「ん、んん……。」
ジョロジョロジョロジョロ……
どこからか微かに水の音が聞こえる……。
私……、一体何をして……
「っはぁ……!!!」
私は、勢いよく体を起きあげる。それに生じて、だんだん頭に冷たいものが当たっていることが分かる。
「え、ちょ、冷た!」
「おぉ、起きたと思ったら急に元気だなぁ、お前。」
「っ……!」
後ろから声がしたと思うと、首元に冷たいものが当たる。
「うわぁっ……!!」
「濡らしたタオルだよ。体ほてってるみたいだし、それで冷ましな。井戸で汲んできたばかりでキンッキンに冷えてるからさ!」
「あ、ありがとう……」
親切な人だな……。
その人は、後ろの桶にもう一枚のタオルを濡らしている。その後ろ姿を眺めた。
ぱっちり目に赤色の瞳。髪は茶髪で赤いリボンを使って、横の方で髪をまとめている。先程の黒髪の人より少し短い。忘れ鼻で可愛らしい顔。少し日に焼けたはつらつとした肌色。
少し経つと、今度はコップを持ってきて、水を注いでくれた。
でも、コップは竹製でなんだか古臭い。
「あ、ありがとうございます……」
「あっはは、そんな畏まらなくていいさ」
渋々受け取る私に、彼女はプハッと吹き出しながら体調の回復した私を縁側へ誘ってくれた。
ここって……、
「神社……、だよね?」
「そうそう。俺達ん家さ!てか、そんなことよりお前、さては人間だな?」
「え、そうだけど……」
そう言えば、もう一人の方もこっちへ来るな、みたいなこと……
「ここってどこなの?いつも来てる神社とは、似てるけど似てないって雰囲気なんだけど……」
「ここかー。そりゃあ難しい質問だなぁ。」
「難しい?どうして──────…」
そこまで言いかけた時、参道の方から、落ち葉を踏む足音が聞こえた。
そこに現れたのは……、
「っ……」
竹筒を持った先程の巫女だった。
「あっ……」
目が合って気まずい。
「おぉ、おかえり。やし……」
「何をしているの……」
その巫女は、俯き肩をプルプルと震わせた。
「へ?」
「何をしているのかと聞いているの!!」
「っ……!!」
また私に対して睨み、声を荒らげ始めた。
「ま、まぁまぁ……」
「お前もお前だ!人間がそこに座るなんて、神への無礼でも程がある!!出ていって!!」
「……。」
強く言われすぎて、少し気が落ち込む。
「ひとまず休むといい。向こうで稲荷様が呼んでおられるぞ。」
そう言って、声を荒らげる青の巫女を赤の巫女が宥める。先程までのはつらつとした声が急に真面目な太い声に変わり、少し戸惑ったけど。
そして、それを聞くと、不満そうな顔をして茂みの中へ戻って行った。
「全く。短気なやつだよなー。」
「あの……、」
私は、赤の巫女を恐る恐る見上げた。
「ん、どうした?」
「あなた達は一体……。」
「あぁ。そうだね。理解し難い内容だろうし、ひとまず聞いてくれよ。」
眉を下げて微笑む巫女を見て、私は少し安堵した。
「はい。」
「とりあえず、赤い袴を着ている俺は皆に狐白と名乗っている。そして、さっきの気難しい青い袴を着た巫女を、皆は弥白と呼んでいる。」
「"皆"?ここには二人以外にもいるの?」
「まぁな。私のことは狐白って呼び捨てでも全然構わないが……。あいつは気難しい奴だから、一応さん付けにでもしておきな。」
あはは、と呆れたように笑う狐白と言う赤い巫女。
「あの!!」
「どうした?」
「えっと……。弥白、さん?に会わせて欲しいんです!!」
「えぇ?」
急な欲求に目を丸くする狐白。
「え、でも……。弥白の為にも今は会わない方が……」
止めようとする狐白に私はさらに声を重ねる。
「あの、ここに来れたのも、熱中症で木陰に移してくれたのも、弥白さんなんです……。そりゃあ、初対面で無愛想な対応をされたのは納得行きませんけど、仮にも助けられた身なんです!お礼は言っておかないと……!!」
「っ……。」
不器用なりに、説得しようと頑張る私を見て、狐白はさらに目を見開いた。その瞳に、少し違和感を感じるけれど……。
驚きは当然、それと共に信じられない、という疑いの心情も感じられる。
「……いいよ。」
「っ!!」
一瞬、真面目で少し怖い表情を見せたけれど、その後は笑って承諾してくれた。
「きっと弥白のいる場所はあそこだろうね。案内してあげるよ。その間に、この地のこともね。」
「ありがとう!!!」
そして、弥白の元へ向かう間、色々なことを教わった。
「ここは、神のみぞ住まう特殊な空間なんだ。」
「神のみ?」
澄み渡った鮮やかな緑色の茂みを案内する狐白の横に並ぶ。背の高い木々の葉によって点々と遮られた真昼の太陽は、色とりどりの緑が並ぶ地面を水面のように照らしていた。一歩一歩を踏み出すと同時に、ザクっと音が森に響き渡った。その音に被さるようにサヤサヤと森全体を揺らす心地よい風が木々の間を抜けて頬を撫でる。
「あぁ。神に仕える者と神本人様しかここには立ち入れないんだけど……。咲はなんでここにいるんだろうな。」
「それは……、私にもよく分からない。」
「ははっ、そうだよな。」
少し申し訳なさそうにクシャッと笑って私を見つめた。
「弥白がお前を毛嫌いするのもそれが理由だろ。あいつは人一倍忠誠心が強いからな。色々とあって、私たちは今、人間とは疎遠の関係なんだ。」
「疎遠?」
「……あぁ。もう結構前の話なんだけどな。」
「そんな昔なんだ……」
「なんたって、この神社は千三百年も前からある神社だからね。」
「え、」
サッと軽く告げた狐白の単語は、私には理解できない数値だった。あはは、と笑う狐白を横に、固まる私。
「そんな昔だったの?!!」
「あぁ。まぁでも、できた頃は人間との関係も充分充実してて順調だったんだけど、できた頃から約千年経ち始めた頃具合から色々とすれ違いがあって、今じゃこの有様なんだ」
ははっ、と苦笑いする狐白を見て、なんだか申し訳なくなる。人間とは疎遠の関係なのに、人間の私を親切に相手してくれて……。すれ違いが起こったということは、きっと人間と神とで対立しあった関係なんだろうに。
けれど、少し淋しそうに眉を下げて笑う姿は、失礼ながら、人間との違いを上手く見極めることが出来なかった。けれど、狐白達はちゃんとした神の仕いなんだろう。
「あ……、ねぇ!」
「ん?」
「現実の世界はどうなってるの?!私の存在は?!」
「あぁ……。それはきっと、神隠し状態だろうね。」
「そんな……」
神隠しって、行方不明ってことだよね。さすがにそれは困る。
「戻ること……、できるよね?」
私は不安をいっぱい抱いた顔で狐白の表情を覗き込んだ。
「……。さぁね。」
狐白は申し訳なさそうに眉を下げてそう告げた。
狐白にも確信がないなんて、私どうなるの……?
「さ、着いたよ。」
狐白はそう言って、茂みを抜けれる一方のけもの道を指さした。
「わぁ……」
目の前の光景は、私の目を魅了した。
少し開けた空間に、シュッと射し込む光。サヤサヤと揺れる木々。背丈の短い色鮮やかな芝生。そして……、大きな大樹が私たち二人を見下ろしていた。
現代ではどこにも存在しないような壮大な大きさで、軽く十五メートルはありそうな高さだ。私の近所の学校が四階建てだから、そのくらい高いだろう。聳えたる大樹は沢山の葉を持ち合わせて、風で全体がゆらゆら揺れている。とても太い幹は、半径五メートルくらいが相当だろう。日光に反射した葉がギラギラと輝きを持ち備えている。
私が茂みに突っ立って見とれている時、一人の少女が目に入った。…────弥白さんだ。
大樹の根元が大きく平になっている場所に横になって青い空を見上げていた。右腕を額の上に置いて、左手は腹部の上に置き、片足を立てて仰向けに寝ている。表情は見えないものの、さっき感じた殺気とは正反対な程、とても儚げな雰囲気を纏っていた。
「…────見とれてていいのかい?弥白がどこかへ行ってしまうよ」
はっ……、そうだ行けない。
「そ、そうだった……」
私はそう言って、茂みから抜ける大樹へ一歩踏み出す。葉を踏む音が一音───…
ザク。
ザク。
……ん?二つ?
パッと首を横に向ける。そこには狐白の顔が真横にあった。私たちは謎に見つめ合う。
「え。」
「え?」
私はそのまま、視線を狐白の顔から狐白の足元へ移した。
「どうした?」
何も疑問に思っていない表情で首を傾げる狐白。
「え、あ。私、一人で行くよ」
「え、それは大丈夫か?!お互いのためにも一対一は……」
えーっ、と顔を引きつらせる狐白を前に、あはは、と笑いこう告げた。
「大丈夫だよ。弥白さんなら、きっと危害までは加えてこないって信じてる!」
「そうか……?」
怪訝な顔で眉間に皺を寄せる狐白。
「お礼を言いに行くのに、付き添いと共に、ってのはダサいじゃん。」
「っ……」
その瞬間、狐白の瞳が見開いた。
あれ、何か変なこと言ったかな?
「そうか。……行ってきな。」
笑顔で見送ってくれる狐白を前に、私は笑顔になった。
「分かり合うためには、当たって砕けろ、って言うじゃん?!私は、そんな大胆な考え方しか出来ないんだ!」
えへへ、と少し照れ隠し程度に笑って、大樹へと向かった。狐白は数秒見守ると、茂みの奥へと姿を消した。
大樹へ近づくと、更に大きく見える大樹に少し圧倒される。目線を大樹の樹冠から、根元に移す。そこには、仰向けになっている弥白。一口唾を飲み込み、一歩踏み出した。
「…──────人の稲荷様への交信を邪魔するなんて、とんだ無礼者ね。」
「っ……!」
凛とした声が耳から脳内に響いた時、私は肩をビクンっと揺らした。
「気づいてたの、?」
恐る恐る、私は弥白に聞いた。
「狐白が余計なことをした所からね。」
うっ……。勘が鋭いなぁ……。さすが神様。
「あ、あの、弥白さん!!」
「悪いけど。私、醜い人間と関わるつもり無いから。」
軽々と上半身をその場で起こしたかと思うと、ヒョイっと根元から飛び降りて、私を横切った。
変わらずの冷たさに少し心が怯みそうになるけど……、
「助けてくれてありがとう!!」
「っ、はぁ……??」
弥白は、呆気に取られたように振り返った。
「あの時、弥白さんが木陰に移してくれて助かったんだ。」
「……」
何故か、彼女は今の私の発言で、眉を下げて頬を赤らめた。納得いかないような表情。何がそんなに納得いかないのだろう。
「あの後、弥白さんが私のために何処かへ行ってしまった時に、ちょうど来た狐白が本殿に連れてってくれて……」
「っ……。」
「勝手に居なくなったのは悪いと思ってる、ごめんなさい!!」
「別に私は……」
「弥白さんが私を毛嫌いしてるのはわかってるんだけど、お礼だけは言っとかないとって……」
私は、少しモジモジしながらそう言った。
「……」
黙り込んで、また後ろを向いてしまった弥白。
「あれ、もしかして怒ってる……?!ごめ……!」
「あのさぁ、」
「っ……?!」
太い声に私は少し息を飲む。
「"さん"付けやめて、キモイから……。」
「へ?」
私は拍子抜けたと同時に弥白の顔を覗き込んだ。
え。
顔を赤らめている弥白の表情が見える。
「え、あ。じゃ、じゃあなんて呼べばいいかな?!」
私は少し焦って、テンパってしまう。
「"弥白"でいいから。弥白で。」
「あ、うん、!!」
そう言って、彼女は早足で茂みに向かう。
「弥白っ!!」
距離が縮まった喜びで、私は少し声のトーンが上がる。そのまま、弥白の肩へ手を伸ば……
「言っておくけど。これからも穢らわしい人間のあんたと関わることは無いから。」
「え……」
急な冷淡な言葉と、細長い冷たい目が、肩に伸ばしかけた手がピタッと見事に止まった。
そのまま弥白は、止めれることなく茂みの中へ消えていった。
距離……縮まった、のか……??
私は、行き場の無くなった手をまだ宙に浮かせたまま私は石と化した程思考停止してしまった……。
真夜中の暗闇に月の光だけが差し込んでいる。私は、月光に照らされながら、縁側で空を眺めていた。神の世界も、虫たちはさほど人間の世界とは変わらないらしい。セミが木々に隠れてミーンミーンと合唱している鳴声が聞こえる。森の中の暗闇は、月明かりと星の光だけが頼りなほど静寂が響いていた。
急に視界の端に串が刺さった色とりどりの丸っこい三色団子が入り、びっくりしてしまう。
「うっ、なに、!」
「どうよ、仲良くなれたか?」
斜め後ろから聞こえた声を頼りに振り向くと、そこには三色団子を両手に一本ずつ持った狐白がその一本を私に差し出していた。
「ま、まぁ……、仲良くは遠のいた……かも?」
狐白から視線を逸らして白々しく述べる。
「っは、そうだろうな!」
吹き出しながら笑われ、自分の不器用さを身に染みて感じる。人見知りって恥ずかしい……。
「ほら、やるよ!元気出せ。」
「っ、……。ありがとう」
私は、素直に三色団子を貰った。
「美味しっ……!!」
食べてみるとこれまた美味しい。
「だろっ、稲荷様の大好物なんだよ」
そう言って、狐白は私の隣に座った。
ピンク色のモチモチとした団子を噛むと、口いっぱいに桜風味の甘くて優しい味が広がる。
「稲荷様って、どんなお方なの?その人もここの神様?」
「あぁ。実際は稲荷様が本当の神様で、私達は稲荷様に仕える従者の存在に過ぎないんだ。」
「え、てことは、狐白と弥白は神様じゃないってこと?!」
「いやいや、私達も神の一族だよ?人間で例えれば、親族みたいな関係性かな?親族みたいな関係を持つけど、従者みたいなね。私たちの下にも実際はまだ下っ端いるし。」
なるほど。てことは、狐白達は、稲荷様っていう神様の従者で、その下にも何人か従者が居て、神の中でも、稲荷様が一番偉い神ってことか!
「私と弥白の間にも上下関係はあったんだけどね〜。ほんとミリ単位の関係でしかないから、ほぼ同等なんだ。」
「そうなの?」
「実質、私の方が弥白より下でね。何度かやり方に対して指摘されて怒られたな〜。まぁ、お互いに指摘し合ってきたけどな!」
神の世界にもそんなのがあるんだ。……なんだか、やっぱり人間の世界とあんまり変わんないな。
「さ、食べたならもう寝よう。早く寝ないとまた稲荷様に怒られてしまうからね。」
……家族みたいに温かい関係だな。
私は、少し羨ましく思いながら用意してくれた布団に入り、瞳を閉じた。
ジョロジョロジョロジョロ……
どこからか微かに水の音が聞こえる……。
私……、一体何をして……
「っはぁ……!!!」
私は、勢いよく体を起きあげる。それに生じて、だんだん頭に冷たいものが当たっていることが分かる。
「え、ちょ、冷た!」
「おぉ、起きたと思ったら急に元気だなぁ、お前。」
「っ……!」
後ろから声がしたと思うと、首元に冷たいものが当たる。
「うわぁっ……!!」
「濡らしたタオルだよ。体ほてってるみたいだし、それで冷ましな。井戸で汲んできたばかりでキンッキンに冷えてるからさ!」
「あ、ありがとう……」
親切な人だな……。
その人は、後ろの桶にもう一枚のタオルを濡らしている。その後ろ姿を眺めた。
ぱっちり目に赤色の瞳。髪は茶髪で赤いリボンを使って、横の方で髪をまとめている。先程の黒髪の人より少し短い。忘れ鼻で可愛らしい顔。少し日に焼けたはつらつとした肌色。
少し経つと、今度はコップを持ってきて、水を注いでくれた。
でも、コップは竹製でなんだか古臭い。
「あ、ありがとうございます……」
「あっはは、そんな畏まらなくていいさ」
渋々受け取る私に、彼女はプハッと吹き出しながら体調の回復した私を縁側へ誘ってくれた。
ここって……、
「神社……、だよね?」
「そうそう。俺達ん家さ!てか、そんなことよりお前、さては人間だな?」
「え、そうだけど……」
そう言えば、もう一人の方もこっちへ来るな、みたいなこと……
「ここってどこなの?いつも来てる神社とは、似てるけど似てないって雰囲気なんだけど……」
「ここかー。そりゃあ難しい質問だなぁ。」
「難しい?どうして──────…」
そこまで言いかけた時、参道の方から、落ち葉を踏む足音が聞こえた。
そこに現れたのは……、
「っ……」
竹筒を持った先程の巫女だった。
「あっ……」
目が合って気まずい。
「おぉ、おかえり。やし……」
「何をしているの……」
その巫女は、俯き肩をプルプルと震わせた。
「へ?」
「何をしているのかと聞いているの!!」
「っ……!!」
また私に対して睨み、声を荒らげ始めた。
「ま、まぁまぁ……」
「お前もお前だ!人間がそこに座るなんて、神への無礼でも程がある!!出ていって!!」
「……。」
強く言われすぎて、少し気が落ち込む。
「ひとまず休むといい。向こうで稲荷様が呼んでおられるぞ。」
そう言って、声を荒らげる青の巫女を赤の巫女が宥める。先程までのはつらつとした声が急に真面目な太い声に変わり、少し戸惑ったけど。
そして、それを聞くと、不満そうな顔をして茂みの中へ戻って行った。
「全く。短気なやつだよなー。」
「あの……、」
私は、赤の巫女を恐る恐る見上げた。
「ん、どうした?」
「あなた達は一体……。」
「あぁ。そうだね。理解し難い内容だろうし、ひとまず聞いてくれよ。」
眉を下げて微笑む巫女を見て、私は少し安堵した。
「はい。」
「とりあえず、赤い袴を着ている俺は皆に狐白と名乗っている。そして、さっきの気難しい青い袴を着た巫女を、皆は弥白と呼んでいる。」
「"皆"?ここには二人以外にもいるの?」
「まぁな。私のことは狐白って呼び捨てでも全然構わないが……。あいつは気難しい奴だから、一応さん付けにでもしておきな。」
あはは、と呆れたように笑う狐白と言う赤い巫女。
「あの!!」
「どうした?」
「えっと……。弥白、さん?に会わせて欲しいんです!!」
「えぇ?」
急な欲求に目を丸くする狐白。
「え、でも……。弥白の為にも今は会わない方が……」
止めようとする狐白に私はさらに声を重ねる。
「あの、ここに来れたのも、熱中症で木陰に移してくれたのも、弥白さんなんです……。そりゃあ、初対面で無愛想な対応をされたのは納得行きませんけど、仮にも助けられた身なんです!お礼は言っておかないと……!!」
「っ……。」
不器用なりに、説得しようと頑張る私を見て、狐白はさらに目を見開いた。その瞳に、少し違和感を感じるけれど……。
驚きは当然、それと共に信じられない、という疑いの心情も感じられる。
「……いいよ。」
「っ!!」
一瞬、真面目で少し怖い表情を見せたけれど、その後は笑って承諾してくれた。
「きっと弥白のいる場所はあそこだろうね。案内してあげるよ。その間に、この地のこともね。」
「ありがとう!!!」
そして、弥白の元へ向かう間、色々なことを教わった。
「ここは、神のみぞ住まう特殊な空間なんだ。」
「神のみ?」
澄み渡った鮮やかな緑色の茂みを案内する狐白の横に並ぶ。背の高い木々の葉によって点々と遮られた真昼の太陽は、色とりどりの緑が並ぶ地面を水面のように照らしていた。一歩一歩を踏み出すと同時に、ザクっと音が森に響き渡った。その音に被さるようにサヤサヤと森全体を揺らす心地よい風が木々の間を抜けて頬を撫でる。
「あぁ。神に仕える者と神本人様しかここには立ち入れないんだけど……。咲はなんでここにいるんだろうな。」
「それは……、私にもよく分からない。」
「ははっ、そうだよな。」
少し申し訳なさそうにクシャッと笑って私を見つめた。
「弥白がお前を毛嫌いするのもそれが理由だろ。あいつは人一倍忠誠心が強いからな。色々とあって、私たちは今、人間とは疎遠の関係なんだ。」
「疎遠?」
「……あぁ。もう結構前の話なんだけどな。」
「そんな昔なんだ……」
「なんたって、この神社は千三百年も前からある神社だからね。」
「え、」
サッと軽く告げた狐白の単語は、私には理解できない数値だった。あはは、と笑う狐白を横に、固まる私。
「そんな昔だったの?!!」
「あぁ。まぁでも、できた頃は人間との関係も充分充実してて順調だったんだけど、できた頃から約千年経ち始めた頃具合から色々とすれ違いがあって、今じゃこの有様なんだ」
ははっ、と苦笑いする狐白を見て、なんだか申し訳なくなる。人間とは疎遠の関係なのに、人間の私を親切に相手してくれて……。すれ違いが起こったということは、きっと人間と神とで対立しあった関係なんだろうに。
けれど、少し淋しそうに眉を下げて笑う姿は、失礼ながら、人間との違いを上手く見極めることが出来なかった。けれど、狐白達はちゃんとした神の仕いなんだろう。
「あ……、ねぇ!」
「ん?」
「現実の世界はどうなってるの?!私の存在は?!」
「あぁ……。それはきっと、神隠し状態だろうね。」
「そんな……」
神隠しって、行方不明ってことだよね。さすがにそれは困る。
「戻ること……、できるよね?」
私は不安をいっぱい抱いた顔で狐白の表情を覗き込んだ。
「……。さぁね。」
狐白は申し訳なさそうに眉を下げてそう告げた。
狐白にも確信がないなんて、私どうなるの……?
「さ、着いたよ。」
狐白はそう言って、茂みを抜けれる一方のけもの道を指さした。
「わぁ……」
目の前の光景は、私の目を魅了した。
少し開けた空間に、シュッと射し込む光。サヤサヤと揺れる木々。背丈の短い色鮮やかな芝生。そして……、大きな大樹が私たち二人を見下ろしていた。
現代ではどこにも存在しないような壮大な大きさで、軽く十五メートルはありそうな高さだ。私の近所の学校が四階建てだから、そのくらい高いだろう。聳えたる大樹は沢山の葉を持ち合わせて、風で全体がゆらゆら揺れている。とても太い幹は、半径五メートルくらいが相当だろう。日光に反射した葉がギラギラと輝きを持ち備えている。
私が茂みに突っ立って見とれている時、一人の少女が目に入った。…────弥白さんだ。
大樹の根元が大きく平になっている場所に横になって青い空を見上げていた。右腕を額の上に置いて、左手は腹部の上に置き、片足を立てて仰向けに寝ている。表情は見えないものの、さっき感じた殺気とは正反対な程、とても儚げな雰囲気を纏っていた。
「…────見とれてていいのかい?弥白がどこかへ行ってしまうよ」
はっ……、そうだ行けない。
「そ、そうだった……」
私はそう言って、茂みから抜ける大樹へ一歩踏み出す。葉を踏む音が一音───…
ザク。
ザク。
……ん?二つ?
パッと首を横に向ける。そこには狐白の顔が真横にあった。私たちは謎に見つめ合う。
「え。」
「え?」
私はそのまま、視線を狐白の顔から狐白の足元へ移した。
「どうした?」
何も疑問に思っていない表情で首を傾げる狐白。
「え、あ。私、一人で行くよ」
「え、それは大丈夫か?!お互いのためにも一対一は……」
えーっ、と顔を引きつらせる狐白を前に、あはは、と笑いこう告げた。
「大丈夫だよ。弥白さんなら、きっと危害までは加えてこないって信じてる!」
「そうか……?」
怪訝な顔で眉間に皺を寄せる狐白。
「お礼を言いに行くのに、付き添いと共に、ってのはダサいじゃん。」
「っ……」
その瞬間、狐白の瞳が見開いた。
あれ、何か変なこと言ったかな?
「そうか。……行ってきな。」
笑顔で見送ってくれる狐白を前に、私は笑顔になった。
「分かり合うためには、当たって砕けろ、って言うじゃん?!私は、そんな大胆な考え方しか出来ないんだ!」
えへへ、と少し照れ隠し程度に笑って、大樹へと向かった。狐白は数秒見守ると、茂みの奥へと姿を消した。
大樹へ近づくと、更に大きく見える大樹に少し圧倒される。目線を大樹の樹冠から、根元に移す。そこには、仰向けになっている弥白。一口唾を飲み込み、一歩踏み出した。
「…──────人の稲荷様への交信を邪魔するなんて、とんだ無礼者ね。」
「っ……!」
凛とした声が耳から脳内に響いた時、私は肩をビクンっと揺らした。
「気づいてたの、?」
恐る恐る、私は弥白に聞いた。
「狐白が余計なことをした所からね。」
うっ……。勘が鋭いなぁ……。さすが神様。
「あ、あの、弥白さん!!」
「悪いけど。私、醜い人間と関わるつもり無いから。」
軽々と上半身をその場で起こしたかと思うと、ヒョイっと根元から飛び降りて、私を横切った。
変わらずの冷たさに少し心が怯みそうになるけど……、
「助けてくれてありがとう!!」
「っ、はぁ……??」
弥白は、呆気に取られたように振り返った。
「あの時、弥白さんが木陰に移してくれて助かったんだ。」
「……」
何故か、彼女は今の私の発言で、眉を下げて頬を赤らめた。納得いかないような表情。何がそんなに納得いかないのだろう。
「あの後、弥白さんが私のために何処かへ行ってしまった時に、ちょうど来た狐白が本殿に連れてってくれて……」
「っ……。」
「勝手に居なくなったのは悪いと思ってる、ごめんなさい!!」
「別に私は……」
「弥白さんが私を毛嫌いしてるのはわかってるんだけど、お礼だけは言っとかないとって……」
私は、少しモジモジしながらそう言った。
「……」
黙り込んで、また後ろを向いてしまった弥白。
「あれ、もしかして怒ってる……?!ごめ……!」
「あのさぁ、」
「っ……?!」
太い声に私は少し息を飲む。
「"さん"付けやめて、キモイから……。」
「へ?」
私は拍子抜けたと同時に弥白の顔を覗き込んだ。
え。
顔を赤らめている弥白の表情が見える。
「え、あ。じゃ、じゃあなんて呼べばいいかな?!」
私は少し焦って、テンパってしまう。
「"弥白"でいいから。弥白で。」
「あ、うん、!!」
そう言って、彼女は早足で茂みに向かう。
「弥白っ!!」
距離が縮まった喜びで、私は少し声のトーンが上がる。そのまま、弥白の肩へ手を伸ば……
「言っておくけど。これからも穢らわしい人間のあんたと関わることは無いから。」
「え……」
急な冷淡な言葉と、細長い冷たい目が、肩に伸ばしかけた手がピタッと見事に止まった。
そのまま弥白は、止めれることなく茂みの中へ消えていった。
距離……縮まった、のか……??
私は、行き場の無くなった手をまだ宙に浮かせたまま私は石と化した程思考停止してしまった……。
真夜中の暗闇に月の光だけが差し込んでいる。私は、月光に照らされながら、縁側で空を眺めていた。神の世界も、虫たちはさほど人間の世界とは変わらないらしい。セミが木々に隠れてミーンミーンと合唱している鳴声が聞こえる。森の中の暗闇は、月明かりと星の光だけが頼りなほど静寂が響いていた。
急に視界の端に串が刺さった色とりどりの丸っこい三色団子が入り、びっくりしてしまう。
「うっ、なに、!」
「どうよ、仲良くなれたか?」
斜め後ろから聞こえた声を頼りに振り向くと、そこには三色団子を両手に一本ずつ持った狐白がその一本を私に差し出していた。
「ま、まぁ……、仲良くは遠のいた……かも?」
狐白から視線を逸らして白々しく述べる。
「っは、そうだろうな!」
吹き出しながら笑われ、自分の不器用さを身に染みて感じる。人見知りって恥ずかしい……。
「ほら、やるよ!元気出せ。」
「っ、……。ありがとう」
私は、素直に三色団子を貰った。
「美味しっ……!!」
食べてみるとこれまた美味しい。
「だろっ、稲荷様の大好物なんだよ」
そう言って、狐白は私の隣に座った。
ピンク色のモチモチとした団子を噛むと、口いっぱいに桜風味の甘くて優しい味が広がる。
「稲荷様って、どんなお方なの?その人もここの神様?」
「あぁ。実際は稲荷様が本当の神様で、私達は稲荷様に仕える従者の存在に過ぎないんだ。」
「え、てことは、狐白と弥白は神様じゃないってこと?!」
「いやいや、私達も神の一族だよ?人間で例えれば、親族みたいな関係性かな?親族みたいな関係を持つけど、従者みたいなね。私たちの下にも実際はまだ下っ端いるし。」
なるほど。てことは、狐白達は、稲荷様っていう神様の従者で、その下にも何人か従者が居て、神の中でも、稲荷様が一番偉い神ってことか!
「私と弥白の間にも上下関係はあったんだけどね〜。ほんとミリ単位の関係でしかないから、ほぼ同等なんだ。」
「そうなの?」
「実質、私の方が弥白より下でね。何度かやり方に対して指摘されて怒られたな〜。まぁ、お互いに指摘し合ってきたけどな!」
神の世界にもそんなのがあるんだ。……なんだか、やっぱり人間の世界とあんまり変わんないな。
「さ、食べたならもう寝よう。早く寝ないとまた稲荷様に怒られてしまうからね。」
……家族みたいに温かい関係だな。
私は、少し羨ましく思いながら用意してくれた布団に入り、瞳を閉じた。