「兄ちゃんッ、俺の話……」
 兄ちゃんに勝てないのなら。
「聞いてくれッ……!!!!」
 おれは、兄ちゃんの光になる。だから……。
 おれの暗闇も一緒に、照らして欲しい。
 おれは一歩、兄ちゃんに踏み出した。
 だからこそ……、

───────逃げずに、ぶつからないと一つになれない!!


 

 大粒の雨が屋根にあたり、大きな雨音が鳴り響く。
 声がかき消されそうな程。
 そんな空間に二人、おれ達は見つめ合うように立った。
 おれよりも断然高い身長。
 昔よりも更に背が伸びた気がする。
 ……それ程、こうじっくりと見つめ合うのは何時ぶりだろう。
「兄ちゃんッ。」
 ギュ、っと、自分の腹部にある服を握る。それによってシワが中央によった。手汗がすごい。
「……。よく俺と話そうとできるよな。お前に無駄な時間をかけてる暇はないんだよ。」
 兄ちゃんはクルリと体を回転させた。
「逃げないでッ!!!」
「っ……。」
 おれは、兄ちゃんの背中に向けて、声を張上げた。
 反射的に動いた口は閉まらない。
 ……もう逃げない。逃がさない。もう……、憧れて眺めるだけは、やめにする……!!
 兄ちゃんがおれを避ける理由はわからない。本当におれのことが嫌いで厄介なのか、旗また別の理由があるのか。
 わかんない。……わかんない。けど。
 勘、なのかな。兄弟だからかな。……他にも、ちゃんとした理由があるよね。
「ちゃんと話そう?」
「……。」
 兄ちゃんの背中。……いつでもそうだったよね。変わらない。
 誰よりも兄ちゃんの背中を見てきたからこそわかる。兄ちゃんは、あの頃から一度も変わってないんだ。
 あの日から────────……



 家に僕の居場所なんてなかった。
 帰宅した途端、部屋に閉じこもる日々が続いてた。
 ……居場所がないのは、そうやって逃げ回る自分にも非があるってわかってた。そう思うたんびに暗い廊下からリビングに入る努力もした。
 ただ、覗くだけで、その時の僕には精一杯だった。
「まぁ!遙真、またコンテストで表彰されるの?!すごいわねー!」
「流石だな。いつも難なくこなしてその上、賞も取れるなんて、父さんたちの自慢の息子だよ。」
 ……入れるわけないよね。表彰されたことも、成績のランキングに乗ったこともない、ただの凡人……いや。
 
 この失敗作が、あの場に居れるわけない。





────────ほんとにそうだったのかな。

 雨の音が鳴り響く中で、あの日々のシーンが蘇ってくる。
 兄ちゃんの過ぎ去る背中を見れば見る程、自問自答の嵐が舞い降りる。
 おれの胸は異様なほどザワついていた。
「兄ちゃん!!……兄ちゃんはさ、昔。おれに言ってたよね。"お前と俺はいるべき場所が違う。この家族の中は、お前の生きる場所じゃない"って……。」
 考えた言葉は無意識に口から溢れていた。
 ハッとすると、兄ちゃんの足元は歩みをやめていた。
 小さくなることの無い背中を見つめて、深呼吸した。
 ドクンドクンと心臓が破裂しそうなほど脈打っている。
 深呼吸は大切だ。一度するだけで、破裂寸前の心臓は元の速さで脈打っていく。
「他にも、言ってたよね。"お前といると印象が悪くなるから近寄るな"って。」
 そう言いながら、ふらついた足元でおれは兄ちゃんに歩み寄った。
「勘違いだったらごめん。でも、これだけは聞いときたくて……。もしかしてさ、───────おれが、兄ちゃんを苦しめてた?」




中学上がりたての頃が、一番苦しかった。

 新しい環境に、新しい仲間。全てが新しい物づくしで、余裕がなかった。
 それに加えて、周りから聞こえる批判の声。

  生徒会長らしいわよ、お兄さん。
     とても大人びてる子ね、でも……。
お兄さんはあんなに完璧なのに。
   本当に兄弟なの?
 遙真先輩、成績トップだって!それに比べて……。

 いつもいつも、耳を塞ぎたくなった。でも、相談する相手もいない。これ以上印象も下げれない。兄ちゃんに、足枷はかけられない。
 耐えるしか……なかった。

兄ちゃんが高等部に進級した年。初めての友達ができた。
 
 一緒に遊んだり、部活の腕を認めて貰えたり。生きた心地がした。新しい感覚に出会った。暖かかった。

   でも。

環境が整えば整うほど、兄ちゃんはおれを避けていった。

 兄ちゃんは、いつも怖かった。おれを見る目はいつも鋭くて冷たいし、当たりは強いし。何より、オーラが怖かった。
 家でも、学校でも。目の前に兄ちゃんが立つと、どんなに友達がいても俯くことしか出来なかった。
 それ程、兄ちゃんは口を開けることすら許してくれないほど、おれを遠ざけてた。

遠ざけてくれていた。

 



 あの時のおれ、バカすぎるだろ。そんな、友達が出来始めて、でも、兄ちゃんとの距離は遠のいて。
 それが同時進行なんて、なんで変だと思えなかったんだろう。
 今思えば、あの日から、兄ちゃんの背中はいつも寂しげだった。
「守っててくれてたの……ッ?!!いつもいつも……。本当は、ずっとおれのことを見ててくれた……?目を離したことすらなかった?けど……、おれ、そんなこと気づかなくて……」
 あぁ、と吐息が漏れる。
「周りの視線から開放されるために……。おれが、おれでいられるように、居場所を作るために。」
 自然と、兄ちゃんの背中に手が伸びた。


「……────────兄ちゃんはおれから遠ざかったの?!!!」

「うるさい!!!」


「え……ッ。」
 そして、薙ぎ払われた。
 急な状況に、脳が困惑した。ただただ、払われた左手がジンジンと痛くて。
 兄ちゃんの荒れた息と目付きが目に焼き付けられて。
「ッ……。ふざけるな!!!俺が何故お前のために動かないといけないんだ!!」
 その一言に、おれはなにかが崩れかけた。
 勘が……外れた。
 ……はは、そうだよな。てか、こういう場面で勘を頼る方がおかしいもんな。
 おれを避ける理由は、おれの予想じゃなくて、はっきりとした前者。邪魔、だからか……。
「お前は俺の何を見てきた?!」
 視界がぼやけて見えずらい。立ちくらみか?
 はは、もろにショック受けてやんの。笑えるわー……。最初から気づいてただろ。目を背けたいがために、勘に頼ったんだろ。よっわ、おれ。

はは、笑えねー……。

 なんだよこれ。なんでだよ。おれ、……おれッ……。
 足の力が抜けていく。
 やば、膝から崩れ落ちそう。こういうとこだろ。避けられてる理由って……。
 あーぁ。おれ……
「俺が……、」

   ほんと……──────何がしたいんだろ……。
「そんなに都合のいい性格なわけないだろ!!」
 
「えっ……。」
 苦し藻がいている声が、おれの脳を研ぎ澄ました。
 さっきまで頼りにならなかった意識が、取り戻される。
「は……。」
 目の前で、兄ちゃんは蹲っていた。
「兄ちゃん……ッ?!!」
 おれは、急いで兄ちゃんの肩を支える。
「どうしたの、兄ちゃんッ、大丈夫?!!ねぇ、兄ちゃんッ、」
 声をかけても、蹲ってるだけ。
 嘘だ。おれ、とんでもないことをしてしまったのか?
 なんで。……おれの言霊?おれのせいで、どうしよう。
「兄ちゃんッ、ねぇ、返事してよ兄ちゃん!!」
「……。」
 何が起きているかも分からない不安が、胸を覆って涙が込み上げてきた。
 どうして……ッ!!!
「ッ……なんでだよ……。」
「えっ……。」
「なんで……。……ッ、んでこんな時まで俺の心配をするんだよ!!」
「兄ちゃん……。」
「……俺は、お前が思ってるほど完璧じゃねぇぞ……。」
「っ……。」
「勝手に嫉妬するし、欲張りで、無い物ねだりばっかりで……。んで……ッ」
「兄ちゃん……?」
「ッんで、お前が失敗作なんだよ!!!」
「へ……?」
 その時、初めて兄ちゃんは顔を上げた。予想外な言葉に、頭が真っ白になる。
 な、なんて返せばいいのかわからなくて、口がパクパクする。
 え、兄ちゃんがおれより失敗作?なんで?ん?なんで?
 ハテナが頭を埋めつくした。
「ど、どう……して?」
「ずっと、お前が羨ましくて、それで凄いのに周りに批判されるお前が見てられなくて、……食われることも怖くて……、食うことも……怖くて……。」
「食うって……」
「……小さな光を消したくなかった。」
「っ!」
「器用貧乏な俺にとっちゃ、ひとつのことに没頭出来るお前の才能が羨ましかった。何も努力したことの無い俺からすると……。」
「兄ちゃん……。」
「結局は……、やっぱり、互いに無い物ねだりなんだよな……。」
 ……あの兄ちゃんが、とても弱々しい。初めて見た、こんな兄ちゃん。
 おれのことが、羨ましい……。
 光……か。
 兄弟揃って、考えることは同じってか?

おれのちっぽけな光と、
     兄ちゃんの穴の空いた大きな光。

 ……まぁ、そうだよな。大きな光には、勝てないもんな。
 消したくなかったんだ、兄ちゃん。……不器用で、器用な兄ちゃん。
「……。」
 おれは、兄ちゃんの前に姿勢を正して座った。
 理解してない兄ちゃんの顔を覗く。
「兄ちゃん。……おれね、おれもね……。兄ちゃんのこと憧れてたんだ。おれって一人称も、少しでも兄ちゃんに近づきたくて、言ってたんだ。」
「……。」
「ありがとう。おれを守ってくれて。……実際、兄ちゃんのことが少し怖かった。兄ちゃんに近づきたくても、近づこうとすればするほど、兄ちゃんの言う通り、……せっかく藻がいて手にした光を飲み込まれそうで、怖かった。……でも、それ程。兄ちゃんのぽっかり空いた寂しい穴がいつも気になってた。」
「穴……?」
「兄ちゃんは眩しいくらい光ってるのに、奥に行けば行くほど、光を失ってくの。」
「あぁ……。」
「でさ、おれ思うんだ。無い物ねだりしかしない兄弟達だけど。」
 おれは、プハッと笑ってしまった。
「兄弟、って。互いを補って、助け合って行くものなんじゃないのかなって。」
「っ……。」
「おれが変わりになるかはわからない。でも、どんなに抗っても、おれは兄ちゃんには勝てないし、兄ちゃんはおれに近づけない。ならさ───────」


 おれは、兄ちゃんの光になる。

   だから、おれの暗闇も一緒に、照らして欲しい。


 兄ちゃんの、手を取って握りしめた。
 ゴツゴツした手。なのに、ほんとに情けないほど震えてて冷たい。
 ほんと、兄ちゃんの言う通りかも。
 おれ、兄ちゃんを過大評価してたのかも。兄ちゃんも、ちゃんとした不器用な人間なんだよね。
「ね?」
 ニコッとおれは微笑んだ。
「……あぁ。」
 ぎゅっと握り返される。あったかい。

「「……っははは!!!」」

 あぁ、恥ずかし。何この泣きっ面。おかしすぎて笑ってきちゃうよ。
「あっ!」
 おれは、ふと窓の外を見上げた。
「ん?……あぁ。」
 ……あったかかったのは、これのおかげでもあるのかな。
「みてみて、晴れてる!!」
 気がつけば、パッと晴れた空に窓を開けて手を伸ばしていた。
 日差しが差し込んでいる。
 届きそう。頑張ればこの澄んだ空に届きそう。
「……ねぇ、兄ちゃん。」
「あ?」
 伸ばした手を戻して、兄ちゃんに向き直る。
 これからどうなるかはわからない。どの道、おれと兄ちゃんの差別は変わらないだろう。実際に、おれは兄ちゃんには勝てないし。
 ……でも、
「おれ達、本当によく似た兄弟だよね。」
 クシャっと笑って見せた。
 不器用で、無い物ねだりで、お互いにお互いを配慮しすぎてて、自分を犠牲にしがちで。
 この際、もう兄ちゃんと比べられるとかどうでもいいよ。
 おれ達が、おれ達の中で真の兄弟だって、分かり合えてればそれでいい。
「ふっ……。そうだな。」
 ほら見てよ。兄ちゃんはいつもクールでかっこいい表情ばっかりじゃない。

優しく、朗らかに笑う、普通の人間なんだから。