ローズは今日も、無自覚に信者を増やしていた。

 音楽が終わる。
 ローズは少女の仮面に手を伸ばし、そっとその紐を解いた。

「仮面ははずさせていただだきますね。――姫君。どうか貴方の美しいその青の瞳を、私に見せてください」

 『青の瞳』――ここまでは、ローズがロイに必ず言うように指示されていた台詞だ。
「お名前を、うかがってもよろしいですか?」
「……」
 少女は答えない。
 ただ、そんな彼女を見て、周囲の者たちがこそこそと話を始めた。

「『海の皇女』?」
「『海の皇女』様だ」
「まさかあの方が、この学院に……?」
「……有名な方なんですか?」

 その様子を壇上から見下ろしていたアカリは、ロイに尋ねた。

「……彼女の名前はロゼリア・ディラン。青の大海『ディラン』の第一皇女。そして、この学院の創設者である三人の王――『海の皇女』の魂を継ぐ者であるといわれている」
「『海の皇女』……?」
 アカリはもう一度、少女の方を見た。

 青の大海。
 波の神格化であるというディランを国の名にいただく国の皇女は、その名を体現したような容姿をしていた。