「構成についてですが、『魔王討伐』の時の再現を行いたいので、アカリが結界を張り、私が闇魔法や地属性魔法を発動させて、ユーリが私の代わりに行動する――ということで行こうと思うのですが、よろしいですか?」

「は、はい!」
「はい。かしこまりました」

 魔王討伐の際の魔法について、発表することになった三人は、学園の訓練場の一つを貸し与えられて練習を続けていた。 

「では、はじめましょう」

 ローズの声に合わせて、アカリが魔法を発動させる。
 目を瞑り、深呼吸して、手を前へと伸ばす。
 魔力はぱちぱちと光り円を絵描き、空中に浮かぶ盾を形成する。
 その光景をみながら、ローズはほっと息を吐いた。

 ――良かった。今日のアカリは、いつもより落ち着いている。

 『光の聖女』。
 その名で呼ばれるアカリには、魔王討伐の際の功績もあって、どうしても注目後集まってしまう。
 それにこの学院で、ロイはアカリを『光の聖女』と呼んでいた。
 それはアカリをこの世界に認知させるためのロイの配慮でもあったが、今のアカリにはまだ、その名で呼ばれるだけの安定した力は備わってはいなかった。
 ひび割れた盾は、空中で消失する。

「やっぱり、駄目――ですね」
 アカリの魔法は、今日もうまくいかない。

「……休憩にしましょう。アカリ」
 ローズに微笑まれ、アカリはコクリと頷いた。

「ありがとうございます。ローズさん」

 ローズはアカリに、ベアトリーチェから届いたハーブティーを渡した。
 手持ち無沙汰なユーリは、アカリとローズを見て、二人には見つからないようわずかに顔を歪めた。
 彼女《アカリ》に寄り添うローズを見ていると、何故か妙に落ち着かない。 
 
「ユーリ?」
「は、はい。ローズ様」
「顔色が悪いようですが、大丈夫ですか?」

 顔を上げればアカリまでもが、心配そうに自分を見つめていたことに気付いて、ユーリは何事もないように笑顔を作った。

「昨夜遅くまで起きていたせいで、少し気分が優れないようです。申し訳ございませんが、今日は下がらせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「それならば、無理をしないほうがいいでしょう。アカリには私がついていますから、ユーリは休んでください」
「……お気遣いありがとうございます。では、私はこれで」
 ユーリは二人に一礼すると、その場を後にした。



「ユーリ」
「――ギルバート様」 

 部屋へと向かうユーリを呼び止めたのはギルバートだった。
 出会い頭に氷の彫刻を、はいと手の上に置かれたユーリは、反応に困ってしまった。
 ――自分に、氷の薔薇をどうしろと?

「どうだ? 練習はうまくいっているか?」
 しかし困惑するユーリにギルバートはお構いなしで、いつもの調子で彼に尋ねた。

「……いえ」
「原因は、光の聖女か?」
「……」

 ギルバートの問いに、ユーリは答えなかった。
 遅れているのはアカリのせいだが、それを彼に言っても何にもならない。
 それに、アカリが出来ないからといって、ユーリは彼女を急かすことは出来なかった。
 彼女が真剣なのはわかっている。頑張っている人間に、頑張れというのは違う。
 それに、その姿は、まるで――……。

「やはり光の聖女は、リヒトと似ているな」
「え?」
 ギルバートの言葉に、ユーリは目を見開いた。

「彼女と、リヒト様が?」
「ああ」
 ギルバートは静かに首肯した。

「確かに実技はあまり良いとは言えなが、座学に関しては彼女は優秀だ。そもそも、この学院に入ったのも彼女の実力だしな。知識についてだけなら、別の世界から来たばかりとは思えないほど、彼女は優秀だときいている。元の世界では、ほとんど学校に通えていなかったというが、もし彼女が健康な体に生まれていれば、魔法のない世界なら、彼女はきっと優秀な人間だと周囲に思われたに違いない」

「……それほどなのですが?」
「ユーリは勉強が苦手だから、言っても実感がわかないかもしれないが、一度読んだ本をまるまる一冊暗誦するなんて真似、普通の人間には出来ないだろう? しかも、他国の言語の本だぞ?」
「一度読んだだけで……?」

 もし本当なら、アカリは恐ろしく優秀だ。
 それこそ――『天才』と呼ぶに相応しく。  

「惜しむらくは、彼女がその才能を病のせいで、元の世界では活かせなかったことだろう。とはいえ、彼女の国では幼い頃から全ての人間が学校に通うのが義務化されているらしいからな。おかげで異世界で有名な作品については、部分的ではあるが、今後アカリのおかげでこの世界にも伝えられることになるだろう」

「……」
 魔法を望まれる立場ではなく、ただの異世界からの来訪者というだけならば、アカリには沢山の道があったに違いない。
 ギルバートの話を聞いて、ユーリはそう思った。

 手先の器用さ、記憶力、絵、文章力。
 才能は多岐に渡る。
 加えて彼女は、精霊から加護を受けた愛し子だ。
 精霊は普通人に懐くことはなく、人間に力を貸すのは極めて稀なことだと、ユーリは聞いたことがあった。
 もしアカリに才能がなかったとしても、精霊たちはアカリを受け入れることだろう。
 人とは違う価値基準を持つ彼らを前に、魔法が使えるかどうは意味がない。
 魔法が人の心から生まれるなら、精霊の持つ力とは、この世界を満たすありとあらゆる力の総称と言っても過言ではない。

 故にもし上手く扱うことができれば、アカリは魔法を使う人間よりも、強くなれ可能性を秘めている。
 だがそれを、神殿は望まない。
 神殿が望むのは、強力な光魔法の使い手――かつてベアトリーチェの命を救った、『光の巫女』の再来だ。

 ギルバートは目を細めた。
 彼は気付いていた。
 神殿は『光の聖女』として、相応しい素養をアカリに身に着けさせようとはしたものの、本来アカリが手に入れられるはずの『精霊の愛し子』としての力は、積極的には学ばせていないことを。
 七瀬明は、『聖女』としての強大な光魔法への適性と、『精霊の愛し子』という二つの才能を持っている希有な存在だ。
 しかしその力を、今の彼女はどちらも使いこなせているとは言いがたかった。

「リヒトも学園で苦労している。幼等部に入れられてしまっているし、先日は新たに課題を与えられたようだし」
「……」
「ユーリ」

 ギルバートは、まるでリヒトとユーリの関係など知らないかのように、昔のように彼の肩を叩いた。

「大陸の王はリヒトを気に入っている。例の課題とやらも、リヒトを思ってのことなのかもしれないが、どうやら難航しているらしい。せっかくだし、お前もリヒトに声をかけてやってくれ。きっと喜ぶ」
「…………はい」

 ローズと同じ言葉を繰り返す。
 ギルバートに微笑まれ、ユーリは短くそう返事をすることしか出来なかった。

◇◆◇

「……」
 生徒は部屋に戻っている時間だ。
 夜、外の暗がりの中から、青年は図書館の窓辺で一人机に向かう少年を見ていた。

 こちらからはあちらが見える。
 でも、あちらからはこちらが見えない。

 それはまるで、今の二人の関係のようだった。
 図書館に一人残る少年の前には、たくさんの本が積まれている。
 特製の眼鏡をかけた彼の顔は真剣そのもので、今の彼には声をかけても意味がないことを、青年は昔から知っていた。

 少年の発明品。
 音を遮断する眼鏡。
 くだらないと周囲に評される自分の発明品を身に着けて、ひたすら課題に取り込むその姿は、青年にとっては懐かしい光景だった。
 勉強が出来ずに嫌いだった、そんな自分とは違う。
 彼はいつも努力していた。いつも本を読んでいた。
 魔法も剣も適性がなくても、魔法の勉強だけは、誰にも負けたくないだと幼い頃から彼は話していた。

『ゆーり、大丈夫?』

 昔、師との訓練で怪我をして一人庭で蹲っていると、彼が自分に尋ねてきたことがあった。
 その時、青年の赤く擦りむけて血の滲んだ膝を見て、怪我なんてしていない彼のほうが、泣きそうな顔をしていた。

『そんな顔をされないでください』
『だって……すごく、いたそうだから』

 彼に魔法は使えない。
 光の名を与えられても、誰かの痛みに心を痛めても、彼は誰かの痛みを癒やすことは出来ない。

『ああ、そうだ』
『?』
 彼には何も出来ない。そう、思っていたのに。

『いたいのいたいのとんでいけー!』
 突然立ち上がった彼が、手を空に掲げて大声を出したせいで、青年は目を見開いた。

『ねえ! ゆーり、ゆーり! いたいの、なくなった?』
 期待して目を輝かせる。
 怪我は全く治っていない。
 でも力を持たない彼が、自分のことを真剣に考えて行動してくれたことが、青年は心から嬉しかった。

『……はい。ありがとうございます』
 青年が礼を言って笑いかければ、子どもは花が咲くようににこりと笑った。

 青年は、彼の子どもの頃を思い出して唇を噛んだ。
 幼い頃は。
 誰かの痛みを感じ取ってしまう優しい彼だから――魔法も剣も使えない彼を、自分が守りたいと思っていた。
 でも――信頼は、裏切られたのだ。

『ローズ・クロサイト。俺は君との婚約を破棄する』

 きらびやかなパーティーで、遠くから見つめることしか出来名かった想い人が、暴言を吐かれて一人で退出する。
 その背を追いかけることも、庇うことも出来なかったことが、今になっても悔やまれる。

「……全部、昔の話だ」
 その声は夜の闇へと消える。
 入団試験で、最愛の人と剣を重ねた。

『……私は、そんな人間ではありません。婚約者一人の心すら、自分にとどめておくことが出来なかった。私にはきっと、人を思いやる気持ちというものが、ずっと欠けていたのです』

 その時の彼女を思い出して――青年《ユーリ》は拳を握りしめた。

「……私は、貴方が嫌いだ」

 唇を噛み、かつてリヒトに告げた言葉を繰り返す。
 ユーリが嫌いだと告げた時、リヒトは傷付いた顔をしていた。リヒトを傷付けたのは自分だ。でもそれを謝罪することは、今のユーリには出来なかった。

 ――だって、貴方は変わってしまった。

 魔力を宿さない碧の瞳も、王族の証である金の髪も。
 何一つ変わらない。
 でも、その中身が変わったならば、最早守るには値しない。
 何度もそう、心の中で自分に言い聞かせる。
 しかし眼鏡をかけた少年が、書いていた紙をくしゃくしゃにして握りしめ、頭を抱える姿を見て、ユーリは胸をおさえた。

 ――やはりあの方の研究は、うまく行っていないんだろうか……?
 その姿に、つい心が揺らぐ。

「……何を、考えているんだ。俺は……!」

 ユーリは自分の動揺を自責した。
 自分で自分の気持ちがわからない。嫌いなはずの人間の行動に、一喜一憂するなんて馬鹿げている。

『どうして、僕はできないんだろう……』

 自分を心配そうに見上げる大きな瞳も、小さな手の温かさも。
 つい最近のことのようなのに、何もかもが変わってしまった。
 優しい彼は、もういない。
 そのはずなのに、頭の中の靄が消えてくれない。彼は守るに値しない。王にいただくに値しない。
 彼が彼女を裏切った日に、そう心に決めたはずなのに、『違う』と否定する声が頭に響く。 

『お伽話じゃないこの世界では、どんなに思いをかけたとしても、どんなに努力を重ねても、それが形になってかえってくることのほうが、よほど少ないのです』

 ユーリは頭をおさえた。
 記憶の中で、表情を変えずに誰かが言う。
 幼いころからの自分の『ヒーロー』。
 その人物のことを思い出して、ユーリは頭を振った。

「違う。……あの方は、あの方は……もう……!」

『ユーリは、本当に凄い』
『ユーリがすごいのは当然です。だっておじい様が選ばれた弟子なんですから』
『……ありがとうございます』

 身分の差も、何もかも。
 このこの世界が受け入れない価値を、肯定してくれた優しい場所。
 笑う誰かの声も、大切な誰かを否定する、そんな世界を覆してくれた陽だまりのように温かな場所は――もうこの世界には存在しない。

「変わられたんだ……!」

 どんなに耳を塞いでも、頭の中に響く存在しないはずの笑声に、ユーリは蹲った。