「よし。追いかけてきたな」

 幼等部の生徒たちをからかったあと、ギルバートはリヒトを連れて走った。
 雷魔法、水魔法、炎魔法――才能を認められた子どもたちの魔法が、容赦なくリヒトを襲う。
 まともな攻撃魔法を使えないリヒトは、ただただ避けるしかない。しかも魔法を使えるギルバートは楽しそうに笑うばかりで、リヒトを攻撃からかばってはくれなかった。
 
 公爵令息ギルバート・クロサイトは、強化魔法の使い手であるミリアにちょっかいをかけては、よく怪我をしている。
 傍から見れば戦闘の才能がないからと誤解されるだろうが、リヒトが知る限り、幼馴染の三人の兄たちのなかで、一番戦闘の才能があったのはギルバートだった。

 水魔法と光魔法。
 圧倒的ともいえる光属性の適性で未来を予測し、水魔法で相手の攻撃を少しずらす。
 そうすれば少ない力で、攻撃を無力化できる。だがギルバートは昔から、あまりこの戦い方は好まなかった。
 魔法の使いすぎを避けるため、自分は体術を極めるのだと、リヒトはギルバートから話を聞いたことがあった。
 そして魔法を使わずに、強化属性持ちのミリアと渡り合えるほど――ギルバートは彼の祖父から、その才能を受け継いでいる。

 子どもたちは、まるで羽が生えているかのように身軽に動くギルバートを見て、時折目を輝かせていた。

 ――なんだあれ、かっこいい……! 

 だがそう思っても、おちょくられたまま反撃しないわけにはいかない。

「こっちだぞっと!」
「うわっ!」
「ご、ごめん! リヒト」

 リヒトは避けきれず、ギルバートに向けられた水魔法の水を被った。
 びしょ濡れになったリヒトを見て、水魔法を使った少年が謝る。

「ぎ、ギル兄上。なんだか俺だけ被害をうけている気がするんですが」
「気のせいだろ。頑張って避けろ」

 ギルバートは相変わらず飄々としていた。彼の魔法の能力は昔と変わらないものの、特別な光魔法のおかげで、身体能力自体は問題はないようにリヒトには見えた。 
 身軽なギルバートはリヒトとは違い、長く走っても息一つ乱れない。

「流石に……俺は、もう、無理です! ……って、なんで突然止まるんですかっ!」

 手をひかれ走っていたら、突然ギルバートが立ち止まったため、リヒトはその背に顔をぶつけた。 
 赤くなった鼻を擦る。気付けば、水魔法の訓練場まで二人は来ていた。
 
「おいで。ディーネ」  

 学園に設けられた巨大な池を前にしたギルバートは、低い声で呼びかける。 
 その瞬間、ちゃぷん、と水が跳ねる音が聞こえたかと思うと、池の中から巨大な『龍』が出現した。

 レイザールと並べて語られる、光の天龍フィンゴットは、正確に言えば『ドラゴン』と呼ぶべき生き物だ。
 対して、ギルバートがディーネと呼んだそれは、『龍』と呼ぶべき存在のようにリヒトは思った。

 ギルバートはリヒトの手を引くと、龍の背にのった。二人から遅れてやってきた子どもたちは、奇っ怪な蛇のような水の塊を見て声を上げた。

「な、なんだあの化け物!」
「おいおい。俺の可愛いお姫様に向かって、失礼なことをいうなよ。まあいい。――さあ、俺と遊ぼうか」

 ディーネと呼ばれた透明な塊は、リヒトとギルバートをのせたまま体を波打たせた。
 ギルバートと違い、体幹を鍛えていないリヒトは、その反動で倒れ込んだ。
 ぐにゅう……。

「!?」

 その時、手に感じた慣れない感触に、リヒトは目を大きく見開いた。
 『ディーネ』の肌の感触は、リヒトが海で一度だけ触れた『クラゲ』と似ていた。
 その瞬間、ディーネに雷魔法が落ちた。
 しかし、ディーネの体はぷるんと少し揺れただけで、なんの変化もない。
 子どもたちとリヒトが目を白黒させていると、ギルバートは彼らを見てニヤリと笑った。

「残念だったな。彼女の能力は蓄積なんだ。お前たちの攻撃は、全て吸収して無効化される。俺たちに当てなくては意味はないぞ?」
「え……」

 子どもたちの顔がさあっと青くなった。
 なんだその、チートすぎる契約獣。皆の心が一致した。

「さて、ここまで俺たちを追ってきたお前たちをどうしてやろうか……」

 にやりと笑ったギルバートは、まるで悪魔のようだった。
 しかしその悪魔は、子どもたちに手を出すことはなかった。代わりに彼は、あるものを子どもたちに投げ渡した。

「お前たち。俺を狙うならこれを使え。リヒトに当たると危ないからな」

 それは昔、リヒトがギルバートとともに作った魔法道具だった。
 水属性に適性がなくても使える水鉄砲。
 リヒトが最近新しく作った、火災などに使える改良型よりも簡素な造りのそれは、元々、幼馴染たちと遊ぶために二人が過去作ったものである。

「あの、それ……俺たちが作った……?」
「ん? ああ。気付いたか」

 ギルバートは笑って頷き、そしてまた、リヒトには予想できない行動をした。

「リヒト。仲間をもう一人連れてきたぞ」
「!?!?!」
「きゃあああああっ!」

 悲鳴の主はロゼリア・ディラン。
 ギルバートは、あろうことがディーネの尾でロゼリアを捕獲したのだ。
 透明な塊に捕獲された海の皇女の体は、宙に浮かされていた。

「なんだあれ! 大丈夫なのか!?」
「怪物に攫われてるぞ!?」
「ロゼリア様、ロゼリア様!」

 ロゼリアは身分もあって、そばには彼女を守る女性騎士も控えていた。メイドのような格好をした騎士は、謎の生物に捕獲された主人を見上げ声を上げた。
 リヒトは絶句した。
 ――兄上といい、ギル兄上といい、二人ともなんでディランと問題を起こそうとするんだ……!

「兄上! 本当に、一体何を考えて……!」
 
 しかし問題を起こした張本人はまるで悪びれる様子もなく、ディーネの尾からロゼリアを受け取ると、まるで悪役のような高笑いをして言った。

「ははははは! お前たちの仲間は預かった。これから俺は反撃するが、攻撃は彼女の力をもって行う。それ以上濡れたくなかったら、頑張って避けるんだな」

 ギルバートはとても悪い顔をしていた。

「なんだよっ! そんなの、絶対そっちが有利に決まってるじゃん!」
 子どもは当然のごとく反論した。

「リヒトか俺に、三回当てたら負けを認めてやろう。煮るなり焼くなりしていいぞ?」
「だから、なんで俺まで巻き込むんですかっ!?」

 理不尽がすぎる。
 リヒトはツッコんだが、誰もリヒトの話なんて聞いてはいなかった。

 事態が読み込めないロゼリアに、ギルバートは優しい笑みを浮かべると、彼女の小さな手を取った。

「いいか? 俺の攻撃は君の魔法を使う。君も知っているだろうが、光魔法は力の循環を司る。当たっても問題ない程度に、俺が調節してやる。君はただ、魔法を使うために意識を集中させろ。――じゃあ、行くぞ」

 光属性に適性があれば、魔法を使える人間の力の操作を、補助することは可能だ。
 ギルバートはロゼリアの後ろから彼女の手を取ると、ニヤリと笑って魔法を発動させた。

「せーのっ!」
 その瞬間、ロゼリアの魔法が子どもたちを襲った。
 ロゼリアは魚のように、口をパクパクさせた。

「なんだこれ!?」
「あははははは! 次行くぞ次!」

 ギルバートは、今度はロゼリアの手を上に向けて魔法を放った。 
 その瞬間、頭上から樽をひっくり返したような水が、子どもたちに降り注ぐ。

「うわ、濡れた! なんなんだよこの大規模魔法っ! 範囲広すぎるって!」
「悔しかったら早く反撃したらどうだ? それなら、水魔法適性が扱えなくても扱えるぞ」

 ギルバートは子どもたちを煽るように満面の笑みで告げる。

「俺は水魔法使えないしつかえるわけ……って、え!? 本当に使える!!!」

 『これまでの魔法』なら、属性への適性がなければ魔法は使えない。
 しかしリヒトが初めてギルバートと作った魔法道具は、魔力《ちから》さえあれば、その他の属性魔法《ちから》もつかえるというものだった。

 一つの属性さえ使えれば、あらゆる属性魔法が使える魔法道具の研究。
 元々この研究をしていたのは、ギルバートだったとリヒトは記憶している。
 ローズの尊敬する『お兄様』は、大人たちにその才能を語ることはなかったが、同じ時を生きていたなら認めざるを得ないほど――紛れもない『異質さ(てんさい)』だった。

「壮観壮観」
「ギル兄上、全員へばっています……」 

 だがギルバートとリヒトが一緒に魔法道具の研究をしていた頃、魔法陣はまだ未完成だった。
 そのために、別の属性の魔法を使うには一の威力使うために、ニ以上の魔力を必要とする魔法道具がこの世界に生まれた。

「もう……むり……」
 魔法道具の魔力消費に耐えきれず、次々に子どもたちが地面に膝を付ける。
 ギルバートはディーネから降りると、動けずに地面に倒れ込んでいる子どもたちの前でしゃがんだ。

「なんだよこの道具……」
「これは俺とリヒトが、お前たちと同じくらいの頃に作ったものだ」
 ギルバートはふっと笑う。

「お前たちも思うところはあるだろうけど。この子はここで、お前たちと一緒に学ぶ仲間なんだ。喧嘩はしてもいじめはするなよ。な?」
「まさかそれを教えるために……?」
「ああ、そうだ」

 ギルバートは優しい笑みを浮かべた。
 仲裁のための行動と言われては、子どもたちは疲れていたこともあり反抗できなかった。
 その瞬間、ディーネの尾が池をうちつけ、ギルバートの全身を濡らした。

 ――沈黙。
 静寂を破ったのは、ギルバートの笑い声だった。

「はははは! ついに俺もびしょ濡れになってしまったな。仕方ない。この勝負、引き分けということにしよう」
「引き……分け?」
「ああ……お前たちとの戦いで疲れてしまっての失敗だからな」
「……」

 リヒトは、白々しい演技をするギルバートを無言で見つめていた。
 ギルバートは昔から、人を懐柔するのがうまかった。
 頭がよく外見も優れており、年上で、魔法を使うことも上手い。
 子どもたちはいつの間にか、ギルバートを尊敬の眼差しで見つめていた。

「ねえ。名前、なんて言うの?」
「ギルバートだ」
「じゃあギル兄って呼んでいい?」
「ああ。いいぞ」
「ギル兄!」
「ギルにい!」

 ギルバートを呼ぶ子どもたちの声は、次第に大きくなる。
 リヒトは『リヒト』で、ギルバートは『ギル兄』呼び。

 ――なんだこれ……。

 リヒトは幼い頃、自分やローズがギルバートはすごいという話をすると、顔をしかめたことがあることを思い出した。
 幼い頃は気付いていなかったが、ギルバートの中毒性のあるカリスマ性は、傍から見ると少し異常だ。

「ギル兄か……。リヒトは『リヒト』なのにな? ごめんな? リヒト」

 ギルバートはそう言うと、リヒトに向かってニコリと笑った。



 ものはいいようである。
 水鉄砲の魔法道具はその後、『魔力を枯渇させることで蓄積できる魔力量をあげる効果が見込める』ものとして、ギルバートとリヒトの連名で、研究結果が発表されることになった。
 魔法機関は優れた魔法の研究を行う者に、補助金を与えている。ギルバートはその金で、リヒトは研究をすればいいと言った。 
 ギルバート本人はもう、魔法道具には興味はないらしかった。

「でも、こんな不完全なものでいいんですか……?」
「役に立つなら何でもいいだろ。だいたい、この国の王は、あの双子の研究だって認めたんだろ?」
「それは、そうですが……」

 リヒトは、ギルバートの言葉に素直に頷くことができなかった。
 表情を暗くしたリヒトの頭を、ギルバートはわしわし撫でた。

「な、何をするんですかっ! ギル兄上!」
「そんな顔するなよ。まあ本当は、お前の名前だけで出したかったんだがな。……誰が作ったとか、誰が発表したとか、本当はそんなこと、どうでもいいはずなのにな」

 魔法をろくに使えないリヒトだけでは、その価値を示せないから、だから連名にするのだと――ギルバートの言葉に、リヒトは首を傾げた。

「? ギル兄上の研究結果なのですから、当然のことです」
「――いや、あの魔法はお前のものだよ」
「それは、どういう……?」

 リヒトの問いにギルバートが答える前に、子どもたちがギルバートに群がった。

「ギル兄! 来てたの!?」
 水鉄砲の事件の後、ギルバートは幼等部でも、『お兄様』と化していた。

「……お兄様」
「ローズ。元気か?」

 アカリの護衛を離れたローズは、ユーリとともに魔王討伐の発表を終えたこともあり、ウィルの代わりにリヒトを見守ることになった。

「はい。……あの、今日はまだここにいらっしゃるのですか?」
「いや、魔法道具のことがあって、これから大陸の王と会う予定なんだ」

 ローズは兄にまだそばにいてほしかったが、軽く断られて肩を落とした。

「この魔法道具を、君が?」
 ギルバートを呼び出したロイは、第一声そう尋ねた。

「はい。リヒトと共に」
 ギルバートは静かにこたえた。

「リヒトの魔法については、よくご存知でしょう? リヒトの魔法道具の研究には、ほとんどこの魔法式が利用されているはずですので」
 ギルバートは、リヒトの魔法がロイの手の内にあることを知っている。

「まあ今のリヒトなら、これよりも優れたものを完成させているでしょうが」
「何が言いたい?」
「いいえ、何も」
 ギルバートは静かに首を横に振った。

「ただ私は、私の弟分を悲しませるようなことはしないでいただきたいと、そう願っているだけです。海の皇女に、貴方が願うように」
「……」
「ロイ・グラナトゥム様。私から一つ、提案させていただけないでしょうか?」

 ギルバートはそう言うと、口を閉ざしたロイに、提案書を差し出した。

「『ハロウィンパーティー』?」
「はい。ロゼリア様にとっても、学院の他の生徒にとっても、きっといい経験になると思います」

 ギルバートは公爵令息らしい笑みを浮かべた。

「ほう?」

 『ハロウィンパーティー』
 その祭りのことは、ロイも以前『異世界人《まれびと》』の本で読んだことがあった。

「なるほど面白い」
 ロイはギルバートの差し出した計画書をパラパラと読んでから、ふっと笑った。

「いいだろう。――君の提案を受け入れよう」