水を纏ったローズの剣は、剣の纏う炎そのもの打ち消した。 
 相手が動揺の色を見せる隙に、一気に間合いを詰めたローズは、対戦相手の少年の剣を薙ぎ払い無力化させる。

「勝者、ローズ・クロサイト!」
 高らかに告げられた勝利に、勝負を見ていた観客たちは黄色い声を上げた。

「きゃああああああああああっ! ローズ様!!」
 歓声が響く中、ローズは平静を保ったまま剣をおさめると、対戦相手の少年に手を差し出した。
 
「対戦いただき、ありがとうございました」
 ローズはそう言うと、対戦相手だった少年を光魔法で包み込んだ。
 試合の際転んで出来た笙さな傷が、みるみる間に消えていく。

「これでもう、痛いところはないでしょうか?」
「あ、ありがとうございます……」

 気遣うようにローズが笑えば、少年は顔を真っ赤に染めた。
 元々勝負は、ローズが学院に入学したことで、婚約者がローズの話ばかりをして自分に冷たくなったという逆恨みで始まったものだったが、ローズは彼に多少見せ場を作りつつ勝利を収め、無事その少年さえも誑し込んでいた。

「対戦相手にも心を配られるなんて、なんてお優しい!」
「ローズ様が学院の生徒になられたというのは本当だったのですね! 騎士団の制服もお似合いでしたが、学院の制服もお似合いです!」
「はあ……。ローズ様と同じ学生生活を送れる何て、本当に夢みたい」

 男女問わずの人誑し。
 魔王を倒し世界を救った憧れの『剣神』ローズ・クロサイトが、自分たちと同じ制服を身に着けているのだ。
 人目を集め、噂にならないはずがない。

「なんでも実技の試験で、素晴らしい魔法を披露されたとか」
「筆記の試験ではほぼ満点だったと聞きましたわ」
「知力も魔法も優れていらっしゃるなんて、本当にローズ様は素晴らしい方ですわ!」

 学院にはローズを持て囃す言葉ばかりが響く。
 そんな中、ローズを警戒し、影からその姿を見つめる少女がいた。

「うう……。なんでローズさんがいきなり学生に……。護衛担当じゃなくなったみたいで一人でいるから逃げにくい」

 ローズがリヒトの護衛になって、少しローズから距離を取っていたアカリは、ローズの行動の制限が解除されたことに頭を悩ませていた。
 自分が元の世界に戻れることを教えてくれなかったこと。
 そのことを思うと、アカリはローズと顔を合わせて上手く笑える自信がなかった。
 情報を隠されて、嘘をつかれていたのだ。
 そう思うと、アカリは胸が締めつけられた。

「というか、ローズさんは護衛いなくていいのかなあ……? 確かに、必要は無いかも知れないけれど……」

 ローズは公爵令嬢として学院に入学した。
 だがそもそも、いくら騎士団に所属しているからと言って、他国での護衛に公爵令嬢を送り出すのはどうなのか。
 いや、でもそもそもローズは男嫌いの自分の護衛としてこの国に来たのだから、理にはかなっている――などとアカリは考えて頭を抱えた。 

「どうしよう……。この道、これじゃ通れない」

 アカリがそう呟いたとき。
 隠れて見ていたそう手がいつの間にか姿を消していたことに気が付いて、アカリは目を瞬かせた。
 一体どこに行ってしまったんだろう――なんて思っていると。

「アカリ」
「はえっ!? ろ……ローズさん!?」
 背後から声をかけられ、アカリは思わず後退った。

「逃げないで。私のことを、無視しないでください」
 ローズはそう言うと、アカリを壁に追い詰めて逃げ場を塞いだ。

 ――なんで私、ローズさんに壁ドンされてるんだろう!?

 アカリは心の中で叫んだ。
 『壁ドン』なんて、漫画で読んだときは絶対に怖いだけだと思っていたのに、ローズ相手だと心臓が痛いほど高鳴るのがアカリは自分でもわかった。

 ――なんでローズさんはこんなに綺麗な顔をしてるんだろう。なんで壁ドンがこんなに様になるんだろう。こんな至近距離、久々だしいろいろ耐えられない!
 
 距離を取って離れていたぶん、ローズに対する耐性が薄れたことを自覚する。
 このままではどきどきしすぎて死んでしまう。そんなアカリに、ローズは追撃した。

「……すいません。身勝手なことを言っているのは分かっています。ですが――私は、貴方に避けられるととても辛いのです」

 伏し目がちな瞳から、赤い色が覗く。
 強さを表すその色は、いつもなら自信に輝いているはずなのに、今は少しだけ自信なさげに見えて、アカリはドキリとした。
 まるでローズが、今だけは自分だけを見つめてくれているようで。
 自分を思って落ち込んでいるようで――そしてぼんやりとアカリがローズを見つめていると、ローズはそのまま、何故かアカリを抱きしめた。

「貴方は……もう私のことは、嫌いになってしまいましたか?」

 吐息交じりの声で耳元で囁かれ、アカリの中で何かが壊れた。

「アカリ……?」
 ローズはアカリの腰に手を回したまま、少しだけ体を離して、そっとその頬に触れた。

「あの……もしかして、風邪を引いていて上手く声が出せないのですか?」
「わわわわわわ……」

 アカリは顔を真っ赤にして、壊れた人形のように口をぱくぱくさせた。

「わわ?」
 ローズはこてん、と不思議そうに首を傾げた。

「わ……分かりましたから! 私から離れてください!」

 本当は言いたいことは山ほどあったが、精神に効くローズの攻撃に、アカリは惨敗して折れた。



「良かった。風邪は引いていないのですね」

 その後、お茶をすることにした二人は、仲良くティーカップを傾けていた。
 今日のお菓子はマカロンだ。
 カラフルな色合いに、流行りの可愛らしい飾り付け。お菓子でありながら、まるで芸術品のようでもある。

「一体どうしてそういう発想になったのですか……?」
「体温が少し高いようだったので」
「誰の……誰のせいだと……」

 ローズの返答にアカリはぷるぷる震えた。
 アカリは、まさかローズに突然抱きしめられるとは思っていなかった。
 前々からなんとなくはアカリも感じていたが、ローズの距離感は時折おかしいことがある。

「でもこうやって、アカリと久々にお話できるのは嬉しいです。このところ任務で、貴方と時間を過ごせていなかったので。リヒト様については今後はアルフレッドに一任することになったので、これからはアカリとも時間を過ごせます」

 ローズはニコリと笑った。

「すいません。貴方のことを、ウィルに任せきりになってしまって」
 ローズは静かに頭を下げた。

「……ローズさんは、私がローズさんから離れようとした理由、ちゃんと分かっているんですか?」
「え?」
「別に私は、魔法が使えないからって外されたことを怒って、ローズさんから離れてたわけじゃありません。その他に私がローズさんに対して起こる理由、ローズさんにはわかりますか?」

 てっきり、ユーリとのことのせいだと思っていたローズは、アカリの問いの意味が分からず目を瞬かせた。

「えっと……その……」
 ローズは視線を泳がせる。
 少し考えてみたものの、ローズはアカリが望む答えを返せる自信が無かった。

「よくわからないのですが……アカリを傷つけてしまったようですいません」
 ローズは静かに頭を下げた。

「……ローズさん。とりあえず謝ろうとする姿勢は、駄目彼氏の典型らしいですよ……」
「だめかれし?」

 聞き慣れない言葉にローズは首を傾げた。
 それは、アカリからすると異世界人で、公爵令嬢であるローズには遠い言葉だった。

「はあ……」
 目線が合って、キョトンとしたローズが慌てて再び頭を下げたのを見て、アカリは深い溜め息を吐いた。

「もういいです。顔を上げてください。リヒト様の件は、私のせいと言うこともありますし。それに何よりローズさんに、そんな姿は似合いません」

 アカリは本当はまだ、ローズの隠し事が許せなかった。
 でも、一生懸命自分に謝ろうとしている――それだけはわかって、アカリはローズの謝罪を受け入れることにした。



「アカリは……最近は、どのようなことをして過ごしていたんですか?」

 ローズは久々にアカリと話すことが出来て、とても嬉しかった。
 それにいつも公爵令嬢として騎士として、求められる姿を演じるローズは、アカリの前では、ただのローズ・クロサイトとして話ができるような気がした。

 アカリと過ごすだけで、不思議と心が軽くなる。
 お菓子の力だけじゃない。
 ローズはアカリと話す中で、自然と顔をほころばせている自分に気が付いた。
 今の自分にとって、アカリが大切な存在であることに――ローズは離れてから改めて自覚した。

「精霊の力を借りる訓練をしていました」
「精霊……ですか?」

 だが、和やかな空気は一変。
 思いも寄らぬアカリの返答に、ローズはお菓子に伸ばす手を止めた。

 『精霊の愛し子』
 アカリに、その力を使うことを学ぶべきだと伝えようかとも思ったが、結局なあなあにしていたことを思い出す。

「はい。勿論魔法の練習もしているんですが―魔法は上手くまだ扱えなくても、精霊達の力を借りることが出来れば、似たような現象を起こすことは可能かと思って」

 アカリはそう言うと、右手を少し上げた。

「サラ、火をつけてくれる?」
 アカリがそう『お願い』した瞬間。
 アカリの手の上に、小さな炎が宿った。

「ウンディーネ、水で火を消して」
 今度は火が、水によって消える。

「シルフ、水を乾かして」
 そして最後に、風が起きて水は消えた。

「これは……」
 目の前で起きた現象に、ローズは驚きを隠せなかった。
 アカリから魔力は感じなかった。
 だからアカリの能力が、魔法とは異なる力だということは、一目でローズにはわかった。

「もともとお菓子を作るときにしか頼んでいなかったんですけど……。この力を使えば、今はある程度のことは出来るかと思います」

 アカリはニコッと笑って、皿の上にあったマカロンを一つ持ち上げた。
 するとマカロンは、見えない小さな生き物が今まさに食べているかのように、小さな歯形と共に少しずつ小さくなっていく。

「そこに精霊がいるのですか? 精霊たちはなんと言っているのですか?」
「えっと……『僕たち偉いでしょ?』とか、『お菓子美味しい』って言ってます」

 ローズには、精霊の姿も見えなければ声も聞こえない。
 けれど少し困ったように言うアカリを見て、きっと本当なのだろうとローズは思った。
 
「精霊と言葉をかわせて、こんなことも出来るなんて、アカリは本当にすごいですね」

 自分の助言がなくとも、アカリは一人でそのことに気付いて行動した。
 ローズにはアカリが、自分が知らない間に随分成長したように思えた。

「ありがとうございます。でもこのせいで、少し周囲には引かれてしまって……。はたから見れば、何もないところで話しているように見えてしまうので。一応説明はしたのですが、『精霊の愛し子』は、あまり例がないので……」
「なるほど、そういう弊害が」

 確かに、一人で虚空に向かって喋っていると思うと、少し怖いかもしれない。
 ローズはそうも思ったが、学院で一人で過ごしていたアカリの言葉を、周囲の人間がまともに取り合わなかったことに気付いて少し胸が痛んだ。

「残念ですね。アカリが嘘を言うはずはないし、精霊と話せるなんて、きっと素敵なことなのに」
「……ローズさん。そういう言葉、さらっと言うのは反則です」

 ローズの言葉に、アカリの顔が朱に染まる。
 ローズから離れていたときは、他人から好奇の目を向けられることでしかなかった自分の行いが、ローズを通すときらきらと光を纏う。

 ――ローズさんに褒めてもらえるのがこんなに嬉しいなんて。やっぱり私、何をされてもローズさんのことは嫌いになれないんだな……。

 ローズにかけられた言葉が心を満たす。
 今のアカリには、『精霊が見える』と話したとき、苦笑いされてから遠巻きに見られたことも、どうでもよいことのように思えた。
 誰になんと言われても、ローズが自分のことを信じてくれるなら、それだけで十分なのだと。

「シャルルちゃんも私も、この世界でははなり希少価値が高い存在と言うことなので、仕方ないと思います。でもこれも全部、クリスタロスを――神殿と離れたからこそ、そう思えたようになったんだと思います。クリスタロスでは、聖女として早く強い光魔法を使えるようになるようにと、そればかりを毎日言われていたので」

「……アカリ」
 困ったように笑うアカリを見て、ローズは唇を噛んだ。
 クリスタロスに居た時は、『光の聖女』として神殿でアカリが魔法を学ぶことがアカリにとって良いことだと思っていたが、その判断は間違いだったのではと、今のローズには思えた。
 ローズは少しの沈黙の後、アカリの手を勢いよく掴んだ。

「ろ、ローズさん!?」
「アカリ。――貴方に、お願いがあります」

 ローズは、まっすぐにアカリの瞳を見つめて言った。

「一度貴方を外してしまった私が、貴方に頼むのは筋違いかと思うかもしれません。でも、『卒業試験』は三人一組。どうか私と一緒に、この難題に挑んでくれませんか?」

 真剣なその表情に、アカリは長い沈黙の後――静かに頷いた。

「わかりました。それが、ローズさんの願いなら」

◇◆◇

「おやおや。……流石の『王子様』も、ローズの人気には負けてしまったか?  一気に人気を取られた気持ちはどうだ? レオン」
「五月蝿いよ。ギルバート」

 ローズの入学で慌ただしくなった学内で、ギルバートとレオンは二人で話をしていた。
 ローズの入学前は、レオンはよく女生徒に囲まれていたが、今はそのおおよそはローズのファンとして活動している。

「くく……っ。まあ、お前はもともとこういうのはガラじゃないだろ。こうやって静かに過ごせるほうが、お前だって楽なんだからいいだろう? 甘い言葉も態度も、お前のそれは所詮処世術だろ」

 レオンは、ギルバートの言葉を否定はしなかった。

「しっかしまあ、あの光景を見ていると、なんだか懐かしくなるよな。昔からあいつは、男より女にモテていた」

 だが今度は、レオンは幼馴染みの言葉に首を傾げた。

「ギルバート? 君は一体、誰のことを言っているんだ? ローズは立場と魔力のおかげで、男にもてていたんじゃなかったのかな? それにあの外見に性格、実力だ。畏敬もあって、光の聖女が現れるまで、親しい友人はいなかったと聞いていたが?」

 訝しむレオンに対し、ギルバートは曖昧に微笑んで、ローズを見て過去を懐かしむように目を細めた。