魔王討伐に関わった者たちによる特別講義。
 ローズ、アカリ、そしてユーリは、講義のために話し合いを行うことになった。
 
「ただ正直、自分がこんな場所で魔法を披露するなんて、恐れ多いような気もします」

 ユーリは緊張した声音で言うと、困ったように微笑んだ。
 その言葉を聞いて、ローズは苦笑した。

「ユーリは昔から、勉強があまり得意ではなかったですからね」
「はい……」

 ローズの言葉に、ユーリはガックリと肩を落とした。

「ローズさんとユーリさんって、勉強も一緒にしてたんですか?」
「ええ。お祖父様が、上に立つものは学があったほうがいいと力説されて……。私とお兄様、レオン様やリヒト様も、一緒に勉強していました。お兄様は流石というか、その頃からお一人だけ全問正解されていましたが」
「あの方は昔から、本当に優秀で……」

 相変わらずのローズのブラコンぶりに、ユーリが笑みを浮かべる。
 
「お祖父様は、お兄様やレオン様にも剣の稽古をつけられて。お兄様は、自分は戦闘職につくつもりはないのにとぼやいていらしていらっしゃいました。ただ、お祖父様はお兄様にも問答無用、といいますか……。負けず嫌いな方でしたので、お兄様がお祖父様の剣を全て見切られたときなどは、『自分の剣が当たるまで勝負だ』などとも仰られる始末で。当時のお兄様の年齢を思えば、少し大人げなかったのかもしれませんね」

「……確かに」
「あれは、戦闘狂――とでも言うべきだったのでしょうか?」
「そうかもしれません。ですが私からすれば、尊ぶべき師です」
「ええ。それは、私にとっても」
 ローズは、ユーリの言葉に頷いて笑みを向けた。
 ユーリの顔が赤く染まる。アカリは、二人のやり取りを見て何事もなかったように目を伏せた。

「なるほど……『剣聖』さんって、そんな人だったんですね」
「はい。自慢の祖父でした」

 懐かしむようにローズは目を細めた。
 そんな彼女を、ユーリは静かに見つめていた。
 ユーリが『剣聖』の弟子ならば、ローズは『剣聖』の後継者だ。
 油断していたということもあるが、入団試験で、ユーリはローズに敗北している。

「しかしまあ、お祖父様は殆ど魔法が使えない方でしたし、今になって考えてみると、お祖父様が魔王を倒されたという功績は、異例と言ってもおかしくはなかったかもしれません。家宝の聖剣と、お祖母様が協力されたおかげとは聞いていますが……」

「『お祖母様』?」
 前回の『魔王討伐』。
 ローズの祖父の話は聞いていたが、祖母の話は初耳で、アカリは思わず訊ねた。

「はい。私のお祖母様は公職令嬢だったのですが、少し普通ではない……といいますか、行動力に溢れた方で、魔王を倒せたらお祖父様との結婚を認めてほしいと直訴して、お祖父様と一緒に魔王を倒されたと聞いています」
「なるほど」

 公爵令嬢でありながら、恋仲にあった騎士と魔王を倒す。
 アグレッシブがすぎる――アカリは深く息を吐いた。

「なんというか、ローズさんみたいな方だったんですね」
「確かに、祖母に似ているとは祖父によく言われましたね。ただ、私はお祖母様には会ったことがないんです。私が生まれる前に亡くなられたので」

 最愛の亡き妻によく似た孫娘。
 その相手に剣を叩き込んだと考えると、なかなか鬼畜の所業だ。アカリはそう思った。

「……アカリが聞いても面白い話ではないでしょうし、この話はこのあたりで終わりましょうか。ユーリ」
「は……はいっ!」

 名前を呼ばれて、ユーリはびくりと体を震わせた。

「それで、ロイ様はなんと?」
「実は何を話してほしい、ということなどは言われていないんです。自由にして欲しいとのことでした」
「であれば、せっかくですし実践的な方が良いのでしょうか……?」
 ローズはふむ、と考えるように腕を組んだ。

「とりあえずせっかくですし、少し腕ならしでもしませんか?」
「……はい?」
 返事をする、ユーリの語尾は上がっていた。



 魔法を使うための訓練場は、魔法の暴走時の周囲への被害を防ぐため、闇属性の魔法により作られた立ち入り禁止区画にあった。

 ローズが選んだ訓練場は、『風のフィールド』と呼ばれる場所だった。
 クリスタロスの王国騎士団の訓練場に似たフィールドは、足場が不安定な作りで、風魔法が使えなければ立ち入りさえ叶わない。
 アカリを抱きかかえたまま空を飛び、ローズは訓練場に入ると、アカリを安全な場所に移動させてから彼女の周りに結界魔法を張った。

 アカリに聖剣を預けると、ローズは別の剣を手に、鋭い剣の切っ先のような岩の上を器用に飛び跳ねるようにして渡っていく。
 まるで花の剣山だ。
 一度足を踏み外して落ちようものなら、命の保証はない。

「それでは、早速始めましょうか」
「――はい」

 ローズは一瞬目を細めて指輪に触れた。
 金剛石が強い光を放ち、複数の魔法陣が空中に浮かび上がる。
 色違いの魔法陣は、風・光・闇、そして水に氷だ。
 ローズはまず、光魔法を発動させた。

「……っ!」
 眩しさにユーリは目を瞑る。その隙に、空中へと舞い上がったローズは、水魔法を展開した。

「大地をうるわす水よ。私に従え」
 ローズはそう言うと、巨大な水の塊を空中に出現させて、ローズはユーリのいる訓練場へと手を下げた。
 水球は『風のフィールド』に落下して大きな水しぶきを上げる。
 元より不安定な足場だ。
 バランスを崩したユーリは、慌てて風魔法で自分の体を浮かした。
 その間に、フィールドはまるでダムのように、水でいっぱいになっていた。

 ユーリは、目を瞬かせた。
 光属性ほどは消費しないと言われているが、かといって規模が大きければ大きいほど、魔法を使うには多くの魔力を消費するのは変わらない。
 景観を変える程の強力な水魔法を、『腕ならし』の試合で発動させるなんて、常人ならば有り得ない。

「足場が不安定な中戦うのは慣れていないので、戦場は変えさせていただきます」

 ローズはそう言うと、パチンと指を鳴らした。
 すると。

「水が、凍っていく……??」

 突然ローズの周りを吹雪が包み込み、それはやがてフィールドに溜まっていた水を氷結させた。
 ベアトリーチェに勝つために、不安定な足場での風魔法を使った戦闘訓練をユーリは重ねてきたが、地形を変えられては、その訓練で培った優位性は発揮出来ない。

「足場があれでは、流石に風魔法専門のユーリには勝てませんから」

 ローズはそう言うと、氷の上に降りたユーリに剣を向け、以前戦ったときと同じように、彼からやすやすと剣を奪った。



「やはり全力のローズ様相手に、風魔法だけでは太刀打ちできませんね」
「ユーリは近距離戦は得意ですが、遠距離戦には苦手ですね」

 全ての魔法を消して、三人は訓練場をあとにした。
 傷一つない自分と違い、少し服を汚したユーリのために、ローズは浄化の魔法を発動させた。

「風魔法自体では攻撃って出来ないんですか?」
「私は、あまり得意ではなくて」

 アカリの問いに、ユーリは苦笑いした。
 意図せずして人を傷付けかねない風魔法の攻撃は、ユーリは自身の性格もあって、昔から上手く使うことが出来なかった。

「魔法は、適性の中にも種類があります。同じ光魔法ですが、私は怪我を治すことは出来ても、未来を見通すのは、あまり得意ではありません」

 ローズはアカリが用意したおやつを食べながら話した。
 今日のおやつは、色とりどりのマカロン。ローズの好きなお菓子の一つだ。

「苦手なことを得意にするのって、可能なんですか?」
「魔法の属性、適性は、後天的に増えることがあることも報告されています。私の魔力回復や、精霊病を経験したジュテファー・ロッドがいい例でしょう。ユーリも、ユーリが変われば、使える属性魔法や得意な魔法の種類が増えるのではないかと思います」

「なるほど……。ローズさんは、本当に何でもご存知なんですね」
 ふむふむと頷くアカリに、ローズは苦笑いした。

「そんなことはありませんよ。私も知らないことばかりです。事実青い薔薇について、私は無知でしたし」 
 謙遜ではない。ローズは自分の知識に足りないことがあるのは理解している。
 自戒するローズ見て、ふとアカリの中にとある疑問が浮かんだ。 

「でも、そうなら……」
「アカリ、どうかしましたか?」
「お勉強あんまり得意じゃないって話だったのに、ユーリさんはどうやって、あの本を見つけたんですか?」
「――え?」
「だってベアトリーチェさんの本、ユーリさんが見つけたって話でしたよね?」

 知識があってこそ、欲しい情報を見つけることが出来るはずなのだ。
 だというのに、ベアトリーチェの本を見つけたのは、ローズではなくユーリだった。アカリはそれが疑問だった。

「よくわからないんですが、光を追いかけていたら、あの資料があって」
 ユーリは焦りつつ返事をした。

「ひっ光?」
 ユーリの言葉に、アカリは顔を青ざめさせた。

「……ま、まさか幽霊とか!? クリスタロスの図書館にはもしかして幽霊がいるんですか!?」
「――違いますよ」

 震えるアカリを前に、ローズは冷静だった。 
 軍服を纏い優雅に紅茶を飲む様子は、公爵令嬢と言うには男勝りだが、騎士と言うには仕草が洗練されすぎている。

「クリスタロスの図書館には昔から、その人間に必要な本を、探せる魔法がかかっているんです。アカリは、クリスタロスの図書館にいったことはないのですか?」
「王宮の人に言えば手配してもらえますし……。神殿やローズさんからお借りした本を読んでいて、実は私自身はまだ行ったことはなくて」
「なら、一度行ってみるといいですよ。貴方に必要な本を、光が導いて教えてくれますから」
「なんだか検索機みたい……あっ!」

 ごん!

「ど、どうしたのですか!? アカリ!」
 ローズは、突然テーブルに額をつけたアカリの行動を見て、慌てて声をかけた。
 顔を上げたアカリの額に触れて、光魔法をかけてやる。

「すいません。ありがとうございます。少し夢のないことを考えてしまって、自分で落ち込んだだけなので、あまり気にしないでください……」
「ならいいのですが……」

 ローズは、アカリの言葉の意味がわからず、手持ち無沙汰な手を下げるべきかなやんで、「あっ」と声を漏らした。

「図書館といえば、リヒト様は毎日図書館で課題をこなされているそうです」
「……課題?」
 突然ローズが口にした名前を聞いて、ユーリの表情が少し強ばる。

「ええ。リヒト様は先日少し問題を起こされまして、その際に先生に、特別に課題を与えられたんです。ただ、なかなか難航しているようですね」
「……そうですか」
 ユーリは、アカリが淹れた紅茶に手を伸ばした。

「よかったらユーリも会いに行ってあげてください。きっと喜ばれると思います」

 ユーリとリヒトは、身分に差はあれど幼馴染だ。
 ローズに微笑まれ、ユーリは手をテーブルの下に隠して拳を作った。
 そのユーリの変化に、ローズは気付くことが出来なかった。

◇◆◇

 与えられた課題の役に立ちそうな本を、手当たり次第読み耽る。
 最新の情報を得るために、リヒトは授業の合間をぬって、様々な国の新聞にも目を通していた。

 魔法の論文は、基本的には同じ言語で書かれている。
 公用語として用いられる言語は、クリスタロスと同じということもあり問題なく読むことができるが、まだ世界に広く認知されていない発見――国内でのみ発表された論文や新種の魔法生物、古代の魔法についてなどについての情報を知るためには、多数の言語を習得する必要がある。

 言葉の成り立ちなどが近ければ、違う言語であるとしても似る傾向にあるが、島国や閉鎖的である国、人種などの差により、クリスタロスとは全く異なる文の構成を持つ言語も、この世界には多く存在する。

「わからん……!!」

 リヒトの前には、あらゆる言語の資料が山積みになっていた。
 生まれてこの方一六年。
 この学院に来てからというもの、リヒトはこれまで習得していなかった言語も読めるように勉強した。
 歴史・地理などはてんでだめ。マナーも言葉遣いもなっていない。そうローズにダメ出しされてきたリヒトだが、魔法に対する熱意は本物だ。

 リヒトの研究の核は、微量の魔力しか持たない人間でも、魔法を使える方法はないかというものだった。
 眼精疲労抑制。 
 メガネを掛けたリヒトは、山積みにした本に手を伸ばした。
 速読には自信がある。一〇冊ほどを読み終えて、リヒトは机に突っ伏した。

 ――目当ての本に出会えない。

「どうだ? 課題は進んでいるか?」
 そんな時頭上から、聞き覚えのある声が聞こえてリヒトは顔を上げた。

「……な、なんでここにいるんだ? 暇なのか?」
「そういう言い方はないだろう?」
 慌てるリヒトを見てロイは笑う。

「実は、今度君の幼馴染たちに、特別講義をしてもらうことになった」
「わざわざそれを伝えに来たのか?」
「まあ、それだけじゃない」
 ロイは腕を組んで壁にもたれかかった。

「君の課題がどうなっているか興味があったからな。俺個人としての意見だが、これでも君には期待しているんだ。君の才能は、君の国では認められない。けれど俺は、君を評価したいと考えている」
「評価するって言われても、今のところ俺は幼等部なんだが……?」

 余裕たっぷりの大国の王。 
 色香を含んだ笑みを向けられ、リヒトは顔をそらした。

「不満か? 俺が評価しなければ、そもそも君は入学を認められていなかったさ。それに、こうも言うだろう?『獅子は我が子を千尋の谷に落とす』と」
「……それは、俺は子どもっぽいって言いたいのか?」
 リヒトは唇を尖らせた。子どものような行動をするリヒトを見て、ロイはくすりと笑った。

「伸びる前の芽は、いつだって小さいものだ」
「……」
 その言葉は、『リヒト』という人間に対する祝福であるかのようでもあった。

「リヒト王子」
「……なんだ?」
 『王子』と呼ばれ、リヒトは緩みかけた顔を強ばらせた。

「君の国とは関係なく、俺は君の才能を買っている。君とは個人的に協力関係を築きたい。研究を援助して、新しい商売のも面白い。もちろん収益は君にも渡そう。ただそうなると、安全性の保証のためにも、複製禁止魔法などがあるのが望ましいな」

 リヒトは目を丸くした。まさかそこまで、彼が自分に期待してくれているなんて思っても見なかった。 
 だが。
「『複製禁止魔法』? それってあの、古代魔法の?」
 思わぬ話を振られて、リヒトは思わず尋ねていた。

「ああ。不可能と言われていた魔法だが、紙の鳥を復活させた。――君ならば、可能だろう?」
「……」

 目の前のこの王は、自分に期待してくれている。
 しかしリヒトは、その問いに答えることは出来なかった。
 可能かもしれない。でも、もしそんなことをすれば。
 金銭的な問題で、魔法を使える人間と使えない人間の壁は、さらに厚くなるかもしれない。

「俺の話はこれだけだ。まあ、頑張ってくれ」

 相変わらずの自分勝手だ。
 話を終えたロイは、何事もなかったかのように図書館を後にした。
 その背を、小さな体がぱたぱたと走って追いかける。しかし彼女はクリスタロスに来る前とは違い、今は可愛らしいドレスを纏っていた。
 二人を目で追いながら、リヒトは拳に力を込めた。

 魔法を使えるものが、優位に立つことができる。それが、この世界の仕組みだ。
 リヒトは殆ど魔法が使えない。
 ロイに認めれることができれば、リヒトの存在価値は上がるはずだ。
 でもロイを、リヒトは自分のために利用したくはなかった。
 そして今のロイが望む自分は、きっと自分が望む自分と完全に一致するわけではないようにリヒトは思った。

「……俺は、クリスタロスの王子だ」
 二番目だったとしても、自分が王族であることに変わりはない。
 でも自分は、兄にはなれない。
 兄のように、誰かを守る圧倒的な力はこの手にないことを知っている。
 それでもいい。
 昔から掲げる己の理想は、きっと兄とは違うのだから。

「――民と共にあれ。民と友であれ」

 幼い頃から心に浮かぶ、理想の『王様』。
 その言葉を呟いて、リヒトは胸を押さえた。

「俺は……」