パチ。
部屋の小さい照明に電気をつけると、壁にもたれ掛かる。
薄暗い部屋は、カーテンの隙間から射し込む月光と、その照明だけに照らされていた。
「あの本、読んでみようかな。」
ふぅ、と一息をついて、カバンから今日借りてきた【ハッピーバッドエンド】という題名の本を取りだした。
表紙は、真っ黒の背景に糸のようなものが途中でプツンと切れているイラストだった。
どシンプルだな、と思いつつも、私はその一ページ目を開いた──────。
* * *
「……ねーねー、恵舞。昨日借りてた本、どうだった?」
いつもの如く、片腕を絡ませながら横を歩く凪紗が聞いてきた。
「え、どうしたの急に。凪紗、そんなに興味持ってたっけ?」
ピヨピヨ、と子鳥のさえずりが青空いっぱいに広がる。朝の通学路には、少し肌寒い風が吹いていた。
「いやー、あれから私も気になって読んでみたんだよね」
「え、でも本は私が借りて……」
「えー、知らないのー?!」
顔を寄せてあんぐりと口を開けている凪紗を前に、私は呆然とした。
「昨日、全校生徒の共有LINEにその本のURLが送られてたの。」
「URL?」
あの本は、それほど有名なものなんだろうか。でも、どうしてURLを?
確かに、湊くんはあの時新刊だ、って言ってたけど、今まで新刊の共有LINEは一回も……。
「それがちょうど昨日、恵舞が借りたやつだったから試しに読んでみたのー。」
内容を思い出すかのように、頭を両腕で支えて空を見上げる凪紗。そんな凪紗を横目に、私も内容を思い出してみる。
パッと思い浮かぶのは、ざっとした話の流れだけ。
学生十人が、"ゲーム"に巻き込まれて、
それで、色々"クリア"の鍵を手に入れて行って……
だんだんと学生同士の間で絆も生まれて……
昔にも同じデジャブが発症した、って言うのが発覚して……
ゲームクリアにだんだん近づくんだけど……、
……────結局は、"ゲームオーバー"になって幕が降りる───
「ざっと、こんな話だったよね」
「そーそー!いやさ、私思ったの。こういうのって、難関が降り注いでも結局はハッピーエンドー!で終わるのに、結構残酷なバッドエンドだったよね」
凪紗の言う通りだ。こういうのは、パッと晴れるようなハッピーエンドで終わるというのに、かなりのバッドエンドを結末として、体が震えた。だって、
……────全員ゲームオーバーんだもの。
「内容は面白かったけどさー。」
「まぁね。」
* * *
靴箱で靴を脱いで、上履きに履き替える。廊下を渡って、またあの見慣れた看板の元へ行く。
「……やけに今日、静かだね。」
少し顔を歪めながら凪紗は私の顔を見た。
確かに、言われてみればそうだ。
「昨日まではあんなに騒がしかったのに……。」
教室まで運ぶ足を止めて、じーっと、昨日までは騒がしかった廊下を見渡す。二人で耳を澄ます。
……でも、何も聞こえない。
そんな静けさが、だんだんと不気味に感じてくる。
「……み、みんな朝の集会に行ったとか!!」
不気味さを隠すかのように、凪紗がそう言い放った。そんな声は、廊下に大袈裟なほど響き渡る。
「でも、集会とかそんな連絡……」
「って、なら尚更やばくない?!私達遅刻?!」
一人で慌てふためく凪紗は、私の手を引いて教室へダッシュした。
そんな足音も、いつもより増して響き渡っていた。
……なんだか怖いな。
「お、おっはよー!!」
ダーン、と教室の扉を開けて、不安を隠すような笑顔で挨拶をする凪紗。
「あれ、」
けれど、そこに居たのはたった一人だけ。
私は、凪紗の背中からひょこっと顔を出して中を伺った。
「……あれ、陽菜ちゃん一人だけ?」
「あっ……」
こっちを見つめる少女……陽菜ちゃんは、ポツンと一人、教室の真ん中に立っていた。
「うげ、」
凪紗は陽菜ちゃんを見るや否や、顔を歪めた。今にも、"よりによってなんでこいつなの……"と言わんばかりの顔だ。
「ちょっと、凪紗!」
……言いたいことも分からなくは無いけどさ!!
昨日の修羅場を見たばっかだし……。
本人だって、昨日私たちがあの光景を見ていたこともわかってるはずだ。本人も私達も、気まずいに決まってる。
そんなことを思っていると、彼女は自ら私たちに歩み寄ってきた。
「ね、ねぇ、皆知らない?朝来ても誰もいないの……」
昨日の姿とは比にならないほどの、可憐な姿でそう聞いてきた。
その瞬間、凪紗は私の後ろに隠れて、私と陽菜ちゃんが見つめ合う体制になった。
……何してくれてるのよ、凪紗!!
私だって、気まずいものは気まずいんだからね?!
「え、えっと……。誰も来てない、って?」
「陽菜、いつも7時50分には来て、よく教室でみんなとおしゃべりしてるんだけど……。この時間になっても皆誰も教室に来ないの。顔すら出さなくて……」
陽菜ちゃんの一言で、私と凪紗は教室の時計を見た。
時計の針はもう8時半を指している
ホームルームが始まるのは四十分から。確かに、まだ誰も来てないのはおかしい。それに……
「陽菜ちゃんが来てから、誰一人も教室に顔出してないの?」
「えっ、うん……」
上目遣いで私と凪紗を見る陽菜ちゃんを前に、凪紗は極力顔を合わせないようにロッカーの方にそっぽを向いた。
私もつられてそっちを見る。……カバンはひとつも入ってない。
「朝一の集会ってわけじゃなさそうだね……。」
軽く口にしたはずだったのに、そんな事実を前に、私達の顔は一気に不安が募り始める。なんなのよこれ。
「他の教室に行っても誰もいないし……」
そう言いながら俯いてビクビク怯える姿を見せる陽菜ちゃん。
「どうなってるんだろう……」
私も流石に怯えそうになっていた。
「も、もしかしてただの休校だとか!!私たちがバカして来ちゃっただけなんだよ!そう、そう!」
そう言って、凪紗は自分に言い聞かせるようにカバンからスマホを取りだし、羽津真高等学園のホームページを開いた。
「そうだよ、きっとそうだ!ほら、休校、って言うお知らせが……、」
一スクロール。二スクロール。三スクロール。
「ない、ない……。ないないないないなーい!!!」
四スクロール、五スクロール。
「ちょ、凪紗、しっかりして!!」
凪紗が狂っちゃったよ……。わからなくもないけど、今はそれどころじゃないでしょ……。
「他の階とか校舎は見に行った?」
壊れかけた凪紗を横に、私は陽菜ちゃんの顔を覗いた。
フルフルとか弱く、首を横に振る陽菜ちゃんを見て、困った顔をした。
まぁ、そりゃあこんな雰囲気で見に行けないよね。
「そっか……。じゃあ、私見てくるよ。陽菜ちゃんは凪紗と一緒に居て?」
そう言って、机にカバンを置くと、私は教室から一歩外へ出た。
クイ。
しかし、服が引っ張られる感触に、再び後ろを振り向いた。
そこには、私のカバンを持って裾を引っ張る陽菜ちゃん。
「陽菜ちゃん?」
「残るの怖いし、一緒に行く……」
「そ、そう?」
……可憐だなぁ。ほんと可憐。こうやって男の子を落としてきたのかなー。
なんて、呑気なことを考えてる暇はない。
陽菜ちゃんがそう言うなら、無理に置いていく理由ない。
「じゃあ一緒行こう。」
そう言って、私は壊れた凪紗の襟を掴んで、陽菜ちゃんと一緒に他の場所を見に行った。
「いい加減、正気に戻って!」
「痛いわ!!」
* * *
新校舎へ行くためにも、階段を恐る恐る上がっていく私たち。
「本当に静かだね……」
不気味だ。夜の学校って訳でもないのに、照り尽くした日差しもやけに不気味に見えてくる。
「……まって、何か聞こえない?」
そう言って小さな声を漏らしたのは、凪紗だった。
「え、」
その一言に、私たちは顔を見合せた。聞こえたという新校舎の方に耳を澄ます。
──────……。
確かになにか聞こえる。
「行ってみよう!」
そう言って、凪紗がその場を駆け出した。
「ちょ、ちょっと!!」
そんな凪紗を前に、私達も一歩足を踏み出した────……その時だった。
キィィイイイン
「「「っ?!?!、!」」」
真上にあったスピーカーにスイッチが入った。
私も含めて、みんなビクンと肩を震わせて身を寄せ合った。
「何なになになに何?!!」
放送室から?他に人がいるってこと?
恐怖と共に、少しの希望が見えた気がした。
次第にスピーカーのノイズが小さくなって、落ち着いたと思うと、静かな言葉が並べられた。
『選ばれた学生十名の皆様。至急、体育館前方へお集まり下さい。』
聞いた事のない声。
「こんな人、放送部員にいたっけ?」
不安いっぱいに顔を歪めた陽菜ちゃんが、そう言いながら私に身を寄せる。
私達の学園は、放送室には放送部員だけしか入れない。生徒会の報告も、【連絡ボックス】というところに放送内容を入れて、放送してもらうようになってる。
だから、いつも既視感のある声ばかりが放送していた。けれど、今回は一度も聞いた事のない声が私たち三人を包み込んだ。
男の人の様に野太くはなくて。でも、女性ほどか細くもない。芯はちゃんと通ってる声。でも細い。
そんな不気味な聞いたことの無い声に私たちは怪訝に内容を伺った。
『イベントのご説明を致します。』
「イベント……?」
これは何らかのイベントなのだろうか。それにしては意地が悪すぎるイベントだ。
「ねぇ、どうする?行く?」
凪紗は私の元へ駆け寄ってそう聞いた。流石の凪紗も少し不安な顔をしている。
「で、でも……。」
「嫌な予感しかしないよぉ……、」
ビクビクと震える陽菜ちゃんを前に、"お前ってほんとにそんなキャラだったっけ?"と、凪紗は冷めた視線を送っていたけど……。
まぁ、そんなことは置いといて。
「少し、窓から様子を見てみる?」
『尚。体育館にお越しに来られなかった学生方は、……──────私が今から殺しに行きます。』
「「「は、」」」
え、なんて言った今。え、は。え?
咄嗟に告げられた言葉がいまいち理解できない。
二人を見ても、脳が完全に処理しきれていないのが分かる。
けれど、私たちみんな、これだけは一致した。
行かなければ殺される。
その単語だけが頭の中心にしがみついて離れない。
「……い、行くしかないの……?」
「怖、もうなんなのよ……」
「十分注意して行ってみよう……」
そう言って、私と凪紗と陽菜ちゃんは、お互いに身を寄せ合いながら体育館前方へ向かった───