いつの間にか寝てしまっていた。時刻は十八時、お母さんが仕事から帰ってくる時間帯だ。こんなに泥のように眠ってしまったのはいつぶりだろうか。初めての大学に、思ったよりも疲れていたのかもしれない。
握りしめたままだったスマホを開き、『なないろ』を確認した私はあっと声を上げる。
コメントがついていたのだ。
逸る気持ちを抑えて、むさぼるようにしてコメントを見る。
【コメント失礼します。場面緘黙症、私も一時期なっていたことがあるので、お気持ちがよく分かります。お辛いですよね。悩みがあれば、いつでも吐き出してください! 私でよければミトさんの相談に乗ります。……て、すみません。いきなり上からで。とにかく一人で抱え込まないでくださいね。kano】
「また、kanoさんだ……」
今朝、大学の入学式に行ってくるという投稿にコメントをくれた人物と同じハンドルネームを目にして、私は何度か目を瞬かせた。私のハンドルネームは「ミト」と、本名をそのまま使っている。もしかしたらこの「kano」さんも、今日ハンカチを届けてくれた上山花乃さんなのではないか——なんて、できすぎた偶然だとやっぱり否定する。
ハンドルネームなんて、みんな適当だ。好きな歌手の名前をそのまま使っていたり、食べ物の名称だったり。あまり深く考えるべきではない。
でも、と私はもう一度kanoさんからのコメントを見る。
「この人も、場面緘黙症だったんだ」
同じ病気を患っていたという内容に、心臓がドクドクと速く脈打つのを感じる。
今朝、たまたまコメントをくれた人が、同じ病気だったなんて。
これってもしかして運命?
なんて、くだらない妄想を打ち消して、「コメントありがとうございます」と返信する。
家族以外で、私の症状について理解してくれている人がいる。
それだけで少し、心が羽のように軽くなっていた。
翌日から大学の履修登録が始まって、一週間が経過した。
一回目の授業をお試しで受講して、今後も受け続けたいと思った講義をピックアップする。履修登録は、大学が提供しているアプリで講義を選んで時間割を組んでいく……という流れらしい。作業自体は簡単に思えるけれど、そもそも履修登録という慣れない操作に、私は早速戸惑っていた。
同じ学部の周りのみんなは、早々に友達をつくり、相談しながら受けたい講義を決めているようだ。
午前中の講義が終わり、食堂に並んでいると、同じ一年生と思われる人たちが、「何の講義受ける?」と相談している声が耳に入ってきた。
「『生物論』が楽単らしいよ」
「え、そうなの? 初めて聞いたー」
「昨日行ったサークルの新歓で、先輩が教えてくれたんだよ。ほとんど出席点だけで評価さ
れて、テストはなし。毎回講義の終わりに軽い感想を出さないといけないけど、テストより全然楽だって」
「なるほど! それは良い情報!」
楽単、出席点、新歓——大学で初めて出会う言葉が、耳にこだまする。
楽単というのは、どうやら「楽に単位を取得できる講義」のことらしい。出席点だけで評価されるというのは確かに簡単に単位が取れるんだろう。でも、そういう講義は人気も高いから、受講人数を制限するために抽選も行われるんだって、と誰かが噂している声がこれまた耳に入る。
どの情報も、一人行動をしている私は噂で聞くしかない。
誰かに話しかけたい。午前中の講義でも、何度そう思ったことか。隣の席に座った女の子は、大人しそうな子だった。
前後の席の人たちが、隣の席同士で自己紹介をする声が聞こえる。昨日と同じだ。私も、早く声をかけよう——早鐘のように鳴り響く鼓動を感じても、結局隣の子に話しかけることはできなかった。
意気消沈しながら授業を聞き終え、一人虚しく食堂にやってきた、というわけだ。
食堂のシステムもよく分からない。何のおかずを食べようかと悩んでいるうちに順番が来て、急かされるようにして適当なおかずを手にとった。
十二時から十三時までのお昼のピークタイムはどの席も混んでいて、めぼしい席はどこも空いていない。仕方なく、「立ち食い席」で座ることもできずに唐揚げを頬張る。揚げたての唐揚げは香ばしいけれど、ガヤガヤとした空気の中一人で食べると美味しさが半減しているような気がした。
見ないようにしていても、自然と視線が周りの人間へと向かう。四人掛けの席で楽しそうに談笑している人たちは、上級生だろうか。
私も、一年後はあんなふうに誰かと笑ってご飯を食べられるのかな……。
胸にじわりと込み上げる不安を振り切るようにして、味噌汁を胃の中にかき込んだ。
【食堂でぼっち飯。まだ大学は始まったばかりだけど、一緒にご飯を食べる友達がほしいなあ】
三限目の講義に行く道すがら、『なないろ』に投稿をすると、すぐに誰からから「いいね」が届いた。コメントだけでなく、「いいね」で誰かの投稿を応援することもできる。『なないろ』でなんでもないつぶやきに「いいね」してもらえると、私は幾分か心が和らいだ。
三限目の講義は『ジェンダー論』だった。
この講義は特に楽単というわけではなく、単に私が興味のある内容っぽかったので、受講してみることに。
意外にも席は埋まっていて、私は前から二番目の席にちょこんと腰掛けた。
前の方の席は比較的空いていることが多く、講義が始まる直前になっても、私の前には誰も座っていなかった。ちらっと後ろを見ると、私の斜め後ろに男の子が一人座っているだけ。
講義が始まると、私は教授の話に夢中になり、あっという間に九十分という長い授業が終わりを告げた。時間を感じさせないくらい興味深い内容で、ずっとノートにペンを走らせる手が止まらない。三限目にして初めて、大学で講義を受ける楽しさを噛み締めた気がする。
充足感を覚えながらペンを片付けていた時、私は後ろから「あの」と声をかけられた。
不意の出来事だったので、私は肩を揺らして振り返る。
先ほど、講義が始まる前に見た男の子が、私のことを真剣な眼差しで見つめていた。
長い前髪が半分目にかかっている。最近デビューしたロックバンドのボーカルを思わせるさらさらの髪の毛が特徴的だった。
「あ、突然話しかけてすみません。僕、滝波新っていいます。一年生です。すごい熱心にノート書いてたから気になって」
ノート?
私はこの滝波という男が突然何を言い出したのかと不可解だった。
周囲ではすでに教室から出ようと席を立つ人たちの話し声や、ぱたん、ぱたんと椅子が閉じる音が響いている。
「……」
私は、何か答えなきゃと思いつつも、開いた口からはやっぱり擦れた吐息しか出てこない。
そんな私を見て滝波くんは不思議そうに首を傾けて、「あっ」とすぐに納得した様子で声を上げた。
「もしかして、喋れないの?」
予想外の鋭い一言に、呆気に取られつつも頷く私。
耳が不自由な人とでも思われたのかもしれない。
彼は咄嗟に自分の鞄から直しかけたノートとペンを取り出して、白いページを開いた。カチカチとシャーペンの芯を出す。それを、私に差し出した。
「筆談でいいよ。あ、次の講義とってる? 時間ない?」
グイグイと食い入るように質問してくる滝波くんに、私はやっぱり圧倒されてしまう。
でも、こんなふうに私に根気強く話しかけてくれる人なんて、今までいなかった。
彼と少し話してみたい。好奇心が、踊るように鳴り出した。
幸いなことに、次の講義はとっていない。いわゆる空きコマである。
私は彼からシャーペンを受け取る。本当は自分のノートとペンを使うこともできたのだけれど、差し出された彼からの厚意に甘えることにした。
『初めまして。本間美都です。一年生です。ノート、たくさん書くのが好きなんです』
喋れば数秒で話せることも、文字にすると何十秒も時間がかかる。でも、滝波くんはそんな私の姿を熱心に見守ってくれていた。
「本間美都さん。本間さん、よろしくお願いします」
ごく自然にすっと伸びてきた彼の右手を、私はじっと見つめた。
握手、してもいいんだろうか。
簡単なことなのに、私にはすごく大仰でとても緊張した。
「本間さん、友達待たせたりしてない? もしあれだったら、連絡とかしてもらっても大丈夫だよ」
私を気遣って滝波くんは机の上に置いてあったスマホに視線を移す。でも私は、首を横に振った。
『友達はまだいないから大丈夫』
書いてて悲しくなるけれど、現実は受け入れなくちゃいけない。
「そうなんだ。じゃあさ、僕と友達になってよ」
予想外の言葉が彼の口から飛び出してきて、私は目を瞠った。
友達になって。
入学式の日に、ハンカチを届けてくれた上山さんからも言われた言葉だ。でもあの時、私は何か言葉を発することも、首を振ることもできなかった。
まさか、今日また別の人物から言われるなんて。それも男の子。女子校育ちの私は、男の子の友達なんて、人生で一度もつくったことがない。そもそもこの病気のせいで、女の子の友達すらいなかったんだから。
友達がほしい。
そう思い続けた私にとって、これは願ってもないチャンスだ。
ごくりと生唾を飲み込んで、滝波くんの目を見つめながらゆっくりと頷いた。
『はい。友達になってください』
文章で伝えるのならば、するすると言いたかったことを言葉にすることができる。
私がノートにペンを走らせる姿を見て、滝波くんの表情が、ぱっと明るくなった。
「ありがとう! じゃあ、これからよろしくね」
白い歯を見せて笑う滝波くんを、呆気に取られながら見つめていた。
すごい。私にも、こんなふうに友達ができるなんて。
ずっと、友達をつくるのは断崖絶壁を登るよりも難しいことだと思っていた。でも、滝波くんは息を吐くように友達になろうと言ってくれた。私はそれに首を縦に振っただけ。
たったそれだけで、世界が違って見えるなんて。
それから滝波くんは「また今度」と手を振って、教室から出ていった。
連絡先を交換することもなく、ただ「また」という言葉を聞けただけで、私の胸の鼓動はどんどん速くなっている。
やった。やったんだ。私にも、友達ができたんだ!
暗く沈んでいるようだった視界が、霧が晴れたようにすっきりと明るくなる。
私にも、楽しいキャパスライフが送れるかもしれない。
朝と百八十度違う気の持ちように、自分でも驚きを隠せなかった。
握りしめたままだったスマホを開き、『なないろ』を確認した私はあっと声を上げる。
コメントがついていたのだ。
逸る気持ちを抑えて、むさぼるようにしてコメントを見る。
【コメント失礼します。場面緘黙症、私も一時期なっていたことがあるので、お気持ちがよく分かります。お辛いですよね。悩みがあれば、いつでも吐き出してください! 私でよければミトさんの相談に乗ります。……て、すみません。いきなり上からで。とにかく一人で抱え込まないでくださいね。kano】
「また、kanoさんだ……」
今朝、大学の入学式に行ってくるという投稿にコメントをくれた人物と同じハンドルネームを目にして、私は何度か目を瞬かせた。私のハンドルネームは「ミト」と、本名をそのまま使っている。もしかしたらこの「kano」さんも、今日ハンカチを届けてくれた上山花乃さんなのではないか——なんて、できすぎた偶然だとやっぱり否定する。
ハンドルネームなんて、みんな適当だ。好きな歌手の名前をそのまま使っていたり、食べ物の名称だったり。あまり深く考えるべきではない。
でも、と私はもう一度kanoさんからのコメントを見る。
「この人も、場面緘黙症だったんだ」
同じ病気を患っていたという内容に、心臓がドクドクと速く脈打つのを感じる。
今朝、たまたまコメントをくれた人が、同じ病気だったなんて。
これってもしかして運命?
なんて、くだらない妄想を打ち消して、「コメントありがとうございます」と返信する。
家族以外で、私の症状について理解してくれている人がいる。
それだけで少し、心が羽のように軽くなっていた。
翌日から大学の履修登録が始まって、一週間が経過した。
一回目の授業をお試しで受講して、今後も受け続けたいと思った講義をピックアップする。履修登録は、大学が提供しているアプリで講義を選んで時間割を組んでいく……という流れらしい。作業自体は簡単に思えるけれど、そもそも履修登録という慣れない操作に、私は早速戸惑っていた。
同じ学部の周りのみんなは、早々に友達をつくり、相談しながら受けたい講義を決めているようだ。
午前中の講義が終わり、食堂に並んでいると、同じ一年生と思われる人たちが、「何の講義受ける?」と相談している声が耳に入ってきた。
「『生物論』が楽単らしいよ」
「え、そうなの? 初めて聞いたー」
「昨日行ったサークルの新歓で、先輩が教えてくれたんだよ。ほとんど出席点だけで評価さ
れて、テストはなし。毎回講義の終わりに軽い感想を出さないといけないけど、テストより全然楽だって」
「なるほど! それは良い情報!」
楽単、出席点、新歓——大学で初めて出会う言葉が、耳にこだまする。
楽単というのは、どうやら「楽に単位を取得できる講義」のことらしい。出席点だけで評価されるというのは確かに簡単に単位が取れるんだろう。でも、そういう講義は人気も高いから、受講人数を制限するために抽選も行われるんだって、と誰かが噂している声がこれまた耳に入る。
どの情報も、一人行動をしている私は噂で聞くしかない。
誰かに話しかけたい。午前中の講義でも、何度そう思ったことか。隣の席に座った女の子は、大人しそうな子だった。
前後の席の人たちが、隣の席同士で自己紹介をする声が聞こえる。昨日と同じだ。私も、早く声をかけよう——早鐘のように鳴り響く鼓動を感じても、結局隣の子に話しかけることはできなかった。
意気消沈しながら授業を聞き終え、一人虚しく食堂にやってきた、というわけだ。
食堂のシステムもよく分からない。何のおかずを食べようかと悩んでいるうちに順番が来て、急かされるようにして適当なおかずを手にとった。
十二時から十三時までのお昼のピークタイムはどの席も混んでいて、めぼしい席はどこも空いていない。仕方なく、「立ち食い席」で座ることもできずに唐揚げを頬張る。揚げたての唐揚げは香ばしいけれど、ガヤガヤとした空気の中一人で食べると美味しさが半減しているような気がした。
見ないようにしていても、自然と視線が周りの人間へと向かう。四人掛けの席で楽しそうに談笑している人たちは、上級生だろうか。
私も、一年後はあんなふうに誰かと笑ってご飯を食べられるのかな……。
胸にじわりと込み上げる不安を振り切るようにして、味噌汁を胃の中にかき込んだ。
【食堂でぼっち飯。まだ大学は始まったばかりだけど、一緒にご飯を食べる友達がほしいなあ】
三限目の講義に行く道すがら、『なないろ』に投稿をすると、すぐに誰からから「いいね」が届いた。コメントだけでなく、「いいね」で誰かの投稿を応援することもできる。『なないろ』でなんでもないつぶやきに「いいね」してもらえると、私は幾分か心が和らいだ。
三限目の講義は『ジェンダー論』だった。
この講義は特に楽単というわけではなく、単に私が興味のある内容っぽかったので、受講してみることに。
意外にも席は埋まっていて、私は前から二番目の席にちょこんと腰掛けた。
前の方の席は比較的空いていることが多く、講義が始まる直前になっても、私の前には誰も座っていなかった。ちらっと後ろを見ると、私の斜め後ろに男の子が一人座っているだけ。
講義が始まると、私は教授の話に夢中になり、あっという間に九十分という長い授業が終わりを告げた。時間を感じさせないくらい興味深い内容で、ずっとノートにペンを走らせる手が止まらない。三限目にして初めて、大学で講義を受ける楽しさを噛み締めた気がする。
充足感を覚えながらペンを片付けていた時、私は後ろから「あの」と声をかけられた。
不意の出来事だったので、私は肩を揺らして振り返る。
先ほど、講義が始まる前に見た男の子が、私のことを真剣な眼差しで見つめていた。
長い前髪が半分目にかかっている。最近デビューしたロックバンドのボーカルを思わせるさらさらの髪の毛が特徴的だった。
「あ、突然話しかけてすみません。僕、滝波新っていいます。一年生です。すごい熱心にノート書いてたから気になって」
ノート?
私はこの滝波という男が突然何を言い出したのかと不可解だった。
周囲ではすでに教室から出ようと席を立つ人たちの話し声や、ぱたん、ぱたんと椅子が閉じる音が響いている。
「……」
私は、何か答えなきゃと思いつつも、開いた口からはやっぱり擦れた吐息しか出てこない。
そんな私を見て滝波くんは不思議そうに首を傾けて、「あっ」とすぐに納得した様子で声を上げた。
「もしかして、喋れないの?」
予想外の鋭い一言に、呆気に取られつつも頷く私。
耳が不自由な人とでも思われたのかもしれない。
彼は咄嗟に自分の鞄から直しかけたノートとペンを取り出して、白いページを開いた。カチカチとシャーペンの芯を出す。それを、私に差し出した。
「筆談でいいよ。あ、次の講義とってる? 時間ない?」
グイグイと食い入るように質問してくる滝波くんに、私はやっぱり圧倒されてしまう。
でも、こんなふうに私に根気強く話しかけてくれる人なんて、今までいなかった。
彼と少し話してみたい。好奇心が、踊るように鳴り出した。
幸いなことに、次の講義はとっていない。いわゆる空きコマである。
私は彼からシャーペンを受け取る。本当は自分のノートとペンを使うこともできたのだけれど、差し出された彼からの厚意に甘えることにした。
『初めまして。本間美都です。一年生です。ノート、たくさん書くのが好きなんです』
喋れば数秒で話せることも、文字にすると何十秒も時間がかかる。でも、滝波くんはそんな私の姿を熱心に見守ってくれていた。
「本間美都さん。本間さん、よろしくお願いします」
ごく自然にすっと伸びてきた彼の右手を、私はじっと見つめた。
握手、してもいいんだろうか。
簡単なことなのに、私にはすごく大仰でとても緊張した。
「本間さん、友達待たせたりしてない? もしあれだったら、連絡とかしてもらっても大丈夫だよ」
私を気遣って滝波くんは机の上に置いてあったスマホに視線を移す。でも私は、首を横に振った。
『友達はまだいないから大丈夫』
書いてて悲しくなるけれど、現実は受け入れなくちゃいけない。
「そうなんだ。じゃあさ、僕と友達になってよ」
予想外の言葉が彼の口から飛び出してきて、私は目を瞠った。
友達になって。
入学式の日に、ハンカチを届けてくれた上山さんからも言われた言葉だ。でもあの時、私は何か言葉を発することも、首を振ることもできなかった。
まさか、今日また別の人物から言われるなんて。それも男の子。女子校育ちの私は、男の子の友達なんて、人生で一度もつくったことがない。そもそもこの病気のせいで、女の子の友達すらいなかったんだから。
友達がほしい。
そう思い続けた私にとって、これは願ってもないチャンスだ。
ごくりと生唾を飲み込んで、滝波くんの目を見つめながらゆっくりと頷いた。
『はい。友達になってください』
文章で伝えるのならば、するすると言いたかったことを言葉にすることができる。
私がノートにペンを走らせる姿を見て、滝波くんの表情が、ぱっと明るくなった。
「ありがとう! じゃあ、これからよろしくね」
白い歯を見せて笑う滝波くんを、呆気に取られながら見つめていた。
すごい。私にも、こんなふうに友達ができるなんて。
ずっと、友達をつくるのは断崖絶壁を登るよりも難しいことだと思っていた。でも、滝波くんは息を吐くように友達になろうと言ってくれた。私はそれに首を縦に振っただけ。
たったそれだけで、世界が違って見えるなんて。
それから滝波くんは「また今度」と手を振って、教室から出ていった。
連絡先を交換することもなく、ただ「また」という言葉を聞けただけで、私の胸の鼓動はどんどん速くなっている。
やった。やったんだ。私にも、友達ができたんだ!
暗く沈んでいるようだった視界が、霧が晴れたようにすっきりと明るくなる。
私にも、楽しいキャパスライフが送れるかもしれない。
朝と百八十度違う気の持ちように、自分でも驚きを隠せなかった。