望む世界はいつだって、『向こう側』にあった。

 窓枠の向こう。
 木の枝に止まった鳥は手を伸ばそうとすれば飛び立って、そのたびに自分の無力さを思い知らされた。 
 どこにもいけない。
 私の世界は病室の、小さな白い部屋の中だけだった。

 本の中の世界。
 幼い頃は、空想の物語を生きる主人公に、自分を重ねて世界中を旅していた。
 けれど日常は変わらないまま。
 いつからか私は、本を読むこともやめてしまった。

 美しい空の青は、汚れた窓ガラスのせいで霞んで見えた。
 そしてそれだけが、私に与えられた世界なのだと思った。

 そんなある日、一人の看護師が私に話しかけてきた。
『あかりちゃん』
 その人は私の名前を呼んで、いつも笑っていた。
 知らなかった恋の物語。『幸福』という名前のゲーム。
 絵を描くこと、服を作ること。
 不器用なその人は、生きることを諦めていた私に、いろんな世界を教えてくれた。

『あかりちゃんは、すごいね』
 いつだってその人は、私に笑いかけてくれた。
 私が血を吐いて、倒れるその日までは。

『大丈夫。大丈夫だから……』
 私の体を抱きしめる、その手は微かに震えていて。
 その時私は、唐突に理解したのだ。

 ――ああそうか、この人は……。

◇◆◇

 地上からその生き物が飛翔すれば、長い髪がふわりと舞う。
 風魔法を使って空の上から景色を眺める方法はあるものの、空を飛べる生き物と、人間の使う魔法では、高度に大きな差がある。

「わああああああっ! 凄い。凄いです。ローズさん!!」
「あまり暴れてはいけませんよ。アカリ」

 グラナトゥムにある魔法学院。
 そこに招待されたローズ達一同は、ロイが手配した竜騎士の背に乗って、グラナトゥムを訪れることになった。

「ローズ。今日の予定は?」
 風の影響を強く受ける空中での会話は、闇魔法をによる『通話』で行われる。
 これはこの世界で唯一『正式に』復元が認められている古代魔法で、耳に取り付けるイヤリングとして加工された精霊晶は、全て同じ色をしていた。
 『通信魔法』と呼ばれるこの魔法道具は、同じ石を割って作る必要があるため、グラナトゥムの竜騎士団では、石は軍に所属している間貸し与えられる仕組みになっているとのことだった。

 『水晶の王国』と呼ばれるクリスタロス王国の王都は、自然の要塞に囲まれており、宝石が多く産出する国である。
 そしてその国民は、強い魔力を持つ人間が多く生まれることでも有名だ。
 公爵令嬢であるローズの祖父、『剣聖』グラン・レイバルトが魔王を倒してからは、その戦力は世界中に知られるところとなり、資源が豊富な中小国家であるのに攻め入ろうとする国が無いのは、安易に国を奪おうとしようものなら、眠れる竜を起こしてしまうためであるとも言われている。

 もしクリスタロス王国を攻め滅ぼすことが出来るとすれば、それは『赤の大陸(グラナトゥム)』か『青の大海(ディラン)』だけであるとも言われていたが、ロイの在位中グラナトゥムとクリスタロスの親交を他国に示すことができれば、資源の豊富さを目につけたクリスタロスに攻め入ろうとする国は完全になくなるはずだ。
 だからこそ今回のロイの申し出は、ローズは国防につながるとも考えていた。

「今日は特に何も。明日は実技の試験があり、その後教室が別れるようです。頑張ってくださいね。アカリ」
「はい! ローズさん!」
 自分の頭を撫でるローズに、アカリは元気に笑った。

「……僕が聞いたのに、なんで彼女に言うかな」
 さり気なく自分をスルーしたローズに、レオンは不満を漏らす。
「ローズは彼女がお気に入りみたいだからな~。仕方ないな」
「君には聞いていない。ギルバート」
「つれないな~」
「少し静かにしてください。五月蝿いです」
「ミリアは今日も俺に対して辛辣だな!」

 辛辣だな、と言いながらギルバートは嬉しそうに笑った。
 そんな彼の顔を見て、ミリアの眉間の皺が更に深くなる。

「だそうですから、頑張ってくださいね! リヒト王子」
「なんでお前に言われなきゃならないんだ……」
「だって、今回は自分が王子の護衛なので。いい結果、期待してますよ。王子!!」
「俺に圧力をかけるな。ライゼン」
「……アルフレッド」
「……」

 はああと溜息を吐くリヒトを見て、ジュテファー・ロッドは窘めるように少年騎士の名前を呼んだ。
 今回、ロイに学院に招かれたのは四人だが、四人を警護するために五人の護衛が同行することとなった。
 アカリ・ナナセには、ローズ・クロサイト。
 レオン・クリスタロスには、ジュテファー・ロッド。
 リヒト・クリスタロスには、アルフレッド・ライゼンと、ウィル・ゲートシュタイン。
 ギルバート・クロサイトにはミリア・アルグノーベンが、それぞれ護衛として同行している。

「それにしても、王子だけ護衛二人って過保護ですよね。そもそも魔法学院の中は、世界一安全って言われてるくらいなのに」
「過保護っていうか、信用が無いんじゃないかな」

 悪意のないアルフレッドの指摘に、レオンが悪意を含んだ言葉で返した。
 リヒトは兄の言葉を聞いて、ぎゅっと拳を握りしめた。
 元は自分一人だけの留学だった筈が、何故こうも頭を悩ませる事態になっているのか――。

「ま、まあ! 親は子どもが心配って言いますし、気にする事ないですよ。王子」
 明らかに落ち込んでいるリヒトに気付いて、普段空気読まない人間のアルフレッドが、珍しくフォローを入れた。

「つきましたよ。ローズさん!」
 九人が無事グラナトゥムについた時には、もう正午を過ぎていた。
 自分たちを運んでくれたドラゴンに礼を言ったローズたち一行は、これからどうするか話をした。

「荷物はそれぞれの部屋に運んでくださるとのことです。ただ、昼食については、学院に入れば学内で食べるようにとのことでした。今日の夜はロイ様と会食と聞いていますが、昼食については聞いていませんね」
「お腹すきました……」

 淡々と言うローズの横で、アカリはお腹を押さえた。ぐううとなるお腹は、いたって健康的だ。
「困りましたね。どうしましょうか……」
 ローズは、肩を落とすアカリを見て呟いた。
 すると。

「『剣神』様!」
「はい?」
 アカリとローズを騎乗させてくれた女性竜騎士の二人が、突然ローズに声をかけてきた。
 首を傾げるローズに向かい、二人はリボンで綺麗にラッピングされた大量のプレゼントの入った袋をローズに差し出した。

「よければこちらを貰っていただけませんか!?」
「え?」
「『剣神』様は甘いものがお好きだと聞いて、みなで作ったのです……! 実は、今回は私どもが『剣神』様をお連れさせていただきましたが、女性騎士団一同『剣神』様には一度お会いしたく思っておりまして!」
「ええと……その」

 きらきらした目で自分を見つめてくる女性騎士に、ローズはどう対応していいかわからずたじろいだ。
 自国に居るうちは、ベアトリーチェのこともあり最近は多少周りと距離があっただけに、羨望や好意をここまで近距離で示されることはなかった。

「ぜひこの国にいらっしゃる内に、『剣神』様にはその剣と魔法を見せていただきたいものです。勿論今回は、ご留学にいらっしゃった『光の聖女』様の護衛であるというお立場は重々承知しておりますが、魔王をも打ち滅ぼしたというその力を一度この目でっ!!!」
「……き、機会があれば……」
「ありがとうございます! 『剣神』様の実力をこの目で拝見したいと思っているのは、我々だけではないとは存じておりますので、その際はぜひ、我が国の民の誰もが目に出来るところで披露していただけると嬉しく存じます!」

 護衛に来ただけの筈が、話が大きくなってきた……。
 ローズは自分に対する賛辞なら、一日中語れそうな雰囲気の二人を見ながら、顔を引きつらせていた。
 とりあえず、精一杯の笑顔をつくる。
 今の自分は『剣神』であるのと同時、クリスタロスの顔でもあるのだ。

「ローズさんがアイドル化している……」
 アカリの呟きは的を得ていた。

「沢山お菓子を貰ってしまいました」
 褒められすぎるのにはなれないローズだが、甘いものとなれば話は別だ。
 渡された大量の菓子を見て、ローズは顔をほころばせていた。
 完全に物につられている。
 その様子を見て、アカリの中にもやもやとした気持ちが広がった。

 ――ローズさんに手作りのお菓子を渡すのは、私だけでいいのに!
 当のローズはアカリの心など知らず、「試しに一つ食べてみましょう」なんてのんきに言って、箱のリボンを解いた。
 中に入っていたのはトリュフだった。
 テンパリングの施されたそれは、市販のものと遜色ないほど美しい造形をしていた。
 作った人間の本気度が伝わってくる。
 アカリは、菓子を食べようとするローズの手を制止した。

「ローズさん、こんなの食べたら駄目です! 毒でももってあったらどうするんですか!」
「ど、どく?」
「ここはクリスタロスじゃないんです! ローズさんに害を加える人がいる可能性だって……」

 あれほどローズに尊敬を示した人間だ。
 自分に害をなそうという人間は恐らくいないだろうとローズは思ったが、アカリの言葉にローズは少し悩んだ。
 手の中のチョコレートをじっと見つめる。

「でも……こんなに美味しそうですし……」
「ローズさん! 危ないからおいしいように偽装してるんです! だから、食べちゃ駄目です! 毒だったらローズさんが危険に晒されるし、代わりなら、いくらでも私が作ってあげますからっ!」

「ほう?」
 アカリが力説してローズを邪魔していると、彼女の後ろで冷ややかな声が響いた。

「俺の国でそんなことが起こると? 君は相変わらず失礼な女だな。『光の聖女』」
「あ、あなたは!」
 アカリはびしっと、彼の顔を指差した。

「私の名前は『光の聖女』ではありません! 本当にムカツク人ですね。私には七瀬明という名前が……って、シャルルちゃん!」

 敵意むき出しのアカリを、腕を組んだロイは小馬鹿にしたような表情で見下ろしていた。
 ロイは自分に向けられた敵意をどう返してやろうかと心の中で笑っていたが、サラッと話が、自分から足元に隠れていた少女に移されてしまいびくっと体を強張らせた。

「かわいー! この服、どうしたの?」
「王様から、いただきました」

 シャルルが着ていたのは、猫耳の付いた黒いポンチョのような服だった。
 肌の白いシャルルと黒い服は、彼女の白い肌がより白く見え、可愛らしさを際立たせている。
 それにしても猫耳とは……。アカリはじっくりシャルルを観察した後に、すっと目を細めてロイの方を見た。

「へー………………ろりこんだ……」
「おい待て。今、俺のことを悪く言っただろう」
「何も言ってませんよ〜。聞き間違いじゃないんですか? 被害妄想はやめてほしいですね!」

 アカリはそう言うと、さっとローズの後ろに隠れた。
 学園に来る前、シャルルと文通していたアカリは、ロイ・グラナトゥムという男が自分の世界の言葉に詳しいことを知っていた。
 この世界では有名でない『ロリコン』だが、どうやらロイは知っていたらしい。
 アカリは、これからロイをおちょくるときは、元の世界の言葉ですることを決意した。

「アカリ、ロイ様に失礼ですよ。貴方が彼を嫌いだからといって、あまりそう煽ってはいけません」
「君はたまに無自覚に失礼だな」

 アカリを背に庇いつつ、彼女を窘めるローズの言葉を聞いて、ロイは真顔でそう呟いた。

「シャルル。元気にしていましたか?」
「はい」

 ローズの問いに、シャルルは優雅にカーテシーをした。
 ローズが初めてシャルルにあった時とは違い、作法にのっとった美しい所作だった。
 誰が教えたかなんて明らかだ。ローズがちらりとロイの方を見れば、コホンと彼は一つ咳払いをした。
 シャルルは、久々に会ったアカリに、とある絵を差し出した。

「これ、シャルルちゃんが描いたの?」
「王様に、絵も教えていただきましたので」
 シャルルは当然のように答えた。

「へえ〜。溺愛ですね。可愛い服を着せて、いつでもそばにおいて、指輪も贈って、絵もお勉強も教えてるなんて」
 アカリはロイの顔を見てにやりと笑った。

「まるで王様自らお妃教育してるみた」
「……っ! な、何が望みだ。光の聖女!」
 ロイは思わず、アカリの口を手で塞いだ。その瞬間、アカリの目から涙がぽろぽろと零れ落ちる。

「は?」
「アカリ、大丈夫ですか?」
 ローズはすぐにアカリに駆け寄ると、ロイからアカリを引きはがした。
 涙を流す彼女の頬にそっと手を伸ばし、心配そうに目を細める。

「お、俺は何もしていないぞ!?」
「王様。女の子を虐めたら、駄目なのですよ」

 シャルルにとって、今のアカリは良い友人だ。
 友人=アカリをいじめたと認識して、顔を顰めて自分を見上げるシャルルに、ロイは必死に弁明した。

「誤解だシャルル!」
「貴方のせいです」
 しかしその声は、ローズによって掻き消される。

「アカリは男性に触られると泣いてしまうんです。貴方が突然触るからこんなことに」
「王様」
「ローズさん、怖かったです……」

 アカリはこれ幸いと、ローズに抱き着いた。そんなアカリの頭を、ローズは優しく撫でる。

「屈辱だ。なぜ俺がこんな茶番に」
 ロイの言葉は至極最もだった。
 しかし、そこは二人より七歳ほど年上の彼である。

「まあいい。彼女の護衛は君だとは聞いていたからな。君たち二人の部屋は同じだ。『光の聖女』の体質とやらも問題はないだろう。あと、君たちの昼食はもう用意している。君が受け取った菓子については、一応こちらで検査してから問題が無いとわかれば受け取ってやってくれ」

 茶番に巻き込まれたというのに冷静なロイの言葉は、流石大国の王とも言えた。



「ローズさんと同室だ~~~~っ!」

 その夜、ロイとの会食を終えた二人は、学院の女子寮の部屋に居た。
 身分を問わず入学を許す、世界一『実力主義』の魔法学校。
 そう呼ばれるこの学院は、生徒の身分による区別を行わない。
 ロイがローズとアカリのために手配したのは女子寮の三階の部屋で、部屋の中には天蓋付きのベッドが二つ用意されていた。
 アカリがベッドの上で転がっていると、ローズが飽きれたような声を漏らした。

「アカリ、はしたないですよ」

 お風呂上がりということで、ローズは髪を下ろし、艶やかな黒髪を櫛で梳いていた。
 アカリは、ローズが着ていた服を見て、がばっと立ち上がった。

「な、な、なんですか! その服!」
「ミリアが用意してくれたものはあるのですが、あまり慣れなくて……」

 ローズが着ていたのは、ネグリジェではなくパジャマだった。 
 ミリアが用意したフリルたっぷりのネグリジェがローズの鞄の中にあるのを知っていたアカリは、ぷうと頬を膨らませた。

「駄目です! せっかくローズさん美人なのに、そんな格好だと可愛くないです!」

 ぷんすか怒るアカリに、ローズは少しうろたえた。
 公爵令嬢としてドレスは着てきたが、正直ローズは騎士団の団服のほうが動きやすくて好きだし、そもそも自分には、昔から可愛いという言葉は似合わない気がしてならない。

「……じゃあこれ、私が作ったんですけど着てみてくれませんか!?」
「あの……アカリ?」

 アカリはそう言うと、自分の荷物の中からフリル少なめの服を取り出し、ローズに差し出した。
 爽やかな『王子様』風の服だ。
 ローズはクリスタロス王国を出る際、やたらと多いアカリの荷物を見ながら、「やはり女の子というのは荷物が多いものなのかしら」と思っていたが、まさか自分に着せたい服をアカリが持ってきていることは予想していなかった。

「あの……アカリ、これは一体……?」
 アカリは次々に服を取り出す。
 中には、王子だけでなく騎士風の服などもあった。

「クリスタロスの騎士団の服って白を基調にしたシンプルイズベストって感じなので、私が好きな黒の服なんかも作ってみたんです」
「……アカリはこういうものが好きなのですか?」
「こういうのというか、ローズさんが着ているから良いというか……。その、本当にカメラがあったらおさめたい位で……! 家宝というか、国宝級の価値がある気がしますし」
「『かめら』?」

 手を合わせて天を拝む勢いのアカリの横で、ローズは首を傾げていた。
 その時。
 ――ガッシャン!
 上の階で何かが床に落ちて割れる音が聞こえて、ローズとアカリは顔を見合わせた。

「これは私のものなのよ!」
「離してくださいっ!」

 ローズは部屋の窓を開けた。
 やはり喧嘩が起きていたらしく、他の部屋の生徒たちも、何事かと窓を開けていた。

「何事でしょうか?」
「どうしたのでしょうね」
 ローズに並ぶように、アカリも窓から顔を出した、まさにその時。

「平民の癖に、こんなものを持っているなんて分不相応なのよ!」
 鋭い少女の声が響いて、窓から少女の体が墜落した。

「きゃ……」
「えっ」
「きゃああああっ!!」

 落ちている少女の声だけではない。
 何事かと窓を開けて見ていた周りの者たちの声が、重なり合って大きくなる。

「すいません。アカリ」

 ローズは軽くアカリの体を押して、彼女の体を窓から遠ざけた。
 ローズは窓枠に手をかけると、指に嵌った指輪に口づけを落とし、風魔法を展開させてから窓の向こう側へと体を投げ出した。

「ろ、ローズさんっ!?」
 尻餅をついていたアカリは、何が起きたかわからず慌てて窓の方に戻り――風魔法を解除し、腕の中の少女に微笑みかけるローズを見て目を瞬かせた。
 ローズの長い黒髪が、着地後ゆっくりと肩に落ちる。

「大丈夫、ですか?」
「は、はい……」

 ローズを見つめる少女の目は、完全にハートだった。
 ローズは、アカリが作った爽やかな男物(風)の服を着ていた。

「……なら、よかった。ただ、もし体に不調があれば、必ず医師に診てもらってくださいね」

 完全に『王子様』だ。
 紳士的で、強く心優しく。
 ローズのその一挙一動に、女子寮の学生たちはくぎ付けだった。

「そこの貴方」
 ローズは、割れた窓からローズを見下ろす高飛車そうな少女を見上げた。

「この学校では、身分については問わない筈。あまりこのような問題を起こされるとなると、貴方が何者であろうと、許されることではありませんよ」
「……!」

 ローズの言葉に、少女は唇を噛んだ。
 もしこれが明らかになれば退学だってあり得る。巻き毛の彼女は、いやいやそうではあったが謝った。

「……わ、悪かったわよ。もうこんなことはしないわ。……体、何かあったら、私がお金を出してあげるから言いなさい」
「……」
 ローズは、謝罪した少女を見上げていた。

「な、何よ! 謝ったでしょ!」
「……そうですね」
 くすり、とローズは笑う。

「よくできました」
 王子様のような恰好をした、中身も王子様のようなローズの笑みに、巻き毛の少女を含めた女生徒全員の顔が朱に染まった。

「あの……」
 甘い空気に、誰もが口を噤んだ。
 女性の扱いについて、ローズは確実にベアトリーチェの影響を受けていた。

「ああ、申し訳ありません。貴方を腕に抱いたままでしたね」
 ローズは、落下して受けとめた少女を漸く地面に下ろした。
 騎士団の中では小さめの部類に入るローズだが、女性の中での身長は高めだ。命の恩人を見上げる少女の瞳は、完全に恋する乙女だった。
 もちろん、それに気付くローズではないけれど。

「あ……あのっ! お名前を、お伺いしてもよろしいですか?」
「私の名前ですか? 私は、ローズ・クロサイトです」
 いつものようにローズは答える。

「ローズ・クロサイト様……?」

 少女はローズの名前を繰り返した。
 その声を聞いて、他の女生徒が『王子様』の正体に気付いて声を上げる。

「……け、『剣神様』!?」
「『剣神様』が、生徒をお救いになったわ!!!」
「流石『剣神様』!」
「かっこいい!」
「『剣神様』は強いだけでなくお優しいのね! ますます素敵だわ!」
「『剣神様』の噂は本当だったのね! 陛下が妃に望まれたというのも頷けるわ!」

 ローズは目を瞬かせた。何故自分の話になっているのか理由がよくわからない。
 黄色い歓声は連鎖する。
 女生徒たちは、完全に違う扉を開いてしまっていた。

「私も剣神様の腕に抱かれてみたいですわ。剣神様に、私もお守りしていただきたいですわ~~っ!」

 ローズは彼女たちの言葉の意味が分らず、自分が飛び出してきた部屋の方を見た。
 そこには自分が付き飛ばしてしまったアカリが無言で自分を見下ろしており、沈黙の後アカリは窓を閉めて部屋の奥に入って行ってしまうのが見えた。

「え???」
 人の好意に鈍いローズが、アカリの行動の意味が分からず、首を傾げたのは言うまでもなかった。