──二〇十七年 七月 二十一日 土曜日──
 
「もうほっといてよ!!」
「ちょっと、待ちなさい……!!」
 ドタドタドタ、と階段を駆け上がる音が狭苦しい家に響き渡る。
 バタン、と勢いよく扉を占めると、私は扉によっかかってしゃがみ込んだ。
「なによ……、なんなのよもう……。」
 膝を抱え込み、頭が埋まるように腕で包み込む。
 窓からは夏らしいギラギラの夕日が差し込み、直接私に当たっている。後ろの木造の扉から、木の香りが鼻をつつく。外から入ってくる風は、生温くて少し湿気を含んでいた。
「お母さんなんか、知らない……」
 どうしてわかってくれないの?私はただ……、

 チリンッ

 その音に、私の意識は集中させられる。
 ……─────鈴の()だ。
「っ……」
 ふと顔を上げる。
 すると、こちらだ、と言わんばかりに窓から入ってくる風によってカーテンがなびいていた。
 変だな。そんなに強い風ふいてたっけ……、
 力ない足でを立ち上がり、瞳に溜まった涙を拭って窓の縁に手を置いた。
 そこから見える景色は、慣れきった街並み。
 昭和の頃よりもはるかに古臭い木造建築の住宅に、店が並んでいる。電信柱なんて、一個も見えず、誰も知らない地中に埋まってる。異様にまっすぐと伸びた央通が一般との違和感を感じさせる。そのくせ、川などはコンクリートで埋められて、とても冷たい。
 その奥に見える山。そこには一つの神社の鳥居が山の中から顔を出している。夕日に負けないくらい、真っ赤に聳えたる鳥居は、街全体を見下ろし、見守っているようだ。
 あそこには、いくつかの言い伝えがある。
 あそこの神様は狐だとか、豊作の神様だとか。あそこの神社で道に迷ったものは()の世界へ連れていかれ、一生戻って来れないだとか。実際に、子供が消えたとか。
 たかがどこにでもありそうな言い伝え。
 そんな言い伝え、覚える意味もないと言うのに、覚えさせられるのは、この地で生まれた宿命だから、仕方ないらしい。若者に風習を教え、現代へと繋いでく──────…。
 無理に決まってるのにな。
 
(さき)───…!!」
 
 っ……!!
 お母さんの足跡がゆっくりと階段を登ってくるのを感じる。それと共に、私を呼ぶ声。
 いや、嫌だ……!
 今は一人でいたい。こんな状態でまともに話なんか出来るわけない。ましてや、お母さんとなんか。
 私は、扉を向いて、窓にもたれ掛かる。
 どうしよう、逃げれない……
 私は、咄嗟に窓の縁に両手を置く。
 …────ここからなら……いける。
 私は、部屋の扉が開く前に窓から外へ身を投げた。

 
「痛っ……、」
 地面の芝生に尻もちをついて、その場に座り込む。
 たかが二階からって言っても、無茶しすぎたかな……。
 でも怪我はしてない。お母さんが来る前に早く、……行こう。


 ゆく宛もなくぶらぶらと街を歩いていた。
「どうしよう……」
 そこら辺にいたら、いずれ補導で警察沙汰だ。だからと言って、できるだけ家には戻りたくない。
 私は、夕日のある方向を見上げる。
 日はまだ当分沈まない。きっと、一・二時間はこの町を照らし続けるだろう。
 それまでに時間を潰せるところ……、
「あっ……、神社……」
 私は、店と店の間から見える神社の真っ赤な鳥居を見つめた。
 あそこなら、補導対象スポットに入ってないかも……。
 私はひと握りの希望を胸に、神社の鳥居へと足を運んだ。


「あれ、今日はやけに静かだな……。」
 大きな鳥居を前に少しの違和感を覚えた。
 いつもなら、子供達の声とかがよくしてるんだけど……。
 大きな鳥居の両サイドには狐の石像が並ぶ。
 狐の神様、ね……。
 大丈夫だよね?なんだか薄気味悪いけど、何も起きないよね。
 私は不安を少々胸に抱きながら神社の中へと入っていった。

 ここは何度が来たことがある。ここに住んでる子供なら当たり前の場所だ。
 鳥居をくぐって、山を昇る方角へと続く細い参道を進んでいくと、ちょうど鳥居と本殿の間の左側に休憩所みたいなところがある。そこを対として、右を曲がると、狭く少し険しいけもの道。そこを進んでいくと、ふたつの分かれ道が出てくる。一方は隣町への道。もう一方は──────…この地に住む、子供たちだけしか知らない秘密基地へと繋がる。
 けもの道を抜けると、次は少し流れの緩い川へと出る。浅くて、チョロチョロと流れる川には、端と端まで渡れそうなくらいの岩が並んでる。それをぴょんぴょんと踏んで、川を渡った。
 次のけもの道を進んでいくと……、
 出たのは、見晴らしの良い開けた空間。
 端に大きな岩があって、その上にある木によってちょうど木陰になっている。風によって芝生がさわさわ揺れ、奥に見える町並みは絶景だ。
 夕日に照らされた広場はいつもよりも神秘的。
 でもおかしいな。
「ここにも誰もいない……」
 いつもなら、子供が何人かいてはしゃいでいるのに。
「ま、いいや……」
 私は、誰もいないとわかると、芝生に大の字になって夕日に当たる。
 いつもならこんなことできないからね、贅沢だ。
 来てよかった。
 ミーンミーンと鳴く蝉の声が心地よく聞こえる。
 後、一時間くらいならここに居て大丈夫だよね。
 そのまま、私は眠りについた。
 


 …──────チリンッ
 
 一つの鈴の音が脳に響いたと同時に、私は目を覚ました。
「……うわ、眩っ……。」
 そこまで言いかけた時、私は今の光景に頭が真っ白になった。
 え、……、昼?
 目を開けると、夕日は思えないほど、無数のギラギラ輝く太陽の光が目に飛び込んできて、眩んだ目を擦り、再び目を開けると、目の前にあった絶景の町並みも、森に変わり、真昼の日光を浴びていた。
 え、は、どういうこと?
 私、一日中寝ちゃってたの……?!
 うそだ!
 私は、そう思うや否や、飛び起きた。
 喧嘩中とはいえ、さすがにそろそろ戻らないと……!!!
 私は、来た道を戻りだした。
 けもの道をぬけて、川を抜ける。別れ道から出てきて、またけもの道を進む。
「あった……、休憩所!!」
 私は休憩所を見つけた喜びで、咄嗟に茂みから飛び出した。
 ……でも、休憩所は、苔やらツタやらが絡んでいて、現代のものとは思えなかった。
 それに……、
「お主は……」
「えっと……」
 見た事のない、青い着物を着た巫女がホウキを片手にこちらを見開いてみている。
 つり目に青色の瞳。髪は真っ黒で青いリボンを使って、後ろで髪をまとめている。スーッと鼻筋の通った綺麗な鼻。とっても白い肌。
 あれ、こんな人、この神社にいたっけ?
「あ、あの……」
 私が、おそろおそろその巫女さんに手を伸ばすと……
「お主、どこから来た!!!」
「えっ……」
 後ろへ一歩下がったと思ったら、大きな声を出して、こちらを睨んだ。
「こっちに来るな!!早く戻れ!!」
「いや、だから……」
「ここはお前が来るような場所じゃない!!出ていけ!!」
「あの……!!」
 今がどうなってるかもわかってないんだよ!!
 一方的に拒んでくる目の前の巫女の腕を掴むように、手を伸ばした。すると……、
 
 バシン!!!

「いった……!」
 片手に持っていたホウキで腕を弾かれる。
「私に触れてはならぬ!!応えろ、お主は何者だ!!」
「あの……!!」
「近づくっ……、」
 話を聞いてよ!!
 次の言葉が彼女の口から出る瞬間、先に口を開いて防ぎ込む。
「咲です!!!」
「はっ……?」
「咲!私、咲って言います!!」
「そ、そう……」
 彼女は急な私の自己紹介に戸惑っている様子だった。
「……どこから来たっていうの?」
 警戒している視線を飛ばしながら、私に聞いてきた。少しは聞く耳を持ってくれたみたい。
「わからない。あっちで少しうたた寝をしてしまったら、なんだか、真昼になってて……。あ、夕方だったのよ?!もうすぐ日が沈みそうなくらいの……。しかも、しかもね、そこから見える町並みも、全て見えなくなってたの……!!あぁ!!そこの休憩所だって、苔なんか生えてなかった!!!」
 私はパニックになりながら、秘密基地の方角を指さしたり、彼女の後ろにある苔むした休憩所を指さしたり……、とにかくパニック状態だ。
「ちょ、ちょっと待って。わかったわ。」
「わかってないよ!!早く家に帰らないと……、、。てか、どれくらいここに居たの?!わからない……!!」
 すると……、

 バシーン!

 私の肩に強烈な痛みが走った。
「え、痛。」
 それは、慌てふためく私の肩を、彼女がホウキを使って叩いた痛みだった。おかげで混乱する私の脳はある意味停止した。
「わかったから。静かにして。」
 ホウキを床に突き立てて、背の低い私を見下ろした。
「は、はい……」
「寝てたってことは、ずっとこんな真昼のギンギン射した日光を浴び続けてたんでしょ。暑さでぶっ倒れるわよ。案内するから、こっち来て。」
「あ……、はい……。」
 私は、言われるがまま、真っ白になった頭で彼女の背中を追った。

 
「どこへ向かってるの?ここは……」
「口を慎んでくれるかしら。私、うるさいのは嫌いなの。」
「え、えっと〜……、」
 冷たい人だな。この人も最初は戸惑って声荒らげてたのに……。
 神社の参道は、やっぱりいつもよりも苔むしていた。
「名前、教えてください」
「教えてどうなるの。」
「だって、貴方、って言い続けるのも嫌でしょ?」
「別に。見ず知らずの人に名前なんか呼ばれても何も嬉しくないし。」
「あっそうですか。」
 もういいや。
 なんだかめんどくさい。それより……、
 私は、彼女について行く足を一歩一歩前に出す。……でも、どんどん足に鉛が着くように重々しくなっていく。なんだか、頭もクラクラしてきた……。
「ちょ、ま……」
 私は、とうとうその場で膝をついてしまった。
「なに?早くし……、」
 本人の後ろで物音がしたかと思うと、やっと彼女は振り返る。
「え、ちょっとあんた、!!しっかりしなさいよ!!」
 私の元へ駆け寄ってくる。慌てる声に乗っかるようにキーン、っととてもうるさい耳鳴りが響鳴る。
「頭、が……、クラ、クラ……する……。」
「ちょ……、もう!!」
 そう言って、焦って私を近くの木陰に運んでくれた。
「随分体が熱いわね……。全く、!ちょっと待ってなさい!!」
 そう言って、さっきの冷淡さはどこ行ったのか、慌てて参道の先へ走っていった。
「は、やく……」
 次第に、キーン、と鳴り響く耳鳴りは、大きさが増していく。ここでなんかで死にたくないよ……。
 その気持ちとは反対に、私の意識は暑さには抵抗できなかった。

 ザク、ザク、ザク……

「…──────えっ、ちょ……、君?!!!」
 微かに私を呼ぶ女の子の声が聞こえる寸前で、意識はブチッと途切れた。


 ハァ、ハァ、ハァ……
 私…────先程の巫女は、井戸から汲んできた冷たい水を竹筒に入れると、それを持って人間の元へ走った。
 全く、自分は何故人間なんかに世話を焼いているのだろうか。
 確か、ここを走った先にあの人間が──────…
「……いない。」
 どこに、行ったの?
 ……っ、何よ、別に……。人間なんか……。面倒事が減って良かったじゃない。