「うそ、でしょ……」
 私は目の前の景色にあんぐりと口を開いて呆気に取られた。
 神の世界に迷い込んでから二日目。私は、参道を抜けた先にある町へ続く赤い鳥居の前に顔を出していた。
 ヒューっと、硬直した私の髪を冷んやりとした風が揺らす。
「ここまでなんて……」
 目の前は、本当ならば無数の店が建ち並ぶ商店街が見えたり、川を挟みあった住宅地が見える景色なのだが、今見える光景はひたすら木、草、川。
「本当にここは現実の世界じゃないんだ……」
 私はため息をついた。絶望するなんてもうし飽きた。受け入れるしかないんだ。その変わり、どうすれば戻れるか、とかを考えて行った方が前向きなのかもしれない。
「おー?咲じゃんか。」
 私ははっとして、はつらつとした声の方を向く。そこには、木製のバケツに汲んできた水を沢山入れて、両手で重たそうに持っている狐白の姿があった。
「あっ、狐白。」
 狐白は、その場にバケツを置いて私の元へ来てくれた。
「何してるだ?ここにはお前の町なんかないよ。」
「見たらわかるよ。」
「なんだ?寂しくて泣いてたのか?」
「んなっ……!!」
 意地悪そうに笑う狐白を見て、私は頬を赤らめた。
「そんなわけないじゃん!!ただ、どうなってるのか見に来ただけだし!!」
「あっははは、そんなムキになるなよ。」
 もうっ……!!
 私は鳥居の奥に見える森を見下ろす。
 それに続けて、狐白も森を見下ろした。
 寂しくは無いけど……。神の世界では、人間は居ない状態なんだ……。それだけ人間とは疎遠になって……。
 ミーンミーンと、セミの鳴く声が二人の空間に響いていた。山の奥からは、ガサガサと物音がする。それもみんな人間なんかじゃなくて、動物なんだろう。
「……。」
 そんな遠い目をしている私を、狐白は見つめて、眉を下げて笑った。
「……咲にとってはさぞかし、生きにくい世界だろうな」
「えっ……」
 急な発言に、私は焦点を狐白に戻した。
「こんな人間と疎遠になって関係を絶っている神の住処に寝泊まりせざるを得ない状況に置かれて。さぞかし迷惑だろう。ここには現代の技術も存在しないしな。」
 そう言って、狐白は鳥居の両サイドにある片方の石台に腰を下ろした。何かを置いていたような石台だけど……、
「……そんな事ないよ。確かに罪悪感と嫌悪感で少し息しずらいけど、私は今の時代、そんな好きじゃないし。」
「え、そうなのか?」
 狐白が目を見開いてこちらを見つめる。
「うん。今の時代、皆自分のことに精一杯でさ、蹴落として、蹴落とされて。何だか、競走しっぱないしで、疲れちゃうんだ。みんな、結果だけが全てだって。それならどんな手を使ってでも叶えようとして。」
「へー。人間同士も人間同士でなんだかんだ大変なんだな。」
 私は、参道の石レンガの隙間を見つめて、静かに目を瞑って今までの私の生活を思い出していた。
「ほんの少しね、めんどくさいだけだよ。今の時代、好きに生きる、って言うよりかは、以下に"楽"に"簡単"に。"上手く生きる"ってのが普通なんだって。そんなの、楽しくないのね。みーんな、敷かれた一本のレールの上で大人しくしてるんだよ。」
 私は、ははっと、力ない声で笑った。
 上手く生きればそれでいい。いい学力を身につけて、いい高校へ行って、大学へ行って。いい就職を狙って、いい仕事に就く。そんな基準がゆるっゆるな"いい"が、上手く生きろってことで、"察しろ"ってことなんだ。
 ……そんな時代の方が遥に生きにくい。
「……。なら、咲にはこの世界がピッタリだな。」
「こんなどこにでもいるような人間に、そんなこと言っていいの?」
「いいんじゃないか?人間が皆、悪いやつばっかりとは限らないだろ。私は、いつまでもそう信じてるぞ。」
「っ……。……そうだといいね。」
 私は、眉を下げて微笑んだ。……でもね、人間ってやっぱり汚くできてるんだよ。今だってほら。
 私の目を見て語り合ってくれる狐白に対して、私は顔すら見れてないんだから。
「じゃあ、私はそろそろ行くな。」
「あぁ、うん。付き合ってくれてありがとう。」
「いやいや。」
 狐白はバケツを手に持って、本殿の方へ戻って行った。
 ……現代に帰れそうにもないし、そこら辺ブラブラしようかな。

「あーぁ、今日は昨日よりも暑いなぁ……」
 私は、腕で太陽をかざしながら空を見上げた。
 首にかけていた竹筒を外して、飲み口を開ける。陽の光でぬるくなった水が、体の隅々を潤わせる。
「……さすがに水は冷たいのがいいな」
 そんなことを思いながら、参道の外れにあるけもの道を適当に進んで木陰の道を進んでく。
 ……あれ、なんかここ通ったことある?
 見覚えがあるけもの道を見て、私は首を傾げた。
 うーん、どこかでここを……
 考えていると、ふと視界の中が少し明るくなるのを感じた。
「あぁ。」
 そうだ、大樹へ続く道なんだ。通りで来たことあるわけ、だ……
「あっ!」
 私は、目の前にある人影を目で捉えて、目を見開く。
「げっ……」
 目の前には、大樹の幹に手をかざしている弥白の姿があった。
「げって、酷くない?!仲良くしようよ!」
「バカ言わないで。必要なこと以上は関わらないといったでしょう。」
 そんなことを言っている弥白の元へ、歩いて近づく。避けてるくせに、割とすんなり近づかせてくれるもんだ。
「相変わらず冷たいなぁ……」
「当たり前でしょ。自分より目下のやつに愛想振りまく程、私暇じゃないから。じゃ、さようなら。」
 そう言って、私の横を切って大樹の元から離れようとする弥白を、発言で引き止めた。
「ねぇねぇ、この大樹っていつからあるの?」
「はぁ……??あんた聞いてた?私、そんな暇じゃないんだって……」
「とっても立派な大樹だよね。この神社が建てられた時からあったの?」
「さぁね、どうかしら。」
 そう言うと、またけもの道の方へ向かってしまう。
「っ、少しくらい会話してくれたっていいじゃん!」
 私は、弥白の冷たさに、少しプチンと来てしまい、言い返してしまった。
 すると、弥白はクルッと私の方に振り返る。
「あんたみたいな短気な人間が、一番穢らわしい。」
 ……そう一言だけを告げて、茂みに消えていった。
「は、はぁ?!!」
 私は、さらにプチンと来て、茂みに消えた弥白を追いかける。
 ガツンと言ってやる!
 その勢いで、私は弥白を追いかけるため、茂みに一歩踏み出した。その時……、

 フサッ……

 背後から、何かが降り立ってきたような気配と物音を感じ取った。狐白達とは比にならないほどの圧迫感が私の背中を襲う。
 私は、一筋の汗を流しながら、勢いよく大樹へと振り返った。
「っ……」
 私は、目を丸くして目の前の光景をまじまじと見つめた。
 そこに居たのは、背丈が百四十センチ位の、小さな女の子。白髪でショートカットの髪に、白い袴を着ている。黄色い瞳は、ジト目で私のことをただ見つめていた。何を考えているかも、よく分からない表情に、私は少し戸惑っていた。
 
 ・・・。

 ……な、なにこの子。
 数秒間見つめあった時間は、とてつもなく長く感じた。ポケーっと私を見つめる瞳は、何も考えていないように見えて、何かの圧を感じる。

 トッ……トッ……トッ……

 何も言わず、ひたすら見つめる謎の白い女の子は、静かに私との距離を縮めていた、
「っ……」
 私は、謎の圧力に耐えきれず、後ずさりする。一筋の汗じゃ足らないほど、緊迫感に襲われる。
 すると、ようやく女の子が小さな口を開いた。
「……お主が、弥白達の言っておった人間か?」
「へ……?」
「……。もう一度聞くぞ。お主は人間か?」
「っ……!!」
 女の子のジト目がさらに細さを増した。冷たい視線が、心臓を突き刺すように圧迫感を増加した。何かが詰まって動かない喉元を押し上げて、精一杯細い声を絞りだす。
「……は、はい……。」
「……。そうか。」
「っ……」
 すると、またケロッとした口調に戻って、一気に緊迫感、圧迫感が抜けた。白い女の子は、大樹の方へ振り返り、スタスタと歩いていく。
「あ、あの……」
 その足を、私は呼びかけて止めた。
「なんだ?」
 静かにクルッと女の子は、振り返る。
「き、君、誰かな?初めまして……だよねっ」
 あ、やべ、しまった。と、咄嗟に私は後悔した。……こんな圧力の女の子が只者なわけない……!!そう思った時には、もう遅かった。
 先程の冷たく、鋭い視線がまた私の心臓を突き刺さす。
「……お主、誰に向かってそう言っておる?」
 お、怒らせたぁ……!!
「人間は想像上に無礼な生きも……」
「す、す、す、すみません!!!!貴方様が私より目下な訳ありませんよね!!身の程をわきまえますぅ!!!」
 裏返りそうな声で、私は硬直した体を何度も腰からへし折った。
「っ……」
 そうすると、辺りの空気が少し緩んだ空気を感じる。
「…─────素直な人間は好きだぞ。顔を上げろ。」
「えっ……」
 私は、言われるがまま顔を上げた。すると、少女は大樹の根元に腰をかけていた。
「素直な人間は良い関係を築きやすいからなぁ。さぁ、こちらへ来て話そうでは無いか。」
 そう言って、微笑みながら手招きをする少女。
「は、はい」
 私は、少し警戒もしながら、少女の元へ向かった。……逆らったら死ぬ。その覚悟で私は正々堂々と対面してやる!!
「……あの、貴方様は……」
 私は、もう一度、喉を絞り上げて質問した。……これで、死ぬか生きるかが決まる!!!(※大袈裟)
「……。そうだな。お主は素直な人間だから述べてやろう。」
 私の究極の選択は吉と出た!
 ほっ、と静かに私は胸を撫で下ろした。
「妾の名は稲荷(いなり)だ。よく覚えておくといい。」
「い、稲荷様?!!!」
 い、稲荷様って、狐白が言っていた、あの神様?!!
「なんだ、知っておるのか?……って、何をしておる……?」
 稲荷様だと、瞬時にわかった瞬間、私は地面に頭を擦り付けて跪いた。それを見て、稲荷様はなんだか引いたような視線を私に移した。
 え、何、私おかしい?
「それはもう、神様ですもの!!こんな私が目の前で立っている資格もありません!!」
「……そこまでしなくてもよい。」
 やめろ、と言わんばかりに稲荷様は、シッシッ、と手を振るった。
「あ、はい……」
 その場に、ちょこんと私は正座をした。
「正座もよい!立っておいてよいから!!!……全くおかしな人間だ。」
 やれやれと、足を組み直して、そう言った。
「稲荷様。何故私の目の前に姿を現したんですか?」
「お主に伝えねばならぬ事があるからな。……まぁ、人間と言えど害のない者にはそれ相応の対応はさせてもらうのが常識だ。」
 ふん、っと、根元によっかかる稲荷様を私はまじまじと見た。
 ……低い身長に、ジト目……。
「……稲荷様って、結構可愛いお方なんですね」
「何を無礼な!!!」
 急なカミングアウトに、稲荷様は頬を赤らめながらその場を立ち上がった。
「全く……、お主は素直な性格と共に、スパッと無礼なやつだな……。」
 気が抜けたようにドスッとまた座り直す。
「そうですか?」
 あれ、褒め言葉だと思うんだけどなぁ……。
「言っておくが、お主が思っている以上に、妾は長い年月を生きておるからな?」
「え、嘘だぁ……」
「ほんっとに無礼なやつだな……。」
 呆気に取られたように、私をジト目で見下ろした。
「……はぁ。妾は千三百十三歳である。」
「え、せ、千……三百?!!!」
 あ、でもそりゃそうか……。神社ができたのがそのくらいみたいだし……。
「ははっ、本当にお主は面白いなぁ!!」
 声を上げて笑う稲荷様は、なんだか千三百年も生きているとは思えないほど無邪気な顔をしていた。実際は、神で例えたら若い方なんじゃないのか?
「名はなんと申す?」
「あ、はい。私。咲って言います!」
「"咲"か……。」
 稲荷様は、ふーん、と言わんばかりに私を見つめてきた。
「この地に似合ったふさわしい名だな。」
「ありがとうございます……」
 気に入られた……?別に、気に入られでもどうしようもないしな……。無邪気に笑い終えると同時に、稲荷様は、急に静かになった。
「……咲と言ったな。」
「はい。」
「お主は現世に帰りたいか?」
「っ……。」
 帰してくれるの……?!
「はい、!」
 私は、はっきりとそう告げた。もう、目の前が相応たる神だなんて関係ない。こればっかりは、面と向かって突っ込まないと。
「私を現世に返して頂けるんですか?!!」
 真っ直ぐと私は稲荷様を見つめた。ここへ来て、稲荷様の特殊な圧力に怯んでは行けない。怯めば、終わり。
「……何故そんなに帰りたいのだ?そこまで現世が好きか。」
 また、なんとも言えないスンとした表情が、私の喉元の何かを詰まらせる。
「……。現世が好きと言えば嘘になります。嫌いと言っても嘘となります。ですが……。幼稚なことに、私、母と喧嘩をしておりまして……」
「……。」
 体の前で、小刻みに人差し指の先をちょんちょん、とくっつけながら、ボソボソとつぶやく。理由がこんなんだなんて……、納得してもらえるわけないよなぁ〜……?!!
 ……でも、実際嘘じゃない。このまま、お母さんと何も話を終えれず会えなくなるなんて、考えれない。何か蹴りをつけておきたい。
「……そうか。…──────考えておく。」
 
「今日ね、稲荷様と会ったんだ。」
「っ、稲荷様とか?!!」
 縁側に座って、片手にお饅頭を持った狐白が、勢いよく立ち上がって私を見た。
「そうだよ。とっても可愛かった」
「おいおい、まじかよ。バチ当たるぞ……」
 ホヤホヤと呑気に思い出している私を見て、呆れている様子だ。
 月明かりに照らされながら、食べるお饅頭も絶品だなぁ。風に揺られるのも、セミの大合唱も悪くない。
「……稲荷様、なんて言ってた。」
 縁側に座り直した狐白が放った声は、いつもよりもトーンが低く、少し重く感じた。
「なんて言ってたって言っても……。なんか、私稲荷様に気にいられたかもしれない。」
「おいおい、まじかよ。お前みたいにすぐ無礼を働きそうな奴が?」
 怪訝そうに見てくる狐白に対して、私はガツンと一言。
「そっちも充分失礼ですけどね!面白いやつだー、って言ってくれたもん!……無礼な奴とも言われたケド・・・」
「だろうな……。」
 狐白は、予想的中して面白おかしくなったのか、方をプルプルと揺らして、笑いを堪えていた。
「あっ、でも…───」
 私は、真夜中の暗闇に浮かぶ満月を見て、呟いた。
「…──────素直な人間だ、とも褒めてくれた。」
「っ……。……、そうか。」
 稲荷様、考えてくれるって言ってけど。結局の所、どうなるんだろ。私は、チラリと狐白を見た。
 ……この二日間を通してだけど……。
 狐白って、私がポジティブな発言をした時に限って、少し切なそうな目をするんだよね。
 私は浮かぶ月に手をかざして、明日こそはと、お饅頭を口にした。